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ロスト=ストーリーは斯く綴れり 作者:馬面

ウェンブリー編

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第6章:少年は斯く綴れり(17)

 挙手した刹那、その周辺から喧騒が発生する。

 当然だった。

 説明を始める前に質問するなど、マナー違反と言う以前に、嫌がらせと受け取られて然るべき行為。

 即刻退場を宣告されてもおかしくないような、愚行に他ならない。

「き、君! 非常識ですよ!」

 司会進行役の男がヒステリックに叫ぶのも当然の行為と言える。

 アウロスはそれに若干の謝罪の念を抱きつつも、決然と無視した。

「答えられませんか? ミスト教授」

 出来るだけ声を抑え、それでいて攻撃的に。

 露骨な挑発はミストの好みではない。

 悠然と、何処か人を喰ったような、それでいて言葉だけは丁寧に。

「退場しなさい! ここは君のような人間が来る所ではない!」

「どうですか?」

 尚も周囲を無視し、挑発を続けるアウロスに対し、ミストは――――教授室にいる時の笑みをそのまま浮かべた。

「……良いでしょう。答えますよ」

「ミスト教授!」

「私は構いません。彼に質問の権限を」

「ありがとうございます」

 有無を言わさず礼を言う。

 司会役の男の面目は丸潰れだが、それを気にする余裕など、今のアウロスにある筈もなかった。

「【魔術編綴時におけるルーリング作業の高速化】。これが貴方の研究論文のテーマでしたね」

「ええ」

「その原理についての説明より前に、まずお聞かせ願いたい。何故この研究を選んだのですか?」

 周辺の異様なざわめきを放置したまま、アウロスの質問は続く。

「ここにいる皆さんもご承知の通り、この研究は一攫千金論文と呼ばれています。まともな研究では食べていけない研究者が、起死回生を目論んでこの研究に手を出し、結果的に誰もが羽ペンを机に置いた……そう言う研究です。何故、二十代で教授になった程の才能を持つ貴方が、そんな研究に手を付ける必要があったのか。是非お聞かせ願えますか」

 喧騒が――――徐々に消えて行く。

 アウロスの質問は、周りの人間の好奇心を擽った。

 実際、ここにいる誰もが一度は頭に浮かべた疑問ではある。

 それまでアウロスを胡散臭そうに眺めていた聴衆が、ミストの方にその視線を移していた。

「御説明しましょう」

 それを自覚したのか、わかり易くはっきりとした口調で、ミストは説明を始めた。

「一攫千金論文……確かに一部ではそう呼ばれています。落ち零れの行く末だと揶揄されている事も承知しています。有能な先人達が、誰一人として完成させる事の出来なかった研究ですから、誰しもが挑む前に諦める。そして、そんな自分を正当化する為に、挑戦する心を否定し、中傷する。この研究に限らず、或いは魔術の研究だけに限らず、あらゆる分野の研究において、必ず存在し得る悪しき習慣でしょう」

 一つ区切る。

 結論を言う際に必要な間だ。

「私はそんな研究者の病巣とも言うべき習慣を、排除したいと常々思って来た。それが第一の動機です」

「第二の動機は?」

「前衛術において、時間と精度は最も重要な因子です。敵を目の前にして戦う上で、どれだけ早く、そして正確に魔術を編綴できるか……その永遠とも言える課題の答えが、この研究の中にある。前衛術を専攻する人間なら、魔術士としての力を飛躍的に高める事が出来るこの研究の成果に、惹かれない筈がない」

 ミストの間髪入れない回答に、アウロスは思わず内心で眉をひそめる。

 あくまで内心なので、表面に現れる事はない。

「以上ですか?」

「ええ。以上です」

 ミストの表情を窺いつつ、その真意を探り――――無駄だと悟った。

 更なる追求が必要だ。

「ならば、更に質問します」

「君!」

「構いませんよ」

 明らかに度を越したアウロスの要求を制止する声が上がる中、ミストは穏やかにそれを許可した。

「しかし、時間が……」

「説明は時間内に終わらせます。それで問題はないでしょう」

「む……」

「御気遣い、感謝します」

 自分に対する心遣いと言う訳ではないと承知しつつ、ミストが深々と頭を垂れる。

 この動作で場が落ち着きを見せた。

「ありがとうございます。では質問を続けます」

 静寂の中、アウロスの声が響く。

 当然、続行は想定通り。

 後は、どれだけ突けるか。

 その為に――――

「研究者としての良識と、魔術士としての誇り。それがこの研究に没頭する理由だったと言う事ですが、それならば、何故……」

 意図的な間で時間を作り、演出を試みた。

「この研究に生物兵器を用いたのですか?」

 その効果かどうかは定かではない。

 ただ、講義室全体が『生物兵器』と言う言葉に引き寄せられ、息を潜めた。

「無論、完成させる為にそれが必要だったと言えば、それまでです。しかし、大量生産できる素材を用いなければ、別の方法はあったでしょう。何故、敢えて魔術士にとって禁忌とも言えるその技術を用いたのですか?」

 アウロスの声が、室内の熱を巻き込むように宙を泳いだ。



(成程。そう来たか……)

