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プログラム批評

2016年10月10日 (月)

パワー・バラードの悩ましさ

 本エントリは4月の『METAL RESISTANCE』発売後間もない時期に書いたものながら、アップを躊躇っていた記事である。位置づけとしてはプログラム論考の前振りだったのだけれど、『NO RAIN, NO RAINBOW』そのものとはあまり関係が無い。

 東京ドームで初めて生で聴いた『NO RAIN, NO RAINBOW』が素晴らしかった事は前に書いている。

Nora

『NO RAIN, NO RAINBOW』は2014年の武道館にても披露され、映像ソフト化されていた既発表曲だが、私はこれまでこの曲について触れる事を避けていた。
 中元すず香の歌としては勿論堪能出来るし、メタルに限らずロックのライヴでバラードがセットリストに入る事は普遍的であり、存在意義はあると思う。

 個人的趣味嗜好を告白せねばなるまいが、私はバラードというものがどうしても好きではない。
 これはBABYMETALだからなのではなく、基本的な趣味の問題だ。

 静かな曲を聴きたいのであれば、そうしたサウンドを主とするジャンルのものを聴く。
 激しい音圧を浴びたいが故に聴いているロックのアルバムでバラードがあると、私は落胆してしまう。

 学生時代、パーティーのハコバン(ド)をバイトで幾度か経験したが、バラードを演るのが嫌で嫌で仕方なかった。ベースはルートを淡々と弾くばかりで、良い気分なのはヴォーカルだけじゃないかと不満を募らせたのも、トラウマ的にはあるのだろう。
 例外的に、デヴィッド・フォスターがアレンジしたバラードは、プログレ由来の屈折したテンションや、一回だけ変化する様な工夫がアレンジに盛り込まれており嫌いではなかった(尤も、音源では大抵シンセベースなのだが)。

 アイドルの歌うバラード、となると唯一私が好きになったのは、少女隊のアルバムには必ず1曲入っていた「安原麗子のソロバラード」だった。
 少女隊についてはいずれ書くかもしれない(ブログ初期は書く気でいたのだが完全に機を逸してしまった)。これは楽曲が当時のアイドルの歌とは思えないAORであったのと、安原麗子のウィスパー・ヴォイス歌唱が恐ろしくマッチしていたからだった。

 メタル/ロックに於けるバラードは、そのバンドのターニング・ポイントを握った例が多いのも、私にとってはネガティヴな印象となっている。
 KISSが最初にブレイクしたのはピーター・クリスが歌う「Beth」であった。それまでアングラなロックンロール・バンドだったKISSがレコード・セールスも上げ始めるには、この曲のシングル・ヒットが必要だったのだ。

 私が大好きだったファンク・メタルバンドExtream(つい先日来日。ライヴ行きたかった……)。も、代表曲となると「More Than Words」というアンプラグド・バラードだった。
 お陰でExtreamと言えばこの曲を先ず思い浮かべる人が多勢となってしまい、ヌーノ・ベッテンコートの繰り出すグルーヴに満ちたリフをメインにした、極めて独自なバンド・サウンドの影が薄くなってしまった(勿論 Get The Funk Outといったヒット曲もあるのだが)
 余談だが、2014年頃か、ヌーノは打上げのクラブか何処かで自ら持参した『BABYMETAL』(アルバム)を掛けたらしい。いつかレコーディングにでも参加してくれたらと淡い期待を抱いている。
 L.A.メタル全盛時にバラードは必須になっていた。
 最近では、メタル/ロックのバラードは「パワー・バラード」と呼ばれている。

 恐らく、パワー・バラードのアーキタイプとなったグループと言えば、意外かもしれないがCarpentesである。
 1972年のアルバム「A Song For You」に収められた「Goodbye To Love」がそれだ。

 甘いラヴバラードの様な曲調だが、「私にはもう愛など無関係なのだ」と恐ろしく悲壮な歌詞である。
 Carpentersのアルバムは半分は既存曲をCarpenters流にアレンジしたもので、それ以外がRichard Carpenterのオリジナルだ。デビュウ・シングルは「Ticket To Ride」であるし(殆どヒットせず)、ヒットした曲もカヴァーとオリジナルは半々ぐらいだろう。
 しかしこれはリチャードが謙虚なのではなく、自分の才能に強い自信を持っていたからだと思う。自分が書いた曲と、バート・バカラックの「遥かなる影 (Close To You)」を並べているのだ(この曲の提案自体は当時A&M社長だったハーブ・アルパートだったが)。

 鉄壁な砂糖コーティングが施されたCarpenters楽曲は、曲調からして楽器のソロがある場合にはオーボエやクラリネット、サックスがとる場合が多い。卓越した鍵盤の腕を持つリチャードだが、あまりソロを積極的に弾こうとはしなかった。
「Goodbye To Love」のレコーディング時、リチャードはファズ・ギターのソロを入れたいと言い出す。
 当時前座を務めていたバンドのギタリスト、トニー・ペルーソにカレンが直接電話をして、ギターを持ってスタジオに来て欲しいと要請した。
 驚きながらも、ペルーソは曲に合った様なソフトなソロを最初に弾くが、リチャードは「違う違う、最初の6小節から後はもっと激しく!」と駄目出しをする。

 結果、ブルージーでアグレッシヴなソロが中間とエンディングに録音されている。
 ファズのみでリヴァーブさえ掛かっておらず、浮いていると言えば浮いているのだが、この曲は最早このソロが不可欠な存在となった。

 このBBCが放送したライヴでも、ギターを弾いているのはペルーソ。「Goodbye To Love」のレコーディング以来、彼はツアーでも録音でもカーペンターズを12年間サポートした。2010年に亡くなっている

 Carpentersの以降の楽曲では、こんな趣向の曲は録音されていない。

 少なくとも70年代後半のロックバンドがバラードで、いきなり激しいディストーションのソロをやってもいいと思ったのは、この曲の存在が無意識下に影響していたとは類推出来ると思う。

 本稿としては余談になるのだが、この曲の歌メロには♭や♯が多々つく半音階が多用され、更にはブレス位置が極端に少ない。こう書くとBABYMETAL主力作家の作風を連想させるが、勿論何の関係も無いだろう。

『THE ONE』もパワー・バラードだと受け取るレヴュワーが多いが、プログレ・バンドのレパートリーという見方からすればシンフォニック・トラックの範疇で、敢えてバラードと呼ぶ必要もないと個人的には思う(勿論『Unfinished Ver.』はバラードだ)。

『NO RAIN, NO RAINBOW』は、曲としてはメロディ/コードも歌詞も、SU-METALが一度歌った『翼をください』と比べてしまうと、意地悪く言えばあまりに凡庸だ。Aメロの下降コード進行で残りの大凡の曲想は見当がついてしまう。
 しかしこの曲はSU-METALのポテンシャルを広げるキーともなる曲であった。
 個人的には、メロにせよコードにせよ、もうちょっと捻って欲しかったのだけれど、それをやればSU-METALの歌がすんなりと聴取者に届かなくなってしまう可能性もあろう。
 そういう事として私は自らを収めようと思っていた。
 しかし、雑誌インタヴュウでKOBAMETALはこの曲を「Billy Joelの『Honesty』みたいなのいいよね」というところでプロデュースしたと述べていて、「ええ~? だったらもうちょい凝ろうよ。あんなフックの多い曲もないんだから」と率直に思ったのだった。

 しかし振り返れば、メタル・バンドのパワー・バラード自体、凝った様な曲はあまり無い気もする。パワー・バラードはそういうものだと捉えるべきなのかもしれない。

『METAL RESISTANCE』に於けるこのトラックは、Ledaによる多重録音のギター・ソロがフィーチュアされている。
 この部分を海外のレヴュワーは「Queen(ブライアン・メイ)風」と捉えた人が多く、確かにそういうものを狙ってはいただろう。
 しかし殊更に「あの音」、端的に言えばBurnsのTri-sonicシングルコイル・ピックアップのフェイズ・アウト出力で、レンジマスター(トレブル・ブースター)を噛ませてVOX AC100AC30(か、ジョン・ディーコン製作のDeacy AMP)を鳴らし、最低でも30回は音を重ねる事で得られるギター・オーケストレーションではない。
 ライヴでの再現性を考慮して、ツインが主ラインとなっている。
 これが「良い塩梅」だったと思う。もっと似せる事は幾らでも出来る筈だが、Queenの中の人の一部には洒落が通じない事を、私は知っているのだから。

