蝙蝠侯爵と死の支配者   作:澪加 江
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煌びやかな会場で

 

「レイナース! 君との婚約は破棄させてもらう!」

 

絢爛な大広間に響いたのは高らかに宣言する青年の声だった。

場所はバハルス帝国帝都。その中にある貴族の為の一等地に建てられたフェメール伯爵の持つ邸宅の大広間。

そこは現在、貴族の社交の場として舞踏会がひらかれていた。招待客は国内だけでは無く国外からの賓客を招いており皆が最上級のマナーを熟知した粛々としたものだった。

慣例通り主賓の紹介が終わり、先ずは最初のダンス──そのタイミングで彼は彼の婚約者に婚約破棄を告げたのだ。

 

「そんな……なぜですの……」

「君がわからない筈ないだろう! そんな醜い顔をした婚約者なんてお断りだと言っているんだ。君との間に子供ができるなんて想像もしたくない!」

 

煮詰めた蜂蜜色の髪を短く揃えた青年の顔には嫌悪がありありと出ている。彼の側には幾人かの男女がおり、年の頃も間柄も近い様子だ。彼らの顔にも同じく嫌悪感が浮かんでいる。

一方、婚約を破棄された側の令嬢は顔を絶望に染めていた。青い目は潤み、唇は何かに耐える様に結ばれている。顔の半分を豊かな金の髪で隠してなお、優れた造形が伺えた。とても青年が言った醜い顔には見えない。事情を知らない幾人かの人物が止めに入ろうと騒ぎの中心へ移動する。

 

「言っておくが、この話は既に君の家族とはついている。僕の新しい婚約者は君の従姉妹になったよ。養子として迎え入れるそうだ。それと、君はまだ知らされていない様だから言っておくが、君の家族は君との縁を切るそうだ」

「えっ……」

「当然だろう? 身内にモンスターから呪われた者など置けるわけがない。この社交界でいい笑い者さ。これは元婚約者の僕からの忠告だがレイナース、君は早々に身の振り方を考えた方がいい。最も、所領のモンスター狩りなんてやめてくれと言った僕の忠告を聞かず、モンスターに呪われた君が聞いてくれるとは思ってはいないがね」

 

人を嘲る笑みを顔に貼り付けた青年に令嬢は鋭い視線を向ける。その眼力に何人もの貴族は視線を引きつけられた。この世を怨むような怨念のこもった目、そして、彼らは見てしまった。

令嬢の隠された顔半分から滴り落ち、綺麗に染め上げられたドレスを黄色く汚す膿を。その膿が滴り落ちた途端、あたりにうっすらと生き物が腐った様な不快な臭いが漂う。

ぼたりと落ちたそれに気づいた令嬢はそれを隠す様に手で押さえ、バルコニーの方へ駆け出す。呪われた令嬢に触れようなどと思うものはおらず、彼女の為に道は開かれ、そのまま夜の闇の中へと消えていった。

 

「お騒がせして申し訳ない。我が元婚約者殿は礼節も知らない者だった様で。当事者としてこれ以上皆さまの顰蹙を買う前に僕もここで抜けさせていただきます」

 

逃げ去った令嬢と違い優雅な礼をし、ゆっくりとした歩調で取り巻きと共に出ていく青年。青年が去った後、大広間中にざわざわと話し声が戻った。今更ダンスなどを楽しむ空気ではない。新しい娯楽はたった今投げられたのだ。あちらこちらから二人の馴れ初めや最近の事、果ては新しく結ばれた二つの家の今後についてまで。

そしてこの舞踏会の主催者であるフェメール伯爵夫人を持て囃す会話までなされた。夫人は中位貴族ながらも社交界での発言力は強い。彼女主催の舞踏会に招かれるということはステータスとなるほどに。

その理由が、この様に色々な話題の提供が行われるからだ。鮮血帝とあだ名される皇帝の締め付けは強く、以前ほど貴族が好き勝手を働くことはできない。しかし、このフェメール伯爵夫人主催の舞踏会やお茶会は違う。婚約破棄に浮気の告発、スキャンダルには事欠かず、鬱憤の溜まった貴族達にはいい娯楽となる。不幸な者を見て皆、自分じゃなくてよかったと意地の悪い楽しみ方をしているのだ。

