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どうやったら本人を探し出せるのか
当てのないまま 被災地に入った
何しろ 携帯電話を持たず車に寝泊まりしているのだ
だが 今や 彼は時の人
居場所は すぐに分かった
色あせた赤いつなぎの…
スタッフはじめまして あの 私毎日放送の「情熱大陸」という番組で取材にちょっと伺った者なんですけど
3時か4時ぐらいになったら作業が終わりますからそれから以後やったら ここでお話しさせていただいても結構ですけど… よろしいですか?
この8月山口で行方不明になった2歳児をたちどころに見つけ出し一躍 メディアの脚光を浴びた
やがて 彼が さまざまな被災地で汗をかいてきた人物だと分かる
過去の映像も含め活動ぶりが連日報道された
スタッフ尾畠さんのことをスーパーボランティアと言ってるじゃないですか
作業を決して妨げないこと
取材の条件は その一点に尽きた
誰も知らない尾畠春夫がここにいる
西日本豪雨災害による死者は12人を数え呉市全体で被災家屋が3000軒を超えた
今なお 傷痕は生々しい
尾畠は直後から現地に駆けつけ避難所になっている小学校の校庭で寝泊まりしながらボランティアを続けていた
早朝5時半一日が始まった
現地では できるかぎりひとに迷惑をかけない
自己責任と自己完結を旨としている
一般のボランティアが活動を始める3時間前目指したのは付近の川だった
毎朝 一人で続けている作業があるらしい
豪雨の濁流は干上がった川に がれきと土砂を置き去りにしていた
何をしているのか初めは よく分からなかった
泥の中から見つけ出したのは布切れ
丹念に汚れを洗い落とす
もし… もし 万が一その… 行方不明の女性が身に着けてたものかどうか知らないけど…分からないんですよだけど こうして干しておけば遺族の方が見たら「あっ! うちの嫁が 母ちゃんが着ちょったエプロンだ」とか「シャツだ」とか言うてこれ見りゃ分かると思うんですよね
この時 天応地区にはまだ一人 行方不明の女性がいた
捜索の助けになればと考えていたようだ
汚水混じりの泥にもひるむ気配はなかった
ボランティアの受け付けは毎朝9時に始まる
少なくとも この現場では最年長だろう
すっかり有名人だがやることは他の志願者たちと変わらない
10人一組で 割り当てられた受け持ち場所に向かう
待っているのは泥に飲み込まれかけた家々だ
一帯を埋め尽くした土砂は石交じりで重い
黙々と作業を続ける姿はまるで 野武士のようだった
キッチンの台所のとこから出てきてあぁ あぁ そうか そうか…
ボランティアの方はねもし この屋敷の中で一円玉1枚あっても一万円札が これだけあってもおやっさんに…いや おやっさん 冗談抜きで必ず 手で触らないでおやっさんに「ここ1円ありますよ一万円札の束がありますよ」…というの言ってくださいお願いいたします
家主に いらぬ心配をかけまいとするのもボランティアの心得か
休憩時間
山口で2歳児にあげた同じ塩あめだ
尾畠自身は なぜか休むことなく廃材置き場に向かった
処分が決まっている板やカーペットを足場の悪い砂地に並べる
これが 作業効率をアップさせることになった
ボランティアは 段取りが7割…
経験から獲得した 知恵
結局 午前中は一度も休むことがなかった
昼休み ボランティアは各自で昼食を取る
一旦 車に戻ると 待ち人がいた
尾畠さん はい 分かりました大丈夫です 大丈夫です…
人に尽くすことは得意だがこんなふうに好意を受けるとうろたえてしまう
男性ハハハ…!母に言っときますありがとうございます
尾畠春夫が超 もう おいしいでな喜んでたよって言ってください
こんなに優しくしてもらったらもう… ホントに もうどうしていいか分からんわホントに