 90年代末に脚本を書いたあるロボット・アニメの主題曲が、あまりにもアレっぽかったのだが、海外版をリリースしてからややして、何らかのクレームがついてしまった(訴訟とはなっていない)。どのメンバーかは知らないが、子どもがそのアニメを見ていて「この曲、お父さん達の曲に似ているね」的な事を言ったらしい。勿論子どもは責められまい。
 このシリーズは幾度もDVDやBlu-rayで再発売されてきているが、主題曲は新規に作られた曲に差替えられており、オリジナル版の発売は二度と叶わなくなっしまった。
 という事で、『NO RAIN, NO RAINBOW』のギター・ソロが「あんまり似てない」事に、個人的には胸を大いに撫で下ろしたのだった。

 オマージュと剽窃の境界は極めて恣意的なものなのだと思い知らされた出来事だった。

2016年6月24日 (金)

『Road of Resistance』考 5

Wembley

【ギターソロ2】

 シンガロングは会場によって長さが可変する。最長だったのはやはり2015年1月新春キツネ祭りだったと思う。
 ステージに出島があると、YUIMETAL+MOAMETALは再びフラッグを手にして合唱を統率する。
 シンガロングが終わると二つ目のギター・ソロなのだが、ここが振り付けでは最大の見せ場となる。
 今でも尚、この部分についてはアンビバレンツな気持ちを抱く事を告白しておこう。
 私は観客視点というよりは神バンド側に身を置いた見方をしていたらしい。
 バンドなら、ギター・ソロはギタリストにスポット・ライトが当たって欲しいと思ってしまうのだ。しかもただのギター・ソロではない。DragonForce(このパートは主にサム・トットマン)が、出来る限りに無理な量の音符を詰め込んで作り上げたソロであり、それを神バンドは平気の平左で弾き倒しているのだ。
 しかし観客は3人を凝視せざるを得ない。それだけの事を展開しているのだから。

 BABYMETALの振り付けで目立つものの一つとしてここで挙げられるのは、無目視のまま後退しながらポジションにつくというもので、それまでフリーに動いていた3人がその所作により所定位置についてからフォーメーション・シンクロを始める。
 目まぐるしく、ぐるぐると回すパートが多くトリッキーな振り付けだが、よく見ればここは歌メロならぬギター・ソロにダンスがついている事が判る。ギター・ソロのフレーズを視覚化した様なダンスなどBABYMETALとしても前代未聞だ。
 3人一斉にハイキックを喰らわせるなど、このパートでは要所がポージングで決められる。それ自体は通常のBABYMETALコレオグラフィであるが、このプログラムのポーズは「可愛い」ではなく「カッコいい」ものだ。
 それも生半可ではなく、ヒーロー・アクション映画のヒロインそのものになっている。
 防御・威嚇・牽制と次のモーメントに備えた隙の無いポーズで、格闘面での機能性までも感じさせる。
 先に挙げたYUIMETAL+MOAMETALによる、仰け反りからの立ち上がりもアクション映画の擬闘的なニュアンスであったが、このパートはSU-METALをメインに動く。
 もう間違いなく東映戦隊ヒーローがモデルだと断言出来る。
 思えば戦隊モノも、アメリカで「Power Ranger」としてリメイクされた日本の輸出文化の一つでもあった。大きく足を広げ、中腰で相手に向かっての「構え」ポーズは、アメリカの「子ども」にとっても「カッコ良い」と感じられるものだったのである。
 1拍目の裏にカウンター・モーションを入れたりと細かい振り付けも多い。
 このパートは大きな動きはどちらかと言えばSU-METALに任せて、YUIMETAL+MOAMETALは従側となる。時間差モーションの動きはSU-METAL程には大きくない。しかしこのパート後は再び、上下左右、最大限に動きまくり始める。

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【Dメロ】

命が続く限り 決して背を向けたりしない
 SU-METALが歌い出しながら、ポジションは再び後退し、両サイドがフロントとなる。
 2人とも口ずさみながら、身体を最大限に使って歌詞とメロディを視覚化する。
On The Way
 ここで転調。

【ラスト・コーラス】

 サビに戻ると同時にSU-METALと2人が前後を入れ替える。
Stand and Up and Shout!」「Shout!
 この「Shout!」は、本来の曲想ではライヴ感的に音符に填まらない域で実際に叫ぶ様なものだったと想像するのだが、SU-METALはやはり本質が音楽的なのだろう、きちんとコードとして適合する音程で叫ぶというよりは歌っている。初期はどっちつかずな感じを受けていたが、すぐに確信的な歌い方となった。
 コーラス・パートのYUIMETAL+MOAMETALの表情は常ににこやかで、曲が始まる時点の真剣なものとは全く対照的だ。既にこのレジスタンスの戦いには勝利している事を確信しているという演出だろう。
 歌詞の検討で書き漏らしていたが、この楽曲の主語は「僕ら」である。不思議と言えば不思議だが、「レジスタンス」という語を用いた戦いの歌で「私たち」ではサマにはなるまい。女性アイドル・グループの歌詞としても、そう異例という訳でも無い。
 振り付けはやはり少女らしさに最終的には帰結しているので、このプログラムのジェンダー性は曖昧なまま止揚されている。

 一回目のギター・ソロ前同様に「僕らのレジスタンス」でYUIMETAL+MOAMETALは床に仰け反りながら拳を上げる(キツネサインではなく)。
 リタルダンドするので、仰け反りポーズは倍ほどの長さを2人は堪えねばならない。
 SU-METALが良きところで息を抜くと、やっと2人も立ち上がれる。

 昨今の概ねのライヴに於いてこのプログラムはセットリストの最後に載る。例外的に冒頭に実施される場合もあるが。
 ライヴの締めを担うプログラムであり、2014年までの『イジメ、ダメ、ゼッタイ』の終わり際同様、3人はこのプログラムの終わりでは、やりきった達成感の笑顔に弾けている。
 最後の観客とのCall & Response「We Are!」「BABYMETAL!」がひとしきり続けられ――、

『いいね!』の場合はSU-METALは「ぷっちゃキツネあーっぷ!(Put Your Kitsune Up!)」と煽るのだが、2015年からは「Put Your Fox Horns Up!」というフレーズに変わって、未だに私個人は慣れない。というか、キツネに角はないよねという。キツネサインとブルホーンズが混同されている。普通に「Put Your Fox Up!」で良いと思うのだが。

 最後には、音源にもあるオクターヴ上の「Ah-Ah!」というSU-METALのシャウトで決まる。
『イジメ、ダメ、ゼッタイ』のクライマックスに引けを取らないカタルシスがある事は間違いない。
 しかし一抹の寂しさも感じる。
『イジメ』がラスト・ナンバーの場合は、バンドの伸し音を3人が「3,2、1」とカウントで止め、一斉にジャンプするという美しい様式があった。
 BABYMETALのジャンプする画像だけを集めた時があるのだが、彼女達は恐ろしく高く、しかし写真でどの瞬間を切り取られても美しいポーズで跳躍していた。
 身体的な成長に伴って、ジャンプ系の振り付けは軽減される傾向がある様だ。確かに着地時には体重の数倍のショックがあって負担が大きい。
『イジメ』がラストというライヴが今でも無くはないので、その時にこの様式を愉しませてくれればファンとしては納得出来る。
 或いは『Road of Resistance』のラストを、3人が叫ぶ様な演出のアレンジもアリだと思う。


【おわりに】

 楽曲が増え、ここらでマジなスピード・メタル曲をという意図で、それでは実際本当にそうしたシリアスかつBABYMETALらしい曲として作り上げる事がどれだけ難しいか、私には判る気がする。
 本来そうすべきとこで、軸からブレたりスカしてしまったりと、意図とは異なったものになってしまう様な例は音楽だけでなく映像表現でも極めて普遍的に起こってきた。

