連載 『悪たれ戦争』を巡って |
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座談会 ― 井筒和幸監督に聴く ― |
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出席者:井筒和幸(映画監督) 石飛徳樹(朝日新聞記者) 聞き手・構成:木田紀生(脚本家) |
――シナリオ誌11月号の作協ニュースに、今回の上映拒否問題の記事が掲載されているんですが? 井筒和幸 いろいろとやってるわけでしょ、ハンバーガー屋に。向こうは聞く耳をもたないやろ。 ――はい、まったく。 井筒 そんなもんですよ、企業みたいなもんは。そんなこと言っちゃしょうがないけどね。懐柔するのは難しいで。 ――そうなんですけどね。 井筒 絶対むずかしいよ。サラリーマンは。 ――そうなると、ああ、そうですか、と諦めるしかなくなってしまいますので(笑)。 井筒 どうしたらいいのか、オレには何も分からん。 ――何も全国公開してくれとか、無理を言ってるわけではないんですよ。なかなか扉をこじ開けられなくて。 井筒 そんなんも認めよらへんのか? ――はい。 井筒 上映も許さないんだ。 ――そうなんです。 井筒 頑なだね。 石飛徳樹 どうしてなのでしょうね。 井筒 そんなんやらしてくれよね。 ――はい。今回のモスとの交渉の経緯を平たい目で見ても、作協側は非常に誠意をもってアプローチし、落とし所を探ろうとしています。にもかかわらずケンモホロロという状態で、「モスのイメージを損ねる」「うちの会社にメリットはあるのか」という発言があり断られました。 井筒 却ってメリットはあるんじゃないのかな? 石飛 僕もメリットがあると思います。 ――モスの担当者も会社を背負っているからそんな発言をされたのかも知れませんが。たとえ色んな行き違いはあったにせよ、36年以上も前のことじゃないですか。当時とは価値観も違うし、モスはいまや日本を代表するファーストフードチェーンとして認知されているわけで。 井筒 まあそうだし、営業妨害という話じゃなし。 ――逆にこういう問題になった方がデメリットになると思いますがね。もっと言えば、そんなに自社のブランドに自信がないのか、ついているお客さんを信用していないのか、ということになってしまいませんか。 石飛 そうですよね。懐が深い方が企業として格好良いのに。上映することですごくイメージアップにつながると思いますけどね。 井筒 「モスバーガーは健在です」とか「モスバーガーは発展を遂げております」とか最後にタイトルを入れたらいい。 石飛 このくらいの表現の映画は沢山ありますよね? 井筒 沢山ありますよ、そりゃ。普通はみんな、許可してんのやから。 ――『悪たれ戦争』の場合も、ちゃんと許可を取って撮影に入られたわけですよね。 井筒 そらそうやろ。ウチらが別に嘘ついて申し込んで、それでやっちゃえ、みたいなゲリラ撮影をして、それでバレたとか、勝手に映画館に流れたとか、そんなんじゃないからね。最初にちゃんと制作部が許可をとって、丸一日借りて、店長も横でちゃんと観てて、ほんで夜遅うまでなんやかんやして、「また後日閉店になった場面も撮りに来ますんで」なんて制作部が言って、シャッター下ろした場面も撮らせて貰ったりしたと思うよ。その店は都島の辺やったと思うけど、あれは(『悪たれ戦争』制作進行の)森重(晃)が見つけて来たんだよ。「交渉しました」言うて。「おうOKか、中で何やっても良いんだろ」みたいな話になったのよ。 ――シナリオは読んでもらっていたんですか? 井筒 もちろん読ませてたと思うよ。そんなん隠してないと思うよ。だって、東映の台本だもん。一応、代紋(マーク)付いたんねんから。ピンク映画とちゃうよ(笑)。ピンク映画は表紙替えて、みんな、ようやってたけどね(笑)。笑うよね、あの頃は。オレらは何屋かなと思うよ。反社会的な塊やね。何しろ撮影では何にも問題はなかった。