8月8日の翁長雄志知事急逝のニュースは、沖縄県民だけでなく、日本内外に大きな衝撃を与えた。
沖縄県の辺野古移設反対運動を一貫して支持してきた鳩山友紀夫元首相からは「まさに平和の為に、辺野古には基地を造らせないと最後まで命を懸けて政府と闘われた」、翁長氏が知事当選直後から親交のあった旧ソ連の元大統領ミハイル・ゴルバチョフ氏からも「翁長雄志は私たちの中で永久に生き続けます」との追悼の言葉が寄せられている。
沖縄問題とは、軍事・安全保障の問題以上に、人権・安全保障の問題である。また、それは沖縄独自の問題というよりも、日米両国、特に日本の問題である。
現在の米海兵隊の普天間基地の辺野古移設を強硬に推し進める日本政府の姿勢はあまりにも理不尽かつ不条理である。
その日本政府に対して、沖縄県民は真正面からの異議申し立てを一貫して行ってきた。その代表的存在が、「オール沖縄」「イデオロギーよりもアイデンティティ」を掲げて登場した政治家・翁長知事であった。
これまで沖縄の受け続けてきた不条理とは、日本の敗戦と米国による占領で始まり、1972年の日本復帰後に加速した米軍基地の過重負担の一方的押しつけに他ならない。
その歴史的背景には、薩摩による琉球侵攻(1609年)や明治政府による琉球併合(1879年)がある。
ここには、まさに新崎盛輝氏のいう「構造的沖縄差別」、国土の1%もない場所に70%以上の米軍基地を過重負担させている差別構造を生んだ根本原因、私たち本土の日本人による沖縄の人々に対する暴力・抑圧と偏見・差別の起源が見いだされるのである。
こうした歴史的背景をもつ不条理な沖縄差別を根本的に解消するためには、日米地位協定の全面的見直しと沖縄を中心とする在日米軍の縮小・撤退が必要である。それは、最終的には、戦後における日米関係の大転換、すなわち日米安保条約の廃棄と日米平和友好条約の調印をもたらすことになるであろう。
戦後日本の「55年体制」崩壊を契機に登場した細川非自民党政権(1993年)が志向したのも、日米基軸一辺倒の対米従属からの脱却、すなわち国連重視外交とアジアにおける多角的な安全保障体制の構築であった。
また、2009年夏の本格的な政権交代によって登場した鳩山民主党連立政権は、それを引き継ぐかたちでより明確な対米自立と東アジア共同体の構築を目指したといえよう。
いま日本国民に求められているのは、この2度の政治的挫折・敗北の経験を踏まえて、より強固な政治的意思とそれを支える圧倒的民意に基づく真の自主独立の政権をあらためて実現することである。