孔明が馬謖に命じた驚くべき内容(三国志スリーキングダム56話)

劉備がいない間に、関羽や張飛たちは諸葛亮が謀反を起こすのではないかと疑うようになって、兵士を突入させる恐れがありました。しかし、諸葛亮は、黄忠たちに兵士を城内から出すように、馬謖に命じます。なぜ、諸葛亮は自分を守るべき兵を遠ざけてしまったのか?その理由を詳しく紹介しましょう。

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『再び周瑜を怒らせる』のキャスト

荊州の危機が続いてしまう『再び周瑜を怒らせる』に登場した人物や声優さんたちは、以下の通りです。

  • 孫権(呉)/周瑜の体調を心配する呉侯(声:咲野俊介)
  • 孫小妹(呉)/劉備を助ける妻(声:中村千絵)
  • 周瑜(呉)/諸葛亮に激怒する大都督(声:小山力也)
  • 呂蒙(呉)/周瑜を諌める将軍(声:成田剣)
  • 劉備(荊州)/荊州に帰還する皇叔(声:家中宏)
  • 諸葛亮(荊州)/関羽たちと対峙する軍師(声:堀内賢雄)
  • 馬謖(荊州)/諸葛亮を補佐する文官(声:横島亘)
  • 関羽(荊州)/諸葛亮を脅す将軍(声:田中正彦)
  • 張飛(荊州)/酒を飲み明かす将軍(声:天田益男)
  • 趙雲(荊州)/劉備に従う将軍(声:遊佐浩二)
  • 黄忠(荊州)/諸葛亮の命を受ける将軍(声:麦人)
  • 魏延(荊州)/黄忠と共に行動する将軍(声:大塚芳忠)
  • 孫乾(荊州)/周瑜をあざ笑う文官(声:林和良)

『再び周瑜を怒らせる』のストーリー

劉備が逃亡している所で、徐盛と丁奉たちが兵士を引き連れてやってきました。両将は、周瑜の命を受けて、劉備を捕まえるために迫ってきたのです。

諸葛亮が馬謖に命じた内容(起)

劉備や趙雲が身構える中で、孫小妹が「そなた達は、孫家に使える者たちであろう」と、周瑜の言いなりになる事を叱責します。さすがに、呉侯の妹に刃を向ける訳にもいかず、徐盛や丁奉は、手出しできませんでした。

その頃、荊州では、諸葛亮は「張飛は酒を呑んでは私を罵声を浴びせてきたが、今日は来ていない」と胸騒ぎを覚えていました。それを聞いた馬謖は「まさか、武力に訴えるつもりでは」と危惧します。

そこで、諸葛亮は「黄忠に兵士を引き連れて、城から出るように言え」と命令します。これに馬謖は「それでは、先生(諸葛亮)を守れる兵士がいなくなります」とうろたえます。実際に、諸葛亮と黄忠は、同じ荊州の出身で親しい間柄でした。そのため、黄忠が兵士を連れて城から出れば、誰も諸葛亮を守れなくなるのです。

諸葛亮の真意(承)

諸葛亮は、黄忠が自分を守るために兵士を集めたら、黄忠たちと関羽たちの間で内戦が起きる事を心配していました。その真意を知らされた馬謖は「それでは、将軍(関羽)たちが迫ったら、どうなされるのですか?」と必死に諌めます。

しかし、諸葛亮は、自分の命と引き換えにしてでも、荊州で内戦が起こる事を避けたかったのです。馬謖は仕方なく、黄忠たちに城から出るように命じます。その頃、劉備は逃走を続けていましたが、ついに周瑜自ら、軍勢を引き連れてきて、劉備に追いつきます。

それに観念する劉備ですが、黄忠と魏延が兵士を引き連れてきて、劉備を救出します。劉備が船団に乗った所で、黄忠は諸葛亮から「周瑜に聞かせるように」と言われた言葉を兵士に連呼させるのです。それは「妻を失い、兵をくじく!」と言う内容でした。周瑜にとっては、まさに屈辱的な言葉で、思わず吐血してしまいます。

諸葛亮が関羽の傲慢さを憂う(転)

荊州では、関羽や張飛たちが兵士を引き連れてきて「黄忠に兵士を集めさせて、何を企んでおられる」と迫っていました。あくまでも、二人は諸葛亮が主君のいない間に荊州を乗っ取るものと決めつけていたのです。

