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2018-09-24

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・さてさて、梅田での「生活のたのしみ展」の最終日だ。
 泣いても笑ってもというけれど、ほんまになぁ‥‥。
 また会いたいね、という気持ちで締めたいよね。
 たぶん、そういうことになると思う、たのしかったもん!

 大阪の人は、テレビの中のタレントさんたちも、
 いま、ぼくらといっしょに仕事してる阪急の人たちも、
 お客さんとして集まってくれる人たちも、
 「大阪はどういうところか」について話してくれる。
 つまり、「わたしたちは、こういうもの」というような
 自己紹介をしてくれているのだと思う。
 たぶん自己紹介が、けっこう好きだし、上手なのだ。
 耳にした大阪人の気質や、特長みたいなものを、
 ぼくらはもうずいぶん刷り込まれてきていて、
 そういう知識を前提にして大阪の人を見はじめている。
 それほどたっぷりの大阪に接してるわけでもないくせに、
 すっかり知ったような顔をして、
 「大阪の人は、こうですね」なんてね言ったりしている。
 まぁ、そりゃぁ、イタリアに3日も旅行したら、
 「イタリアってのはさぁ」なんてことをね、
 言い放っちゃうのが人間のクセみたいなものなんだけど、
 もう少し冷まさないといけないかもしれない。

 とても好感の持てる、どちらかといえば恋愛初期のような
 「素敵な大阪のイメージ」が出来つつあるのだけれど、
 それが、知らず知らずの固定観念になって、
 これからできることの可能性を狭めちゃうかもしれない。
 ぼくらはもうすでに、ちょっと危ういところにいる。

 大阪の人たちは、合理的に理解したいのだと言われる。
 「モノゴトのいいところを、明確に指し示すこと」で、
 よろこんでくれたり、買ってくれたりする、と。
 今回は、それをあらためて知らされたように思った。
 しかし、もともとぼくは、あるいは「ほぼ日」は、
 「じぶんたちのいいところを明確に指し示す」ことより、
 もっと自由な方法を探してきたのではなかったか。
 「こういうふうに良い。こういうふうにお得」という
 必ず通じる理由よりも、もっとうれしいことがあるはず。
 そんな「ほぼ日」なりの姿勢を、大事にしたうえで、
 大阪で学んだことを考え合わせていかなくてはね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ぼくのいままでの考えが晒されたり鍛えられたりしてます。


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