2018年9月9日(日)、久しく平和ボケした喧嘩界隈に、衝撃のニュースが舞い込んだ。
あろくのお母さんがネットに降臨した。
いや、違う。問題はその内容である。
ナント、あろくが死んだというのだ。直接的な死因は縊死、自殺ということらしい。
突然の訃報を受け、哀悼の意を表する者、疑念の目を差し向ける者、救急蘇生を試みる者、懐古に浸る者、訴訟リスクを懸念する者、後追い自殺を迫る者、シカトを決め込む塾の者、とかく様々な想いが寄せられている。
その後も、自称あろく母(以下、母ろく)の手によってブログは海外ドラマの如く更新され続け、17日にはシーズン6が公開されたばかりだ。まるで若かりし頃のあろくが蘇ったかのようなセンセーショナルな投稿は、いまなお多くの注目を集めている。
偉大なる喧嘩師の若すぎる死、あるいはその究極ともいえるベタな幕引きが、今まさに伝説を伝説たらしめようとしている。当記事は当ブログの記念すべき第一号記事である。あろくはなぜ死んだのか?その象徴的喧嘩師人生に敬意を表して、人倫に臆することなく、この問題に多角的に切り込んでいこうと思う。
◆あろく、またの名を「天才tinko」
“界隈”では、もはや説明不要の有名古参喧嘩師であるが、その知名度ゆえ、名前を聞いたことがあるだけという読者も居るかもしれない。主題に入る前に、改めて彼の来歴を踏まえつつ紹介しよう。
あろく、別名「天才tinko」。知る人ぞ知る名門喧嘩サイト「MSN喧嘩部屋」出身。あろくの通名は、彼がそこで初めに「aaaaaa」と名乗ったことが由来とされている。「a」が「 6つ」だから「あろく」。喧嘩板界隈で、最強の論客は誰かと問えば、まず真っ先に名前が浮上する人物である、という説明は妥当といえよう。しかし、もう一歩立ち入ってその人物像を語るには、MSN喧嘩部屋に言及しないわけにはいかないだろう。
MSN喧嘩部屋とは、Microsoftが1995年に開始した「MSNチャット」サービス上に、ユーザーによってhostされた喧嘩部屋である。
MSNチャットは、1995年に会員向けに開始したチャットサービス。1997年に無料化、一般公開し、1999年にはブラウザベースのサービスに移行した。2000年ごろのユーザー数は100万人以上に達したという。 (出典:INTERNET Watch)
MSN喧嘩部屋が誕生したのは2000年前後、あろくがまだ14才そこらの頃だ。
マイクロソフトは10日、同社が運営するポータルサイト「MSN」の「MSNチャット」を5月9日に終了すると発表した。 (出典:INTERNET Watch)
2005年5月初旬、MSN喧嘩部屋は約5年にわたる歴史に幕を閉じた。
参考までに、1999年は「2ちゃんねる」の開設年であり、2000年は「Google」の日本語検索サービス、そして「Amazon.co.jp」のサービス開始年である。「平成喧嘩塾」の設立に至っては2006年以降までページを飛ばさなければならない。
日本におけるインターネットの歴史によれば、”日本におけるインターネットの人口普及率”は、1999年で21.4%、2000年で37.1%である。2003年にようやく家庭向けの光回線が登場し、人口普及率は過半数を超えるが、それでもまだ64.3%である。
注目して頂きたいのは、インターネットの黎明期に、まだ世間一般にはいまいち使い道も定かでない”パーソナルコンピューター”なる大変高価なオモチャを所有し、自宅に高額のネット回線を引き、Webサービスが今ほど洗練されていない当時の不親切極まりない会員登録手続きをこなし、どういうわけか喧嘩部屋の住人となる、その特異な先進性である。当たり前に常時接続のネット環境があり、あらゆる意味で間口の広がり切った今の時代に、ひょんなきっかけで喧嘩界隈へと足を踏み入れるのとはワケが違うのだ。