 非常に個人的な体験を書いてしまうが、『Road of Resistance』という曲の在り様はシリーズ物の最終話のシナリオに近いのだ。
 シリーズとしては、その途中途中のエピソードで描かれてきたモザイク総体が物語の本質であって、最終回がどうなろうと本質的な問題ではない。しかし視聴者は最終回が盛り上がらずに放り出されると、それで全てのエピソードも無価値になったとすら思ってしまうものだ。
 だから最終回を書くには、それ以前のエピソードの何倍もの体力が要るのである。決めるべきところをきっちり決めなければならない。
 そうした主題を『Road of Resistance』はスカしもズラしもせず真っ向勝負で結果を出しており、とても感銘を受けている。
 またコレオグラフィに於いても、MIKIKO-METALの表現が一段加速したという感覚を受けている。


2016年6月20日 (月)

『Road of Resistance』考 4

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【テイク違い】

 さてコレオグラフィの本編に入るのだが、その前にこの楽曲のヴォーカルが『METAL RESISTANCE』の為にリテイクされた事を書き漏らしていた。
 最初に国内では配信で、『BABYMETAL』海外盤リリース時にボーナス・トラックとしてリリースされており、そのテイクに長く親しんできたのだが、2枚目アルバムのヴォーカル録りがオーストラリアのソニー・スタジオで行われ、『Road of Resistance』も再録音されたという。
 しかし私の耳で両者の違いが明確に判るのは「Stand Up and Shout! (Shout!)」の部分のみだ。ここは初出時よりも力強くなっている事は明らかだ。
 最初のテイクからして、SU-METALのヴォーカルは完成度が高かったのだと思える。

 オーストラリアでは他にも数曲が歌録りされたと知った時、何故オーストラリアでという疑問が湧いたのだが、やはりこれはアルバムに向かう姿勢の問題が大きかったのではないか。音楽産業が縮小するに伴い、都内のスタジオの多くが無くなっている。
『あわだまフィーバー』など、既に仮歌もライヴでも幾度となく歌ってきた楽曲を改めて録ろうという時、ちょっとその辺で録ろうという訳にはいくまい。

 マッスル・ショールズというアラバマ州のド田舎町にあるスタジオ、白人中心のハウス・ミュージシャン達の演奏で、60年代R&Bの代表的シンガー(ウィルソン・ピケット、アリサ・フランクリン等々)をわざわざ出向かせて録音していた、という事は余程のポップス・マニアでなければ知られていなかった。しかしミュージシャン間にはその南部のド田舎で録音すれば特別なサウンドになると事が知られており、The Rolling Stonesも1969年に「Sticky Fingers」をここで録音している。特にミックとキースにとっては思い入れのある録音となった(2014年にドキュメンタリ映画『黄金のメロディ マッスルショールズ』が製作され、初めて私は全容を知った)。

 SU-METALは誕生日を録音スタジオで迎えたらしい。日本でもかつてならそうしたアーティストの気分を変える環境として、リゾート地のスタジオで合宿録音という手段があったのが、河口湖のそれを初めとして今はもうほぼ絶滅した。
 様々な日常のしがらみからアイソレーションして、歌に集中させるというプロデュースは実のところ王道なものだった。
(尚、この録音にはBLACK BABYMETALの2人は参加しなかった模様。)

【コレオグラフィとライヴ・パフォーマンス 2】

 イントロの激しい騎乗ダンスからAメロに入る直前、ギターとドラムの三連畳み込みに合わせた動きを両腕を交互に出しながら円弧状に回す。その直後の頭拍でビシっと決まる様を演出する為である。

 AメロのSU-METALは要所を決めるのみでダンスには参加せず歌に専念する。
 YUIMETAL+MOAMETALのムーヴメントはやはり基本的には歌メロを視覚化した様な符割で、精緻に緩急がつけられている。
狼煙の光が」という部分、SU-METALは巧みに声のヴォリュームを上下させる。これまでのBABYMETAL楽曲にない、スケール感が生み出されている。この上下に2人は波動拳的なモーションで、やはりぴったり合わせてくる。多くの場合2人ともここでは一緒に歌っている。歌心を持たねば表現出来ないムーヴメントである。

 多くのパートで2人は指を立てた手を顔の側に近づけては離す。
 ポーズをつけた手を顔に近づける振付けもMIKIKO-METALの振付けでは大きな特徴となっており、Perfumueで繰り返し導入された。可愛らしく見えるという理由を何かで読んだのだが、この効果は単にそれだけではないと思える。
 ステージに立つ表現者を見る時、人はやはり顔を中心に見るものだ。視線のフォーカスは基本的に顔を中心とした画角でまず切り取られている。全身の動きが目に入ってくるのは、そのパフォーマンスを見る事がある程度慣れてからになる。
 指を顔近くに置くポージングは、そこから「ほらこっちでも面白い動きしているよ」と観客の目線を誘導する効果も生んでいる。

Now is the time! is the time!
 ここで2人が身体を傾がせつつ決めるポーズは「Time」の「T」。多くの球技で「タイムアウト」を審判に申請する時に用いられている。世界の何処であっても通じる「世界言語」である。
 しかしこのポーズは言わば「Pause」を求めるものなのであって、Just NowのTimeを表すものではない。2人は「T」ポーズのすぐ後にSU-METALの歌の裏で背中合わせに腕を組み「Just Now is the time!」と歌いながら、音程を表すかの様にポインティングをしていくので、タイム・アウトにはならない。

 こうした矛盾や不条理を、MIKIKO-METALは無意識に採り入れている。意外性、非予定調和がそこには生まれ、何を表現しようとしているのだろうと観客の注意力を高めているのだ。

さあ、時は来た
 の後、YUIMETAL+MOAMETALは屈んだポーズを早めに決めると、「Go for Resistance!」に入る直前、ギター+ベース・ユニゾンのフレーズに合わせ、指で1,2,3とカウントを入れる。コーラスの盛り上がりを効果的に予告している。

 サビに入ると「WOW WOW WOW WOW」で声を広げる仕種。
心は一つ」ではやはり様式美として、3人が向かい合い一本の指を立てる。
君が信じるなら」で大きく頷き、SU-METALと入れ替わりに後ろのポジションに移る。
進め」では『イジメ、ダメ、ゼッタイ』以来、BABYMETALの振付けでは印象的な振付けである敬礼がある。
道なき道を」で手を振りながら「進む」所作を行う。

 この「道なき道を」の振付けが私個人的には最も好きな場面である。
 上半身は歌メロに追従し、付点4分のニュアンスを表現しながらゆっくりと上下しながら両腕を前後させるのだが、下半身では全く異なるリズムで身体の向きを3/4周させているのだ。
 この部分は『ド・キ・ド・キ☆モーニング』の「知らないフリはキライ キライ」のパート、オートマタを模したダンスの発展形とも見える。
『Road of Resistance』でもドラムの16分連打に、流石に正確に合わせてはいないのだが、充分にドラムの音を激烈な足踏みで表現しきっていると言えよう。
 このパートのダンスはドラマーのプレイに近いのである。

 サビ後半「心の奥に」で、2人は左右のポジションを入れ替えながら互いの手を重ね、
燃える 鋼鉄魂(ハート) それが僕らのレジスタンス
 SU-METALの「レジスタンス」と歌うのと同時に、2人は拳を突き上げながら床に仰け反っていく」
 BABYMETALのダンスは、最初期にはテレビ・フレームに収まる様な、コンパクトなイメエジで作られていたが、早々に大ステージを経験していき、少しずつ変化をしてきた。
 3人が並んだ時の姿はこれまでも様々な構図が見られたが、SU-METALが直立し、左右の2人が仰け反っていくというピラミッド形態はかつて無かったものだ。
 仰け反る、というモーションは凡そ少女アイドルのものではないが、ヒップホップならば当然にある。しかし『Road of Resistance』のそれは、ヒップホップというイメエジは全くなく、強いて言えばスポ根アニメの構図である。
 このモーションは実際に演じるにはキツいらしいのだが、SU-METALの歌声が伸びているので、やらなけらばならない、という感覚でやっているという。

