~イフリートの炎剣とカツカレーと生姜焼きと焼肉~ 後編
「ファっ……ファっ……ファっ……フォオオオオオオアアアアアアアア!!」
俺はただ、その場で頭を抱えて叫ぶことしかできなかった。
なんせ相手は魔王だ。
最強にして最恐。最悪にして災厄の代名詞……その魔王なのだ。
しかし、本当にこの少女が魔王なのか?
状況を再度整理してみる。
大英雄であるムッキンガムですら、イフリート相手では自らが怪我をする危険があると……後ろに引いた。
しかも、見た目的にはただの子供に全てを任せる形で……だ。
この少女であれば無傷でイフリートを制する事ができると、ムッキンガムは確信していたのだ。
そして続けざまのイフリートの土下座と、魔王様との発言。
ああ、これはもう――どう考えても俺の前で微笑を浮かべる……恐ろしい位に美しい少女は魔王なのだろう。
――終わった。
もう、何をしようが俺は終わった。
そもそもこんな定食屋になんで魔王がいるかも分からないが……。
ともかく、魔王はここに確かに存在するのだ。
魔王と言えば、血も涙もないと相場が決まっている。
そんな魔王の不興を買ってしまったのだから……俺の死は確定事項だ。
だが……と、俺は最後まで諦めない。
あるいは、イフリートを囮に使えば、この場からの逃走くらいは試みる事もできるかもしれない。
「イフリートっ! 俺が殺したいのは……この娘だっ! 今すぐに焼き殺せっ!」
「無茶を言うなっ! 逆にお前を焼き尽くすぞっ! 人間風情がっ!」
くっそう!
八方塞がりだっ!
「このままではカツカレーが冷めてしまう。それでは……綺麗に仲間割れしたところで……そろそろ始めようとするか?」
ニタァ――リ、と笑いながら金髪の悪魔がこちらに歩み寄ってくる。
現実離れしているほどに美しい容姿が――俺の恐怖を更に湧き立たせる。
「ヒっ……ヒィ……っ!」
生まれて初めての、悲鳴が肺腑から漏れた。
第一王位継承権を持つ王子として産まれ、剣の腕でも非凡な才能を見せた俺。
腕っぷしでも権力でも……向かう所敵なしだった。
今までこの世で思い通りにならない事なんて無かった。
俺の人生で、こんな瞬間が訪れるとは……思いもしなかった。
「くふふ? 我は死に瀕した人間の足掻きが好きでのう? うむ……そうじゃの? 鬼ごっこと洒落込もうか?」
そう言うと、金髪の悪魔は店のドアを指差した。
「あそこのドアまで、死なずに逃げきれることができたのであれば、無罪放免としてやろう」
「え?」
ドアまでは7メートル程度か。
障害物もほとんどない。
そして、俺の方が3メートルは魔王よりもドアに近い。
居間からスタートダッシュすれば……あるいは。
いや、それはあまりにも希望的な観測か。
絶対に逃がさない自信があるからこそ、逃げてみせろと言っているのだろうからな。
が、これが正真正銘のラストチャンス。
「スタートは俺が走り始めた瞬間……で良いかな?」
俺はその場でクラウチングスタートの姿勢を取った。
「ああ、構わぬぞ?」
良し……と俺は呼吸を整える。
捕まれば死だ。極限まで集中力を高めて、完璧なロケットスタートを決めるんだっ!