全然協力OK出てたね。東京の制作部隊が全部まとめてたから。オレらはただ撮っただけで詳しい交渉の中身は知らなかったけど、そこはちゃんとやってたよ。何にも問題なかった。 ――だとしたら、モスからのクレームは青天の霹靂だった? 井筒 本当にそう。飯田橋の佳作座でかかったのが最後やもんね。オレ、覚えてるから。中央線の電車の窓からね、水路の向こう側にね、いつも佳作座の大きな垂れ幕だか看板だかが掛かってたんですよ。只今上映中みたいな。それが「ガキ帝国二本立て」ってぽーんと。あれは、写真に撮っとけば良かったなぁ。あれは感激したよ、オレ。本当に感激したね。1作目だけならいざ知らず二本立てでさ。言うたら、東京の映画人にとってはステータスですよ。そうでしょ。公開した挙句に、飯田橋で二本立てで上映して、佳作座でぽーんとやってるなんてさ。格好いいじゃん。「へー、オレの映画もこんなことになんねや」と感動してたのが、確か最後だと思いますよ。11月ぐらいだったかな。 ――それは東映のプロデューサーから言われたんですか? 井筒 東映の営業か宣伝かから話が来て、それをこっちの担当プロデューサーが言い出したわけよ。「謝りに行かなきゃならないんだ」って。謝りに行くって、どうなってんのって話よ。それで「謝りに行ったらどうなんの」って聞いたら「謝りに行ったってしょうがないんだけど、謝ってくれって言われてんですよ」なんて言うわけよ。で、行ったって何にもならへんのよ、結局は。 ――上映中止はもう決まってたということですか? 井筒 決まってたと思うよ。オレらが行ったら「よし分かった、来てくれたのなら許そう」というケジメ通す話なら、勇んで行ってたはずだけど、そうでもなかったよ。たぶんもう駄目なんやという話の上で「謝りに行け」ということやね。はぁ? みたいな話ですよ。 ――当時、モスから伝えられたクレームというのは? 井筒 一番言われたのは、不良の溜まり場だ、みたいなイメージと、挙句に店が潰れてしまうのか、という2つのことですね。とてもイメージが悪いと。イメージ悪いって。でも一度許してるじゃねえか、そりゃあ嘘だろうって(笑)。 ――西岡さんの記事によると、店長とさらにその上の責任者(エリア長?)の許可は取っていたけれど、本社には話が伝わっていなかったみたいですね。 井筒 向こうは向こうの言い分があるんだろよ。これから店舗を構えようという九州の人が、たまたま映画館で観たらしいね。何だって! これモスバーガーやんけ、ってなって本社に電話したらしいで。「あんなんでいいんですか」みたいな。それで「そんなん許可しとらへん、みないな話になったんじゃない、東京は。モスバーガーの本社があったのは神楽坂ですよ。なんか借りた猫みたいにして行ったね。 ――モス社長の様子はどうでしたか? 井筒 勝手に言うてはったわ。自分の話ばっかりね。醤油味のハンバーガーを作るのにどうしたこうしたとか。「あれは困るんだ」とか「気に食わないんだよ」とかは言うてなかったね。こっちもね、「迷惑かけました」とかあんまり言ってなかった気がするね。プロデューサーが横で「この度は~」とか社交辞令で言っただけで、オレも「そうでしたか」言うて。こっちも悪気はなかったからね。許可を得て撮ってることだから。ロケのパーミッションは貰ってるわけだしね。 石飛 全然悪気はないですよね。 井筒 ゲリラ撮影してないからね。イメージを潰してやるなんて、そんな映画屋はいないし。 ――そうですよね。 井筒 ほんで、そのオーナーの書いた、私はこうして成功した、みたいな、いわゆる人生読本みたいなものを持って帰ってくれって渡されて。「私はこれだけアメリカで醤油味を見つけるのに苦労した。でも人間為せば成る」みたいな。5冊ぐらいプロデューサーがもらってたよね。カッパブックスみたいなやつ。ペラペラってめくっただけだと思いますけどね。オレは読まないし、プロデューサーが持って帰ったけどね。 石飛 何だか全然険悪な関係には思えないんですけど。