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2018-09-26

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・世の論客とか頭のいい人だとかが言い争っているのは、
 剣客だの剣豪だのが「拙者こそが強い」と闘っている
 「御前試合」みたいなものじゃないか。
 というような原稿を書きはじめたのだけれど、
 書いているうちに、つまらなくなってやめた。
 やっぱり、人の悪口みたいにしかなりにくいのはダメだ。

・ラーメンを食べようと、大阪にいるときから決めていた。
 塩分過剰になるからいけないとわかっているけれど、
 飲み干したくなるようなスープを、
 舌で味わい、のどを悦ばせ、腹に流しこみたい。
 麺の歯ざわりと香りをしみじみと褒め称えたい。
 そう思って、どこに行こうかと考えはじめた。
 自由なのだ、家人は仕事で留守で、犬もお泊り保育中だ。
 東京都内なら、どこにだって行くつもりだ。
 タクシーでも、電車でもいい、運転していってもいい。
 そう思って、真剣に記憶のファイルを探したのだけれど、
 あんがい「あそこかな」という店が3軒くらいしかない。
 ラーメンについて、それほどの情報量を持ってないのだ。
 猫の「メンマ」のとーちゃんでもある
 「もりかー」くんに電話すればいいのだけれど、
 唐突に訊いても迷惑だろうなと思ってじぶんで考えた。
 ラーメンは、なにをするにしてもひとりがよく似合う。

 ここだと決めた店は、定休日だった。
 そのあと考えた「あれこれ」は、かなり混乱していた。
 選んだ答えは、「あの店のあの味はよかったなぁ」という
 「思い出をたずねて」の方向だった。
 実を言うと、この方向はわりと失敗が多い。
 今回は、どう失敗するかもたのしみのうちと考えて、
 電車を乗り継いで、「思い出の店」の本店へ向かった。
 繁盛していたし、食べて、おいしかった。

 しかし、やっぱり「思い出」そのものではないのだ。
 ぼくがあのころ感じていたあのおいしさというのは、
 「ラーメンって、こんなにおいしくなるんだ!」という
 驚かされるよろこびだったはずなのだ。
 驚きは、いつまでもは続かないものなのだ。
 だから、驚きでないもので「何度でも通える」店が、
 つくれなきゃいけないなぁ、と、思いながら帰った。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
梅田に行ってたメンバー、かなり疲れてるだろうな(笑)。


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