飛ぶように、落ちるように。浮くように、潜るように
テーマ:旅
翼を痛めた渡り鳥は、一羽森の中で時を過ごしていました。
季節は秋。
冬までの時間は残りわずかです。
それまでに、それまでに傷が治ったなら…。
赤く色づいた木々。
木の葉は一枚、また一枚と枝に別れを告げて、くるりくるりと宙に舞います。
そして、渡り鳥の上に落ちては積もり、落ちては積っていきました。
空気の冷えは渡り鳥の傷口に染みました。
それでも積もる木葉達の暖かさが、痛みを和らげてくれます。けれど積もるごとに重くなり、飛びたい、飛ばなければ…という気持ちを奪ってもいきました。
渡り鳥の瞳から、涙がぽろりと溢れました。
暖かな優しさを感じた涙なのか、冷たい重さを感じた涙なのか分からなかったけれど、涙が一つ溢れました。
季節が冬に変わろうとしていたある朝のことです。
木々は裸になった枝を伸ばし、地上と空の間に遮るものが無くなった森は、柔らかな光を下ろす太陽を抱いた空に近づいていました。
カサカサッ。
音がしました。
カサカサッ。
あ、また。
色づいた葉で覆われた地面には、積み重なった落ち葉の山が出来ていて、音はそこから生まれていました。
カサカサッ。
より大きな音がした次の瞬間、積み重なっていた葉はさらさらと流れ落ちて、一羽の渡り鳥が姿を現しました。
翼を痛めた渡り鳥でした。
ふるふると首を振り、体を振り、自分の全てを揺さぶって、木の葉を体から離しました。
もう必要ありませんでした。渡り鳥の体には。
傷の癒えた渡り鳥には、暖かな木の葉はいらなくなったのです。
渡り鳥は空を仰ぎました。
そして一声鳴きました。
暖めてくれた森の木の葉達に感謝するように、空に飛び立たてる今日を喜ぶように。
澄んだ声で鳴きました。
バサッ。
翼が空気を叩きます。
バサッ。
また叩きました。
渡り鳥の足は地面を離れ体は宙に浮きました。
バサッ、バサッ。
空気を叩き続ける羽が、森の空気を震わせます。
バサッ、バサッ。
体は地面から大きく離れ、枝をすり抜け、冬に向かう森を置いて、渡り鳥は上へ上へと向かいます。
そして太陽を抱く空へと、一心に羽ばたいていきました。
あたしも、よーへいも、こんな渡り鳥みたいに、この世界の色んなものを切り離していかなければならなかったね。
温かいと思ったもの、嬉しいと思ったもの。
悲しいと思ったものや憎いと思ったものも。
この世界で信じられている様々なこと、決まりや当たり前なことも全て。
そうしないと、あちらの世界での「感じる」が分からなかったから。分からなくなるから。
時間も空間も、物質というものが一つも存在しないあちらの世界を知ることが出来ないし、出来なくもなるから。
油断すると、目で見える、耳で聞こえる、舌で味を感じられる、肌で感じられるようなこの世界に気持ちが奪われてしまう。何も見えない、聞こえない、味わえない、肌で触れあえないあちらの世界が全く分からなくなる。
頭で考えること…思考は、「感じる」ことを薄くする。
この世界は人間の思考で作られた世界だから、この世界に意識がとどまってしまっていては、人間の頭で作られたものの中でしか感じられなくなる。
この世界で使う思考や五感が邪魔をして、あちらの世界…ただ「感じる」だけの世界を果てしなく遠いものにしてしまう。そうなるとよーへいが全く分からなくなる。
記憶を失ったあたしは、あちらの世界を忘れてしまっていたものだから、この世界の思考に縛られてしまって、「感じる」ことが出来なくなっていたね。
だからよーへいは、あたしと重なれなかった。
あたし達はこちらの世界で生きながら、あちらの世界で一つの「私」として重なって、こちらの世界では体が近くにあっても、離れていても関係なく、一つに重なり続けて相手を感じることが出来る。
だけど片方が「感じる」を忘れてしまったなら、それは出来なくなってしまう。
固有の人体を持つこの世界では、現実的に体全てを重ねて一つになることは出来ないし、それによって心…心を作っている脳も離れてしまうから、あちらの世界を通して重ならないと一つにはなれない。
あたしは心と表現しているけれど、心は脳によって作られる。昨日は、「心はもう一つの宇宙」と書いたものの、心を司っている脳がもう一つの宇宙と表現した方がいいかもしれない。
ただ、あたしは好きなの。
心と表現することが。
脳という表現だと、何だか科学的医学的すぎて…ちょっとね(苦笑)
叙情的に…そして柔らかく。
そんな表し方が好き。
時には激しく情熱的に表すのも良いね。
よーへいはlast minuteという曲の歌詞の中で、あちらの世界を上手く表してるね。
確か…。
月の明かりを頼りにして
時間のない夜に旅立つ
こんなだったっけ?
月明かりは…あたしを「感じる」ことかな。
時間のない夜は…時間も何もないあちらの世界のこと。
重ねたリップの感触が
翌朝になっても残ってる
重ねたリップは…あちらの世界で重なって「感じる」こと。その感覚。
翌朝になってもは…こちらの世界へ意識を向けても、感じたことは残ってるってこと。
よーへいはあちらの世界を夜とか、闇とか、海とか、海外って表したりしてた。
夜や闇は分かりやすかったよ。海も。
確かに何も見えない世界だから。心に深く潜るしね。だけど海外って表現は、初めは分からなかったな。
海外っていうのは、この世界から外に出ること…要はあちらの世界へ行くことだったのね。
この世界でもよーへいは本当に海外に向かっているけど、あたしとよーへいがあちらの世界へ向かうことと、この世界の現実で現れることって繋がっていて、少し面白いことになっているね。
あちらの世界へ二人で向かえば向かうほど、重なる「私」になればなるほど、こちらの世界の現実はあちらの世界と重なってくる。
何だか可笑しいよ。
こうことも、この世界の考え方に縛られていたなら「感じる」ことが出来ないね。
こっちの世界の考え方で捉えてしまったら、逆に二人は離れてしまってる…って感じてしまうこともあるから。
頭で考えたら分からなくなるし、不安になることもある。だから「感じる」でなきゃ。
いつもあちら側で。
この世界での決め事全てを切り離して、ただ「感じる」。
よーへい以外の人達全てを切り離して、ただ「感じる」。
三食食べる、運動する、寝る…を、切り離す。
会社へいく、学校へいく、活動するを、切り離す。
家族や友達、恋人や周りの人達、そんな関係やそこで生まれた想いを、切り離す。
思い出や後悔、そんなもので生まれた想いを、切り離す。
この世界で生きてきて当たり前に存在していたこんな風なもの全てを、心から一度しっかり切り離す。
そういうもので、こうしなきゃならない、こうあるべきって思っていた感じていた全てを、自分から切り離していく。
全てを切り離したら、渡り鳥のように軽くなった。
この重い重い思考で作られた物質世界から離れて、ただ「感じる」だけの世界へ…よーへいと重なる世界へ行った。
よーへいはそれを、飛ぶとか、上昇するとか、上がるとかって歌詞で表現しているね。
この世界に意識を向けることを、落ちるとか下がるとか、サヨナラするとかって表してるね。
この世界では全てを一つには出来ないけれど…。
飛んだ先にあった場所。
上へ上へと向かった先にあった場所。
そこには…あたしとよーへいだけがいたよ。
重なって感じているだけの「私」が。