私たちの生活にあっという間に浸透したスマートフォン。とはいえ、総務省が発表した「平成29年版 情報通信白書」によると、2016年に80歳以上のスマートフォン個人保有率は3.3%。しかし、そんな世代にあって、iPhoneアプリを制作し、Appleがアメリカで開催した開発者イベントWWDCに颯爽(さっそう)と現れた人がいる。それが82歳のプログラマー、若宮正子さんだ。
2017年6月WWDC(ワールドワイド デベロッパーズ カンファレンス)の基調講演で「最年長開発者」として紹介された若宮さんは、Appleのティム・クックCEOとも面会するなど、一気に時の人となった。「昨年の3月から急に有名人になっちゃって。もう死にそうなぐらい忙しいの」とかわいらしくほほ笑む若宮さんに、iPhoneアプリ開発の経緯と発想のヒントを伺った。
手芸をする感覚でアプリ開発を始めた
若宮さんは1935年生まれの82歳。銀行を定年退職したのちに、パソコンの使い方を独自に習得。パソコン通信やインターネットを通し、多くの人との出会いや交流を重ね、世界を広げていったという。そして2016年秋には、iPhoneアプリの開発を始めた。
――なぜiPhoneアプリを作ろうと思ったのでしょうか?
iPhoneアプリに、お年寄りが楽しめるゲームがなかったんです。友人の小泉勝志郎さん(※IT企業代表取締役で、東北文化学園大学の非常勤講師を務める)に「年寄りでも楽しめるアプリを作ってあげてよ」と言ったら、「僕にはどんなものを作ったらいいかわからない。ご自分で作ってはいかがですか?」と言われたのがきっかけです。
私は「モノを作る癖」があって、それまでも3Dプリンタでペンダント作ったり、Excelで文様を描いてうちわを作ったりしていたんです。だから、iPhoneアプリも同じように作ってみればいいんじゃないか、と。でも、実際に作ってみたら、大変さはかなり違いましたね(笑)
――まずは何から取り組まれたんですか?
本を買うところからスタートしました。3,000円ぐらいの分厚いプログラミングの本を5、6冊買って勉強をしたんです。
プログラムは1行のコードを書くだけなら簡単です。でもアプリにするには、そのコードを”ストーリー”にしなければいけない。それが難しくて、理論思考を学びつつ、フローチャートを書いて設計しました。
わからないことが出てきたら、Skypeで小泉さんに遠隔授業してもらっていました。動かないデータをZIPファイルにまとめて送るんです。あとはビデオ通話で相談したりして。
私は忙しい人なので、一日中アプリを作ってはいられない。なので、半年ぐらいかけてコツコツ作りました。手芸と同じように、たまたまアプリを作っているだけなので、根を詰めて開発していたわけではないんです。プログラマーになりたいんじゃなくて、(アマチュアの)”アマグラマー”なんだって話をよくしていましたね。
――若宮さんはAppleのプログラミング言語の「Swift」、開発環境は「Xcode」をお使いになったとお聞きしています。難しくはなかったですか?
Swiftは初心者に使いやすい言語ですよ。お料理にたとえると、画像や音の素材が材料で、レシピがSwiftでのコーディングね。それで、Xcodeがお台所なの。台所の使い方を習得しないとそもそも料理ができないわけ。台所にはお醤油やらフライパンやらが全部用意されているから、それを使いこなしてプログラミングしていくんです。シミュレーションはお味見みたいなものね。料理を作っていると途中でお味見したくなるでしょう? そしたらシミュレーションすればいいんです。
応援団に支えられ、アプリの素材作りや多言語化まで
若宮さんが本を読みながら勉強したSwiftで作ったゲームは「hinadan(ひなだん)」。4段のひな壇にお内裏様とおひな様、5人囃子などを正しく配置するものだ。
アプリを起動すると音声のナレーションで、ゲームの説明が流れる。「次へ」をタップするとひな壇が表示されるので、人形をタップして選択状態にし、置きたい位置をタップする。正解すると鼓(つづみ)の音色が鳴り、不正解だと「ブー」と鳴る。
――若宮さんが作った「hinadan」はおひなを正しい配置に並べるゲームですが、なぜこの題材を選んだのですか?
