消滅しそうなアイヌ語を身近に感じてもらおうと、北海道の日高地方周辺の路線バスで2018年4月から、アイヌ語による車内放送が始まっている。アナウンスを担当したのは、アイヌにルーツを持つ18歳の大学生だった。
国内初の「アイヌ語アナウンス」 新しい語彙の創造も
アイヌ語での車内放送は、内閣官房アイヌ総合政策室北海道分室が企画し、道南バスの協力で実現した。アイヌの人々が多く暮らす二風谷(にぶたに)地区を抱える平取町内を運行する3路線で実施されている。
日本語でのアナウンスの後に、アイヌ語で同じ内容が繰り返される。同分室によると、公共交通機関でのアイヌ語での車内放送は国内初という。
乗客からは、「耳心地がいい」「発音が柔らかい」「自然に耳に入ってくる」などと好意的な反応が寄せられてるという。
日本語のアナウンスをアイヌ語に翻訳する作業を担当した1人が、平取町立二風谷アイヌ文化博物館学芸員の関根健司さんだ。日常の言葉として復活させるために、翻訳の際には、アイヌ語の新しい語彙をつくりだすことも試みたという。
例えば、「学校」。アイヌ語に同じ意味の言葉がなかった。関根さんによると、「アイヌ語には明治期に流入した西洋の概念が少ない」ためだという。このため、「本を見る家」を意味する「カンピヌカッチセ」と訳された。
アナウンスは18歳の大学生が担当
アイヌ語のアナウンスを担当したのは、収録当時18歳だった慶応大学総合政策学部1年の関根摩耶さんだ。アイヌ文化の発信や、言語の習得論について学んでいる。
摩耶さんはルーツをアイヌに持ち、二風谷で育った。小学生のときには公益財団法人「アイヌ文化推進・研究機構」主催の「アイヌ語弁論大会」の子供の部で、2度の優勝を果たしている。
複数の方言があるアイヌ語の中で、路線周辺で使われている沙流(さる)方言に幼い頃から触れてきた点や、若くて元気のある声が評価され、摩耶さんに白羽の矢が立った。
摩耶さんはハフポストの取材に、アイヌの言語や文化への思いを語ってくれた。
■アイヌ語が日常だった二風谷の生活
人口の75%がアイヌといわれる二風谷で暮らしていたので
小さな子供でもアイヌの言葉を理解することができ、例えば私は雪を見て、自然とアイヌ語で「ウパシだ!
アイヌ文化継承活動のリーダーとして知られる萱野茂さんが
■アイヌから遠ざかった時期も
高校から札幌の学校に進みましたが、
祖父母の世代では「あ、イヌだ」
自分がアイヌであることをネガティブなこととして捉えるようにな
■転機はハワイで訪れた
高校2年生の時に国際交流プログラムでハワイを訪ねた際に、
その頃は、
「日本に行った時に、外国人だからと誰も相手にしてくれず、
その時以来、使命のようなものを感じ、
■「カッコいい」アイヌを発信したい
アイヌには、日本による同化政策のために、いきなり日本語で授業が行なわれる学校に連れていかれ、結果的についていくことができなくなったという人がたくさんいます。実際、アイヌの学歴や学力の水準が低くなっているというデータもあります。
もともと、アイヌは文字を持たない民族なので、暗記した言葉を何時間も語って伝えるなど、
まだ、流暢に話せるレベルではありませんが、言葉は学べば学ぶほど成果が出るものなので、今後も勉強を続けていこうと思っています。
多くの人々に「アイヌ文化ってカッコいいな」
例えば、「自分は日本人」と思っていても、
日本人に限らずたくさんの人に、私が「アイヌだ」と言って生きているところを見て欲しいし、
実際、大学の友人など私の身の回りでは、日常の会話の中でアイヌの言葉を使ったりとアイヌ文化やアイヌ語に興味を持ってくれる人が増えてきていて、
「カッコいい」姿を見せることができれば、
伝統を大事にしながら、
私を二風谷で育ててくれたおじいちゃん、おばあちゃんたちは、「
まだまだ、根拠のない自信かもしれませんが、
アイヌ語によるアナウンスの実施区間など詳細は、公益財団法人アイヌ民族文化財団のウェブサイトで確認することができる。