美奈子さんのブログ記事より。
最近、環境の変化からか執筆が止まっていますが、私は他人の事情を鑑みずに、
「書け、書けぇ~~!」
とは申しません。人にはそれぞれ事情あり。それをきっかけに消えて行くのもまたブログなり。
それはさておき、美奈子さんはブログ名に反して(?)内容はなかなか哲学的。時折ブログ画面を開きながら、うーんと考え込むこともあるのですが、時折、否、よく
「あなたは俺ですか?」
と自分の性格と被る時があります。ドッペルゲンガーや、「世の中には自分そっくりな人が3人いる」という言葉がありますが、本当にそうではないかと思えるほどの事があります。美奈子さんのブログが鏡になっているのです。自己防衛が激しかった10年前なら、おそらく見れません。
私は美奈子さんと違い、女子から見ると
「もう、あたしがいないと何もできないんだから!!」
と母性本能煽る系キャラらしいので(自覚症状はありませんが)、表面は馬鹿の与太郎キャラです。オトナの皮をかぶったコドモという言い方もあります。が、奥底の部分はけっこう似通っているのかも。
言及した記事もそうでした。
前半からいきなり、
「大企業で働くお前、すごいな」と、周囲の人に認めてほしかったのですね……。つまり、自己顕示欲を満たすために大企業に入らなければと思っていたわけです
これで第一号ホームランです。初就職した時の私の心境をコピペされたかのような文です。
20代から海外をブラブラし、半分くらいは住所不定だった天然バガボンドの私が、ついに世間の圧力に屈し(?)、ある会社に入社しました。誰でも一般常識として知っている、有名な会社です。
後で聞いた話ですが、この会社の採用方法が少し変わっておりました。
例えば、採用枠が二人だとします。一般常識テストや面接を一通り行い、一人は優秀な人を採用します。これは至極当然。
で、もう一人の枠は、常識の枠からはみ出た変人・非優秀人を取るんだそうで、私はその「変人・非優秀枠」に引っかかったというわけです。
面接の時、当然の如く周囲は全員、いかにもクリーニングしましたよというスーツでした。私一人革ジャンにジーパン。スーツ?そんな堅苦しいの着てられるかバカヤロー・・・といえば聞こえがいいが、単に持っていなかっただけです。
髪もボサボサで、喫煙所で足を組んでタバコをプカプカ蒸して順番待ち。一歩間違えたらあいりん地区の新入り浮浪者です。面接も傲慢不遜、誰やねんこんな奴面接に呼んだのは!と。私としては、猫をかぶらず「素」を出しただけなんですが、今考えると若気の至りです。
しかし、「素」がかなり面接官のツボにハマったらしく、結果は
「自分、いつから来れる?」
つまり即決でした。
後で、
「お前なんかふつうの会社は雇わんわw」
とありがたく社会人失格の烙印をいただいたほどでしたが、そんなことを言われつつも、上は取締役から下は事務のおねーさんまで、いろいろいじられ可愛がってくれました。実際にいたのは2年足らずでしたが、今思えばたとえこんなバカボンドでも個性・長所を伸ばせたすごく良い会社でした。
で、なぜ就職先にここを選んだかというと、まさに美奈子さんと同じ理由なのです。
私もどこかで、
「大企業で働くお前、すごいな。見直したよ!」
と自己顕示欲を満たすためだけの動機でした。劣等生で取り柄がなかった自分が、誰でも知ってる会社で働く、さあ見直せ、ひれ伏せろ!今こうして十数年前の自分を客観的に見れるからこそ書ける、己のダークサイドです。
結果論として、ここで大いに社会勉強をさせて頂きました。が、やはり自己顕示欲だけでは「そこにいる」だけが目的となり、働くモチベーションもあまり上がりませんでした。
その後はメーカー兼商社で働き、中国駐在も経験したのですが、これも自分の武器である中国語能力を活かせることもあったのですが、
「海外で働くお前、すごいな!」
という自己顕示欲を満たす部分も多かったことは事実。当然、仕事には身が入らない。まるで政権奪還を「目的」にしていざ奪還したら何もできなかったあの党と同じことを、自分はやらかしてしまっていたのです。
この話、他人事と思うでしょうが、落とし穴は身近なところに潜んでいます。
第二号ホームランは、
>自分自身の評価軸を「他人」においてしまうと、本当にロクなことがない。
魂の言葉ですね。私も血を吐きながらこの言葉をリピートしたい。
評価軸を自分に置かず、他人に100%委ねてしまうとどうなるのか。
一言でいうと、他人の機嫌に自分がコントロールされてしまうということになります。
