今年はロシア革命の100周年に当たる。もっとも、それをことさらに取り上げる意味などないという感覚の方が一般的かもしれない。
ロシア革命によって生まれたソ連という国が滅びてから25年以上経つ今日、「なぜロシア革命やソ連を論じるのか?」という疑問が呈されても驚くには当たらない。
それが進歩の里程標だったなどという、今では誰も覚えていないような発想から離れて、この100年を歴史として振り返ってみたい。
そもそも「ロシア革命」という言葉で指されるのはどのような事件なのだろうか。
1917年のロシアでは、旧暦の2月と10月に革命が起きた(新暦では3月と11月に当たる)。「ロシア革命」という場合に主に念頭におかれるのはそのうちのどちらだろうか。
かつては圧倒的に10月(社会主義革命)が重視され、2月はそこへ向けての序幕と見なすのが常識的だった。だが、いまではむしろ、2月(専制の打倒とリベラル改革の試み)の方を重視する考えが強まっている。
10月については「陰謀的クーデタ」だとする考えも広まりつつある。
10月革命が生み出したソ連体制の否定的な帰結を見届けた今日、それに進歩的な意味を見出すことは難しく、むしろリベラル改革の出発点となったかもしれない2月革命に注目するのは、ある意味当然である。
その上で、さらに考えなくてはならないのは、2月がそれ自体として完結することなく、10月に道を譲った事実の意味である。
後にソ連で打ち立てられるような社会主義よりもリベラル・デモクラシーと市場経済の方が優位を主張できるという考え方をとるとしても、現実問題として2月革命はリベラル体制の確立に帰結せず、民衆運動急進化の中で10月革命にとって代わられたという事実のもつ意味は重い。
今日、1917年のロシア革命の教訓をいうとしたら、「リベラル改革の困難性」という点に注目するべきではないだろうか。というのも、今日の世界各国も、リベラルな価値を保持することの困難性という問題にぶち当たっているからである。