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 白眉はこの後だ。
 2拍目からすぐにギター・ソロの弱起分がスタートするので、2人はすぐさまSU-METALに合流してダンスに入らねばならない。しかし仰け反った体勢から直結でダンス・フォーメーションに戻るのは物理的に不可能だ。
 そこで2人は片腕を床について体勢を横にし、円弧状に床を蹴って回転しながら立ち上がるのである。
 ヒップホップにもあるにはあるのだろうが、どう見てもこのモーションは香港アクション・コレオグラフィのそれ、敢えて言えばドニー・イェンのムーヴメントだ。
『イジメ、ダメ、ゼッタイ』に「擬闘」が盛り込まれていたのだから、全く意外性が無いとは言えないかもしれないが、それにしても観る度に瞠目させられる。これもしかし、YUIMETAL+MOAMETALという、身体能力とセンスが極めて高いパフォーマーでなければ不可能な振付けだ。

 一回目のギター・ソロは、比較的振付けの難度は下げられている。とは言えパート終わりにはイントロ同様のギャロップ・ダンスがあるのだから決して楽ではない。
 ソロ終わりはまた、3人が時間差をつけて腕を上げていき、シンガロングをさせるパートに導く。



【シンガロング】

『Road of Resistance』のシンガロングさせるメロディは、男声にはキツい音域だ。
 本ブログでは以前、下ハーモニーを歌うのはどうかなどと無責任な事を書いた。
 これはBABYMETAL側も配慮したらしく、次に日本国内で歌わせるプログラムとして『あわだまフィーバー』の「Ah-Yeah!」のパートが設定された。昨年のSummer Sonicが初出だったと思う。いきなりSU-METALが「歌って~」と言い出したので驚かされた。
 しかしこの「Ah-Yeah!」はSU-METALのかなり上の音域で歌われているので、男声でも歌い易い。

『Road of Resistance』は、女性客の割合が大きくなれば、もっと良くなるのだろうと思っていた。
 しかし、ウェンブリーのライブビューイングでは全く異なるものが聞こえたのだ。
 テレビ等で当該部はチラっとだけ放送されているが、その音声はやはり整理された音だった。
 ライブビューイングのPAで聞こえたのは、最早音程など全く関係無いという、分厚い声のシンガロングだった。プレミアリーグなどフットボール・スタジアムで聞かれるチャントと全く同質だったのだ。
 ウェンブリーのライブビューイング体験の中で印象的な瞬間は幾つかあった。
『META!メタ太郎』(をそもそもやると予想などもしていなかった)で、応援団になりきっているYUIMETAL+MOAMETALの前で、SU-METALが中途半端なバッティング・ポーズを決めた時には思わず「くっ! くだらない!www」と実際に吹き出して感涙した(周囲の観客はあまり反応してなかったのが不思議だ)。これを見られただけで、辛いライブビューイングに来た甲斐はあったなと思っていたのだが、『Road of Resistance』のシンガロングというよりチャントでは鳥肌を立させられたのだった。

 この項続く





2016年6月 7日 (火)

『Road of Resistance』考 3

『Road of Resistance』考 1

『Road of Resistance』考 2


 このプログラムの論考に取りかかったのは2月であり、続きをここまで遅らせてしまった事については自分でも呆れ果てるばかりで、ひたすら恐縮している。
 日本に於いて、また海外に於いてもだが、BABYMETALを取り巻く状況は2月と6月となった現在とでは大きく変化している。しかしそうした変化にも関わらず、BABYMETALはずっと変わらない情熱でタスクを達成し続けている。



【紙芝居】

 前述の通り、このプログラムはライヴの終幕に披露される事が多い。イントロにはWall of Deathをやれという趣旨の紙芝居『戦国Wall of Death』が流れるのだが、初披露時の02 Brixton Academyではこの時だけ流された映像があった。
 例によってキツネ神がどうのという威圧的な論調なのだが、無個性な群衆が一様にスマートフォンを掲げる図を見せ、そうして撮られた映像を見ても真実には届かないという様な、要は「ファンカムをアップロードすんじゃないぞお前ら」という身も蓋も無い警告でしかない。
 ファンカムが無ければ、BABYMETALが海外にいずれは進出したにせよ、3年は遅れていただろう事は断言してよい。ファンカムこそが、BABYMETALがライヴではリアルなパフォーマンスを行うエネルギッシュなアーティストだと認知させたのだから。
 ただ、CDやDVDなどがRAL, earMusicというシンジケーションからリリースされ、海外でのエージェント契約も結んだ現在となれば、ファンカムは徐々に容認されなくなっていく事も仕方ないのかもしれない。
 しかし、コスト・投資が限りなくゼロに近いプロモーションにも関わらず、巨大なファンベースを築くツールの役割を果たしてきたファンカム群に、BABYMETAL側も感謝をすべきだと私は考えている。
 それにしてもこの時の紙芝居は無駄に長く、よくBrixtonの2000人は我慢をしたものだ。

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【コレオグラフィとライヴ・パフォーマンス 1】

 本プログラムの振付けにはあまりにも情報量が多く、語る事が多い。まずはイントロ部までを記す。

 遠鳴りの合戦SEが流れると、3人は大きなBABYMETALのフラッグを手にしてステージに進む。2014年の最初のワールド・ツアーから、フィナーレでは3人が開催国の国旗色に染めたBABYMETALフラッグを振る慣例があったが、『Road of Resistance』のフラッグはそうして両手で広げられるサイズよりもずっと大きく、身長よりも高い旗棒につけられている。
 定位置横一列に並んだ3人は、極めて厳しい表情で観客と向かい合う。戦(いくさ)に臨むのだから当然である。
 リヴァースSEが流れるや、バンドが前奏部を鳴らし始める。

 音源と神バンドのライヴ演奏が極端に異なるのは、唯一この曲のイントロであろう。基本的には音源を再現しているのだが、音源では低弦のパワーコードの方が大きいバランスであるのに対し、ライヴではコードをバックトラックに任せ、2人のギタリストはメロディのハーモニーを弾く。当然ながら高域のフレーズが際立つ事になり、音源とは印象が異なるのだが、当然どちらが良い悪いという問題ではない。

 3人はフレーズに合わせ大きく旗を振る。
 さくら学院でも「WONDERFUL JOURNEY」などで小旗を振るナンバーがあるのだが、『Road of Resistance』パフォーマンスのモデルはIRON MAIDEN代表曲の一つ、「The Trooper」をプレイする時にブルース・ディッキンソンが走りながら振るユニオン・ジャックの演出だろう。この曲はクリミア戦争に於けるバラクラヴァの戦いを詠んだアルフレッド・テニスン卿の詩を元に、スティーヴ・ハリスが書いたものだ。シングルのジャケットにてエディ(同バンドのマスコット・キャラ)がユニオン・ジャックを持っている絵が描かれている。

 旗は日常のスポーツ応援などでも見られるものではあるが、パフォーマンスのモデルの事もあり、最初の頃は硫黄島の星条旗やベルリン陥落時に於けるライヒシュタークの赤旗といった図をどうしても脳裏に過ぎらせてしまった。特に後者は、「レジスタンス」という語で先ずは誰もが脳裏に去来させるだろう、ヴィシー政権下のフランスや諸国の反ナチ抵抗活動(ナチは彼らをテロリストと呼んだ)があるのだから、連想は強まっていた。ただそれも、初披露から時間が経つとそうした事への連想は私の中でも薄れていった。

 前奏部の終わりに、3人は旗を斜に張って顔から片目だけを出す。
 これはデビュウ曲『ド・キ・ド・キ☆モーニング』の冒頭、顔の前でキツネサインの腕をクロスさせ、片目だけを見せていた演出を彷彿させる。
 思えばあのプログラムは腰が砕ける様な頭のバックトラックの間、更にバンドがイントロを鳴らし初めても4小節間そのポーズでじっと客席を睨み続けるという、アイドルのパフォーマンスとしてはあまりに異様なものであった。
 あの時はネタ性が主題だったが、この『Road of Resistance』という、BABYMETALがメタルとしてのアイデンティティを何のてらいもなくストレートかつ最大限にパフォーマンスするプログラムなのだから、この冒頭の彼女達の表情はたんに取り繕ったものでは決してなく、それぞれのアティテュードを見せるものとなっている訳で、まるで意味合いは異なっているのだ。