むしろ良い関係なのでは? 井筒 良い関係というか、そんで終わりだったね。そのあと、結局、(プリントを)ジャンクしたんだ、って話を聞いたね。その謝りに行ったことがきっかけでジャンクしたわけじゃないと思うよ。その前から話が決まっていたと思いますけどね。 ――話がついた上で、挨拶に連れて行かれた、ということなんでしょうかね。 井筒 そういうことだと思うけど。でもジャンクする話は……、もしジャンクするとかしないとか脅されてるんだったら、もっと謝るじゃないですか。そんな掛け合いはしなかったもん。話を聞いてただけだもん。醤油味のハンバーガーって何だろう? って聞いてただけだもんね。その頃はモスバーガーの店自体があんまなかったんじゃないかね。 ――全国に100店ほどあったみたいです、マックには大分差をつけられてたみたいですが。フランチャイズビジネスの創成期でもあるので、組織自体もしっかり確立されていたかどうか。だから連絡の行き違いがあってもおかしくないと思うんです。本当にボタンの掛け違いのような気がするんですけど。 井筒 オーナーも観たのかというと、どうなんやろな。 ――劇中の「この店の肉はネコの肉や」というセリフが、モスの怒りを買ったという都市伝説があるんですが、シナリオにはそんなセリフはありません。現場でのアドリブかなとも思ったんですが、評論家の大高宏雄さんが「日本映画プロフェッショナル大賞」の一環で『悪たれ戦争』を上映しようとした時に、検証のために映像をご覧になり、それらしきセリフはないことを確認されているんです。 井筒 そんなセリフなかったと思うな? ――ただ、映画の中でセリフが一部途切れた箇所はあったそうなんですよね。 井筒 そんなの、モスから言われたからカットしたという話じゃないからね。初号も見せてないし。言わせていて、東映から言われたのかな? そのセリフはオモロイけど、どうかな? たぶんアドリブでもなかったと思うよ。東映もそこまでデリケートな会社だったかなぁ(笑)。ただ、初号上げる前に言われたことは、「主人公が右翼暴走族のアジトに乗り込んで行って壁に掲げてある日の丸を引き剥がす場面を切れ」と。右翼の街宣車が来るんで、っていうことだけ。数寄屋橋の自分ん所に街宣車が並ぶのが嫌だっただけでね。チェックオール試写で東映の本部長が言い出したんですよ。これを残しておくとヤバイと。わけの分からない話だよね、それも。別にそんなことで右翼が怒んのかよ、と。それでみんな打ち上げの時に荒れまくって逮捕されたって流れですよ。宣伝部の奴らが「切った方がいいですよ」って言うから「ガタガタ抜かすな」って言ってね。その時に、ついでにネコの肉云々のセリフを切ってください、なんてこともなかったと思うけどね。肉がどうだこうだは言ってきてないよ。東映が直に被害を被るとこだけ。笑わせるなって(笑)。 石飛 アバウトですね。 ――にもかかわらず、「ネコ肉」の都市伝説を、未だにモスの現役役員が信じてるんですよ。 井筒 そんなん観てへんとちゃうん? ――観てないんですよ。観てるようでちゃんと観てないんですよ、当時も今も。 石飛 そもそも『ガキ帝国』(脚本 西岡琢也/監督 井筒和幸)の2作目の作品だから、当然どういうタイプの作品か、ということは分かるはずですよね。 ――今回の記事によると、当時の東映岡田茂社長とモス創業者の仲が良く、2人の関係性の中で、即刻上映を止めましょう、という話がついたようです。 井筒 勝手なもんだ、ひどい話だよね。びっくりだよね。 ――今、石飛さんがおっしゃったように『ガキ帝国』のパート2として作っているわけだから、内容はもちろん分かっていたはずですよね。 井筒 意気地のないとこだよ、東映もね。2人で話をつけて、それで上映出来るようになりました、が普通だろ。逆だもんね。話なんかする必要ないじゃんね。 ――今回、上映の要望のために、西岡さんがモス本社に行った時も同じでした。相談に乗るつもりはなく、はじめから断るつもりだったようです。 