と、俺が覚悟を決めたその時――
「店の中で走るんじゃねえ。他のお客さんに迷惑だろ……何なんだよ鬼ごっこって……」
一部始終を静観していた店主が、金髪の少女を睨み付ける。
急に金髪の少女はアタフタとし始めた。
「いや、こ、こ、これはの……」
「後、喧嘩が店内ではご法度なのは知ってるよな?」
「しかし、店の秩序を保つためには……」
「マナーの悪いお客さんだったら金を取らずに、店主がお客さんに『お代が結構ですから、今後2度とウチの店には来ないでください』って出入り禁止にしちまえば言えば良いんだよ。何で客同士で揉めてるんだよ……」
「むぐゥ……しかし……」
「喧嘩両成敗って言ってな? お嬢ちゃんも喧嘩の当事者なんだから、出入り禁止対象になっちまってんだぜ?」
そこで金髪の娘の顔色がどんどん蒼くなっていく。
「待てっ! それはつまり……出入り禁止になると……カツカレーが食べれなくなると言う事じゃな?」
「そういう事になるな」
「待てっ! それは本当に待てっ! 待つのじゃ……いや……待ってくださいなのじゃっ!」
半泣きになった魔王が店主に懇願する。
それはまるでイタズラで怒られている子供と大人。
「ごめん……ごめんなさい……なのじゃ……」
魔王が店主に深く頭を下げた。
「後、ムッキンガムさん? あんたは抜刀までして……喧嘩してたよな?」
バツが悪そうに、大英雄はまつ毛を伏せた。
「先に……こやつが剣を抜いたものですから……つい、傭兵時代の頃の癖が……。いや、店主よ。真に申し訳ない」
ペコリと大英雄が深々と頭を下げた。
そして20代後半のムッキンガムの連れ……恐らくはマムルランド帝国皇帝陛下が店主に声をかけた。
「店主よ? 俺の顔に免じてムッキンガムを許してやってくれんか? どうか、俺とムッキンガムを出入り禁止にはしないでほしい」
そのまま、皇帝陛下も頭を下げた。
今、店主に頭を下げている3人の肩書――ありえない、いや、本来あってはならない光景に、俺はその場で卒倒しそうになった。
大英雄と、皇帝と、魔王に頭を下げられる男だぜ?
これはまさに……ここの店主は事実上の世界最強の男なんじゃなかろうか。
そうして店主は困ったように右手でアゴをさすり始めた。
「……そうだな。出禁にする代わりに……とりあえず……元凶のそこのお前?」
突然店主が話を振って来たものだから、俺は呆けた表情を浮かべる。
「……………はい?」
「お前はとりあえず皿洗いな」
深夜12時と少し手前。
「ああ、疲れた……」
ようやく全ての皿を洗えた俺は息をついた。
本当にクタクタで体と心の両方が休憩を欲している。
っていうか、俺は王子として丁重に育てられてきたので……誰かに命じられて働いたことなんてない。
だからこそ余計に疲れてしまったんだろう。
結局、店主からの雑用を命じられたのは、俺と魔王とムッキンガムの3人だ。
ムッキンガムは傭兵時代に調理場にいた事もあるらしく、ナイフの扱いが上手い。
だから、野菜の皮むきやらの仕込みを手伝わさせらている。
そして、俺と同じくつい今しがた彼は作業を終えたようだ。
そんでもって、魔王に至っては店内のありとあらゆる箇所を掃除させられている。
無論、トイレの掃除もその中には含まれている。
――魔王のトイレ掃除。
非現実的すぎる光景に流石の俺も吹き出しそうになった。
いや、本当に吹き出したらその場で殺されてたんだろうけれど。
そして魔王も俺とほぼ同時刻に最後のテーブルを拭き終えたらしい。
「良し、全員作業は終えたな? こっちに来い」
客席に座って帳簿を付けていた店主がそう言った。
言われる通りに行くと、店主が座っている隣のテーブルの上には料理の乗った皿が数枚あった。
「カツカレーとローストビーフと生姜焼きだ。ライスは大量に余ってるからおかわり自由だ」
「……これは?」
俺の問いに店主は大きく頷いた。
「賄いだよ」
「マカナイ?」
「先祖からのウチの習慣でね」
魔王にはカツカレー。
