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2018-09-25
■[読書][政治][経済] ケネス・シーヴ、 デイヴィッド・スタサヴェージ『金持ち課税』
帯に「民主主義は累進課税を選択しない。選択させたのは、戦争のみだった」との言葉がありますが、これは本書の主張を端的に表している言葉といえるでしょう。
20世紀の前半には累進課税が強化されて格差の縮小が見られたが、後半からは累進課税の弱まりによって格差が拡大しつつあるということはピケティの研究などによって知られていますが、この本では、その累進課税の強化が戦争の犠牲に対する補償という論理で導入され、戦争による大規模動員がなくなるとともに支持を失っていったということを示しています。
貧乏人は常に累進課税の強化を望んでいるようにも思えますが、実はそうではないのです。
目次は以下の通り。
第6章 富の徴兵
金持ちに対する課税に関しては、「平等な扱い論」、「支払能力論」、「補償論」という3つの議論があります。
「平等な扱い論」は、すべての人間は平等に扱われるべきという考えのもと豊かな者も貧しい者も同じ税率(フラット・タックス)を主張します。一方、「支払い能力論」においては、豊かな者と貧しい者の負担能力(担税力)が違うという事実から金持ちにより重い負担を求めます。
「補償論」は、当初、貧しい者が背負う間接税負担の重さへの補償という形で主張されましたが、この補償論が大きな力を持ったのが2度の世界大戦です。労働者階級が徴兵されて戦地へと赴く一方で、富裕層は徴兵されず、また戦争によって超過利潤を得た資本家もいたことから、この考えが説得力を持ったのです。
そして、この補償論こそが累進課税を前例のないレベルで強化したというのが本書の中心的な主張となります。
支払い能力論の主張は16世紀初めのフィレンツェまで遡れるといいます。18世紀になるとルソーやJ・S・ミルも支払い能力をもとにした課税を主張していますし、さらに19世紀末になると限界効用逓減の法則が発見され、支払い能力主義は理論的な裏付けも得ました。
一方、補償論は富裕層が国家から何かの特権を与えられている、あるいは、富裕層の所得が何か幸運などによるものである場合、それに対する課税は公正だという考えから出発しています。J・S・ミルは土地から所得は本人の努力とは全く無関係であるので課税は正当化されると考えましたし、また、先述のように間接税の逆進性に対する補償として補償論が唱えられました。
さらにこの章の後半では人びと(アメリカ人)の課税に対する意識を探っていますが、現代の人びとは支払い能力や平等な扱いを重視する人が多く、補償論を支持する人は少なくなっています(48-53p)。
歴史的には、補償論こそが累進課税を強化したにもかかわらず、です。
第3章では所得税の最高限界税率(もっとも高い所得区分に適用される税率)がどのようなときに引き上げられてきたかを調べています。
まず、所得税という税は比較的新しい税金です。個人の毎年の所得を把握して課税するのには、かなりの行政能力が必要であり、20世紀の初頭まで導入している国はそう多くはありませんでした。例えば、1900年の時点で、ベルギー、カナダ、デンマーク、フランス、ドイツ、スペイン、スイス、アメリカといった国々は所得税を導入していません(62pの図3-2参照)。
ところが、1925年になるとこうした国々も所得税を導入しており、フランスの最高限界税率は60%にも達しています。そして、1950年になるとイギリスやアメリカの最高限界税率は90%以上にも達するのです(ただし、この最高限界税率と実効税率には大きなギャップがあった(68-69p)。
では、この引き上げの要因は何なのか? 政治的な理由として考えられるのが普通選挙の導入と左派政党の勢力拡大です。累進課税の強化は貧しい労働者階級にとって有利であり、貧しい労働者階級の政治的発言権の強化が累進課税の強化につながると考えられるからです。
ところが、完全な男子普通選挙が導入された前後の所得の最高限界税率の変化を見ても、特に普通選挙の導入が富裕層への増税をもたらしているという関係性は見えません(72p図3-5参照)。イギリスでは1918年の男子普通選挙導入後に最高限界税率が引き上げられていますが、このトレンドは男子普通選挙の導入前から始まっていました(73p)。
次に左派政党の勢力拡大ですが、左派政党の政権獲得と最高限界税率の関係を見ても、特に左派政権の政権獲得が最高限界税率の引き上げをもたらすという関係性は見えてきません(79p図3-7)。