そこへ馬謖が駆けつけてきて「お二人は先生を誤解されています、先生は衝突を避けるために、兵士を城外へ出したのです」と説得。関羽たちは、その言葉に驚く中で、ついに劉備が城へ帰還します。劉備は、自分が留守の間に、義弟たちが軍師に無礼な振る舞いを働いた事を叱責します。

関羽たちは諸葛亮にひざまづいて謝りますが、諸葛亮は「関羽は主君以外の者は、雑草ぐらいにしか思わぬ傲慢さがあり、これでは勢力を拡大した時に、一地方を任せる事ができず害を及ぼす恐れがあります」と憂います。この予言は不幸にも、呉の呂蒙や陸遜が台頭した時に的中するのです。

孫権と曹操の外交戦(結)

孫権は、大局を見て、劉備を荊州牧にするように朝廷へ上奏しました。これによって、呉と荊州は一枚岩である事を示して、曹操に対抗できる事を示したのです。さらに、劉備を油断させた後に、荊州を襲う企みも隠れていました。 しかし、曹操はそれよりも上手で、何と周瑜を南郡太守、程普を江夏太守に任命したのです。

これは、呉の大都督と将軍が、それぞれ荊州の二つの城を統治する権力を持った事を意味していました。曹操は、あくまでも呉と荊州を争わせようとしてたのです。さらに、周瑜は魯粛に対して「劉備に西蜀を攻める助力をする代わりに、荊州をすぐに返すように催促するのだ」と勧めます。

しかし、周瑜の狙いは、荊州に助力するものと見せかけて、そのまま荊州を攻撃しようとしていたのです。そして、魯粛は使者として荊州に赴きますが、そこで意外な提案をして、劉備たちを驚かせてしまいます。はたして、魯粛は何を提案したのでしょうか?

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魯粛は、周瑜と程普がそれぞれ太守に命じられたので、江夏と南郡から手を引くように迫ったのです。これは朝廷から任命された事であり、漢室を重んじる劉備の痛い所を突いた要求でした。

『再び周瑜を怒らせる』のまとめ

動画配信U-NEXTで配信されている『再び周瑜を怒らせる』を見た感想を紹介するので、参考にしてみて下さい(本ページの情報は2018年9月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにてご確認ください)。

三国志の名言『呉下の阿蒙』

呂蒙が、すぐに荊州を攻め込むように進言したら、周瑜から『呉下の阿蒙』と指摘されてしまいます。これは、直訳したら『呉のお馬鹿な呂蒙』と言った所でしょう。この『阿』は、中国では名前に『ちゃん』を付けるようなもので、馬鹿な人間に付ける時に使います。日本でも他人を馬鹿にする時に『○○ちゃん』と言うのと一緒ですね。

しかし、呂蒙は、後に主君の孫権から「将軍なのだから、少しは学問にも励め」と勧められます。呂蒙は断ろうとしますが、主君から熱心に勧められたので、学問に励むようになって、猛将から知将へ変貌します。これが後に、荊州の支配権が孫家と劉家のどちらになるのか決定づけたと言っても過言ではありません。

諸葛亮は、部下の育て方や使い方が下手でしたが、孫権は部下の育て方や使い方が上手だったのが、この一件でもよく分かる所ですね(孫権の晩年は抜きにした話です)。そして『呉下の阿蒙』という言葉は、いつまでも成長しない者を指摘する際に、使われるようになったのです。

『再び周瑜を怒らせる』の残念な所

今回も、呉のファンにとっては、ストレスのたまる内容が続いてしまいます。実際に、周瑜はそれほど愚か者ではないのに、ここまで貶めるのかという内容で、呉のファンとしては激怒ものです。

そのような激怒したくなる内容になっていますが、呉の反撃が始まるまでのお楽しみと考えれば、見てみる価値はあるでしょう。

『再び周瑜を怒らせる』の見所

周瑜は怒りのあまり、血を吐いてしまって、呂蒙が必死に心を鎮めるように諌めます。少し猪武者な所がある呂蒙ですが、少しずつ知将へ変わりつつある所が見えたのは、第56話の大きな見所ですね。

そして、諸葛亮が、後の悲劇を予言したのも大きな見所です。実際に、関羽は傲慢で余計な敵を作りやすい気性だったので、荊州を守れるほどの器ではなかったのかもしれません。

逆に言えば、関羽がもう少し劉備以外の者にも、敬意を示せる所があれば、歴史は変わっていたでしょう。