私が理事を務めているNPO法人ブロードバンド協会が主催する「電脳ひな祭り」というイベントがあって、それに向けて作りたかったからです。「電脳ひな祭り」は、毎年3月3日にインターネット上で京都や仙台など各地のおひな様を動画で撮って交流するお祭りです。だから、おひな様は身近な存在だったのね。それと、アプリを通じて日本の伝統を伝えたいという思いもありました。
おひな様のイラストは、友人の峰尾節子さんに描いていただきました。峰尾さんがWordの「図形」で描いた絵です。おひな様には気品がなくちゃいけないので。この絵、気品があるでしょう。マンガみたいな絵じゃないほうがいいなと思ったんですよ。
BGMはフリー素材で用意しました。ナレーションは有名なプロの声優さんに吹き込んでもらっています。声を聞くだけでわかる人もいるんじゃないかしら?
その後、「hinadan」の英語版も作ったんです。英語版にするためにはシステムそのもののベースを英語にしなければなりません。大変だったけど、Appleの方が教えてくださいました。
英語版のナレーションも有名な方にお願いしました。品のあるおっとりした英語で読んでいただいています。中国語版も出ましたが、こちらの翻訳も中国の方にお願いしました。私ね、いつも応援団ができちゃうの。ナレーションする人も紹介していただけて、そんなふうにいつも誰かが助けてくださるのよ。
アプリのニーズは日常生活から探す
――これからアプリ開発を始めたいと考えている人にアドバイスはありますか
まず何を作りたいか、だと思います。プログラミングの専門学校などに呼ばれて行くと、「何を作りたいかわからない」という学生の悩みをよく聞きます。『よくわかるiPhoneアプリ開発の教科書』(マイナビ出版)の著者である森巧尚(よしなお)先生も「作りたいものが見つかれば、半分できたも同じ」とおっしゃっています。
先日、県立岐阜工業高校と岐阜盲学校が主催するイベントに呼ばれたんですね。岐阜工業高校の生徒が盲学校の生徒のためのアプリを作っているそうです。盲学校の生徒には全盲の人や弱視の人、視野が欠けている人……とさまざまな人がいます。しかし、今は弱視児童用のアプリしかないということで、一人ひとりにあったアプリを作ろう、と。その1つが全盲のお子さんのための「ネコ探し」というゲームアプリ。「同年代の子どもと同じようにゲームをしたい」というニーズを捉え、音を頼りに猫を探すゲームを開発したそうです。
何を作るかを考えるときは、「どこにニーズがあるのか」を見つける力が必要です。そのためには、リアルな生活を充実させて、いわゆる“リア充”にならなければなりません。
小学校でプログラミング学習が必修化しますが、子どもは本来「作りたい本能」を持っているはず。そこは先生の教育のやり方にかかっていますが、担任の先生が教える仕組みだと難しいでしょうね。
作りたいものが見つかったら、まずはやってみることです。バンジージャンプをしろと言っているわけじゃないので、特に勇気もいらないはず。プログラミングのソフトだって無料で手に入ります。会社で作らされるプログラムと違って、自分の設計で自分の欲しいものが何でも作れるんです。たとえ作ったアプリがAppleの審査に通らなくても、プログラミングの世界が覗ければ十分楽しいはず。
インタビュー中、iPhoneにメールが来た。
「ちょっと待ってね」とQWERTY配列のキーボードで素早く文字を打つ若宮さん。パソコン通信時代から慣れ親しんだ入力形式なのだろう。
しかし、IT知識があってもSwiftをマスターするまでには相当の苦労と努力があったはず。「おもしろいモノがあると飛びついちゃう」という衰えない好奇心とチャレンジ精神に、私たちは負けてはいられない。
※後編はこちら
編集:ノオト