昔は良かった、と古参は言う。対して、所詮は懐古主義に過ぎないのではないか、という疑念が生じるのは当然だろう。「昔」といっても人によりけりだが、少なくとも「黎明期」と「それ以降」の時代間に決定的な違いがあるとすれば、それは口論のレベルそのものというよりは、コミュニティを構成するユーザーの性質にある。つまり、先進性に乏しいマジョリティ層の不在である。それがコミュニティにとって何を意味するかは、各自で受け取って頂ければと思う。
あの時代に、あの場所に居たという事だけで、その人物はある種の特別な存在であったといえよう。あろくは若干14才にして(学校には通わず)MSN喧嘩部屋の常連だった。何故なら、彼もまた特別な存在だからである。一人一人が強烈な個性を放つ曲者揃いのMSN喧嘩部屋にあっても、あろくは一目置かれる程の人物であったという。彼は当時から人気者だった。今となっては、MSN喧嘩部屋時代こそが彼にとっての輝かしい全盛期であったように思えてならない。
◆あろくとエイネル教
MSN喧嘩部屋の閉鎖後、行き場を失ったあろくが辿り着いた先が「喧嘩板界隈」だった。当時、喧嘩板界隈は旧時代からの転換期を迎え、「塾長」率いる「平成喧嘩塾」がその地位を確立し始めていた。
喧嘩板界隈の歴史には、盛衰のサイクルがある。
往々にして隆盛期には、ある掲示板サイトが一定期間、界隈の中心を担うことになる。喧嘩という行為がもつ自己破壊的な性質もあってか、ピークを迎えた後、常連ユーザーの引退、新規参入の不足、荒らしの流入といった諸問題が重なり、喧嘩板は決まって衰退する。目新しい話題も無く、誰もが互いに食傷し、一部の依存体質のユーザーがただ惰性で書き込むだけの氷河期が訪れる。
栄枯盛衰の例に漏れず、一時代を築いた平成喧嘩塾もまた深刻な衰退期を迎えていた。管理人である塾長とその仲間によって幾度と復興計画が実行されたが、どれも先細りの延命処置にしかなりえず、彼らもついには掲示板での再起を一度諦め、新天地に活路を見出した。
そう、ネトゲである。変わり映えのしない面子で、今生何度目になるかも分からない言葉遊びに趣向を凝らすより、知り合った仲間同士でネトゲをする方が楽しいことに気付いたのだ。ちょうど「skype」が世に広まり始めていたこともあり、複数人で通話をしながらゲームをするには打ってつけだった。
またその頃、ニコ生の喧嘩凸ブームに端を発し、skype会議を舞台とした「喧嘩凸界隈」が出来上がりつつあった。結果的にはブームに便乗する形で、塾長とその仲間によりskypeに設けられた固定会議が「エイネル教」というわけだ。エイネル教には塾長の他にも「Selcia」、「ゲシュタルト崩壊」といった、同じく平成喧嘩塾の看板を支えた才気あふれるメンバーが名を連ねていた。すでに界隈一帯にその名声を轟かせていたあろくが塾長の目に留まるのは当然の成り行きだった。
こうして喧嘩板界隈の重鎮たちを中心として結成されたエイネル教だったが、特筆すべき点は、多数の新規女性ユーザーの存在である。それまでの喧嘩板界隈とは違い、喧嘩凸界隈には女性ユーザーが多くいた。これは掲示板出身の喧嘩師にとって、地殻変動ともいうべき重大な環境変化だった。
チャット、携帯向け掲示板、通話、そして新しいコミュニケーション形態としてのTwitterなどでは、比較的手短でインスタントな会話のやり取りで事が運ぶためか、その喧嘩界隈は全体的にユーザー数が多く、女性比率も高い。
一方、枝葉の煽り文句ですらもが3行では収まらない、いわば(時間的にも、字数的にも)超重量級のエクストリーム・オタクスポーツへと喧嘩を発展させ、男根至上主義のオタク的曲解の境地とも化した喧嘩板界隈は、その歴史上、男とネカマと男勝りで中性的なオバサンしか存在しなかったのである。否が応もなくま~ん臭を香らせる、たしかな女性らしい女性はただの一人も居なかったのだ。
