【米津玄師が隠した本当の意味】乾涸びたバスひとつの歌詞の意味を解釈・考察
乾涸びたバスひとつの曲にまつわる情報
乾涸びたバスひとつは、米津玄師さんの1stアルバム「diorama」に収録されている曲で、ゆったりしたミドルチューンです。
歌詞のドラマ性が高い曲で、米津さんの昔からのファンの方の中では根強いファンもいる曲ですね!
それでは、乾涸びたバスひとつの曲にまつわる情報を見ていきましょう!
乾涸びたバスひとつのPV
この曲は純粋なアルバム曲なのでPVがありません。なので、今回はYouTubeから歌ってみた動画をアップします。
この曲、本当にアコギ一本でも歌えちゃう曲でいい感じですし、この動画の人の歌声も素敵ですよね。
「恋と病熱」の歌詞解釈でも書きましたが、この「乾涸びたバスひとつ」はおそらく「恋と病熱」ともリンクしているはずなので、PVをぜひ南方研究所から出してもらえたらなと個人的には思っています。。
乾涸びたバスひとつのギターコード
ギターコードはこちら!
Cadd9→G→D→Emという王道のコード進行ですね、BUMP OF CHICKENや[Alexandros]などUKロックに影響を受けたバンドやアーティストがこぞって好むギターのコード進行です。
この曲はゆったり目なのでアルペジオでAメロ・Bメロを弾き、サビになったら一気に盛り上げるようにコードをかき鳴らして演奏してみてください。
弾き語りもそこまで難しくないと思いますので、初心者の人もコードを覚えたらぜひ実践・練習してみてくださいね。
乾涸びたバスひとつのインタビュー
この曲単体のインタビュー記事はほとんどなかったので収録アルバムのdioramaのインタビュー記事をアップします。
ナタリーミュージックのインタビューには先ほど書いたように「UKロックの影響が見える」と書かれていましたので、やはり米津さんもその文脈を受け継いで曲を作っているのでしょう。
・ナタリーミュージック
https://natalie.mu/music/pp/yonezukenshi/page/2
乾涸びたバスひとつの歌詞の意味を解釈・考察
乾涸びたバスひとつは、2人の男女が駆け落ちし離れ離れになってしまうというストーリーに米津さんがリスナーに伝えたいメッセージが隠された一曲となっています。
それでは歌詞解釈をスタートしていきましょう!
乾涸びたバスひとつ_1番Aメロ歌詞の意味・解釈
小さなバスで暮らしている
少女はいつでも待っている ひとり
呆けた色に変わっている
緑の木目と蛍光灯 ひとり
(出典: 乾涸びたバスひとつ 作詞:米津玄師 作曲:米津玄師)
最初は情景描写からスタートします。
少女は一人、バスで暮らしていて誰かを待っているようです。すでにもう切ない感じが出ていますね。
後半の2行はバスの中を表現しているのでしょうか。バスの床は緑の木目が見え、電気は蛍光灯で社内が照らされているようです。
まだまだここまででは何も歌詞の意味が分かりませんね。。
さらに続きの歌詞を見ていきます。
乾涸びたバスひとつ_1番Bメロ歌詞の意味・解釈
愛されては 宙に浮かんだ
夢のあと 探して歌ってる
ピンホールの あやふやな写真ばっか
並んで凍えてる
(出典: 乾涸びたバスひとつ 作詞:米津玄師 作曲:米津玄師)
相手がいて初めて自分が愛されるという構造を前提におけば、このあとにあなたという存在が登場することを歌詞の1行目は示唆しています。
あとの歌詞で駆け落ち的なニュアンスの歌詞があるので、おそらくその現実からの浮遊感的なものを「宙に浮かんだ」「夢」という言葉に落とし込んでいるのではないでしょうか。
ピンホールのあやふやな写真、いわゆる「ピンぼけ」と言われるような写真だと思われます。このあと2人が離れ離れになることが歌詞に描かれるので、「凍えてる」という表現をしているのでしょう。
では、サビの歌詞を見ていきます!
