知人の奥さんが亡くなったと連絡がきた。
その知人とは五年前に知り合ったのだが、どこで会っても奥さんは同伴せず夫婦はバラバラだと言っていた。
実際、結婚してから30年近く、「亭主元気で留守がいい」(むかし流行ったCMのフレーズ)を実践していた夫婦だった。
2年前に奥さんが末期ガンと分かってから状況が一変した。
飲み会も、夏のレジャーも今まで一人で参加していた彼がまったく姿を見せず、朝から晩まで奥さんの看病に徹するようになった。
仕事も全て投げ打って、奥さんのことを面倒見る生活に切り替えた。
奥さんは奥さんで、夫以外の人には世話されたくない、他人の面会も受け入れない、ただ、夫がそばで看病していればよい、と完全に夫を占有しての最期を望んで日々を過ごしていたらしい。
そして奥さんは亡くなった。
30年も同じ屋根の下で別の暮らしをした夫婦が、最後に過ごした一年半の濃密な時間。
果たして何のために、誰のためにその時間はあったのだろうか。
私自身は一夫一婦制に疑問を持ち、夫婦が長らく継続するのは無理があると考えて生きている。
彼らは同じ屋根の下に生きながら別々の暮らしを30年送り、最後の一年半にひとつになって夫婦としての時間を昇華させた。
そこにある意味は何だったのか。
人生100年の時代になって、老後といわれる時間が人生の大きな割合を占めるようになった。
そのなかで夫婦はどうやって夫婦として一生をまっとうすればよいのか。
夫婦の幸せとはどういう形であればよいのか。
私は、もう戸籍上の夫婦には意味はないと思っている。
この生きづらい社会で自分や大切な人たちが明るく幸せに生き延びるために、いかに最適な人間関係を形づくるかがテーマであって、もはや夫婦であったり事実婚であったりというのは全く関係がないと考えている。
妻を亡くした知人は、このあとどうやって生きていくのだろう。
人の奥深さ、自分には理解しえぬ難しさを感じている。