喧嘩とは何か。「煽りや誹謗中傷を含む論争」といった説明が、多数派の下層の間ではよく好まれるが、この認識は正鵠を得ていない。喧嘩とは、一言でいえば「マウンティング」である。それを完全な自己満足として行う者も居れば、第三者の承認を必要条件とする者も居る。基本的に、ほとんどのユーザーが後者に該当すると考えられる。
マウンティングの成功を勝利と見做すならば、勝利条件は環境(第三者の価値基準、etc)によってつど複合的に変化することになる。いわゆる”場の空気”を掴む能力が重要となるわけだが、とはいっても、やるべき事はそう難しくない。各々がその感性にしたがって、思い思いに格好をつければいいだけ、というより他にないのである。
要するに、問題は2点ある。未だかつて無いボリュームの”女性ユーザー”という環境要素の出現。そして、通話環境においては「魅力的な口調」であることが、掲示板における「格好良い文体」にほぼ等しいということだ。
例えば塾長やゲシュタルト崩壊などは、知性やユーモア、そのキャラクターの強さを損なうことなく声に重ね、一定のカリスマを周囲に誇示できるだけの話術を備えていたといえる。実際に、二人は喧嘩凸界隈におけるエイネル教躍進の原動力となった。
一方で、こと文字喧嘩においては向かうところ敵無し、名声を欲しいがままにしてきたあろくだったが、通話環境ではそう上手くはいかなかったようだ。
実際に彼の声を聞いた者は皆、言葉数少なめにこう評した。
「声はか細く、音程はどこか間抜けていて、まるで社会的弱者そのものだった」と。
稀代の喧嘩師あろくの才能をもってしても、その恵まれない声質を補うには足らず、また社会経験の乏しさゆえか、自身に威厳をもたらすだけの声を作り出す技能も持ち合わせていなかった。あるいは、その必要性を認識してすらいなかったのかもしれない。社会を知らない、頭でっかちの理屈屋にありがちの悲劇ともいえる。
ここで指摘したいのは、エイネル教、ひいては喧嘩凸界隈における、あろくの立場的な弱さである。
はっきり言ってしまえば、あろくは塾長の後ろ盾を必要としていたのだ。通話環境において、彼は独り立ちできるだけの能力を有していなかった。しかし塾長が一目置いてくれさえすれば、おのずと周囲の人間からも一定の尊重を得られる。何より、特定の女性ユーザーからの承認が重要だった。エイネル教に入信したことで、こんな自分にも彼女が出来たのだ。あろくは塾長に依存していた。幸いにも、塾長はあろくを気に入っていたし、その才能を誰よりも評価していた。塾長は敬愛を込めて、あろくを「先生」と呼んでいた。
そう、エイネル教の仲間から、あろくは「先生」と呼ばれていた。現実世界での彼は、学歴など無いに等しいどころか、長年精神病をわずらい、お母さんに連れ立って定期通院する「患者」であったにも関わらずだ。
◆塾長との関係
2018年9月12日の夜、アメーバピグのあろくの部屋で話し合いの場がもたれた。
すでに当記事でも再三にわたって登場している、Twitterでは「エドモンド吉田」と名乗るこの人物こそが、渦中の「A男」こと「塾長」である。念のため言っておくと、「ニコ生の塾長」ことゲシュタルト崩壊とは別人である。
本件に塾長がどう関係するのか、経緯の詳細はあろくのブログを参照して頂ければと思うが、概略はこういうことだ。
生前、まだ精神状態が比較的(※比較的)安定していた頃のあろくは、エイネル教の主要メンバーとして、特に塾長と(精神病で無職のアラサーだけどオフ会に誘ってもらったり、遊ぶときは毎回お金を出してもらったり、家庭の貧困や、母親の生活保護受給について相談し合う程度には)親しい間柄にあった。しかし、次第にその精神病質を隠しきれなくなったあろくの度重なる奇行により、仲間内に蓄積していたヘイトは臨界点を超えてしまう。結果、あろくは塾長と決裂、エイネル教を破門された。この一件はあろくにとって「裏切られた」も同然だった。生前の投稿では、塾長らについて憎愛入り混じった複雑な心境が綴られている。最後まで時間が解決することは無く、死の間際まで、彼の心に暗い影を落としていた様子が見て取れる。そして今回の悲劇。母ろくは自殺の原因が全面的に塾長にあると考えており、鼻息荒く謝罪と釈明を要求している、というわけだ。