また、不平等が拡大するとそれを是正するために最高限界税率の引き上げをもたらすのではないかという考えもありますが、これについてもデータからはその関係性を支持することはできません(80-84p)。
最初にも述べたように、最高限界税率を引き上げる要因となるのは戦争、正確にいうと戦争に伴う大規模な動員になります。第一次世界大戦は各国が所得税の最高限界税率を大きく引き上げるきっかけとなりましたが、動員国と非動員国では税率に大きな違いがあります。オランダやスウェーデンといった非動員国では最高限界税率の引き上げは小幅なものにとどまっているのです(87-89p)。
また、第一次世界大戦中の民主主義国と非民主主義国を比べると(オーストリア、ドイツ、イタリアが非民主主義国に分類されてる)、民主主義国のほうが最高限界税率の上昇が大きくなっています(90-93p)。
第4章では相続税について調べられています。所得税に関しては徴収に大きな行政能力が必要です。ですから、第一次世界大戦の頃になってはじめて、富裕層が所得税を徴収するだけの行政能力が構築されたという説明も可能です。
それに対して、相続税は昔から(古代ローマから)あった税金で、さまざまな技術的な問題はあるものの、1個人について1回限りのものであり、しかも被相続人には自らの権利を確定させるために財産を開示するインセンティブもはたらくという点で、それほど大きな行政能力がなくても徴収できる税金でした。
111pの図4-1に相続税の平均最高限界税率の1800-2013年の推移が示されていますが、税率が上がってくるのはやはり第一次世界大戦の頃からです。1880年の段階で、サンプルとなっている19カ国の限界相続税率は最高でも3.25%であり、非常に低い水準にとどまっていました。
1950年前後をピークに相続税の最高限界税率は上がっていきますが、その後は低下していき、1971年にカナダが、79年にはオーストラリアが、93年にはニュージーランド、2004年にはスウェーデンが、09年にはオーストリアが相続税を廃止しています(114p)。
過去のデータを見ると、相続税の強化は不平等の削減に一定の効果があるのですが、不平等の是正のためというよりも戦争をきっかけとして相続税も引き上げられたという側面が強いのです。
第5章では戦時におけるその他の税を見ることで、累進強化の実態を見ようとしています。
例えば、戦時に所得税や相続税だけではなく間接税も大幅に引き上げられていれば、全体として累進が強化されていたとはいえないかもしれません。そこで、この章では1903~1941年のイギリスにおける16歳未満の子どもがいる既婚の納税者夫婦の課税の総負担額を示しています(135p表5-1)。
これによると1903年の段階では、すべての所得階層において5%程度の税が取られるフラット・タックスのようなものとなっていますが、1918年になると貧しい階層では10%未満である一方、一番上の階層では50.6%が取られるという非常に累進性の高いものとなっています。そして1941年の段階では一番上の階層の負担率は90.7%にまで引き上げられるのです。
また、富裕層の課税に関しては「そこに金があったから」という論理も想定されますが、著者たちは第2次大戦後に各国の政府が歳入を増やしながらも富裕層への増税は縮小させたことなどを指摘し、それだけでは説明できないとしています。
第6章では、イギリス、カナダ、アメリカ、フランスにおける課税をめぐる国民的な議論を比較しています。
イギリスに関する部分では、議会での演説を調べ、所得税をめぐる議論が、それぞれ「平等な扱い論」、「支払い能力論」、「補償論」のどれにもとづくかが調べられています(157pの図6-1)。これによると、第一次世界大戦開始前は「平等な扱い論」VS「支払い能力論」だったのが、開始後には「補償論」が圧倒する様子が見えてきます。他にも、例えば累進課税に反対していた『エコノミスト』も補償論を採用して累進強化を正当化するようになっています(158p)。
この章では、さらにカナダ、アメリカ、フランスでの議論もとり上げられていますが、第一次世界大戦勃発後もしばらく徴兵のなかったカナダ、参戦が遅れたアメリカでは累進の強化は第一次世界大戦とともに始まったのではなく、徴兵が始まったタイミングです。これらのことから累進の強化には「富の徴兵」という側面が強かったことがうかがえます。