乾涸びたバスひとつ_1番サビ歌詞の意味・解釈
ねえ あなたとふたりで逃げ出した
あのほの灯りへと行きませんか
煉瓦の短いトンネルを
潜り抜けるのをためらって
何でもないような秘密をつくって
二人は共犯者になって
とても深くまで落ちたこと
口を開いてしまったこと
(出典: 乾涸びたバスひとつ 作詞:米津玄師 作曲:米津玄師)
先ほどまで1人の主人公でしたが、ここで新しい登場人物である「あなた」が出てきました。
歌詞から察するに駆け落ちをしたのでしょう。2人でどこかに逃げていて、それを隠すために秘密を作って深くまで落ちてしまった。
しかし、どちらかがその秘密を他の人にバラしてしまい、2人は離れ離れになってしまったというストーリーのように解釈することができます。
ほの灯や煉瓦のトンネルという歌詞が情緒溢れる表現描写となって、主人公の感情をより克明に描く要素として機能しています。
情景描写としては表現されていますが、まだまだ米津さんが本当に言いたいことは見えてきません。2番の歌詞もしっかり見ていきましょう。
乾涸びたバスひとつ_2番Aメロ歌詞の意味・解釈
小さなバスで暮らしている
見つからないまま泣いている ひとり
大事に大事にしていたのに
二人を写した写真がない どこにも
(出典: 乾涸びたバスひとつ 作詞:米津玄師 作曲:米津玄師)
ピンぼけした写真が先ほど凍えていると言っていた理由がここで分かりました。
見つからない=無くしてしまった、つまり、どこか2人で駆け落ちした時に無くしてしまい、コンクリートの地面のような冷たいところにその写真があるというように解釈することができます。
そして、その写真が見つからないことから主人公は1人で泣いているという情景もリスナーの脳裏に浮かぶよう歌詞が書かれていますね。
乾涸びたバスひとつ_2番Bメロ歌詞の意味・解釈
太陽のような林檎が落ちた
心ばっか 探して歌ってる
ピンホールの あやふやな写真ばっか
並んで凍えてる
(出典: 乾涸びたバスひとつ 作詞:米津玄師 作曲:米津玄師)
太陽のような林檎、これはおそらくいなくなってしまった相手の暗喩だと思われます。
自分にとって太陽のように大切な人がいなくなってしまったことと、おそらく1番サビの「駆け落ち」をかけて、「落ちた」という表現を使って歌詞にしていると解釈できますね。
※後半の歌詞は1番と全く同じなので、解釈は割愛させていただきます。
乾涸びたバスひとつ_2番サビ歌詞の意味・解釈
ねえ あなたは 「どこにもいかない」と
そう言葉贈ってくれたこと
霞に沈んだ朝の街
揺れるバスの背に寄り添って
このままどこかにいけたらなって
海に沈んでしまえたらって
ありもしないと言えないこと
何処にもいけないこと 知っていた
(出典: 乾涸びたバスひとつ 作詞:米津玄師 作曲:米津玄師)
やはり、駆け落ちをするくらいなので、2人でいられる場所を探しているようですね。
どこにも行かないと相手が言ってくれた且つ、霞がかった朝の街という人目のつかない時間と場所を選んで2人がバスでどこかへ行ったというストーリーが歌詞前半に描かれています。
2人でどこかへ行きたいと思っているのに死を迎えるような場所へ向かいたいというあたりに、太宰治のような心中の感覚を個人的には覚えます…。
お互い好きだけど結ばれない運命にあるならば、2人で一緒に死んでしまいたいと思っていることも推測できますね。そして、その気持ちを表す歌詞として、最後の1行で2人でいられる場所なんてありはしないし、どこにも行けないという歌詞が歌われています。
いやー、切ない!