 スローな前奏部が終わろうとすると、SU-METALを残し、YUIMETALとMOAMETALは旗をドラムセットの辺りに置かれた旗立台に収めるのだが(SU-METALの旗はMOAMETALが受け取る)。SU-METALは観客達を睥睨し、左右に割れろと腕で示す。よく見てみるとこの時、SU-METALは観衆を直視せず、やや視線は上にある。観客の顔を実際見てしまうと、暴君の様な振舞はし難いのかもしれない。
 旗立台近くにハンドマイクが置かれているのをYUIMETALがピックアップ、SU-METALがダンスのポジションに後退する時にYUIMETALがすれ違い様に渡す。ただ一回の例(2015 Count Down Japan)を除き、これらのやりとりはアイコンタクト無しに完璧に履行された。

 そしていよいよインテンポになろうかという直前、3人は片足を大きく上げながら、馬に跨がるモーション。

「1!2!3!4!」

 YUIMETALとMOAMETALがそう叫ぶのに合わせ、SU-METAL「1」YUIMETAL「2」MOAMETAL「3」の時間差で疾走の前傾態勢に入り、すぐさまドラムのブラストビートに合わせて馬を襲歩させ始める。
 片手で手綱を持ち、片手で鞭(Thrush)を入れるという迫真性で、見えない馬をそこに現出させる。

 BPM205という激烈なテンポのサウンドを如何に視覚化、肉体表現するかでMIKIKO-METALが直感したのは馬に乗って奔る姿だった。
 速いテンポでのアクションを維持しながら、3人はぐっ、と向きを左に右に変える。空撮の望遠レンズで彼女達の馬の走りを見ている様な感覚を抱かせる。

 普通に腕を広げたり足を上げるといった通常のダンスがここに合わないのは、当然ながらカウントが速いからだ。腕や足のストロークを短くせねば遅れてしまう。かと言って小さい動きではダイナミックな曲調を表現出来ない。
 小刻に前後のジャンプを連続させるが、それにより全身が躍動しており、観客も演者も興奮状態となる。
 ドラムの奏法にグラッドストーンというものがある。ブラストビートを叩く上では必須な技術なのだが、『Road of Resistance』イントロの騎乗ダンスはその視覚化だと言えよう。その意味で、この襲歩(ギャロップ)がダンスのコレオグラフィとして取り込まれたのは自然な事だったかもしれない。ただし、それを実際に表現出来るパフォーマーが彼女達以外にいるだろうか。

 リアルの馬の走りを想起すると、単純な16ビートのストロークではない。蹄が地を蹴るタイミングは三連だ。3人の動きは意識してはいないだろうが、小さなジャンプを連続で行う故に、ステージを蹴るタイミングには付点がついたニュアンスを感じさせる。
 バンドの激烈な16ビートに三連のリズムを乗せたポリリズムとなっていると言える。

 この激烈な振付けの間にも、MOAMETALは細かいリズムで顔の表情を見せている事には改めて驚く。
 SU-METALはこの後にすぐ歌い出すのに、YUIMETAL+MOAMETALと全くシンクロしている。ここだけで相当な運動量であるにも関わらず。

 

 この項つづく





―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 本当はこの記念写真だけでエントリを上げようとも思ったが、幾ら何でもと思い、プログラム批評の続きを書いた。

Abbath

 昨日このズッ友写真が流れてきた時、本当に爆笑してしまった。
 ライヴでもインタヴュウでも、「素」を徹底して見せない演出をしているBABYMETALだが、こうして時折垣間見える「素」があるからこそ――、いや、「素」がそもそも何より魅力的なのだ。

 にしても彼らのこのインタヴュウは秀逸だった。


 

2016年2月12日 (金)

『Road of Resistance』考 2

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 私のBABYMETAL初体験はNHKの番組『BABYMETAL現象~世界が熱狂する理由~』だった。一部カットはあったが『Road of Resistance』も番組の最後に放送されている。音楽的には、正直に言って他の楽曲よりも印象的ではなかったのだが、何か異様な熱がステージからもオーディエンスからも立ち上がっているのは把握していた。
 その曲がアンコールとしてその場で初披露されたなどという事を知るのはずっと後になってからだった。

 翌年1月になってダウンロードが可能になった時が、本気でこの曲に向き合った瞬間だった。
 聴き始めて「おや?」と思った。この「おや?」については後半で触れる。

 最初に聴き通し終わった時の事ははっきり覚えている。
「これは否定出来ないわ」
 1人で部屋で聴いていたのだが、そうはっきり声に出したのだった。

 まだBABYMETALのこれまでの軌跡を探っている最中だ。アルバムの楽曲それぞれには好みのもの、そうでないものがまだあった。
 パワーメタルは基本的には好みの音楽ではない。理由は単純で、グルーヴが感じ難いサウンドだからだ。歌い上げるタイプのヴォーカリストが多いのも苦手だった。
『Road of Resistance』ははっきり、パワーメタル由来のメロスピ(メロディック・スピードメタル)のサウンドで作られていた。
 前提的な苦手意識を完膚無きまでに蹴散らかしたのが、SU-METALの最後のシャウト「AhAhh!」だった。
 5分20秒を疾風の様に駆け抜けるトラックだ。


 

 SEに続いて始まる序奏部、幾重にも重ねられたギター・オーケストレーションだ。極く薄く、男声チャントが白玉的に流されてはいるが、ほぼギター(+ベース)とドラムだけというソリッドなサウンドに本気さが伺える。
 そして序奏部が終わると法螺貝の音が響き合戦のサウンド・エフェクトが低いパーカッションの響きと等価で流される。
 Wall of Deathのイメージ・モデルはスコットランド対イングランドの戦争を描いた映画『ブレイブハート』である事は記したが、『Road of Resistance』では日本の戦国時代の合戦に置換されているのだ。正しくローカライズされていると言えよう。しかしやはりSEの音感的には、日本の合戦映画というよりもハンス・ジマー的である。

 ドラムのフィルでYUIMETAL+MOAMETALの「One, Two, Three, Four!」のカウントが叫ばれ、怒濤のビートが繰り出される。
 私が「おや?」と思ったのは、ここでのドラムとギターの刻みがジャストにシンクロしていないところであった。
 5小節目辺りからはシンクロするのだが、インテンポに入り始めは些かバラついている。

 BABYMETALのCD音源トラックは、概ね打ち込みで作られている事は最初に聴いた時から判っていた。
 シングル・リリースされた楽曲はそうでなくては作れない音になっていたし、それをライヴで無理矢理生バンドで演奏する事が私の様なリスナーには痛快さとして感じられていた。
 アルバムに入っている曲で後半に収録されたものは、既にBABYMETALのライヴは、骨バンド「ベイビーボーン」のアテ振りではなく、「(メタルの)神バンド」が演奏する方向性に定まっていただろう。つまり、生で演奏する事が意識されつつはあった筈だ。
 しかしそこで作られていた曲は例えば『4の歌』であったり『悪夢の輪舞曲』という、打ち込みに特化したサウンドの楽曲だった。

『Road of Resistance』は、ライヴ演目が何よりも主として作られた筈だ。
 シングルとしてリリースされる事は無く、国内ではダウンロード、海外ではボーナス・トラックという、音源販売は二の次という扱いである。
 だからとて、音源としては相当に力(と予算)が注がれ生み出されている。

 CDの売り上げよりもライヴやフェスの収益の方が大きくなっている現代の商業音楽に於いて、こうしたアプローチはBABYMETALに限らず増えていくのかもしれない。

『Road of Resistance』音源のサウンドには異様にライヴ感が横溢している。
 勿論シークェンス・トラックがまずあって、幾多のトラック、数多くのパンチインが重ねられているだろう。だとしても――、

 以前本ブログで軽く述べた事があるが、私はこの音源のドラムは生で演奏されたものだと思っている。
 冒頭インテンポに入って早々の僅かなリズムのバラツキは、もし打ち込みならば補正が出来た筈だ。しかしそのままの勢いで全曲疾走しきっている。エンディング直後のオマケのスネアには「やってやったぜ」感があまりにリアルに感じられるのだ。
 あくまで想像であり、外している可能性は大いに自覚しているが、個人的な見解として述べておく。