しかし、ここにそんな楽しみを享受できない男女が三人。

一人は青白い不健康な顔に無理やり合わせた舞踏会用の衣装を来た男、エリアス。彼に寄り添う婚約者シェスティン。そしてナインズだ。

ナインズは今日が初めて参加する社交界の行事だった。恥をかかないために、恥をかかせないためにと地道な練習を重ねたダンス。焼付け刃のそれを踊らなくてよかったという解放感と、イエレミアスに褒められたダンスを他人に見せる事が出来ずに少しがっかりする気持ちを抱えていた。

すっかり周りはさっきの女の話に夢中で、隣国から来た怪しい風体の男の事など眼中にない様子である。

いくらモモンガが営業職であり、対人の会話スキルが人より高いとは言っても作法も考え方も違う貴族などという連中に混じる事はできない。できるのはただ、すっかり蚊帳の外になった会話をただ聞き流すことだけだった。

 

 

やられた。

エリアスの頭を占めるのはただその言葉だ。

王国の簒奪を目論むエリアスにとって、今回の帝国訪問には大きな意味がある。それは油断ならない隣国である帝国の国力や情勢をより正確に把握しておかねばならないからだ。

皇帝の交代と共にやや強引ながらも多くの改革がなされ帝国の国力は今や王国を凌ごうとしている。国の立地の問題で肥沃な土地が多い王国。しかしそれの舵取りをする貴族は腐敗しきっている。もし、このまま帝国が国力を増していくのならば確実に王国は帝国に飲み込まれるだろう。それは避けねばならない事態だった。

だからこうした社交の場を通じ、少しでも皇帝に近い人物から、少しでも自分の役に立つ方法が欲しかった。

しかしそれは突然降って湧いたゴシップによって潰されてしまった。

これが夫人の計画だとしたらかなりの切れ者だ。

 

「しかし、先ほどの令嬢は些か無作法すぎるのでは? 帝国では有名な方なので?」

 

招待客の中でも身なりから当たりをつけ、上の方らしいグループの会話に参加する。こうでもしないと殆ど知り合いのいないエリアスは満足に雑談をする事もできない。

 

「ここ最近は彼女の話題で持ちきりでしたが、所詮は帝国でも田舎町の末席のものですよ。あれと一緒にされては帝国の面子は丸つぶれですよ。……ところで、貴方は?」

 

話を仕切っていた男に名乗りをあげると笑顔でグループへと迎え入れられた。給仕の運んできたシャンパンを軽く重ねると、話題を変える。こちらもあちらもあけすけな目的の為にいくつかの話題を変えながら歓談は進む。どうやらこいつはあたりのようだ。

後日しっかりとした話を聞くために名前を頭に刻む。正直、こうした場はエリアス自身も、婚約者のシェスティンも得意ではない。しかし、苦手だからと任せられる相手はいないのだから自ら動かなければならない。一つ懸念があるとすれば、顔見せにと連れてきたナインズの存在だろう。予定外の事態にどうしたら良いのかわからない様子だ。先ほどからちらちらとこちらを見ている。

 

「失礼、彼も仲間に入れて頂いてもよろしいでしょうか。遠縁なのですが魔術の研鑽に忙しく初めての参加らしいのです」

 

視線とグラスで指し示せば、遠巻きにしていたナインズが寄ってくる。

 

「はじめまして。エリアス、こちらの方々は?」

「暫く一人にしてしまって悪かったな。こちらはこの帝国における有能な貴族の方々だ」

「そうだったのですか。改めまして、エリアスの母方の遠縁になりますナインズ・オウン・ゴールと申します。長らくこの様な華やかな場に来る事は無かったので緊張しておりますがよろしくお願いします」

 

礼儀正しく自己紹介をするナインズに帝国の貴族も答える。その様子にホッと一息つき、これからどうするかと考えを巡らせる。先ほどの雑談から考えるに、このグループはそこまで重要な地位にはついていない様子だった。別のグループへと行きたいのだが、そのきっかけが必要だった。

 

「それでは皆様、私達は他の方への挨拶にも行かねばなりませんので」

 

