パワー・バラードの悩ましさ
本エントリは4月の『METAL RESISTANCE』発売後間もない時期に書いたものながら、アップを躊躇っていた記事である。位置づけとしてはプログラム論考の前振りだったのだけれど、『NO RAIN, NO RAINBOW』そのものとはあまり関係が無い。
東京ドームで初めて生で聴いた『NO RAIN, NO RAINBOW』が素晴らしかった事は前に書いている。
『NO RAIN, NO RAINBOW』は2014年の武道館にても披露され、映像ソフト化されていた既発表曲だが、私はこれまでこの曲について触れる事を避けていた。
中元すず香の歌としては勿論堪能出来るし、メタルに限らずロックのライヴでバラードがセットリストに入る事は普遍的であり、存在意義はあると思う。
個人的趣味嗜好を告白せねばなるまいが、私はバラードというものがどうしても好きではない。
これはBABYMETALだからなのではなく、基本的な趣味の問題だ。
静かな曲を聴きたいのであれば、そうしたサウンドを主とするジャンルのものを聴く。
激しい音圧を浴びたいが故に聴いているロックのアルバムでバラードがあると、私は落胆してしまう。
学生時代、パーティーのハコバン(ド)をバイトで幾度か経験したが、バラードを演るのが嫌で嫌で仕方なかった。ベースはルートを淡々と弾くばかりで、良い気分なのはヴォーカルだけじゃないかと不満を募らせたのも、トラウマ的にはあるのだろう。
例外的に、デヴィッド・フォスターがアレンジしたバラードは、プログレ由来の屈折したテンションや、一回だけ変化する様な工夫がアレンジに盛り込まれており嫌いではなかった(尤も、音源では大抵シンセベースなのだが)。
アイドルの歌うバラード、となると唯一私が好きになったのは、少女隊のアルバムには必ず1曲入っていた「安原麗子のソロバラード」だった。
少女隊についてはいずれ書くかもしれない(ブログ初期は書く気でいたのだが完全に機を逸してしまった)。これは楽曲が当時のアイドルの歌とは思えないAORであったのと、安原麗子のウィスパー・ヴォイス歌唱が恐ろしくマッチしていたからだった。
メタル/ロックに於けるバラードは、そのバンドのターニング・ポイントを握った例が多いのも、私にとってはネガティヴな印象となっている。
KISSが最初にブレイクしたのはピーター・クリスが歌う「Beth」であった。それまでアングラなロックンロール・バンドだったKISSがレコード・セールスも上げ始めるには、この曲のシングル・ヒットが必要だったのだ。
私が大好きだったファンク・メタルバンドExtream(つい先日来日。ライヴ行きたかった……)。も、代表曲となると「More Than Words」というアンプラグド・バラードだった。
お陰でExtreamと言えばこの曲を先ず思い浮かべる人が多勢となってしまい、ヌーノ・ベッテンコートの繰り出すグルーヴに満ちたリフをメインにした、極めて独自なバンド・サウンドの影が薄くなってしまった(勿論 Get The Funk Outといったヒット曲もあるのだが)。
余談だが、2014年頃か、ヌーノは打上げのクラブか何処かで自ら持参した『BABYMETAL』(アルバム)を掛けたらしい。いつかレコーディングにでも参加してくれたらと淡い期待を抱いている。
L.A.メタル全盛時にバラードは必須になっていた。
最近では、メタル/ロックのバラードは「パワー・バラード」と呼ばれている。
恐らく、パワー・バラードのアーキタイプとなったグループと言えば、意外かもしれないがCarpentesである。
1972年のアルバム「A Song For You」に収められた「Goodbye To Love」がそれだ。
甘いラヴバラードの様な曲調だが、「私にはもう愛など無関係なのだ」と恐ろしく悲壮な歌詞である。
Carpentersのアルバムは半分は既存曲をCarpenters流にアレンジしたもので、それ以外がRichard Carpenterのオリジナルだ。デビュウ・シングルは「Ticket To Ride」であるし(殆どヒットせず)、ヒットした曲もカヴァーとオリジナルは半々ぐらいだろう。
しかしこれはリチャードが謙虚なのではなく、自分の才能に強い自信を持っていたからだと思う。自分が書いた曲と、バート・バカラックの「遥かなる影 (Close To You)」を並べているのだ(この曲の提案自体は当時A&M社長だったハーブ・アルパートだったが)。
鉄壁な砂糖コーティングが施されたCarpenters楽曲は、曲調からして楽器のソロがある場合にはオーボエやクラリネット、サックスがとる場合が多い。卓越した鍵盤の腕を持つリチャードだが、あまりソロを積極的に弾こうとはしなかった。