乾涸びたバスひとつ_Cメロ歌詞の意味・解釈
恥ずかしくなるようなこと
心もいつか灰になること それでいい
ありのままで幸せだ
小さなバスは 海へ落ちていく
(出典: 乾涸びたバスひとつ 作詞:米津玄師 作曲:米津玄師)
このCメロは、2人でいたいというありのままの自分の気持ちに沿っていられる今この瞬間が幸せであって、このまま自分らしくあれるのであればバスに乗ったまま2人で死んでしまいたいという歌詞になっています。
恥ずかしくなるのは、その自分の本当の意思に背くことでもあるし、周りから見た時におかしな行動を取っていることへの恥ずかしさでもあります。そして、自分らしく生きないのであれば自分の心は灰になってしまうと。
個人的に乾涸びたバスひとつが本当にすごいなと思うのは、実はここでdioramaのコンセプトである「周りの評価や目を気にせずに自分の好きなように生きればいいじゃないか」という部分をリスナーにメッセージとして伝えているということ。
他のdioramaの曲(駄菓子屋商売だったり、首なし閑古鳥だったり)では、分かりやすくこのコンセプトを伝えていましたが、この乾涸びたバスひとつは、これだけ物語的に曲の世界観を作り込んだ上で、その登場人物に自分のメッセージを伝えるという手法を取っていることが技術的にとてつもなくすごいことだなと思っています。
これを若干20過ぎで出来てしまっているのが「米津玄師は鬼才だ」と言われる理由ですよね。。
乾涸びたバスひとつ_ラストサビ前半歌詞の意味・解釈
ねえ あなたとふたりで逃げ出した
あのほの灯りへと行きませんか
錆びた金網にぶら下がり
ボタン千切って笑ったこと
何でもないような秘密つくって
二人は共犯者になって
(出典: 乾涸びたバスひとつ 作詞:米津玄師 作曲:米津玄師)
最初と最後の歌詞は同じですが、間の部分だけ今までと違います。
この間の部分だけ解釈をすると、錆びた金網にぶら下がりという子どものような行動や、ボタンをちぎるという制服を連想させる表現から、今回の登場人物2人はおそらく学生だということが推測できます。
乾涸びたバスひとつ_ラストサビ後半歌詞の意味・解釈
ねえ あなたは 「どこにもいかない」と
そう言葉贈ってくれたこと
霞に沈んだ朝の街
揺れるバスの背に寄り添って
このままどこかにいけたらなって
海に沈んでしまえたらって
ありもしないと言えないこと
今もわたしは揺られている
乾涸びたバスひとつ
(出典: 乾涸びたバスひとつ 作詞:米津玄師 作曲:米津玄師)
ここの歌詞は2番サビの歌詞とほぼ同じです。最後の1行だけ違うのですが、この今も揺られているという現在形が、今まで過去のエピソードを語っていた時間軸から現在の時間軸にグッと戻しているという機能面で効果を発揮しています。
米津さんはこの時間軸の移動を表現する力がここ最近のアーティストの中でも頭一つ飛び抜けているので、ストーリーが頭に映像で映し出される表現力があると言われる所以なのではないかなと個人的には思っています。
最後に「乾涸びたバスひとつ」と繰り返されているのは、バスに揺られているあのノスタルジックなあの感覚を表現しているのではないかなと解釈できます。
おそらく、米津さん的にはそこまで深い意味を込めてはいないのでしょうが、上記のような歌詞解釈を元にすると、結果としてそのように解釈することが可能という感じですね。
まとめ|乾涸びたバスひとつの歌詞の意味を解釈・考察
乾涸びたバスひとつの歌詞を解釈してみましたがいかがだったでしょうか?
個人的にはまさかのdioramaのコンセプトがこの曲に隠されていたことに衝撃を覚えました…。
ここまで一貫した作品をアルバムとして描き切れているからこそ、一番好きなアルバムは?と聞かれるとdioramaと答えてしまう今までの自分にどこか理油を見つけられた気がしています。
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