9月19日、南北首脳会談で北朝鮮を訪問中の文大統領が北朝鮮国民の前で生演説を行った。
韓国大統領による平壌市民を前にした演説は史上初だ。韓国内での反響は大きく、国内メディア「ニューシス」によれば、演説の行われた午後10時26分から33分までの7分間のテレビ視聴率は16.7%を記録したという。
平壌の5月1日競技場(日本ではメーデースタジアムとも報じられてきた)で行われたマスゲームの際に発した内容を全文翻訳。15万人を前にした演説は何がどう、興味深かったのか。韓国語学習歴25年で、現地メディアに韓国語での執筆歴もある筆者が手短に説明を加える。
基本構成は5段落。韓国式の言い回しで押すフレーズも
スタジアムの貴賓席で金正恩朝鮮労働党委員長の紹介を受けた文在寅大統領は、こうスピーチを切り出した。
平壌市民の皆さん、北の同胞兄弟の皆さん。
平壌でこのように皆さんに会うことになり、本当に嬉しいです。
南側の大統領として金正恩国務委員長の紹介で皆さんに挨拶をすることになり、その感激を言葉で表現することができません。皆さん、私たちはこうやってともに新しい時代を作っています。
スピーチは「現地への呼びかけ+内容」で構成された。これが5パート読み上げられた。話はこう続いた。
同胞の皆さん。
金正恩委員長と私は、去る4月27日に板門店で会い、熱く抱擁しました。両首脳は、韓半島でもう戦争はなく、新しい平和の時代が開かれたことを8千万同胞と全世界に厳粛に誓いました。
また、私たちの民族の運命は、私たち自身で決定するという民族自主の原則を確認しました。
南北関係を全面的・画期的に発展させ、切断された民族の血脈をつないで、共同繁栄と自主統一の未来を早めようと固く約束しました。そしてこの秋、文在寅大統領はこのように平壌を訪問することにしました。
平壌の地でも「韓半島」という、韓国での言い回しで押した。「韓国」を想起させる言葉だ。北では「朝鮮半島」という。ちなみに「南北関係」も北では「北南関係」だが、ここも自分たちの言い方を使用した。外交の場では当然のことではあるが。とはいえこれも小さな一歩だ。
「韓国」と「朝鮮」。もともとは時代による半島の呼称の違いだったが、現在ではそれぞれのイデオロギー色を帯びた言葉となっている。つまりお互いの表現に拒否感が持たれてきた。韓国では北のことを一般的に「北韓」と呼ぶくらいだ。韓国政府公式サイトでもこの呼称を使う。逆に北朝鮮では韓国は「南朝鮮」だ。
02年の秋から一時活発化したスポーツによる南北交流では「お互いをどう呼ぶか」という問題が生じた。
「南側」「北側」。
これが答えだった。妥協案だ。やがて政治の場面でもこのフレーズが見られるようになる。
2015年の仁川アジア大会に北朝鮮選手団が参加した際には、試合前の国歌斉唱時に「朝鮮民主主義人民共和国」という正式名称が使用された。韓国側とて出来ることなら「朝鮮」という言葉は使いたくはないが、南北交流とは違う国際大会でのこと。国家の正式名称は尊重するスタンスをとった。
韓国大統領官邸「青瓦台」公式サイトより
いっぽう、過去には北でも「韓国」の言葉、イメージの使用を公の場で認めないという出来事があった。サッカーの2010年ドイツW杯アジア予選では、3次予選と最終予選で南北が居合わせたが、北朝鮮のホームゲームはすべて中国で開催された。北朝鮮側がホームゲーム側での韓国国旗の掲揚を拒否。韓国側はFIFAの規定を根拠にこれを受け入れず、妥協案として第三国での開催となったのだ。
2017年4月には韓国女子サッカー代表がW杯予選のために平壌を訪れた。サッカーの公式戦では27年ぶりの平壌での南北対決だった。この際には国旗が掲揚され、電光掲示板には「PRK」「KOR」の表記がなされるなど、北側の譲歩が見られた。
