私のもとにいらっしゃる生徒さんには、「アジズ・クリストフ(アナディ:以下アジズに省略)の教え」に従ってスピリチュアル・ワークを行っていて、行き詰ってしまったから私のセッションを受けたいという方が多いです。
ですからこのような記事を掲載しておりますが、それは私がアジズの教えを支持しているからというわけではないということは、ご理解ください。
そこで今回は「アジズの教え」と「私の教え」との関連性についてを書いてみたいと思います。
まずはアジズのいうところの「魂」と「神」について。
(私の教えに慣れていない方は、言葉による伝達「悟りに至るまでの地図」の図を参照されながらお読みになると直感的に理解できるかと思います。)
アジズのいう「魂」は、「機能としてのあなたの根源」に相当します。
アジズのいう神とは、「環境としてのあなたの根源」に相当します。
アジズのいう「魂」である「機能としてのあなたの根源」から生じた「知性としてのあなた」が、アジズの言う「気づき(アウェアネス:以下省略)」に相当します。
ですから顕現の次元における気づきの中枢である「ステート・オブ・プレゼンス」は、「知性としてのあなたの中枢」に相当します。
「機能としてのあなたの根源」から生じた「感受性としてのあなた」が、アジズの言う「ハート」に相当します。
アジズのいう神である「環境としてのあなたの根源」から生じた「聖なるもの」が、アジズのいう「ハートの次元で体験されるビーイング」に相当します。
(私の教えにおいては、顕現の次元である自己の次元や肉体/精神の次元で体験される「吹けば飛ぶような薄っぺらいビーイング(ビーインの表層部)」は、聖なるもの(や聖なる次元)に含まていません。
なぜなら「その体験における次元が明らかに違うこと」や「その潜在的永続性の有無」「(恩寵の扉が開いたと表現するにふさわしい)絶え間なく強烈に流れ込んできているという実感の有無」など、ある意味において別物として扱えるだけの様々な違いが多くあるからです。
「セッションの感想/宏空さん」をお読みになれば、その違いがどんなものかわかります。
誘導開始10分位の時点で、いきなり「(そこに書いてあるような)聖なるものとの接触の状態」つまり聖なる次元に入っています。徐々にではありません。)
そういう意味では、教師としての私は、直接伝達をメインとしていることも含めて、教えの組み立て方も、アジズよりはフーマンに近いです。
フーマンは、アジズの教えほど複雑にさせないように工夫していたのだと思いますし、私はその考えに賛成です。
(悟りのすぐ手前にいる人を除いた)一般的な教えにおいては、という意味においてですが。
これでアジズのいうところの、「魂」と「神」、「I AM」の三大要素である「気づき」「ビーイング」「ハート」、そして「ステート・オブ・プレゼンス」、それら全てが出そろいました。
それでは、今回はこの辺で・・・
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