 メタル楽曲としてのアレンジは、様々なエッセンスを巧みに消化して生成されている。これについては発表間もない時期、BABYMETAL言説ブログの先達であるこのエントリで解析されていた。

 この楽曲の歌メロは、SU-METALにとって高すぎず低すぎず、最も楽に声を伸ばせる音域だ。
狼煙の光が
 での声の広げ絞りなど、自らの喉を自在にコントロール出来ている。
 SU-METALの限界が無い様な高域にはいつも感動させられるが、アクターズ・スクール広島時代に中元すず香が好んで歌っていたのは低いアルト域のバラードだ。
 そもそも低い音域で安定して声を出すのは高域が伸びるのと同様に難しく、これも天分の要素だ。
 カレン・カーペンターの歌をカレンの音程で、他の歌手の殆どが歌えない。中元すず香はカレンほどスウィート・スポットが低い訳では無いが、ソロシンガーになったら果てしなく可能性は広がっている。

 YUIMETALとMOAMETALはこの楽曲では合の手というより、まさにコーラスだ。
 冒頭のカウントや、SU-METALのヴォーカルを追う「Resistance♪」、間隙を縫う「Just Now Is The Time」などで、BLACK BABYMETALらしい声が聴かれる。
 ただ、音源を聴いている段階ではYUIMETAL+MOAMETALのパートがあまりに少ないという不満を抱いた。
 ポジション的には『イジメ、ダメ、ゼッタイ』の後継的な重要曲であるのに、『イジメ』での2人の存在感に満たないのは事実だ。

 しかし、後にこのプログラムのファンカムを多く見る事で全く考えが変わった。
 このプログラムの振付に於ける運動量はBABYMETALとしても最大値に近い。
 メロを歌う時はSU-METALはあまり動かないで済んでいるが、YUIMETAL+MOAMETALは曲を通じて動いているのは当然にしても、過去には無い様なムーヴメントが多いのだ。これまでとは異なる体幹の用い方が強いられるだろう。
 恐らくライヴでは、2人のパートはバックトラックが用いられているが、それも当然だろうと思う。
 振付けについてはまた稿を改める。


 音源に於ける最大の特色に、ギターソロでDragonForceの2人のギタリストがフィーチュアされている点がある。ただこれも、公式クレジットは無く、メディアでの談話で明らかとされているだけだ。

 ハーマン・リは談話で2013年頃にYouTube動画でBABYMETALを知ったという事を述べていた。早い段階でBABYMETAL側とは接触があったのではないかと思う。
 ハーマン・リは、音、そしてライヴでのプレイスタイルに極めて濃い独自性を持つミュージシャンで、『Road of Resistance』の2箇所にあるギターソロのそこかしこに、濃い刻印が施されている。
 しかしBABYMETALのトラックメイカー達は、実際のハーマンやサムを招く以前から、DragonForceのサウンドは強く意識していた筈だ。
『いいね!』の最後のコーラス直前のブレイクに弾かれるファミコンのビットチューン的なギターの高域フレーズは、ハーマンのプレイスタイルに極めて近しい。

『Road of Resistance』では、先ず1コーラス目の後に短いソロ・パートがある。ちょっとウェスタンを想起させるフレーズはDragonForceの初期アルバムで、幾つか近いものがあったが手癖に近いフレーズだと思う。
 そしてDメロ前にはこれぞ本気で演ったとしか思えない、ひたすらエクストリームにスピードとメカニカルな音階のデュオプレイが聴かれる。
 2人は出来ているオケに被せるだけでなく、ソロパートのコードも主導したのではないかと思う。

 2人のギタリストの参加は、驚くべきサプライズというよりも、そうなって然るべき運命があったかの様なコラボレーションだった。


 つづく

2016年2月10日 (水)

『Road of Resistance』考 1

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Credits:
作詞:KITSUNE of METAL GOD・MK-METAL・KxBxMETAL
作曲:Mish-Mosh・NORiMETAL・KYT-METAL
Featuring Guitars:Sam Tottman, Herman Li

 2014年11月8日、イギリス・ロンドンO2 Academy Brixton公演で初披露。
 2015年1月7日に発売されたCD『LIVE AT BUDOKAN ~Red Night~』(2014年3月の武道館公演初日を収録)の初回特典として、スタジオ録音版がダウンロードのみで配布された。
 ファースト・アルバムがearMusicから世界発売となった際にはボーナス・トラックで『ギミチョコ!!』ライヴ版と共に追加されている。

 2013年には着手されていたという。
 クレジットが不明だったが、『イジメ、ダメ、ゼッタイ』等のトラックを手掛けたチームの共同制作の様だ。

 BABYMETALの楽曲には、程度の差はあれどの曲にもネタ性が盛り込まれている。 メタルの模範的な楽曲への目配せであったり、冗談を骨子にしていたり、その表現は様々だ。

 この『Road of Resistance』は実にストレートなメロディック・スピード・メタルである為、ユーモアが足らないと感じる人がいる。
 確かに歌詞も深読みの余地はあまりない。

 しかしネタ性はあまりに大きな要素として前提的に横たわっている。
 BPM205というテンポがそれである。これはあまりにも無茶なネタだと言えよう。

 だが、SU-METALが歌うメロディラインはそんなに急いだものではない。
 つまり歌メロ本体は半分のBPM100程度のミドルテンポであり、伴奏だけが倍速になっているのだ。
 16分音符の刻みもツーバスのドラムも、笑うしかないまでに異常なテンポで演奏しなければならない。

 アレンジ、演奏については後に触れるとして、まずはタイトルと歌詞から見ていこう。
 歌詞もクレジットも、ダウンロード販売だったので不明だったのだが、歌詞についてはCSスペースシャワーTVで放送された歌詞入り版ミュージック・ビデオで詳らかにされた。
 クレジットはネットでJASRACに登録されたデータが発掘され、それで明らかになったのだが、作詞の筆頭者「KITSUNE of METAL GOD」のクレジットがやはり異様だ。こういう楽曲を作ろうという時に、何か啓示的な出来事があったのかもしれないと想像するばかりだ。

『Road of ~』というタイトルはやはり、さくら学院由来ではないかと思う。
 さくら学院で毎年巡ってくる卒業公演が『The Road To Graduation』だからだ。
 3人にとって特にこのタイトルは思い入れがし易かった筈だ。

「アツいハート」が、文字面では「鋼鉄魂」という漢字が宛てられている以外は実に汎用性の高い、自分達自身を鼓舞し得る歌である。
 一つ難癖をつけるなら、Resistanceであるのに「Forever」と歌うのは如何なものかとは思う。抵抗運動の対象が何かはさておくも、抵抗が永遠に叶わないものであるかの様にも聞えるからだ。
 いやまあ、それも含めてのネタ性なのだろうが。

 Jポップでは常道ながら、BABYMETAL楽曲としては異例な英語歌詞と日本語歌詞の交錯が見られる。ずっと後に作られる『THE ONE』(仮称)でもこの手法は継続されていく。
 せっかく日本語で押し切ってきたのに、と残念な気分を持たない訳では無い。しかしこれも楽曲の企画趣旨を推し量ると納得出来る。

『Road of Resistance』は、単なるレパートリーの追加ではなく、極めて重要な意味合いを持たせられていた。

『ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト』で、曲自体に観客がMIXを打つ(と想定された)パートが設けられていた。『ヘドバンギャー!!』や『いいね!』など、観客総員での激しいヘドバンを強いるプログラムもある。
『Road of Resistance』には、大きく二つの要素が設けられている。
 一つはWall of Deathを明確に強制的に起こす事であり、もう一つは観客が総員で合唱するシンガロングである。

 Wall of Deathというラウド系ライヴの観客行動の起源は、さほど遡らない。
 メル・ギブソンが自ら監督して主演した映画『ブレイブハート』(1995)の合戦描写がモデルなのだ。
 BABYMETALのライヴでは、『イジメ、ダメ、ゼッタイ』のイントロでインテンポになる瞬間にダッシュするYUIMETAL+MOAMETALに合わせ、観客がWall of Deathを行うのが慣例となってきていたが、『Road of Resistance』ではSU-METALが腕ではっきりと空間を空ける事を観客に指示する。
 曲冒頭の構成もアレンジも、Wall of Deathを如何に気分良く盛り上がれるかを至上命題として作られている。

