『名探偵コナン』に登場する毛利蘭には角が生えている。
進化生物学者のリチャード・ドーキンスが彼女を知ったら、進化論の視点から語ってくれる気がした。
蘭の角
まず最初に、両手を頭に持っていって、そっと自分の頭を触ってみてください。髪の毛の有無に関わらず、丸みを帯びていると思います。しかし今回の主役である毛利蘭(Rachel Moore)は違います。鋭利な頭部の持ち主です。
この突起は一般的に「角」と呼ばれます。ヒトは角を持たない生物ですが、蘭には角があるんですね。なかなか立派です。気になったので長さを推定してみました。
蘭の身長は160cmです*1。身長に対する比率から、角の長さは約11cmであると言えます。
もしかしたら約4.3インチと言ったほうが分かりやすいかもしれません。手元にあるスマートフォンの画面と比較してみてください。それだけのものが頭部から伸びているのです。
こうして改めて見てみると、蘭の角に対して様々な疑問がわいてきます。角の材質は?角の目的は?デザインしたのは誰?
科学はこれらの問いに対して答えることができます。角は宇宙の中で「進化」というゆっくりした過程を得て育つ。そして私たちは、角の起源と存在意味についての理解を深めていくのです。
伸びて固まる
まずは角の正体について語りたいと思います。「角が生えている」と聞くと、骨格からヒトと違うと想像する人が多いと思います。実際、牛を始めとする哺乳類の角の多くは骨が変化したものなので、角=骨と思ってしまうのも無理は無いです。しかし、後で述べる角の成り立ちを考えますと、あれはケラチン製で間違いありません。つまり髪の毛が変化したものです。
体毛が角に変化する。これは決してありえないことではありません。世界を見渡せば前例を見つけることができます。最も有名なのはサイです。
サイの角は「皮角」といって、角質と体毛が変化したものです。骨性の芯(角心)はありません。これは頭骨を見るとよくわかります。鼻骨は太く頑丈にできていますが、突起は無いのです。
By Bernard DUPONT from FRANCE - White Rhino Skull, CC BY-SA 2.0, Link
同様に蘭の頭骨にも角を見つけることはできないでしょう。蘭の角は髪によって作られている。だから伸び続けると予想されます。
さて、蘭の角はサイと同じと述べましたが、それはあくまでも作り方の点においてです。同じような見た目、同じような材質だからといって目的まで同じというわけではありません。
哺乳類の角の役割は、主に武器であると考えられています。しかし蘭には空手があります。素手で電柱を砕く彼女にとって、武器は無用の長物なのです。あの角は武器ではなく、装飾物として機能します。
私を見ろ
これはインドクジャクのオスです。
By Manish Kumar - Own work, CC BY-SA 4.0, Link
ご存知の通り、とても美しい羽毛を持っています。写真のように発達した上尾筒を広げることで、メスに求愛をしたり、オスや他の動物に対して示威行動に使います。自分の存在を他者にアピールするのです。
蘭の場合も同様です。あの角は存在をアピールするために作られています。しかし、それは新一や犯人対してではありません。読者に対してです。
キャラクターである蘭にとって重要なのは、いかに読者が自分を認識してくれるかです。特徴が無いと、登場するたびに「この人だれだっけ?」となってしまいます。ミステリーでこれは致命的です。ましてや蘭は1話から登場するメインキャラ。一目見るだけで「これは蘭だ」と認識してもらう必要があります。
そこで蘭がとった方法が「角を伸ばす」というものでした。これによりシルエットを見ただけで、誰もが認識できるようになったのです。
こうしたキャラ付けのために髪が角化する現象は、他の作品でも見ることができます。
これは広義の収斂進化と言えるでしょう。そう、蘭は進化によって角を獲得したのです。
スロープを登る
変わった特徴を持つキャラを見ると、それをデザインした者がいると考えがちです。
By Niklas Jansson - Android Arts, Public Domain, Link
実際、キャラデザの多くは作者の設計によるものでしょう。しかし蘭の角は違います。あれは進化的プロセスによるものです。
これまでアニメのキャラデザで語ってきましたが、ここで原作の蘭の角を見てみましょう。現時点での最新刊である94巻のFILE.2の蘭の角がこれです。
アニメに劣ることのない、立派な角です。
ところが、初期の蘭にはここまでの角はありませんでした。1巻FILE.1の角をお見せします。
比較的に尖っているコマから選択してもこの程度です。これだけを見たら「角」と認識する人はいないと思います。比較のために、この角の原型を94巻の絵に重ねて見ました。実に3.3倍も発達していることが分かります。
この1巻の角と94巻の角を切り出して並べてみると、まるで地形のように見えます。そこで、なだらかな1巻の角は「偶然の丘」と呼びます。一方、そそり立つ94巻の角は「不可能な山」と呼んでいます。
ここでそれぞれの地形を登ることをイメージしてみましょう。頂上へ達することは、その角を獲得することを意味します。