「Goodbye To Love」のレコーディング時、リチャードはファズ・ギターのソロを入れたいと言い出す。
当時前座を務めていたバンドのギタリスト、トニー・ペルーソにカレンが直接電話をして、ギターを持ってスタジオに来て欲しいと要請した。
驚きながらも、ペルーソは曲に合った様なソフトなソロを最初に弾くが、リチャードは「違う違う、最初の6小節から後はもっと激しく!」と駄目出しをする。
結果、ブルージーでアグレッシヴなソロが中間とエンディングに録音されている。
ファズのみでリヴァーブさえ掛かっておらず、浮いていると言えば浮いているのだが、この曲は最早このソロが不可欠な存在となった。
このBBCが放送したライヴでも、ギターを弾いているのはペルーソ。「Goodbye To Love」のレコーディング以来、彼はツアーでも録音でもカーペンターズを12年間サポートした。2010年に亡くなっている。
Carpentersの以降の楽曲では、こんな趣向の曲は録音されていない。
少なくとも70年代後半のロックバンドがバラードで、いきなり激しいディストーションのソロをやってもいいと思ったのは、この曲の存在が無意識下に影響していたとは類推出来ると思う。
本稿としては余談になるのだが、この曲の歌メロには♭や♯が多々つく半音階が多用され、更にはブレス位置が極端に少ない。こう書くとBABYMETAL主力作家の作風を連想させるが、勿論何の関係も無いだろう。
『THE ONE』もパワー・バラードだと受け取るレヴュワーが多いが、プログレ・バンドのレパートリーという見方からすればシンフォニック・トラックの範疇で、敢えてバラードと呼ぶ必要もないと個人的には思う(勿論『Unfinished Ver.』はバラードだ)。
『NO RAIN, NO RAINBOW』は、曲としてはメロディ/コードも歌詞も、SU-METALが一度歌った『翼をください』と比べてしまうと、意地悪く言えばあまりに凡庸だ。Aメロの下降コード進行で残りの大凡の曲想は見当がついてしまう。
しかしこの曲はSU-METALのポテンシャルを広げるキーともなる曲であった。
個人的には、メロにせよコードにせよ、もうちょっと捻って欲しかったのだけれど、それをやればSU-METALの歌がすんなりと聴取者に届かなくなってしまう可能性もあろう。
そういう事として私は自らを収めようと思っていた。
しかし、雑誌インタヴュウでKOBAMETALはこの曲を「Billy Joelの『Honesty』みたいなのいいよね」というところでプロデュースしたと述べていて、「ええ~? だったらもうちょい凝ろうよ。あんなフックの多い曲もないんだから」と率直に思ったのだった。
しかし振り返れば、メタル・バンドのパワー・バラード自体、凝った様な曲はあまり無い気もする。パワー・バラードはそういうものだと捉えるべきなのかもしれない。
『METAL RESISTANCE』に於けるこのトラックは、Ledaによる多重録音のギター・ソロがフィーチュアされている。
この部分を海外のレヴュワーは「Queen(ブライアン・メイ)風」と捉えた人が多く、確かにそういうものを狙ってはいただろう。
しかし殊更に「あの音」、端的に言えばBurnsのTri-sonicシングルコイル・ピックアップのフェイズ・アウト出力で、レンジマスター(トレブル・ブースター)を噛ませてVOX AC100AC30(か、ジョン・ディーコン製作のDeacy AMP)を鳴らし、最低でも30回は音を重ねる事で得られるギター・オーケストレーションではない。
ライヴでの再現性を考慮して、ツインが主ラインとなっている。
これが「良い塩梅」だったと思う。もっと似せる事は幾らでも出来る筈だが、Queenの中の人の一部には洒落が通じない事を、私は知っているのだから。
90年代末に脚本を書いたあるロボット・アニメの主題曲が、あまりにもアレっぽかったのだが、海外版をリリースしてからややして、何らかのクレームがついてしまった(訴訟とはなっていない)。どのメンバーかは知らないが、子どもがそのアニメを見ていて「この曲、お父さん達の曲に似ているね」的な事を言ったらしい。勿論子どもは責められまい。
このシリーズは幾度もDVDやBlu-rayで再発売されてきているが、主題曲は新規に作られた曲に差替えられており、オリジナル版の発売は二度と叶わなくなっしまった。
という事で、『NO RAIN, NO RAINBOW』のギター・ソロが「あんまり似てない」事に、個人的には胸を大いに撫で下ろしたのだった。
オマージュと剽窃の境界は極めて恣意的なものなのだと思い知らされた出来事だった。
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