良い出汁になってくれたナインズに感謝をしつつ、今回のホストであるフェメール伯爵の元へ行く。伯爵の側にはすでに何人もの貴族達が集まり歓談している。その殆どは伯爵ではなくその奥方の方に話しかけ、どちらがより影響力を持っているのか一目でわかる。

 

「お招きありがとうございますフェメール伯爵、伯爵夫人」

「あら、これは御機嫌ようレエブン侯爵閣下。それにご婦人も。先ほどの余興は楽しんでいただけまして?」

「成る程、先程のはあれは伯爵夫人のもてなしでしたか。なかなか面白いものをありがとうございます」

「ほほほ。それはそれは、用意した甲斐があったというものですわ。あなた、ききまして? かの高名な六大貴族が一人レエブン侯爵閣下も認めてくれましてよ」

 

伯爵が一言も喋らないうちに挨拶の時間が終わった。

終始なにかを言いたげな瞳で、人並みに有能だった伯爵はエリアスを見つめるだけ。エリアスは目をそらした。もう二度と彼に話しかけることはないだろう。フェメール家はとんだ毒婦を抱え込んでしまった様だ。

いくら視線を送っても答えてくれない。そこに先代から続く関係の終わりを見て、伯爵は一層黙り込むだけだった。

 

その後、挨拶回りのうちに漸く使えそうな人脈を発見したエリアスは、思ったよりもあがらなかった収穫にため息を吐きつつ帰路についた。

とてもでは無いが、往復で三カ月にも及ぶ外交としては成功とは言い難い。これから一月程滞在する予定だったが、これでは予定を切り上げた方が良いだろう。

と言っても、全く収穫がなかったわけでは無い。帝国側に有能な皇帝が立ったことはわかったし、皇帝の側近を除けば碌な人材が残っていないのもわかった。苦々しい結果だが。

そして、一番興味深かったのはナインズだろう。

あれだけダンスに忌避感を覚えていたというのに、いざ必要ないとわかった瞬間に不機嫌になった。

 

「あれだけ練習したというのに残念だったな」

 

帰りの馬車、正面に座ったナインズにそう話しかけると、声色に不機嫌を隠さずに肯定の返事が帰ってくる。それに口元が緩むと、すぐに抗議の声が上がった。

 

「帰ってからイエレミアスさんに感想伝える約束をしてたんですよ。なのにこれじゃあ」

「ならばエ・レエブルで今度、舞踏会を開いてやろう。好きなだけ踊れるぞ?」

「えっ! いや、それはちょっと……それは、イエレミアスさんと一緒だったら心強いですけど、ステップの失敗なんてしたらいたたまれないですから」

「賑やかな場は苦手では無いのだろう? ならば楽しむと言い。丁度、結婚後に舞踏会を開く予定だったのだ。遠慮は逆に不愉快だぞ」

 

ある程度あたふたとするナインズの反応を楽しみ、ふと自分の横に座る婚約者を見る。

政略結婚の為の適当な相手を選んだら差し出された陰気な女。そんな彼女との婚約を決めたのは、彼女の親類に有能なものが多いからだ。これから本当に王家転覆が成就した場合、レエブン家の役に大いにたってくれるだろう。

そんな女が珍しく自分から口を開く。

 

「そうなればナインズ様にも相応しい相手を用意しなければなりませんわね。心当たりがお有りですの?」

 

曇天の様な瞳に見つめられ、エリアスは口を噤む。今回はゲストであるので用意が間に合わなかった事もあり居ないが、本来社交の場に相手を連れずに来る事は無い。家族でも婚約者でも親戚でも、取り敢えず異性のパートナーを連れてやって来るものだ。

しかし、ナインズの相手ともなると難しい。身分が釣り合わないとかでは無く、正式なパートナーともなる人物にナインズの秘密を教えない訳にはいかないからだ。パーティの場で酒も料理も嗜まずにいるのは異様だ。だから、もしナインズの相手になる人物には秘密を打ち明け、適切なフォローをして貰わなければならない。

 

「心当たりがあれば今頃この馬車には二人で乗っている」

 

憮然とした表情が面白かったのか、女は口を手で押さえて笑った。

 

 







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