 ライヴでこのプログラムが披露される直前には、ほぼ必ず紙芝居のイントロがつき、念入りに企画趣旨を観客に周知させている。

 BABYMETALのモッシュは、激しく身体をぶつけあうのではなく、「楽しく押しくらまんじゅう」という“モッシュッシュ・ピット”と規程されてはいるのだが、国内のライヴハウスでもモッシュ行為は禁止となっているところが少なくない。
 それは海外でも同様であり、2015ワールドツアーでも会場によっては「Wall of Death」が「Into The Pit」というフレーズに差替えられていた。

 シンガロングについては細かい説明は不要だろう。
 ライヴやフェスで、人気アーティストが如何に観客と共同で感動的な体験を共有するのか、十二分に知り尽くした上で練られた企画性こそが『Road of Resistance』の趣旨であった。
 それがあまりに明確である為に、リスナーはこの曲に初めて触れた時にある種の気恥ずかしさを生成するかもしれない。
 いや、そもそも「僕らのレジスタンス」という歌詞自体が相当なものだ。

 本ブログで『イジメ、ダメ、ゼッタイ』の歌詞について、狙い所は判るけれども、部分的には度を越した韜晦をしていると述べた。
『Road of Resistance』はベクトルは違うが、やはり「気持ちは判るけど」という感情を抱く点では近しいかもしれない。

 ただ、どちらの曲であっても、BABYMETALが堂々とライヴでこのプログラムをやりきってしまうと、少しの気恥ずかしさなど霧消してしまう。その事が自覚出来るだけ、『Road of Resistance』は私にはとっつき易かった。

 

 Wall of Deathにせよシンガロングにせよ、日本国内の観客だけではなく、海外の、特にフェスの観衆を意識したものだ。くどくど説明せず、フェス文化のキーワードと、SU-METALの端的な「Sing!」という指令が現象を引き起こすのだ。
 英語歌詞の導入は、海外、欧米圏の観客に「より伝えたい」という気分の現れだと思うが、これはジレンマだ。BABYMETALは、日本語歌詞のままでポピュラリティーを得つつあるという極めて特異な成り立ちをしている。「BABYMETALの日本語問題」の解釈はさておくにしても、急に英語で歌いだしたBABYMETALが肯定されるのかは未知数だった。

 果たして、2014年11月、ロンドンでこのプログラムは初披露された。
 この2年程、メディアへの談話をあまりしなくなっているKOBA-METALは、O2 Academy Brixtonで『Road of Resistance』を初披露した理由について、「YUIMETALがそう希望した」からだと述べている(『ヘドバン』誌)。
 恐らくは振付けを完全にマスターし、神バンドもリハは既に重ねていた時期ではあろうけれど、やりたいと希望するYUIMETALもYUIMETALだが、承諾してやらせてしまうプロデューサーもプロデューサーだ。
 シンガロングは最初こそ戸惑いで静かに始まったが、すぐに大合唱となった。

 

 次回からやっとオケの検討に入る。
 つづく


2015年10月 7日 (水)

『4の歌』考 3

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† 振付けパフォーマンス

 論考後半は振付けとライヴ・パフォーマンスについてを記す。
 先ず指摘しておきたいのは、このプログラムはBLACK BABYMETALが実際に生で歌う前提で作られたプログラムだという事実だ。
『おねだり大作戦』は披露初期にはリップシンクで演じられていたが、1stアルバム発表時は既に生歌で演じていた。
 では『おねだり』よりも『4の歌』の振付けが平易になっているかと言えば、まるで逆なのだ。
 現在はBABYMETALがそうしたパフォーマンスをする事にはもうファンは驚かなくなっていたが、このプログラムのタフさは慣れた今でも瞠目させられる。

 彼女達が実際に最もヘヴィなプログラムだと実感しているのは『BABYMETAL DEATH』なのだという。これは意外だった。確かにジャンプをしている時間帯は多いだろう。
 これは全くの推測に過ぎないのだけれど、彼女達がこのプログラムをヘヴィだと感じるのは、逆説的だがこのプログラムがセットリストでは唯一、リップシンク曲だからではないか。ほぼインストゥルメンタルで、自分達の名前を言う僅かにしか存在しない声を出すパートも、ライヴではプリ・レコーディング(MR)が使用されている。
 声を出す箇所が無いとなれば、彼女達は全身全霊でダンス・パフォーマンスをするしかないのだ。歌う箇所があれば若干の加減を無意識に制御出来るが、ダンス〈だけ〉のプログラムでは100%以上に演じる、それ故の疲労ではないかと思っている。


 ライヴ・ヴァージョンでは、前項までに記した通り、「Si,Si,SiSiSi」というホワイトノイズにも似た音〈だけ〉が抽出されたエクステンデッド・イントロがつく。
 昨年のフォーラムでは暗転した舞台中央まで、二人は普通に歩いて登場したが、ブリクストンではステージ中央の階段を降りてくる。

 プログラムの導入部は『おねだり大作戦』のアティテュードを引き継いでいる印象だ。
 二人は不敵な感じでポーズをとる。
 しかし「Si Si SiSiSi」リフに入ると瞬間的に豹変する。
 ニコニコしながら「Si Si SiSiSi」に合わせて踊り始めるのだが、ここが先ず凄まじい。
 「しーっ」のポーズで拍毎に身体を曲げながら(つまり往復で8分の刻みをしている)、2小節目3拍目裏「よんよん!」でポーズを決める。
 恐らくこのパートは無酸素域での運動だろう。生歌で「よんよん!」と歌う直前にブレスが入るだけだ。
『イジメ、ダメ、ゼッタイ』のAメロ頭で猛烈に頭を振る箇所も無酸素域運動で、あそこはキツいだろうと思う。有酸素域と無酸素域が交錯する運動として、フィギュア・スケート競技はやはりBABYMETALプログラムと共通性を見出せる。
 BLACK BABYMETALの二人はこのプログラムの大部分を満面の笑顔で演じきる。

 過日、元水泳シンクロ選手だった双子の女性がバラエティに出演した際、ホステスのマツコ・デラックスに「シンクロ選手はどうして笑顔で泳ぐか判りますか?」という大上段からの質問をする場面があった。
 マツコはフィギュア同様(伊藤みどりファン)、シンクロも好きで普通の人よりは知悉しており、あっさりと正解を答えた。
 その答えは「水の中でとてつもなく辛い事をやっているから」だった。



 Aメロパートでは割と歌を歌う事に配慮された振付けとなっている。
 バッキングはドライヴの効いたシンコペーションのリフであるが、二人は前後に並んで小刻みな足踏みをして踊る。

1の次は2 

 そう歌うMOAMETALは、音源同様に「歌のおねえさん」らしく、御丁寧に指をきちんと歌詞に合わせて折る。
 すかさず「へへーい」と後方にいるYUIMETALが腕を上げる。
「3の次は」と言いながら二人はフォーメーションを横に展開。

ウーッ4! Four!