 声にならない笑みで目尻を下げながら、ミストは応えを整理し始める。

 アウロスの質問は、本来自分自身で隠した痛点を容赦なく突き刺して来た。

 生物兵器と言う言葉を敢えて使わわず、呼称を変える事で、余計な摩擦を抑え、名称自体の言質を削ぐ。

 単純にして、効果的。

 それはミストも一定の理解を示した理論だった。

 だが、中には目聡くそれに気が付き、指摘する人間も必ずいる。

 その応えに関しては、当然用意してあった。

 よって、この件に関しては、大した怪我にはならない。

 問題は『まだ発表者が説明していないにも拘らず、内容を把握していなければ出来ないような質問』をアウロスがした、と言う所にあった。

 そこには明確な意図が見える。

 自分はこの論文を知っている。

 この研究内容を把握している――――そう訴えているのだ。

(生物兵器と言う言葉のインパクトで聴衆を引き付け、最も訴えるべき事項に耳を傾けさせる……か。相変わらず年齢不相応な奴だ)

 ミストは苦笑しつつ、聴衆席を見渡した。

 その中には知った顔が幾つもある。

 同業者、取引相手……そして、自分の部下や元捕虜も。

(あいつらの中の誰かにそれを指摘させれば、尚更真実味が増す。恐らくは仕掛けてくるだろう。尤も……)

 更には、かつての仲間に視線を向ける。

 特に動きを見せない中で浮かべる不敵な笑みは、苛立ちへの反発。

 自分の思い通りに事が進んでいない時に、リジルが良くする表情だった。

(てっきりアウロスに付くとばかり思っていたが……こちらも相変わらず掴めない男だ)

 ミストとリジルが出会ったのは、今から九年近く前――――ガーナッツ戦争の真っ只中だった。

 臨戦魔術士として戦場に赴いたミスト。

 相反する血の流れに翻弄され、我を失いかけていたリジル。

 彼らは特に仲が良い訳ではなかったが、最も近い人間である事は共通認識として持っていた。

 魔術士としての強烈な誇りを持つ男と、魔術士を嫌悪する男。

 その相性が良い筈はないのだが、今も尚、場合によっては手を組む事もある。

 腐れ縁、切っても切れない関係――――そんな言葉が相応しい間柄だった。

(と……今は回顧に浸っている場合ではないな)

 アウロスの知り合いが動く気配は、今の所ない。

 ミストはそれを確認し、自身の予め用意した答えを言語中枢に送った。

「お答えし――――」

「あら? 変ねえ」

 その声が、女性のか細い声に遮られる。

 音量や声質ではない。

 力とも違う。

 ミスト自身の認識が、自らの言葉を留めた。

「どうしてこの方は、発表する前の論文の中身をご存知なのかしら?」

 ミストの警戒していたその言葉は、総大司教によって放たれた。 



(……!)

 聞き覚えのある声。

 自分の柔らかい部分に直接触れてくる、そんな声。

 数十種類のスパイスを使った料理のように、ルインの顔は複雑極まりない表情になった。

 アウロスの隣にいる人間。

 それは――――

「総大司教……と言うよりも、彼女は……」

 出入り口に最も近い席に座っていた男――――リジルがポツリと漏らす。

 総大司教の入室後にこの場に赴いていて、まだその事実を知らないでいた周りの人間も、その声に反応を示し、周囲が再びざわめき始めた。

「驚きましたね。まさか彼女がこんな所に来ているとは。貴女が便宜を?」

「……」

 ルインは首を横に振った。

「となると、御自身で、と言う事ですか。成程、僕との取引を断る筈ですよ。僕よりも遥かに有力な相手が既に傍らにいるのなら、僕と組む理由はない。本当にあの人はいつも予想の斜め上を行く」

 リジルの感心に満ちた声の一方で、ルインの表情は晴れない。

 どうして良いのか、何を思えば良いのかすらわからない――――そんな顔で、アウロスの隣にいる人物を見ていた。

「御気持ちはお察しします。こんな状況で母親と再会と言うのは、色々と複雑ですよね」

「母親……? お前総大司教の娘だってのか?」

「……」

 空気を読まないラインハルトの不躾な質問は、すでにざわめきが強くなっている事もあり、周りの人間には聞こえていなかった。

「これで戦局は一変しました。彼女が後ろ盾として控えているとなると、ミスト教授はおろか、彼と仲良くしているあちらの方々も、容易に介入が出来ない。尤も、あの老人が仕掛けた可能性もありますが……」

 リジルが視線で差した方には、ミハリク司教が厳しい表情で待機している。

 その顔からは、推測以上のものを汲み取る事はできない。

 老獪と言う言葉が相応しい程に。

「とは言え、彼女が味方に付いたとなると、周りの人間はアウロスさんの発言を真実と信じて疑わないでしょう。俄然有利な立場になりました」

 その視線を、今度はミストに移した。

 相変わらず余裕のある表情のまま、静かに総大司教の方を眺めている。

「どう対応しますかね、あの人は」

 リジルの言葉は、何処か楽し気だった。

 

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