「偶然の丘」は、なだらかで標高が低いため、一気に登ることができます。対して、高く険しい「不可能の山」に登ることは困難です。それこそ神の手によって運ばれるしかないように思えてしまいます。この山に偶然登ってしまうということは、猿がランダムにタイプライターを打つことで、シェイクスピアの作品が完成することに匹敵するのです。
しかし一気に登ることだけが、唯一の方法というわけではありません。実は丘と山の間には、わずかずつ上昇するゆっくりとした傾斜道があります。これが「進化のスロープ」です。
このスロープは1%の変化を121回繰り返してできたものです。
たった1%の成長率でも、積み重ねれば大きなものになります。それは小さな雪玉が、斜面を転がり落ちる中で巨大化していくようなものです。
先程お見せしたグラフはわずか1%の変化でした。それでもたった121世代後には元の3.3倍を超えるのです。そして1世代を1話としたら、『コナン』は週刊連載であるため、およそ2年で到達できます。
このように時間をかけることができれば「不可能の山」に登ることは可能です。ただし、これには一角条件があります。それは「積み重ね」されるということです。もちろん蘭の角にも積み重ねの仕組みが働いていました。しかし、これはある種の「暴走」によって引き起こされたものでしたが。
フィッシャーの暴走進化説
この尾羽の長い鳥はコクホウジャクのオスです。
By Derek Keats from Johannesburg, South Africa - Longtailed Widowbird, Euplectes progne in early summer breading plumage at Rietvlei Nature Reserve, Gauteng, South Africa, CC BY 2.0, Link
この長い尾羽はメスに対する性的アピールとなります。メスは長い尾羽のオスが好きなのです。スウェーデンの鳥行動学者であるアンダーソンは、オスの尾羽を切り取り、それを別のオスの尾羽に付け足すという実験をしました。すると切り取られたオスに集まるメスの数は半分に減り、尾羽が伸びたオスの元には通常の2倍以上のメスが集まったそうです。
なぜコクホウジャクのオスは長い尾羽を持ち、メスはそれを好むのでしょうか。イギリスの統計学者であるフィッシャーは、これを共進化の一種だと述べました。
By http://www.swlearning.com/quant/kohler/stat/biographical_sketches/Fisher_3.jpeg, Public Domain, Link
その昔、あるメスは長い尾羽を持つオスを好みました。尾羽の長さや好みといった形質は遺伝するため、そのメスが産むのは「尾羽の長い息子」であり、「尾羽の長いオスを好む娘」です。一方、そういった好みの無いメスが産んだ息子の尾羽は長くないでしょう。そうすると尾羽の長い息子は、他のオスよりも子供を残しやすくなります。なぜなら、尾羽に拘らないメスが尾羽の長いオスを選ぶことはあっても、尾羽の長さ求めるメスは尾羽の短いオスを選ぶことは無いからです。
これが何世代も繰り返されることで、長い尾羽を持つオスの遺伝子と長い尾羽を好むメスの遺伝子が、集団中にどんどん広まっていきます。このオスとメスによる共進化のプロセスが「フィッシャーのランナウェイ」です。
同じことが蘭にも起きたと考えられます。1巻FILE.1に登場する蘭を見てみましょう。左上が初登場時。すなわち「原初の蘭」です。
それぞれ髪型にバラツキがあります。比較的尖った個体もいれば、丸みのある個体もいます。おそらく青山剛昌は鋭利な髪型の個体を好んだのでしょう。そうすると次に描く時は、それが基準となります。これが何度か繰り返されたことで、蘭の頭部には原始的な角が生えたのです。
こうして角が生えたら、青山剛昌だけでなく、読者にとっても蘭のイメージには角が欠かせなくなります。そうすると何かしらの制約がかかるまで*2蘭の角は伸び続けることになるのです。
終わりに
以上のように、蘭は進化によって角を獲得しました。このようなことが起きるのは、キャラクターが文化の自己複製子《ミーム / meme》によって構成されているからです。遺伝子が卵子や精子を使って体から体へと移るように、ミームも模倣という過程を媒介して、脳から脳へと渡り歩きます。そこには「変異」「選択」「遺伝」という三条件がそろっているため、必然的に進化が起きるのです。
ミームについてはこれ以上ここでは語りません。興味のある人は『利己的な遺伝子』の11章を読んでください。
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参考文献
- 作者: リチャードドーキンス
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リチャード・ドーキンスが子供に向けて行なった、進化や宇宙の講演をまとめたもの。高度な内容を分かりやすく説明してくれる。「こんな特殊な生物は神がいなければ誕生しないはずだ」なんて思ったことのある人こそ読むべき本。
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「フィッシャーのランナウェイ」の話はこれで知った。オタク向け作品における巨乳キャラは、これで説明がつくのではないかと思っている。
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まだ角が生えていない頃。