かけた情けは水に流せ受けた恩は石に刻め…と 尾畠は言う
作業を終えると学校の水道を借りて 洗濯
自己責任と自己完結
そう言い切るだけの肉体が備わっている
くつろぐ姿を目にしたのはようやく午後5時を過ぎた頃
新聞を読む傍らにかなり年季の入った辞書を見つけた
これでもって いろんなことを教えてもらうし勉強させてもらうし助けてもらってるから
尾畠の半生は 起伏に富んでいる
1939年 大分の生まれ
小学5年の時 母親が亡くなった
農家に奉公に出され中学の3年間は学校に4か月しか通えないほど働いたそうだ
中学卒業後鮮魚店の見習いとなり別府 下関 神戸を転々として10年修業
20代後半で店を持ち商売は繁盛したという
山登りに目覚め登山道の整備を始めたのが最初のボランティア
65歳で店を畳むとその道に専念した
東日本大震災では南三陸町で実に500日を過ごしている
広島から大分の自宅に一時帰宅し一息ついたのは 9月初め
だが 時の人は 来客に追われた
ちょっと 尾畠さん 少しご相談したいこともあるので
やって来たのは 町役場の職員だ
今年についてはですね是非 ちょっと尾畠さんのほうにご出演していただけないかなと思っておりまして…
尾畠は 後日 この申し出を丁重に辞退している
やたらと電話もかかってきた
ボランティアのその 何というか…いろんなことを話してほしいって今 電話で来たんですけどね
殺到する講演依頼は被災地で忙しいからと断っている
ボランティアを巡っては報酬を一切受け取らないことをかたくななポリシーにしているようだ
10万円じゃろうが 20万円もらってくれんじゃろうかっていっても100万円でも1000万円でも私はいらない うん
妻とは5年前から別居
1人暮らしだが 娘と息子とは頻繁に行き来がある
収入は年金だけで食事は 専ら 自炊だった
終戦後のなぁホントに 食い物ない時にもう 腹が減って…
パックのごはんとインスタントラーメンを煮込んだ鍋に…
焼き肉のタレで味を付けおじやの出来上がり
粗食を貫いて大病とは縁がない
大分に戻ると必ず出かける場所があった
バイクに はためく旗は事故を起こさない巻き込まれないための工夫
自宅から30分
舗装も途切れた山あいには硫黄のにおいが立ちこめていた
そこは 無料の露天風呂
ボランティアの活動中は風呂に入らないが実は 温泉好きなのだ
だけん 今日は 多分昨日 帰ってくるやろうなと思うちょる人間ははよから待ち伏せしとった(笑い声)
温泉仲間に冷やかされた
今 こう来てる この方たちはねあなたたちは しなかったけどもすごい…えげつない下ネタ 言うんですよ
メディアに出てねえけどもずっとしよったっちゅうことを伝えてほしいわなそう
熱めの湯につかっては体を冷ましまた つかる
貴重なリラックスタイムは3時間に及んだ
あれっ? 誰か ごはん…おかず持ってきてくれちょるな
頂き物は まず仏壇へ
遺影は 11歳で死に別れた…
生まれた家はひどく貧しかった
母さんにたっぷり甘えることもかなわずとうにその年齢を越してしまった
もう78になるけど…78歳になるけどねおふくろに思い切り抱き締めてもらいたい
多分…多分 今 現在のやってることも行動 言葉 もろもろのことをうちのおふくろは じ~っと尾畠春夫のことを…見てくれよると思うんです 必ず
いつかは 逝った時におふくろから 思いっ切りもう 背中の骨が折れるぐらい…
胸のあばら骨が折れるぐらい抱き締めてもらいたいね うん
8日前 広島
よろしくお願いします是非 よろしくお願いいたします
また 果てしない作業の始まりだ
被災者を和ませる笑顔
パワフルな野武士尾畠春夫は来月で79歳になる
見よ この肉体を
次回は 今 多くの女性をとりこにする…
リングを降りると満身創痍
そんな男の必殺技は…