「己」を他人に投げてしまっているので、友達、家族、仕事場の同僚の機嫌が悪いと、自分の機嫌も悪くなってしまう。
自分は特に嫌なことがあったわけでもなく、むしろご機嫌なのに、相手や周囲がご機嫌斜めに染まってしまうのです。
良く言うと空気を読みやすい、他人への思いやりがあるとも言えるのですが、100%委ねてはいけません。委ねてしまうと、生きる選択肢が非常に狭くなり、それと同時に知識や視野も偏ってしまう。自分で自分の生きる世界を狭めてしまうのです。
他人の機嫌は、すなわち「他人の都合」でもあります。
己の評価軸を「他人」に置いてしまうと、機嫌だけではなく都合にもコントロールされてしまいます。
ブログを書いていると、PVやはてブの数、はてなブログならスターの数が気になることがあります。昨日はこれだけスターがついたのに、今日はこれだけしかつかなかった。今日はPVがものすごく多かった。
という風に一喜一憂することは、ブログで文章を書いていれば一度や二度はあるはず。
しかし、意識はしていないものの、それはスターやPVの数で自分の機嫌がコントロールされていること。けっこう危険な徴候です。
すべては他人の都合
スターやはてブは、SNSのイイネもそうですが、自分がつけるものではありません。
機能上自分でつけることもできますが、オナニーしてどうするのと新たな疑問符がつくだけです。
これらは他人が評価し、面白いね、読みましたなどと付けるもの。つまり付ける・付けないは他人の都合であり勝手です。
他人の都合は自分ではコントロールできません。他人は自分の都合どおりに動いてはくれません。
そんなの当たり前やん!何当たり前のことを偉そうに言うとんねん!と思った方は、まだ健全です。「自分の評価軸を他人に委ねてしまった人」は、その数がイコール自分への評価となるので「死活問題」。スターやPVが少ないと、自分の存在価値を100%否定されるほどのショックとなります。
それほど自分に自信がないのです。が、なまじプライドもあるから人の心理はややこしい。
だから、ブログのPVやスターの数で、
「今日はPV全然あかんかった・・・orz」
と凹んだり、
「なんでこんな力作にこれだけしかスターつけへんねん!」
と怒ったりするのはナンセンス。己の知らないうちに、顔も名前も知らない他人や、はてなブログの機能の奴隷・植民地と化しているのです。
それに、「力作」って自分が言うもんやないで~。
自己顕示欲と仲良く付き合う
しかし、自己顕示欲とは人間が人間であるために備わった本能のようなもの。ゼロにするのは到底ムリです。そんな無理なことをやろうとするから、余計にストレスが増えるのです。
自分の経験上、自己顕示欲と良きお付き合いする方法は一つ。自分の自己顕示欲を認めること。触れたくない傷は誰しもありますが、それに触れて欲しくないと思えば思うほど、人はそこを知りたがります。おそらく、これも人間の「知りたい」という本能なのでしょう。
知られたくないから隠す。認めたくない、認められない・・・そうして傷をほったらかしにすると、余計にこじらせてしまいます。
恋愛でよくある、「好き避け」なんかその典型だと思います。相手のことを好きなのを知られたくない、認めたくない・・・と、「好き」という気持ちを知ってもらいたいという自己顕示欲と裏腹になると、認識が徐々に歪んできます。
その認識の歪みは、いずれ相手にもわかってしまいます。歪んでいる本人は知らないけれど、歪みは言動や顔、そしてオーラに出てきます。相手は自分に良い印象は持てなくなり、離れていく・・・と。
そんな自分も自分なんだと、自己顕示欲を吸収すると、消化不良のゴミにならずプラスのエネルギーに変化します。
ブログにたとえると、ブログを書く理由が「人に評価されたい、認められたい」または「稼ぎたい」という受け身から、「自分が書きたいから」に変化します。
そうなると、やれPVだやれスターで一喜一憂しなくなり、「自分の書きたいこと」に集中できる。これがプラスエネルギーです。
生きるエネルギーは様々ですが、
「他人に認めてもらいたいから」
ということ「だけ」をエネルギーにすると、燃焼不良のカスが知らぬ間に溜まっていき、それが己の不良債権となり自分の足を引っ張る時が来ます。それは認識のずれから始まり、知らぬ間に精神にも侵食していき、それを歪ませていきます。
これだけは明確に言えます。私はこれで「自分丸」を沈没させてしまい、30代の10年間を棒に振ったようなものですから。
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