ムッキンガムにはローストビーフ。
そして俺にはカツカレーと生姜焼きとローストビーフ。
それぞれにスチームライス (白米)とスープがついている。
「俺だけ……異常に品目が多くないか?」
「だってお前、朝から何も食ってないんだろ?」
確かに腹はペコペコだ。
全員がテーブルに着席する。
「じゃあ、全員……掌をこうやって合わせるんだ。そして、『いただきます』と一言言ってから食べ始めるんだ。賄いで飯を食う時はこうやるのがウチの伝統でな」
「何故なのじゃ?」
「食材と調理した人間に対する感謝の意味だってお袋からは習ったな」
「……ふむ」
そして手を合わせ、声を合わせて全員で言った。
「いただきます」
その言葉と同時に全員が動いた。
魔王は猛烈な速度で、まるで飲み物かのようにカレーを呑みこんでいく。
ムッキンガムもスチームライスにローストビーフをぶちまけて、タレを豪快に振りかけて煽るように食べている。
俺もカレーライスを一口スプーンで食べてみる。
「……あ。美味い」
食べ物を美味いなんて感じたのは初めてだ。
生姜焼きも食べてみる。
「…………やっぱり美味い」
昼に食べた時には味なんてわからなかったのに……。
不思議そうな表情の俺に、店主は笑いながらこう言った。
「お前さんは馬鹿舌っぽいから味付けと香辛料を……追加で相当に盛っておいた」
「なるほど……」
「それにな?」
「……?」
店主は親指を立たせてウインクと同時に言った。
「働いた後……やりきった! 頑張った! って……そんな感じで思いっきり腹を空かした後の飯は何を食べたって、いつだってどんな時も絶対に……クッソ美味いんだぜ?」
はは、と笑いながら俺は肩をすくめた。
「ああ、そうかもな」
そうして、俺もまた、魔王と大英雄にならい、猛烈な速度で飯を食い始めた。
美味い。
旨い。
いや、違う――
――産まれて初めて感じる、舌の上で踊る、言葉ではとても表現できない感覚を噛みしめる。
ただひたすらに飯を口に放り込んでいく。
挫折と恐怖。
ニタリと笑った魔王の顔や、あるいはムッキンガムの剣筋を思い出す。
――命を失いそうになった。怖かった。泣きそうになった。
けれど、今……猛烈に飯が美味い。
――俺は今……生きている。飯の美味さでそれが実感できる。
色んな感情が押し寄せてきて、俺の目から涙がこぼれ落ちて来た。
情けないやら悔しいやら安堵感やら挫折感やら、飯が美味い幸福感やら……何がなんだか分からない感情だ。
でも、たった一つのリアルがここにある。
それは――
――ただひたすらに飯が美味いと言う事。
カツを口に入れる。
カレーのルーと合わさった衣が、サクリと口内で踊った。
ローストビーフを口に入れると肉汁が溢れ、生姜焼きは甘辛く、そして香り高い。
スプーンとフォークが止まらない。
咀嚼と嚥下も止まらない。
――本当にただひたすらに飯が美味い。
全員が無言で料理を貪るように喰らい、10分ほどの時間が過ぎた。
ほぼ同時に食べ終えた全員が口元をだらしなくほころばせていた。
何も言わなくても分かる。全員が今、同じ気持ちだ。
そして全員で掌を合わせる、
やはり、店主の指示に従って全員でこう言った。
「ご馳走様でした」
――かつては放蕩王子と呼ばれたキルス国のアベル王子。
イフリートの炎剣事件の以降、彼は人が変わったように真面目になったと言う。
彼の父である国王が崩御した後、王となった彼は、王国の重鎮の誰よりも早く自らの執務室に入り、そして誰よりも遅く執務室を後にしたと言う。
そうして、彼が国を治めてしばらくしてから、少しずつ王国内にとある風習が根付いていくことになる。
王族の食卓から貴族の食卓へ、そして庶民の食卓へと伝播していたその風習とは
――日本伝統の『いただきます』と『ご馳走様』であった。
本日中か明日中には次話投稿します。
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