【プロ野球】球団史上初、広島3連覇 緒方監督、悲しい出来事で気合入れ直し2018年9月27日 紙面から
◇広島10-0ヤクルト広島が先発野手全員の17安打10得点で大勝し、3年連続9度目の優勝を決めた。初回に丸の適時打など5安打を集めて5点を先制。5回以降も小刻みに加点した。九里が8イニングを無失点で8勝目。9回は中崎が締めた。ヤクルトは連勝が3でストップした。 ◇ 悲しみを乗り越え、頂点に立った。27年ぶりの本拠地優勝となるマツダスタジアムで悲願の胴上げ。真っ赤に染まったスタンドが揺れる中、緒方監督は9度目のリーグ優勝にちなんで、9度宙を舞った。未曽有の豪雨から約2カ月。広島の人々に約束の瞬間を届けた。 「最高ですね。夢のような時間でした。信じられないような悲しい出来事もあったんですけど、そこから気合を入れ直しました。選手がよく頑張ってくれました。ファンの皆さん、3連覇、おめでとうございます」 苦しい1年だった。新井、鈴木、丸、野村…。開幕から故障者が相次ぎ、主力抜きの戦いを余儀なくされた。「一番大事」と言った交流戦では投手陣が崩壊し、4年ぶりの負け越し。4月下旬から首位に立ったが、監督就任以来掲げる「投手を中心とした守り勝つ野球」からかけ離れた。 7月上旬には西日本豪雨が発生。広島県内の各地で浸水や土砂崩れが起こり、指揮官の家族も避難。被害の大きさを伝える写真に言葉を失った。本拠地で開催予定だった同9日からの阪神3連戦は中止。「言葉にならないというか、非常につらい…」。連日、募金箱の前で声を張り上げ、手を握った。3連覇は宿命に変わっていた。 復興の象徴となるよう、チームは快進撃を続けた。丸、鈴木が打線を引っ張り、大瀬良、フランスアが投手陣を支えた。変化も恐れない。「打線の看板」と話していたタナキクマルの解体を決断。さまざまな意見が飛び交う中、コーチの進言にうなずいた。日頃から「うちは完成されたチームではない」と繰り返す。勝負勘は年々、研ぎ澄まされている。 バッグに1冊の本を忍ばせている。緒方監督が「神様だ」という松下幸之助の著書「成功の金言365」だ。“任せて任せず”など数々の格言からチーム作りを学び、悩んだ時は手に取った。「4年間ずっと持ち歩いている」と言う指揮官にとってのバイブルだ。 生真面目で不器用な性格だが、優しさも併せ持つ。春季キャンプ初日。日南市の幼稚園児による歓迎の言葉に目頭を熱くした。妻と長女が書いた絵本「僕のヒーロー」を引用して声を合わせる姿に「ああいうのを見ると泣きそうになる。絵本を贈ってあげようか」と家族に内緒で計300冊をプレゼントした。 「野球から離れる時間も必要」と言う。癒やしは家族と愛犬ユウショウ君の存在だ。犬の鳴き声で目覚め、日課の散歩ではクラシック「カノン」を聴いて頭を整理する。中学生の息子とはサウナやゴルフの打ちっ放しに出掛けてリフレッシュ。遠征中は関東の大学に通う長女と食事するなど、父親の顔ものぞかせた。 8月下旬には体調を崩し、初めて練習に姿を現さず。顔は青ざめ、試合後の会見では意識がもうろうとした。首位独走の中、疲労はピークに達していたが「大丈夫」。家族にも詳細を伏せ、強い指揮官であり続けた。 今年の絵馬には「日本一、優勝」-。4月に逝去した鉄人・衣笠祥雄さんのお別れの会では「秋にリーグ優勝と日本一の報告ができるように精いっぱい頑張ります」と瞳を潤ませて誓った。昨季の悔しさを忘れるはずがない。34年ぶりの日本一へ、今年こそ突き進む。 (杉原史恭) <緒方孝市(おがた・こういち)> 1968(昭和43)年12月25日生まれ。佐賀県出身の49歳。鳥栖高から87年にドラフト3位で入団した広島一筋でプレー。俊足強打の外野手として鳴らし、95年から3季連続盗塁王、ゴールデングラブ賞に5度輝いた。通算1506安打で打率2割8分2厘、241本塁打、725打点。09年限りで現役を引退した後はコーチを務め、15年から指揮を執る。
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