北朝鮮の現地紙の「労働新聞」では、固有名詞で韓国という表現が出てくる場合、カギカッコつきでこれを記すほどの徹底ぶりだ。それだけに、今回、公の場で「韓半島」という言葉が発せられたことは新たな一歩を記す出来事だった。そういえば国家名とは違い、「半島」には中立的表現がまだ普及していないな、とも気付かされた瞬間だった。
一瞬「上から目線!?」も、すぐにフォローが
スピーチはこの後、後半部分に入っていく。
平壌市民の皆さん、愛する同胞の皆さん。
今日、金正恩委員長と私は、韓半島で戦争の恐怖と武力衝突の危険性を完全に排除するための措置を具体的に合意しました。
また、白頭(ペクトゥ)から漢拏(ハルラ)までの美しい私たちの自然を、永久に核兵器と核の脅威がない平和の基盤として、子孫に受け継いであげようと確約しました。
そして、より遅くならないよう、(朝鮮戦争)離散家族の痛みを根本的に解消するための措置を速やかにとることにしました。
私は、私とともにこの大胆な旅を決断し、民族の新しい未来に向かって一歩一歩あゆむ皆さんの指導者、金正恩国務委員長に惜しみない賛辞と拍手を送ります。
この後、現地ではこの日一番大きな拍手が起きた。その直前のポイントに注目だ。最後の部分で出てくる「惜しみない(アッキムオンヌン)」のフレーズで、文大統領が育った釜山(慶尚南道)地方のなまりがかなり強く出た。これは現地の人たちからすれば、はじめて耳にするところだったのでは。ライブで話す臨場感が出たシーンだった。
平壌市民の皆さん、同胞の皆さん。
今回の訪問で、私は平壌の驚くべき発展を見ました。金正恩委員長と北の同胞たちがどのような国を作っていきたいのか、胸を熱くして見ました。どれほどに民族和解と平和を渇望しているのか切実に確認しました。難しい時代にも、民族の自尊心を守ってついに自ら立ち上がろうとする不屈の勇気を見ました。
この下りは、もっともハッとさせられるところだった。まずは「平壌の驚くべき発展」とは、ややもすれば南側の「上から目線」にも感じられる。そもそも理論上は政治・経済体制が違うため、「発展」の尺度は違うはずなのだ。しかし文大統領は直後に北が「どのような国をつくっていきたいのか(胸を熱くして)見た」と続けた。尊重することで、相殺したようにも見える。2つの体制を認めつつ、統一に向かっていくという文大統領の考えがみてとれた。
決めのフレーズは「5000年と70年」
平壌市民の皆さん、同胞の皆さん。
私たち民族は優秀です。私たち民族は強靭です。私たち民族は平和を愛しています。そして、私たちの民族は一緒に生きなければなりません。
私たちは、5000年をともに生き、70年を別に生きました。私は今日、この場で、過去70年の敵対を完全に清算し、再び一つになるための平和の大きな一歩を踏み出そうと提案します。
金正恩委員長と私は8千万同胞の手を固く握って新しい祖国を作成していきます。私たちはともに新しい未来へ進みましょう。
今日、多くの平壌市民、青年、学生、子どもたちが大集団体操(マスゲーム)で、私と私たちの代表団を熱く歓迎してくださったことにも再び感謝申し上げます。ありがとうございます。お疲れ様でした。
ありがとうございます。
翌日の韓国メディアでは、”私たちは、5000年をともに生き、70年を別に生きました”のフレーズがもっとも印象的なものだったとされている。最後に付け加えられた「ありがとうございました(カムサハムニダ)」は文大統領がアドリブでもう一回口にした、というところだろう。感情がこもっている部分でもあった。
果たしてこれが、歴史を変える名スピーチとなっていくのか。今後のアメリカを含めた非核化ー朝鮮戦争終戦のやりとりの結果次第、というところだろう。