して、上記のTweetをきっかけに、塾長、B子、C男、そして「a6nonymous」と名乗る母ろくの仲介人が、アメーバピグの事故物件、もといあろくの部屋に相まみえる運びとなったわけである。
話し合いでは、あろくは本当に死んだのか、母ろくは本当にあろくの母親なのか、自殺の原因について、塾長らに責任はあるのか、謝罪をするのかしないのか、仲介人a6nonymousは(あろくや母ろくでないとすれば)一体何者なのか、といった問題が取り上げられた。
結論からいえば、塾長らはその責任を否定し、今なお謝罪を拒否している。
母ろく側の言動にいくつか不可解な点があることは確かだ。しかし、その真偽を問うことはさほど重要ではないように思える。仮に、全てがあろくの自演によるものだったとしても、何らかの理由によって、彼が声高に自身の死を証明しようとしている事実は変わらないのである。では一体その目的は何なのか?と考えるなら、結局のところ、当記事のタイトルでもある「あろくはなぜ死んだのか?」という問題に行き着いてしまうのだ。
よって、当記事では、事件の信憑性については一旦置いて、主題である「自殺の原因」の考察に注力したいと思う。
◆自殺の原因
2014~2015年頃、それまであろくは塾長、B子と親しくしていたが、ある時期を境に関係が悪化したという。三者で話し合いが行われたが、B子と、無関係であるはずのC男に罵詈雑言を浴びせられ、塾長は傍観するのみ、そのまま話し合いは決裂してしまった。
母ろくの見解では、それが自殺の原因だということらしい。
改めて状況を整理しよう。当時、塾長とB子は交際関係にあった。情報によれば、塾長は30才、B子は20代前半、そしてあろくは享年32才。あろくは最年長ということになる。
生前、あろくは塾長に向けてブログにこう記している。
いつも奢ってくれたw
だけど、何も恩返し出来ないし役に立てないオレ。申し訳なくて申し訳なくて。謝りたい。 (出典:Yボタン)
アラサーのおっさんが、それも最年長でありながら、オフ会では塾長に奢られてばかりいたということらしい。経済事情は人それぞれ、奢り奢られの関係も人それぞれだが、少なくとも体育会系ブラック社会であれば基本的人権を認められない類の人間であったことは間違いなさそうだ。
また、塾長の彼女であったB子についても並々ならぬ想いが綴られている。
四角四面のバカなスーパーの店員が、つまんねぇ事言いだして、その時に身を独りにはさせられないと思った日。
別のスーパーで袋詰めしてた日。あいつとオレ以外誰も居なかった。 (出典:Yボタン)
なんとも意味深な供述である。独りにはさせられない、とはどういう意味だろうか。いい歳ぶっこいて金も持たずにオフ会に参加するような社会不適合者の心配に及ぶまでもなく、B子には塾長という、どこぞの社会不適合者に比べれば幾分(チビだが)立派な彼氏が付いていたのではないのか。あいつとオレ以外誰も居なかった、ということは、やはりスーパーの代金はB子が支払ったのだろうか。年下の友人の彼女を会計に立たせたその後ろで、察するに持ち前の非社会性からスーパーの店員さんを睨み付け、男としての自覚を芽生えさせていたというのか。童貞が三十路で魔力に目覚めるという逸話は本当だったのか。疑問は尽きないが、真相は闇の中である。
もう一つ、あろくのB子に対する尋常ならざる想いが伺い知れる出来事がある。塾長&B子と仲違いした後、B子はあろくから、数日間にわたり何十件もの不在着信を残されたという。男女間の不在着信。一向に出てくれない相手。伝わらない想ひ。なんとなく、どこか見覚えのある場景ではないだろうか?