井筒 その最初の時は、オレとプロデューサーだけが行ったんだよ。西岡が来てたらケンカになってたと思うよね(笑)。 ――一説によると、その場の口約束で「封印する、未来永劫上映しません」と決まったということですが? 井筒 そんなの知ったこっちゃないよ。ジャンクの話自体を、取り決めたのがプロデューサーたちで、オレらじゃないから。 ――当時、上映中止を阻止するための援護射撃というか、助けてくれる人はいなかったんですか? 井筒 誰もいなかった。その頃もう全国封切りも終わってんだもん。だからオレは本望だって言うてたんだもん。最初のロードショーで直営館の100館ほどは廻ってたんだから。かつ飯田橋の佳作座で二本立てでやってんだから。地方の二番館に至ってはフラット契約か何かで上映してたんだろうな。当時、そんなんオレたちよく分かってなかったから知らなかったけれども。兎に角、もう一通り終わった暮れの話だから。「別にもう」って言うてたのよ。でも東映から「ジャンクする」って言われて「そもそもジャンクって何なの?」って。そしたら「プリントを潰すことです」「えー、そうなの?」って言って。「原版だけは残るんですか」って聞いたら「ネガだけは残すんじゃないですかね」なんて呑気な話をされて。 ――まさかその時は以後観れなくなるとは思わなかったですか? 井筒 思わなかったよね。何も思ってなかった。次の年が明けて、何ともみんなも思ってなかったもんな。「もうジャンクされてなくなっちゃったんだね」ぐらいで。「さあ、次行こうか」ぐらいの感じだったな。それにそれからオレにもしばらく仕事がなかったからね。 ――初めてのメジャー映画で、東映にいっちょ殴り込みや! みたいな気勢も削がれて……。 井筒 そう、失意の日々の中で。まぁええか、みたいな。なんだかなぁ、とぼんやりしてたんだよね。ボンさん(高橋伴明)の『TATTOO〈刺青〉あり』(1982/脚本 西岡琢也/監督 高橋伴明)を手伝いに行ったもんね。福ちゃん(福岡芳穂)と磯やん(磯村一路)とか、ウチらの仲間でね、下にスー坊(周防正行)が五番手ぐらいにいて。脚本が西岡だったし。それで、手伝おうか。じゃあ、オレも仲間に入れて下さいってことになって。高橋さんに「製作、オレが仕切りましょか」って話になって。予算も3,000万しかなくて、収められる人間もなかなかいないから。年明けだったかなぁ、寒い時で。金の管理だけしてましたよ。ウン百万持って歩いてたこともあったからね。現場で伴明さんが「絡みだけはツーキャメでやりたい」言うて、用意したりね。結構忙しかったよ。関根恵子の恋が実ったり、金が足りないのであと何百万円か、ATGに恐喝に行ったりしてね(笑)。 ――井筒さんが「あれ? この映画観れないのか?」って気づいたのはどういうタイミングなんですか? 井筒 そんなん後のことですよ。角川で仕事をやり出す頃じゃないですかね。その頃は本格的なビデオ時代に突入してるわけだから。その時に「ああ、もうビデオにならないのか」みたいなことは言ってたんじゃないかな。 ――『ガキ帝国』はすぐにビデオになってましたか。 井筒 なってたんとちがう? 82年ぐらいからビデオブームが起こっていたのかな。定価12,600円の時代の始まり。 ――当然『悪たれ戦争』はどうなるのか?って話になるわけですよね。 井筒 あれはジャンクだからビデオにならないな、ぐらいにしか思ってなかったんじゃないかな。そんなことよりね、忙しかったのよ(笑)。もうね、無茶苦茶よ。怒涛ですわ。次の『みゆき』(1983/原作 あだち充/脚本 高星由美子/監督 井筒和幸)なんてヒットしてるって聞いただけで、知ったこっちゃなかったからね。 ――じゃあ、失意の日々もそこそこに、次から次へと現場を? 井筒 はい。次から次へと。角川にも乗り込んでったからね。どっちが午前の打ち合わせでどれが後なのかも覚えてないぐらいだから。ジーパンの後ろに台本2つ入れてたよ。角川に怒られたこともあったな。「あっちの仕事断れ」とか言われて。