辻元清美に何ができるねん!

辻元清美が有罪判決を受けた身であるにもかかわらず、議員として復活したことに疑問を抱く有志のメンバーで運営しています。

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辻元の給与流用詐欺事件のあらまし

2009-06-09 06:00:01 | 判決までの流れ

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2002年 3月「週刊新潮」により、秘書給与流用疑惑が報道。
3/20発売の「週刊新潮」に、「元参院議員 照屋寛徳氏私設秘書の辺見真佐子氏の名義を借り、公設政策秘書の給与、約1500万円をだまし取った疑いがある」とする記事を掲載されることが判明。
これに対し、「あくまで私の政策秘書として働いており、給与も支払っていた」と完全否定。

3/22毎日放送(大阪[地元])のラジオ番組に電話出演し、元政策秘書の給与を巡る問題について、「政策秘書の件を報道されたことはすごく心外。山本譲司氏(元民主党議員)の件と一緒にされて怒っているし、困っている。あれとは全然違う」「給料は衆院から直接振り込まれている。支払い明細はきちっと出そうと、そろえている」と発言。
午後、国会内で記者団に、法的措置を検討していることを明らかに。また「何でこんな波状攻撃を受けるんやろ。でも、絶対やり返してやる」と発言。
社民党は、調査委員会を設置し、25日に調査結果を公表することを決めた。

3/24 社民党の反対を押し切り、テレビ朝日「サンデー・プロジェクト」に出演。「国会議員になって半年もたってもいない時期で、何がなんだか分からなかった」 「事務所にいなくても、夜も電話したり、土日でも対応してくれるとか、そういう人がほしかった」
「ワークシェアリングのようなやり方で、3人の秘書の給料をもらうと、3人から7人くらいで分け合ってきた。」等と発言。
マスコミ向けに辻元事務所が「発言要項」を配布した。テレビ出演時の発言内容と、「同容疑で、詐欺罪 懲役1年6ヶ月の有罪判決を受けた山本譲司(元民主党)元衆院議員とは違い、私的流用がなく詐欺罪には該当しない。現在の国会議員秘書制度はあまりにも問題が多すぎる。速やかに見通しのよいシステムに変えるべきだ。」と主張。また、与党議員の中にも、同じケースがあると実名を挙げた。実名を挙げられた、小池百合子(保守党)、田中和徳(自民党)、漆原良夫(公明党)は強く反発。小池議員は「道連れを探している」と批判。

3/25周囲の反対を押し切り、TBS「NEWS23」に出演。議員辞職の意向を匂わせ「参考人招致や証人喚問を受け、秘書問題をきちんと議論したい。議員辞職勧告決議案を出して欲しい。本会議で記名投票で採決して欲しい。」等と「辞職の条件」ともとれる発言。
テレビ出演後、報道陣に「記者会見をやらずに、自分に優しいキャスターだけを選んで、公共(テレビ)の場で発言してる」などと不満の声が。

3/26午後5時すぎに、議員辞職願を衆院議長に提出。 夜、記者会見。議員バッジをはずすパフォーマンスから始まった。これまでのウソを謝罪した。
「七転八倒し、悩んだ。国会でもっと質問したかった。ここできちっと責任を取るべきだとの思いが交錯した。昨日の夜まで悩み、どうすればいいか自分なりに考え続けた。悔しいし、無念の思いがある。ほかにも辞任した方がいいと言われる人もいるが、一緒に辞任したいという気持ちから、私の辞任で今の政界に何か変化をもたらす辞任でもありたい。」
「衆院議員は辞職するが、社民党は辞めない。国会活動をしていて、何か問題を起こした際に、党は離党するが議員は辞めない、それで責任を取ったというのはちょっとおかしいと思っていた。私は反対だ。議員の職は辞めるが社民党は辞めない。」など。
秘書給与の流用をだれが持ちかけたかの質問には、「漠然としている」などと明らかにしなかった。

