最近は
テーマ:観光
殆ど感情が上下することもなく…。
何かしらのことに腹が立つことも無かったし、まあ穏やかだった。
元々あんまり周りを気にしない性格というか性分なので、我が道で生きてきてたからね。
余程でないと凄く腹立つー!とか無かったな。
どっちかと言えば、物語を見たり読んだりして、ちょっとこのラスト納得いかんぞ!って感じの腹立たしさが多かった(笑)
人間というものに対してあまり興味が無かったのだとは思う。
それよりも自然とか、何かを書いたりする方が好きだった。
自然を見て感じて、それを言葉で表現したりしてね。
初めはノートにせっせと書いてたよ。
でも消したり書いたりが面倒で、その頃ワープロってものを持っていたじいちゃんにワープロを借りて、じいちゃん専用の部屋にとじ込もってずっと物語とかを書いてた。打っていたかな。
ネットが普及してからは、パソコンを使ってホームページ作って載せてたなー。
ホームページを作るの自体も楽しかったし、保存できるものに保存して残すよりも、ネットで残しておくのが楽だったから。
見てくれる人もいたけど、それはそれ。それよりも書くこと、作ることが楽しかった。
人とのことを優先しすぎると、どうしても書くこととか作ることに気持ちを込められなくなってね。
それだと本末転倒だから。
だってあたしは書きたいし、作りたかったんだよ。それが楽しかったんだから。
あたしはよーへいと出逢って、それで色んなことを知った?思い出した?感じだよ。
そうなると今まで書きたいと思っていたことと、今書きたいと思うことはやっぱり違ってくる。
新しいもの、知らなかったものを知って、それを書きたいと思うのは、人としての欲求では当たり前のことだと思ってる。
それをちくいち書くとかではなくて、そこで感じたことを、自分なりの形にして表現するってことだね。
あたしはそういうのが好き。
古いものを思い出して書くのもいいんだけど、どっちかと言えば、今感じてること、今感じたほやほやのものを、自分の知ってる言葉を使って表現するのが好きなの。
初めて食べたものを美味しいと思ったとき。
相手を知って、初めて好きだと思ったとき。
初めて行った場所で、素敵だなと感じたとき。
新しくとか、初めてを感じたとき、ああ素敵だなあ!ああいいよね!って、叫びたくなるじゃない。
本当にいいって、最高って思ったとき、声を上げて素晴らしいね!って言いたくなるじゃない。
それと同じ。
不思議なことだとか、この世界の常識だとか、そういうものを前にどーんと置いて、書きたいことを考えていたら、時に書こうとするものが凄く小さくなってしまうの。
周りを気にして何かしようとしたなら、声を上げて素晴らしい!は言えなくなる。
勿論ここでも書けない。
あたしは誰にも目につかない場所で、ひっそりと書き続けることになる。
オオサマノミミハロバノミミ…だよ。
こんなに世界は広いのに?
地球一つ見ても、あたしの何倍も大きいのに?
ちっぽけで小さなあたしが、この大きな地球上で、誰にも目につかない場所でひっそりと書くの?
なんか変だよ。
あたしはそう思う。
この世界は色々。
どんな表現をしても、どう書いても、色んな受け取り方がある。色んな感じ方がある。
興味を示さないこともあれば、凄く興味を持つこともある。
可笑しいと感じることもあれば、腹が立つこともある。
同じものを見ても、同じものを読んでも、同じものを聞いても。
そんなこの世界で、一つ一つを気にして書くことを狭めたなら、それはもうあたしの書きたいものじゃない。
あたしの書くものじゃない。
枠にはまったちっぽけな文章でしかない。
そんなものなら要らないよ。
書きたくもない。
今のあたしは違うんだ。
前のあたしはもう何処かへ行ってしまった。
あたしは誰かを分からせるために書いてるんじゃない。
あたしは何かを主張したくて書いてるんじゃない。
あたしの信じるものはこうだ!とも言ってるんじゃない。
自分の心で感じたものを、その感じたものが引き寄せる言葉を、ここで並べているんだ!
以前はそれでも主張をしたいと思った。分かってもらいたいと感じたこともある。知ってくれたならとも思ったりもした。
今はもうそれは要らないの。
日本語は色んな言葉がある。
今は略語とかも色々。
昔から使われてる言葉も色々。
同じ意味なのに違う言い方の言葉。同じ言い方なのに違う意味の言葉も。
日本語はとても面白い。
言いたいことは変えてないのに、使う言葉によって、感じ方も捉え方も変わる。
あたしはそんな日本語が好きだ。
挑発なんかしらん。
日本語は好き。
だけどよーへいと向き合っていく中で、あたしは日本語の歌を聴かなくなっていった。
嫌になったのではなくて、言葉につられてしまうから。心が。
言葉によって曲のイメージが固定してしまうから。
よーへいを感じることを優先しようとしてたこともあってか、今はよーへいの曲以外は聴いてない。
日本語は好きなのに。好きなのに心が言葉につられてしまって、曲そのものから響くものが聴けないんだ。
でも最近は言葉も一つの楽器として聴けるようになってきた。よーへいの曲を繰り返し聴いているうちに、そんな感じになった。
また聴けたらいい。色んな曲を。
自分の中を感じてそのままを表したい。
だけど、人のものを聴いたり読んだりして、そこで先入観のようなものを作りたくはない。
言葉は使いたいけれど、言葉に使われたくない。
言葉を楽しみたいけれど、言葉に惑わされたくない。
あたしでいたい。
あたしの言葉で、あたしが感じて引き寄せた言葉で表したい。文章ばかりでなく、話す言葉でも。
それがあたしにとっての「生きる」でもある。
何かに囚われたものは、もうあたしじゃないんだ。
それは死んでるのと同じなんだ。
ひっそりと生きることも変わらないよ。
誰かにとってじゃなく、「あたし」にとってはね。