253検証文鮮明先生頌徳碑/驚愕!お父様の名前改竄
■9月18日、柳在坤(ユチェゴン)先生と共に、朝鮮半島38度線近くの漣川(ヨンチョン)というところに行ってきました。ここには定州出身者の公園墓地があり、その一番高いところにお父様を顕彰する「文鮮明先生頌徳碑(しょうとくひ)」が立っています。これは2016年5月25日に奉献式が行われ、その模様はP-TVでも報じられました。また「シャボン玉のブログ」で記事になりましたので、ご存知の方も多いことでしょう。柳先生はこの奉献式の後、関心を持たれて一人この場所を訪れました。そして、不可思議な事実に気がつき、今回その確認のために私を誘い、もう一度現地をお訪ねになりました。不可思議な事実とは、頌徳碑に大きく彫られた「文鮮明」の文字です。写真をご覧下さい、すぐにお気づきになるでしょう。鮮の字のつくりが芋(いも)の字のようになり、明の字の偏が目になっています。ここまで大胆な文字の改竄であるにも係わらず、なぜかこの事実が表面化しませんでした。
■また、この公園墓地は定州を望む土地の斜面を利用しており、多くの墓が定州を向いています。頂上部には「望郷塔」が建立されていますが、この塔も定州方向に向いているのです。しかし、頌徳碑は北側に向いており、この点も風水的に問題があるのではないかと柳先生は考えておられます。漢字及び方位に関する異常性は、頌徳碑の建立がお父様の運気を削ぐ目的で、悪意を背景に行われたということの動かざる証拠なのです。
韓国社会においては墓地の風水上の吉凶は、日本人では想像できない程、重要視されるそうです。先祖から子孫へのつなぎ目とも言うべきお墓の位置、方位、墓相というものが、子孫繁栄の重大な鍵を握ることになるのです。お父様の頌徳碑はお墓ではありませんが、同じような位置づけにあるものと思われます。朝鮮半島に興った王朝の権力闘争において、墓地建立のために吉相土地(明堂=ミョンダン)の奪い合いがなされた実際の歴史があるそうです。
■PEACE-TV:天地人真の父母文鮮明総裁・頌徳碑(しょうとくひ)奉献式が京畿道漣川(キョンギド・ヨンチョン)の「定住(ちょんじゅ)庭園」で行われました。頌徳碑は、人類の救いと平和の世界建設、南北統一のために、真の愛の生涯で勝利された真のお父様への尊敬と感謝の意味が込められています。参加者たちは、真のお父様が歩んで来られた摂理の路程を振り返り、天上にいる真のお父様と、地上の真のお母様が願われるビジョンに向かって前進することを固く誓いました。(週刊ブリーフィング 2016.6.4号)
【参照】シャボン玉のブログ
■定州公園墓苑にお父様の頌徳碑(しょうとくひ)が建つまでの裏話
https://yuun0726.muragon.com/entry/16.html
■定州、お父様の頌徳碑に刻まれた文章
https://yuun0726.muragon.com/entry/19.html
■頌徳碑に刻まれた文章の日本語訳を「シャボン玉のブログ」から以下に拝借します。
半万年(5千年)の歴史を持つ国の運勢が傾き、日帝が侵略の魔手を伸ばし、国権さえ奪ったので三千里の領土は侵略者の病魔に踏みにじられ、民が塗炭(とたん/泥や火の中にいるような、ひどい苦しみ)に陥り泣き叫ぶ声が半島にこだました。これに天人たちがどうして黙って見ていられるであろうか。闇が深ければ夜明けが来るように、新世紀を懐胎する時運にしたがって天が備えられた一人の方を下さったのだが、(その方こそ)1920年1月6日平安北道定州雪峰墓斗山の元、南平文氏の家門に誕生した文鮮明先生である。
人傑は地霊(土地の神霊の気運)であり、本来定州は古来から文郷(文才ある人を多く輩出する地)として多くの英傑を出して西欧の文物を会得し名を馳せた人が多かった。先生の家系の中で先考(亡き父)の位は慶裕(ギョンユ)であり、慈堂(母堂)は慶継(ギョンゲイ)女史である。祖父の位は到国(チグッ)であり、 曾祖は位が禎紇(ジョンフル)であった。
