「保守論壇」はなぜ過激化するのか?「新潮45」問題から見えたこと

「被害者意識」でつながる論理
後藤 和智 プロフィール

被害者意識でつながる「論壇」

現在の保守論壇を支えるものとして挙げられるのは、「被害者意識による連帯」と「鉄砲玉としての女性・若者の利用」です。

『憎悪の広告』(能川元一・早川タダノリ:著、合同出版、2016年)が多数の図版を用いて示しているとおり、「正論」や「SAPIO」、あるいは廃刊した「諸君!」など、保守系のマスコミや論壇誌は、中国や韓国、北朝鮮、日本国憲法、ジェンダーフリー教育、フェミニズム、そして朝日新聞などの左派系のマスコミなどを、日本を壊す「敵」として煽るような言論を展開してきました。

我が国の保守系の言論は、「左派的なもの」への敵愾心(てきがいしん)を煽ることにより支持を集めてきたという経緯があります。

残念ながら、私が長い間展開してきた、若者論批判、ニセ科学批判もまた、そのような左派への敵愾心を煽る言説に荷担してきたと言わなければなりません。

こうした傾向は、ネット上にもしみ出してきています。

私は今年、ツイッター上における、ニュースサイト「netgeek」に言及したツイートについて調査を行いました。

このサイトは、民主党・民進党などについて多数のデマを流していることで知られています。そしてこのサイトの主要なコンテンツは、やはり左派へのバッシングなのです。

実際、このサイトに多く言及している人たちにおいては、百田尚樹や上念司といった保守論壇人や、右派、というよりは反左派・反マスコミ系のツイッターアカウントを多数リツイートしていることが観測されました。

 

また私が所属している同人界隈においても同様に見られます。

例えば「コミックマーケット」の3日目の前日(2日目の当日)においては、ツイッターにおいて「弱者男性」という立場からフェミニズムを攻撃しているアルファツイッタラーと、オタク区議として有名なある大田区議のトークイベントが行われ、フェミニズムについて批判が行われます。

そのほか、表現規制問題の周辺において、論敵を「まなざし村」――元々は一部の漫画・イラスト表現における女性の描き方を問題視する社会学者の事象であったが、いまやこの言葉は逆にそこで批判された表現を受容している層が相手を攻撃する際に頻繁に使われている――と「認定」するような行為も見られ、保守論壇的な憎悪による仲間内の支配はいろいろなところで行われているのです。

「新潮45」についても、2016年にいまの編集長が就任してからと現在を比べて、反左派色を鮮明にしているにもかかわらず部数が落ちていることが指摘されています。

これについて、「部数が減少しているからそういう編集方針に切り替えたのだろう」と指摘する向きもありますが、私の見立てとしては逆で、むしろ部数を「減らしてでも」固定した読者をつなぎ止めておきたい、と考えているのではないでしょうか。

従って、2018年9月21日に新潮社の佐藤隆信社長名義で出された声明文の中にある、《あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現》というものについて、実際にはほとんど鑑みられていないのではないかと私は思う所存です。

なぜなら、むしろ《常識を逸脱した偏見と認識不足》であることを自覚し、なおかつそのような立ち位置を意識することで左派的な「良識」「良心」に刃向かってやるぞ、という“気概”が、「反左派」を存在意義とする保守論壇には強く存在しているからです。