22日 愛と死の記録【下】

東京新聞2017年3月19日2面:被爆者場面なぜ削除 印刷工場に勤める青年がバイクで通勤中、若い女性と接触しそうになる。女性の持っていたレコードが割れたため、青年は仕事後に女性と待ち合わせ、弁償を申し出る。この出だしの映像を見ただけで、「愛と死の記録」(蔵原惟繕監督)の水準の高さが分かる。青年、幸雄を演じた渡哲也さんと、若い女性、和江役の吉永さんが、橋で待ち合わせるシーンでは、カメラはまるでドキュメンタリー映画のように、広島の街を生き生きと映し出している。
「撮影の姫田(真佐久)さんのカメラワークがさえていますね。実際に、市電やら車やらが行き交っているところに、渡さんと二人で行って芝居をする。それを超望遠レンズで撮っているんです。車や人の流れを止めるのではなく、むしろ、それを生かして撮っている。そのために、徹底的なリハーサルをしました」蔵原監督の作品には「この若さある限り」(1961年)で出演した時「アフレコで声を入れるとき、20階くらいやり直させられた」記憶があった。
「蔵原さんってしつこんですよ(笑)。怒鳴ったりしないし、怖くはないんですが、感覚派で自分でイメージに近づけようという思いが強い監督さんなんですよね」 早朝から夕方まで撮影し、旅館に引き揚げると食事後30分で大広間に集合、翌日のリハーサルを行うハードな日々が続いた。ある晩、渡さんが行方不明になった。
「みんなで旅館の中を捜して、自分の部屋の押し入れの中で寝込んじゃっている渡さんを見つけたんです。あんなリハーサルは初めてだったと思いまし、それは疲れますよ。隠し撮りのようなかたちで撮っていくのも緊張感がありますし、私にとっても、ゆるめる所がない映画でした」
ノーヘルメットでのバイクの二人乗り。互いの気持ちを確かめ合う二人の背後を、蒸気機関車が煙を吐きながら走り去るシーン。名場面が多いが、最もインパクトがあるのは、原爆ドームの中で幸雄が被爆者であることを告白した後、和江と二人で抱き合うシーンだ。
「特別な許可をいただいて撮らせていただいたんですね。蔵原さんが、渡さんの演技になかなかオッケーを出さず『力いっぱい抱いていろ』と怒鳴り、渡さんが力を込めるんで、私は息ができないくらい苦しかったんです。でも、演じているうちにぐんぐんと和江に引きつけられて、われを忘れて胸にしがみついた。涙が止まらなくなりました」
力を出し尽くしたという満足感があった。東京に戻り、撮影所でオールラッシュ(編集の最終段階での試写)を見たスタッフや出演者からも、自然に拍手が起きるほどの出来栄えだった。だが、信じられない事態が起きた。「日活の偉い方が見て、原爆ドームを象徴的に映した場面と、芦川いずみさんが演じた被爆者の顔のケロイドの場面を削るように、命令を下したんです」
吉永さんは、この命令に抗議し、スタッフとともに、撮影所の食堂の前の芝生に座り込んだ。「みんなで作り上げた映画なのに残念で仕方がないという思いで、ただ無言で座っていただけです。でも、だめでした」 結局、命令通りドームの全景などがカットされ、映画は公開された。
「原爆をテーマにした映画を作っていて、何故原爆ドームがいけないのでしょうか」。吉永さんは自著「夢一途」でこう問いかけた。その問いは、今も吉永さんの胸で生き続けている。(聞き手=立花珠樹・共同通信編集員)

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