幸子さんは,丸ノ内線で被害に遭った。脳に障害を負い,寝たきりの状態。現在も,浅川一雄さんらによる献身的な介護を受ける。
浅川一雄さん
妹,幸子が被害を受けました。幸子は,事件当日,会社の講習会を受けるために乗車していた丸ノ内線内で事件に遭いました。猛毒のサリンガスを吸ってしまい,心肺停止の状態で救護され,蘇生をしていただきました。いつ亡くなってもおかしくない状況でしたが,幸子の頑張りとお医者さんの力で命は助かりました。しかし,一生寝たきりの状態になってしまったのです。 幸子は,事件から8年半の間で三カ所の病院にお世話になり,平成15年9月13日に退院しました。その後,私たちと一緒に生活を始めました。

浅川幸子さん(手前右)
(地下鉄サリン事件以前に撮影)
(浅川一雄さん提供)
事件から間もなく23年が経ちますが,私たち家族は,この度,大きな決断を強いられています。
平成29年10月,幸子は,けいれんを起こし入院しました。原因は,分からないとのことです。今までは,ミキサー食を人の手を借りながらでも口から食べることができていましたが,自力で飲み込むことができなくなりました。身体の硬直がひどくなり,顔が上に向いたままになってしまい,食事ができないのです。今後,どのようにして栄養を取っていくのかをお医者さんと私たち家族とで相談し,胃ろうにしました。胃ろうというのは簡単に言ってしまえば,胃に小さな穴を開けて,器具をつけ,栄養を直接,胃に入れるということです。 胃ろうになったことでタンの吸引も行わなければいけないのですが,この時,幸子の顔がゆがみ,とても辛そうです。しかし,タンを吸引してあげなければ,窒息してしまうのです。
幸子は,まもなく退院しなければいけません。私たち家族は,幸子を家で看るか,別の病院や施設でお世話になるかの選択をしなければなりません。経済的なことも気掛かりです。一番辛いのは幸子だということは理解していても,家で一緒に暮らしていけるのか?施設の方が良いのではないか?タンの吸引,胃ろうの事など,心配は尽きません。お医者さんや病院の相談員からは「タンの量が多く,24時間看護が必要なので,施設の方が良いのではないでしょうか」とアドバイスをいただきました。それに,私と家内は仕事をしていますので,「自宅で介護するのは負担が大きすぎるでしょう」とも言われています。幸子の身体の状態を考えると,今後,私たち家族の生活環境は,大きく変化していくと感じています。
23年は長い年月だなと改めて感じました。平成17年に父が亡くなり,私たちの子供たちも家から巣立ち,93歳になる母も,少しずつ老いが進んできました。
しかし,落ち込んでばかりではいけません。 幸子が一生懸命生きようとしているのだから,私たち家族もしっかりサポートしていきたいと思っています。
(平成29年12月22日記)
浅川幸子さん(手前右)
(地下鉄サリン事件以前に撮影)
(浅川一雄さん提供)
事件から間もなく23年が経ちますが,私たち家族は,この度,大きな決断を強いられています。
平成29年10月,幸子は,けいれんを起こし入院しました。原因は,分からないとのことです。今までは,ミキサー食を人の手を借りながらでも口から食べることができていましたが,自力で飲み込むことができなくなりました。身体の硬直がひどくなり,顔が上に向いたままになってしまい,食事ができないのです。今後,どのようにして栄養を取っていくのかをお医者さんと私たち家族とで相談し,胃ろうにしました。胃ろうというのは簡単に言ってしまえば,胃に小さな穴を開けて,器具をつけ,栄養を直接,胃に入れるということです。 胃ろうになったことでタンの吸引も行わなければいけないのですが,この時,幸子の顔がゆがみ,とても辛そうです。しかし,タンを吸引してあげなければ,窒息してしまうのです。
幸子は,まもなく退院しなければいけません。私たち家族は,幸子を家で看るか,別の病院や施設でお世話になるかの選択をしなければなりません。経済的なことも気掛かりです。一番辛いのは幸子だということは理解していても,家で一緒に暮らしていけるのか?施設の方が良いのではないか?タンの吸引,胃ろうの事など,心配は尽きません。お医者さんや病院の相談員からは「タンの量が多く,24時間看護が必要なので,施設の方が良いのではないでしょうか」とアドバイスをいただきました。それに,私と家内は仕事をしていますので,「自宅で介護するのは負担が大きすぎるでしょう」とも言われています。幸子の身体の状態を考えると,今後,私たち家族の生活環境は,大きく変化していくと感じています。
23年は長い年月だなと改めて感じました。平成17年に父が亡くなり,私たちの子供たちも家から巣立ち,93歳になる母も,少しずつ老いが進んできました。
しかし,落ち込んでばかりではいけません。 幸子が一生懸命生きようとしているのだから,私たち家族もしっかりサポートしていきたいと思っています。
(平成29年12月22日記)