指導者が絶対的に優れているわけではない

 とは言え、米国の指導者の「伝える技術」「教える技術」が日本の指導者より絶対的に優れているかと言えば、そうでもない。

 日本プロ野球の二軍や三軍にあたるマイナーリーグなどには「ああしろ、こうしろ」と言う指導者も存在する。「体罰」を使って選手に言うことを聞かせる指導者がいない代わり、そういった選手は「それ以上の才能はない」と見捨てられる運命にある。

 それは米国の指導法の根幹に「個人が持つ才能には差があるし、限界もある」という考え方があり、スポーツ界だけではなく、一般社会でも「私のやり方で頑張ればできるようになる」と無理強いする日本のような環境が存在しないからだと思う。

 米国のスポーツ界で「パワハラ」が起きないのは、米国の一般社会にそれが存在しないから。日本のスポーツ界で「パワハラ」が起きているのは、日本の一般社会にそれが存在するから。そう結論付けてしまうと、解決する方法は一つしかない。

 自分の身の回りにある「パワハラ」やそれに準じた行為を根絶するため、我々自身が勇気を出して、古い世代やそれを支持する人々の考えを否定すること。悪しき伝統を徹底てして拒否することで、スポーツ界だけではなく、とても身近な社会の中にある「パワハラ」に向き合っていくしかない。