この時点であろくはB子に対し、友人としての一線を越えた感情を抱いていたと考えるのは、邪推だろうか。ともかく、相手の気持ち、人との距離感、自身の客観的評価、色んな問題を履き違えながら一方的に想いを募らせるコミュ障の、まるでその先走り汁が目に浮かぶような、如何ともしがたい不気味さを垣間見せていたことは確かだ。おそらくはそういったあろくの度重なる不審な言動によって、周囲のあろくに対する好感は徐々に消え失せ、快くない印象を抱かれてしまっていたことは間違いない。恋人から、友人についての率直な嫌悪を伝えられたであろう彼氏の心境は、推して知るべしだ。
また、あろくのブログでは触れられていないが、塾長やB子と決裂する以前にも、彼はエイネル教内の女性関係で深刻な挫折を経験している。それがあって以来、彼が有名喧嘩師としての威光を失い、見るに堪えないメンヘラと化したことは(主にその捌け口となったアメーバピグ・デュラララチャットなどでは)周知の事実であり、その時すでに彼の精神は大きく変調をきたしていたのである。その事件による精神的憔悴が、その後塾長らとの不和を招いたとも考えられる。
これら背景を踏まえると、筆者の中でひとつの推測が成り立つ。つまり、あろくの精神的不調は、主に女性関係のトラブルによって引き起こされており、その悪影響が、他の交友関係にも波及していったのではないか、ということだ。
自殺の原因について、塾長はこう主張したという。
「10代から交友のある奴は分かると思うが、ネットのトラブルなんかで死ぬたまではない」
「原因は分からないけど、あるとしたら俺は遺伝子の問題だと思う。自殺遺伝子っていうのがあるんだよ」
なるほど、やはり塾長もまだ半信半疑で、からかい半分の軽率なムードで話し合いは行われたのか、と読者は思われたかもしれない。が、少なくともその場に居合わせた第三者の目には、あくまで真剣な話しぶりで、そのような主張がなされていたという。
だとすれば、筆者はこの意見には賛同できない。
そもそも、塾長が頑なに謝罪要求を受け入れないのは、責任を認めてしまうことで、母ろく側にとって訴訟の手がかりとなる可能性を危惧してのことである。であるにも関わらず、改めて「自殺遺伝子のせい」などと言ってのける神経には驚きを隠せない。
噴飯物の与太話は置いておくとして、ネットのトラブルなんかで死ぬたまではない、本当にそう言えるだろうか?
あろくの全てを知るわけではないが、筆者の知る限りにおいても、これまであろくが幾多もの人間関係のトラブルを乗り越えてきたであろうことは想像に容易い。喧嘩師というくらいなのだから、自ら率先してトラブルに首を突っ込んできたとさえ考えられる。
しかし、積年の精神的消耗の末に、最後の支えを失った場合においても、はたして同じことが言えるだろうか?
加齢による影響も大きいだろう。享年32才、ネット上での虚飾に塗れた自己肯定では、もはや誤魔化しきれない年齢に差し掛かっていたといえる。そして、ついにはネットでの居場所すらも失ってしまったのだ。最後は”親友の裏切り”によって。
◆結論
―あろくが死んだ理由?遺伝子。自殺遺伝子っていうのがあるんだよ― A男