2002年4月23日衆議院参考人質疑について政策秘書らと事前打ち合わせ。このとき、(実際とは異なり)政策秘書に勤務実態があったかのように答弁すると決める。 
2002年4月25日、衆議院参考人質疑。政策秘書に勤務実態があったかのように答弁。 
【以下判決文より】
知人のアドバイスに従い,「ワークシェアリング」という言葉を使って,秘書給与はDやGに一部しか渡していなかったが,DとGには,政策担当秘書としての勤務実態があり,両名においても,その給与をいったん全額事務所に入れた上,これを事務所スタッフで分配して人件費を賄うことを了承していたなどと釈明。
 e しかし,同月26日未明には,所属政党の党首から議員辞職が勧告される見通しであるとの報道があり,同僚議員からのアドバイスもあったため,被告人Aは,同日,衆議院事務局に議員辞職願を提出した後,記者会見を行ったが,DやGに勤務実態がなかったことはあくまで認めず,被告人Bの関与についても説明しなかった。
 f 被告人Aは,同月28日に衆議院で議員辞職が認められ,同年4月25日には,衆議院予算委員会において参考人として質疑を受けることとなり,それに先立つ同月23日ころ,複数の弁護士,D,G,C,Jらを交えて話し合いを行った。その際,被告人Aは,DとGからは,電話で国会における基本的事項等に関する説明やアドバイスを受けたり資料を届けてもらったりしていた,被告人BからはDらを紹介してもらっただけで,Dらに実際に支払う金額は自分が決定したなどと説明する方針を伝えて,Dらからアドバイスを受けていたことにする内容を具体的に指摘し,それまで打合せに参加していなかったDには,自分の著作物を渡すなどして,自分が関与したNPO法案,情報公開,環境問題等の施策についても理解しておくよう依頼したほか,その話し合いの後にも,その弁解の方針を文書にまとめて,Dらにファックスで送るなどした。
 g 被告人Aは,上記のような方針に基づき,同月25日開催の参考人質疑において,D及びGの政策担当秘書給与は,Dらを含めて3名で構成していた政策チームの人件費に充てており,1人分の給与で3人分を賄っているつもりだった,DやGからは,個々の国会議員がどのような人物なのかなどについてアドバイスを受けていたなどとする虚偽内容の説明をした。
 h その後,被告人Aの弁護士と被告人B側の弁護士との間で随時話し合いがもたれ,同年8月22日ころには,その弁護士らを介するなどして,上記とほぼ同じ内容の被告人Aの弁明が記載された「背景説明」と題する文書が,被告人BやDらにも配布された。
 i そのため,Dは,同年9月28日から開始された警察での取調べにおいて,上記背景説明の内容に沿った虚偽内容の供述を繰り返し,さらに,同年12月には,被告人Aの弁護士が,Dの当時の供述内容をまとめた「陳述書」と題する書面を警察に提出したと聞いたこともあって,その後の検察庁における取調べでも,逮捕された直後まで同様の供述を続けていた。

2002年8月19日、元政策秘書(佐々木美枝、邊見眞佐子)に支給された給与全額に利子を加えた 23,317,972円を自主返還。 
2003年6月、警視庁捜査2課が辻元本人と元政策秘書らから事情聴取したことが7月に明らかになる。
2003年7月18日、警視庁捜査2課が、辻元と、初代政策秘書・佐々木、元公設秘書・梅澤桂子、名義借り指南役とされる土井の元政策秘書・五島昌子(本名・渡辺昌子)の4名を秘書給与詐欺容疑で逮捕。東京地検特捜部は、証拠隠滅の恐れがあったため逮捕に踏み切ったと主張。逮捕後、逮捕前の任意聴取で「政策秘書に勤務実態はあった」という主張が一転して、辻元、五島をはじめとする4人全員が、口裏合わせをした事実、詐欺容疑を全面的に認めた。
2003年11月20日、東京地方裁判所にて公判開始。
2004年2月12日、東京地裁判決、懲役2年執行猶予5年。26日同判決確定。 

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