第7章は「戦争テクノロジーの役割」という一見すると、税金とはまったく関係のないようなタイトルが付けられています。しかし、著者らによるとここには非常に重要な関係があるのです。歴史的に見て、大規模動員が必要な軍隊を抱える国では市民の政治参加や富裕層への課税が進み、一部の人間しか動員されない国では市民の政治参加が進まず、富裕層への課税も強化されない傾向にあるのです。
アリストテレスも『政治学』において、騎兵が中心の国では寡頭制が成立するし、軽装歩兵や水夫が重要な国では民主制が進展するといた事を述べています(189p)。古代ギリシャのアテナイに見られるように大規模動員が必要な国家ほど民主制を求める声は高まりやすいのです。
しかし、その後の歴史では騎兵が軍の中心となりました。騎兵の優位は銃器の発達によって消えていきますが、それでも兵站の問題もあって動員できる兵力は限られていました。
この兵站の問題を解決し、大規模動員を可能にしたのが鉄道です。確かにナポレオンは大規模な軍をつくり上げましたが、それでも当時の人口の2.7%です。一方、第一次世界大戦中、フランスは人口の16%近くを動員していました(197p)。鉄道の拡張がかつてない規模の軍の動員を可能にし、それが補償論を台頭させたのです。
しかし、20世紀後半以降の戦争テクノロジーの発展は大規模動員の必要性を過去のものにしました。巡航ミサイルを撃つのに多くの兵員は必要ないですし、戦場でも少数精鋭の兵士が求められるようになっています。補償論をささえた大規模動員の可能性は低くなっているのです。
第8章では富裕層への課税が縮小していく過程が検討されています。
第二次世界大戦が終わった後も、しばらくは富裕層への課税は強化されたままでした。多くの国で福祉国家を目指す動きがあったことから、「戦後コンセンサス」ともいうべきものがあったとも想定されていますが、著者たちは富裕層への課税が継続された理由は、戦争の犠牲者への補償という考えと、それがすでに現状化していたからだという要因が大きいとしています。
また、富裕層への課税を攻撃するサッチャー政権やレーガン政権が登場したのが70年代後半から80年代前半であったことから、70年代の石油危機による経済成長の終わりが富裕層への課税を縮小させたと考えがちですが、経済的ショックが富裕層への課税の縮小をもたらすという関係性は見られないそうです(212ー214p)。
近年においてはグローバリゼーションの進展が富裕層への高い税を不可能にしているとの認識があります。富裕層は高い税率を嫌って他の国に移住することも可能だからです。しかし、著者らの分析によると、法人税に関しては明らかにその影響が見えるものの、所得税と相続税に関しては、現在のところそれほど強い関連性は認められないとのことです(215ー220p)。
著者らは、累進課税を訴える左派政党が漠然とした「公正」という考えしか打ち出せていないのに対して、右派政党が「個人が自ら稼いだものを保持し、使用する権利」(221p、1980年のアメリカ共和党の綱領より)があると考える「公正」論を打ち出し、それが支持を得ていると考えています。
「補償論は累進課税を支持する強力な主張だが、欲しいときに発明できるものではない。そうした主張の信頼度を決定するのは外的な要因」(223p)というわけであり、累進課税を擁護する論拠が弱くなっているというのが著者らの見立てです。
最後の第9章は「これからの富裕層課税」。ここでは現在のアメリカ人が最高税率の引き上げを望んでいないことをアンケート調査などから示した上で、今後の富裕層課税のあり方を探っています。
著者らの展望は、大戦時のような富裕層への課税強化はもう難しいだろうというもので、課税強化の可能性としては、さまざまな控除、あるいは消費税の逆進性などにより富裕層が有利になっているという認識が広まった場合に、それらが補償論の一つの根拠となるかもしれないとしています。
というわけで、この本の主張は最初に掲げた「民主主義は累進課税を選択しない。選択させたのは、戦争のみだった」ということに尽きているわけですが、その主張に対する反論を丁寧に潰していき、戦争と大規模動員の圧倒的なインパクトを示したのが本書の特徴といえるでしょう。
「金持ち課税」を望む人にとっては、その道筋が書かれているわけではないので不満も残るかもしれませんが、とりあえずはこの本が示した事実を認識しなければ「金持ち課税」の道は見えてこないという点で、やはり読んでおくべき本だと言えると思います。
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