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【社会】

<ウチナーンチュ 心の痛み 沖縄知事選を前に> (上)「基地負担、分かち合って」

1995年10月21日、米兵の少女暴行事件の怒りを胸に、沖縄県民総決起大会に集まった大勢の参加者。会場の宜野湾海浜公園は今月の安室奈美恵さんのラストライブ会場に隣接し、1000人以上のファンが集まった

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 沖縄県知事選の告示二日後の十五日、歌手安室奈美恵さん(41)の最後のライブが行われた同県宜野湾(ぎのわん)市の沖縄コンベンションセンター。隣の宜野湾海浜公園にも、安室さんの歌声が聞こえることを願い、千人以上が集まった。市内にある米軍普天間(ふてんま)飛行場はここから東へ約一・五キロと近い。

 歓声や拍手が響く中、二十三年前の十月にも、この公園に来た人がいないか探した。一九九五年に起きた米兵による少女暴行事件に抗議し、八万五千人が集まったとされる県民総決起大会。地元の普天間高校の女子生徒が「軍隊のない、悲劇のない、平和な沖縄を返してください」と訴え、その様子が全国に流れた。

 妹やめいといた安室ファンの女性(56)に尋ねると、「あの時も来ました。繰り返し同じようなことが起きる。悔しいし、本当に腹が立った」と振り返った。

 女性の自宅は南隣の浦添市にある。「上空は普天間に向かうオスプレイやヘリが日常的に飛び、テレビの音もかき消される」。二〇〇四年に米軍ヘリが墜落した沖縄国際大も近くにあり、事故の翌年に子どもが入学した。いつ落ちるかと、気が気でなかった。

 「沖縄だけに七割も(米軍専用施設を)押しつけるのは差別そのもの。普天間は撤去してほしい。でも辺野古(へのこ)(沖縄県名護市)じゃないでしょ。辺野古に移しても同じこと。絶対ダメです。基地を分かち合いましょうよ」と訴えた。

 四年前、辺野古移設反対を訴えた翁長雄志(おながたけし)氏が知事に就任後、菅義偉(すがよしひで)官房長官は四カ月、面会に応じなかった。その後、翁長氏が仲井真弘多(なかいまひろかず)前知事の埋め立て承認を取り消すと、国は県を提訴し、全国から海上保安庁職員や機動隊員を集めて反対運動を排除。選挙の結果を無視して、強引に移設を推し進めてきた。

 那覇市に住む女性で、ライターの知念ウシさん(52)は「政府が求めている答えはただ一つ。『辺野古OK。あきらめました。受け入れます』。沖縄は『辺野古NO』という答えを出しているのに、選挙なりなんなりで、それ以外の答えを求めてくる」と話す。

 元沖縄市長の東門(とうもん)美津子さん(75)が五年前、東京・銀座で那覇市長だった翁長氏らと、普天間飛行場の県内移設を断念するよう訴えたとき、沿道から大きな声が聞こえてきた。激励だと思ったら「売国奴」「日本から出て行け」と書かれたプラカードに目を奪われた。

 「えっ、沖縄って、こういうふうに見られているの」。日本の安全を守るためというなら「負担をかけていますね」と言われると思っていた。「ところが全然逆じゃないですか。とても信じられなかった。今もずっと残っています」

 県内各地で取材した人から「基地を分かち合ってほしい」とよく聞いた。「自分たちがつらいからといって『あなたたちも苦労しろ』みたいな言い方はしたくない。それがプライドだったかも」。知念さんはウチナーンチュ(沖縄の人)の気持ちをこう代弁した。

 「でも、分かち合ってほしいというのは、『もう自分たちだけで担えないよ』というところまで追い詰められ、せめて平等に基地も反基地運動も分け持ってほしいということなんじゃないかな」

     ◇

 辺野古の米軍新基地建設を争点とする沖縄県知事選に、約百十六万人の有権者が臨む。米兵による少女暴行事件をきっかけに、県民の怒りが爆発してから二十三年。基地は依然として集中し、事件や事故が後を絶たない。各地を訪ね、県民の心の痛みを聞いた。 (西田義洋、井上靖史、原昌志が担当します)

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