祖考・到国は慧眼(けいがん/物事の本質を鋭く見抜く力)があり、先生が将来大物になることを予見したが、成長するにしたがい、容姿が優れ骨格もがっしりしており、性稟は豪放進撃で自信に溢れ屈することを知らない執念が伺えた。10歳程度で高い理想を胸に抱き、学問をしたならば多方面で権威ある学者になるだろうという抱負を抱いた。
学業に励み、郷里の五山で普通教育を受けながら愛国精神を身につけ、上京して中等教育課程に精進した。高等教育は、圧迫を受けた民族の恨(ハン)を抱きながら、日本早稲田大学で履修した。不義に屈することなく、民族受難期の地下抗日運動に加担した事実が後から発覚し、京畿道警察部に逮捕され過酷な拷問を受け服役した。
先生は、早くから人生の問題に並みはずれて苦悩し、宗教の究極にしがみつき、その宿題を解いて、人類救済を決心し、多くの逆境を克服した。摂理の一線に立ち、天が下された召命を受け入れ、その大任を遂行して、解放後、赤都(共産国家の首都)平壌に入り福音を伝えることにあらん限りの力を尽くしたことで、共産の刑務所で苦難を味わった。
数多くの生命が生死の岐路であえいでいた興南刑務所で天佑神助で忍び、UN軍が北進することで、出獄、自由の南韓の地で人類救援の大役事を開始した。 1950年代、民族が惨憺たる悲劇に見舞われ、彷徨する時、統一教会を創立、摂理の巨歩を踏み出した。これは先生の聖人らしい気性と度量に起因する。
30余年が過ぎた今日、先生の威容は、世界的な宗教指導者として泰山のようにそびえている。この宗教運動は韓国を聖地として、ますますその勢力を増していくので、衆人は今世紀の奇跡と称したが、これはひとえに徹底した敬天愛人の精神を土台にした先生の血と汗と涙の結晶である。それだけでなく、絶望の中でさまよった末、新しい生を回復した世界人の関心はさらに半万年(5千年)の歴史になかった国威を世界にとどろかせた。
このような世界的な救世経綸は、宗教にとどまらず、史上未曾有の宗教と科学の融合点を設け、一つの真理を証明することにより、宗教と科学の相補調和統一を図ることになるので、これは人類の文化を新しくする今世紀の大道を高く立てるものである。
共生、共栄、共義主義に立脚した統一文化世界を見通す先生は世界の碩学(せきがく/あらゆる科学者を指す尊称)たちを平和運動に結集させ言論機関を立てて、世界の世論を正しくリードしたのだが、凡人は構想すら難しいことである。先生の平和追求の執念は、宗教間の紛争と人種差別で起きている悲劇を防ごうと、世界宗教会議まで創設し、また、世界の政治指導者と経済人までが一つの場に集まるので、驚天動地(きょうてんどうち/非常に驚く)の境地を超える壮挙だと言わざるを得ない。
先生の巨人たることは、民主と共産思想の対立によって起こる害毒から人類を救い出そうとする雄志からも表れている。唯物思想を克服し、その弊害から不幸に陥る者たちまで救済しようとし勝共思想を提唱、世界勝共運動の先鋒に立たれるので、その大器(大人物)をどうして測量できようか。共産の刑務所の体験がこのように貴重に寄与したので、遠からず、帳幕世界(ちょうばく/幕、それを張りめぐらした所)の民たちが明るい世界を見るであろう。人は考えが深ければ行動が鈍く、決断が早ければ思慮深くなかったりするわけだが、先生の考えと実践は全て及ばないところがなく、必ずや神の人のごとく判断される。
先生は、このように巨人の気性で世界的な偉業を成し遂げながらも、一方で、細心のところまで心を配り定州郡の発展のために力を注いできた。最近では、定州奨学会に巨財を恵投し、後学たちの学びの道を開いてくれるので、郡民が皆、感謝しその徳を称える。しかし、先生の高く大きな足跡を到底、筆舌で全て表すことが出来ようか。
驚くべきことよ。定州、この郡でこのような巨星が出るなどと誰が思ったであろうか。
郷村の誠意を集めて碑を建てたことは先生の功績を顕彰して後世に道(文先生の生涯・偉業)が読覧されるようにするためである。定州郡民会から文鮮明先生の頌徳碑に刻む文章を依頼され、平素、文鮮明先生を崇慕する心で謹んで拙文ながら、上記のように記述するものである。
イ・ビョンド
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