そうはいかんしね。だからその頃はビデオになるとかは忘れてしまってたの。恨みつらみもない。もうジャンクという言葉を聞いてるから、あの子は死んだんだと思ってたからね。プリントを焼き直してほしいなんて思わなかったね。100本はあったはずのプリントを全部潰したということはよっぽど大変なことなんだな、とも思ってたね。 石飛 まだセルビデオもほとんど普及していない頃ですよね。ということは二次利用、三次利用を考えることはなかったですよね。 井筒 考えてなかったですね。 石飛 そうなると、公開し終わったら、大体元が取れたからもういいや、という感じだったんですか。それでジャンクしようということになったんですか。 井筒 その通り。だから何とも思わなかったの。 ――周囲の人や映画ファンから観たいという声は上がらなかったんですか? 井筒 そういや、角川のオーナーが「そのシャシン見れないのか?」って言ったな、『二代目はクリスチャン』(1985/原作・脚本 つかこうへい/監督 井筒和幸)の企画が始まってた時に。 ――オーナーとは? 井筒 春樹さんや。オーナーか側近だったか。銀座のクラブで。「観たいね」って話はあった。 ――その時はどうなったんですか? 井筒 「あれはジャンクですよ、観れないんですよ」って普通に喋ってたよ。角川が東映とグスグスにやってた頃だからね。「そんなん黒澤(満)さんに頼んでも無理じゃないですか?」なんて言ったら、何か調べてくれてたのよ、その前後は忘れてもうたけどね。 ――やっぱりそういう形で降って湧いたように、話題になることがあったんですね。 井筒 「アレは渋谷で観たきりだ」とか「パート2なんて撮ってたの?」とか……。潰してから3、4年後の話だからね。「参考試写で観れないのか?」ってこともあった。 ――今でも観たいという人がいるんですね。先ほどお話しした大高さんの場合は、実際、モスの担当者も試写を観て、モスと東映の社長同士が話し合いを持てば、上映許可が出る、というところまで話は進んでいたようです。が、最終的にはモスが罷り成らぬということで企画自体が流れてしまいました。絶えず上映したい、観たいという人がいるのに、上映できない、観れないという繰り返しがあります。作った人でさえも観ることができないなんて、おかしな状況だと思いますが。 井筒 そんなに観たいかね(笑)。 ――まあ、人の心理としても、観せませんって言われたら、余計観たくなるもんじゃないですか?(笑)監督としてはあまり観せたくはないですか? 井筒 観せたくはないとは言わないけど、ひどいシャシンだよ、あんなもの。反省しか見えないシャシンだろうな。 ――作り手はそう言うかも知れませんが。 井筒 恥ずかしいシャシンだろうな、好き勝手に撮ったおぼこいシャシンだったね。でも、スゴく尖がってた。 ――東映から急に話があって、3ヶ月くらいで作ったという話も聞きましたが。 井筒 そうそう。ものすごい電撃作戦よ。今ならとても考えられないぐらいのね、まさに電光石火のごとく。オレが呼ばれたのが、確か4月だか5月だよ。呼ばれたのよ銀座に、電話が掛かってきて。オレ、高橋さんのプロダクションに居候をしていて、そこにいた時に電話が掛かってきたんだよ。「イヅッちゃん、東映の何々だけど、本部長が」なんて。それが最初やからね。あの時、周りに若い衆も聞いてて。「なんだか言ってきた、来てくれって言ってるぞ」って言ったら、「バシッとかまして来てやったらどうですか」って、みんなが言ってた。 ――二十代ですよね。 井筒 そうだよ。 ――ギラギラしてた。 井筒 そうだろうね。 ――今もギラギラしてはりますが(笑)。 井筒 そう、あの作品のタイトルは最初、『ギラギラッ』だったんだよ。セントラル(東映セントラルフィルム)に出してたシノプシスは『ギラギラッ』っていうタイトル。オレらはギラギラするものを探していたから。
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