 腕をぐるぐる回しながら強烈にアフタービートに乗ったグラインドをしつつ、「ウーッ」で体勢を斜にして――、
「Four!」後方から腕を前に出そうという振りは、音からしてもピンクレディーの「UFO」が来るか、と思いきやそのまま動きは止らず、「ウォンテッド」だった。
 裏拍で大きく揺れながらすぐさま「Si,Si,SiSiSi」を繰り返す。

 ここまでだけでも動きの要素はあまりに多い。
 そして二人は同じ事を繰り返していない。
 MOAMETALが前に出る時、YUIMETALは「2」「4」とサインを明示する。
 しかしYUIMETALが前の時、MOAMETALは拳を振って横から顔を出したり、大きく伸びて「4」を出す。
「1の次は2」のMOAMETALは、単に「1」「2」と出すだけではなく掌を横に振ったりするし、YUIMETALは「次は」の時丁寧に下方向を示すサインを挟む。

 幾度も差し挟まれる「Si,Si,SiSiSi」は、二人が左右入れ替わったり、向きを片方が変えたりと極めて複雑なフォーメーションを変化させつつ展開される。しかも「よんよん!」は交互なのだ。
 珍しくシカゴではMOAMETALがポジションを間違える場面があったが、殆どのライヴでは完璧に遂行されている。

 

 サビ部は流石に運動量は少し減る。ポージングのキメをモーションで繋いでいく構成である。

幸せの4 死ぬじゃない4

「死ぬじゃないし4」は「何言ってんの」といったポーズ。

失敗の4 よろしくの4

「失敗の4」では二人が二本ずつ、系4本を提示しながら「やっちゃった、む~」的なポーズ。

 

 さてここでは、あるネットユーザが最初に発見し拡散した画像を引用させて貰わなければならない。


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 この画像の初出がTwitterなのか2ちゃんねるなのかは全く判らないが、ほぼ同時に流通した。
 彼女達のポーズに「4」の形、及び指の本数で表わされていると知った時は心底驚いた。


 2ちゃんねるにBABYMETAL板が出来た時は、本家.netからおーぷんや.scが分離したり、やたらにサーバーダウンする事が多い時期だった。ブラウザに広告表示のAPIを義務づけたりといった運営で、多くのユーザが離れたと思う。
 今は私も多くの板やスレッドを見る時間がとれなくなっているのだが、BABYMETAL板が出来た頃はなかなか興味深いスレッドがあって面白かった。
「BABYMETALの振付けやダンスを語るスレ」というのが出来た時は「待ってました」と思った。
 初期にはダンス経験者の人がふらりと来て、「彼女達のダンスはとても高度な事をしている」という興味深い書き込みをしていった。

 そのスレッドだったと思うのだが、この画像が貼られて暫くしてから、「メギツネも同じ様な部分があるよね」
 という書き込みをした人がいた。


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 これにも感嘆した。「女」の文字が見える。




幸せの4 死ぬじゃない4
ビタミンの4 喜びの4 !

「死ぬじゃない4」では「違う違う」と手を振る。
「ビタミンの4」は「C」の文字表現。
「喜びの4,4,444」
 は一拍、半拍と交互に指を突き出す。


 

 ブレイク・ダウン、二人はお立ち台に立って可能な限り最大限の前屈からのヘドバンをする。

 BABYMETALのマスコミ対応に於ける「お辞儀」の深さは、いつも話題になる。
 これはさくら学院由来だとか、アクターズスクール広島(含むPerfume)由来とも言われるが、それにしても群を抜いた深さ(約105度)であると思う。
 これも『BABYMETAL DEATH』やこのプログラムでこうした運動を常日頃からしている彼女達の体幹ならではだろうと思う。個人的には、これも実は彼女達の「相手を驚かせる」遊びの気分が含まれている気がする。

 表情を消し、悪魔儀式かの様なヘドバンをしていた二人は、スクラッチ的ノイズと共に次のパートに入る。
 この時、やはりYUIMETALは律儀に「びよよん」的な痙攣を伴う脱力をたった最後の1拍の中で演じる。『ド・キ・ド・キ☆モーニング』の「失神」直前の動作と同様に。

 レゲエパートはひたすら笑顔。
「よいしょー」で全身を傾がせるのだが、2015シーズンではお立ち台から落ちんばかりに傾けるようになった。

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「よっこらしょ」の後のギャグ音に合わせ、ここは二人とも痙攣動作をして再びヘドバン運動に入る。

「Si,Si,SiSiSi」ともう一回Aメロを演じた後、武道館や大きな会場では「よんよん!」煽りのCall & Response(と言えるのか)のエクステンドがある。
 ステージや出島へ二人は走り、観客に「よんよん!」と叫ばせるのだ。
 こればかりは在宅の身としてはそれほど面白みの無いコーナーではあるのだが、会場にいたら違うのだろうなぁと想像するばかりだ。

 ライヴハウスでは「Si,Si,SiSiSi」を倍繰り返してサビに入るが、流石に二人の息は切れかかっており、ここのサビを歌うのは流石にキツそうだ。

 

 しかしこれで終わりでは無い。
 原曲に入っているアウトロ部、彼女達自身の笑い声がエコーを効かせて聞えるが、これもそのままMRで流されている。
 すると二人はお腹を叩きながら舞台の上手下手へと入れ替わり立ち替わる。『BABYMETAL DEATH』のトランス的なパニック演技に少し近い。

 この部分の演出イメージ・ソースはもしかしたら、「8時だヨ!全員集合」前半コント終了時の場面転換「盆回り」かもしれない。
 この曲に合わせてコント出演者があわあわと動きながら、憮然となっているいかりや長介を置いて毎週捌けていったのだ。

 しかしBLACK BABYMETALの二人はまたも律儀に「Si,Si,SiSiSi」をきっちりやって――
「よんよん!」でポーズを決め、このプログラムは終わる。



† ライヴアレンジ

 CD音源の演奏は、殆ど打ち込み感を感じさせないリアルなバンド・サウンドに仕上げられている。
 CD音源と神バンドのライヴ演奏とは概ね差異は少ないのだが(それ自体が驚異ではある)、『4の歌』に関しては若干の差異が見られる。

 まず大村孝佳は6連フレーズを弾く時、音源以上にフランジャーを強めに掛けている。

 2014のワールドツアー前半からか、青山英樹は2番のAメロ・パート終わりにトリッキーなフィルを入れる様になる(以降はほぼ必ず)。

 O2 Academy Brixtonで、左チャンネルの藤岡幹大Ledaがエンディング間際にリフのフレーズを3度、オクターヴと音程を上げている。私が知る限りこの様なギターアレンジはこの時のみ。面白いと思うのだが。


† 終わりに

 BABYMETALのプログラムは、新曲になればなるほど振付けが大変になっている。そう彼女達自身がラジオで述べていた。
 比較的後に作られた『4の歌』も、その後のプログラムに比べたら楽な方なのかもしれないが、それにしても相当な運動量だ。
 ヴォーカルを担うSU-METALを含め、BABYMETALが一回のライヴで消費する熱量はそれぞれ5000kcalを越えるかもしれない。
 武道館ではしかも、『おねだり大作戦』とこのプログラムは連続して演じられたのだから驚異である。

 大会場に於ける「よんよん!」煽りは、これだけハードなプログラムを演じるBLACK BABYMETALにとっての対価報酬なのだろう。
 私が会場に行けた折りには、己の歳を考えずに「よんよん!」と叫びたいと思う(体力が保っていればだが……)。

 この項終わり。


2015年10月 6日 (火)

『4の歌』考 2

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 前項の記述で、リフの「Si,Si,SiSiSi」という音は人工的な音だとみなしていた。
 こう考えた一つの要因は、BLACK BABYMETALの二人がこの振りの時、「しーっ」というポーズはするものの、口を開いていない事にもあった(ライヴのエクステンドなイントロでは「しー」という口になっている)

 しかし前項のコメント欄で指摘があったのだが、ある映像でクリアな「Si,Si,SiSiSi」を聞く事が可能であり、その音声では紛れもなくブレス(息継ぎ)の音が聞こえる。
 その映像を私も見てはいたが、注意力が足らなかったと反省している。

 その映像とは、昨年ロンドンのフォーラムに於けるリハーサルを撮った映像であり、あまり言及をする事は憚られるものだった(リンクも前項コメント欄にある)。
「ベビメ大陸」(内容については検索されたい)は、新たなファンが見たいと望むのが自然な価値ある映像だが、リハーサル(のカメラテスト)は、どういう経緯で流出したのかは判らないが、私が認識していたのはロシアのvk(ファンのフォーラム)から拡散したという事だけだった。
 私服姿の三人の映像は、言わばデーモン閣下のすっぴん、もとい「世を忍ぶ仮の姿」を晒す様なものであり、BABYMETALが見せたいものではない筈なので、なるべく「見ないふりをする」スタンスでいた。

「Si,Si,SiSiSi」のみの音はCD音源にはなくライヴ版でしか聴かれないものだが、『4の歌』のライヴ・パフォーマンスはオフィシャルなものでもファンカムであっても、「Si,Si,SiSiSi」が始まればすかさず観客は「よんよん!」と叫ぶ決まりになっており(フォーラムですらすぐにその声が上がっていて感心する)、ブレスの音は絶対に聞こえないのだ。

 リハーサル映像流出の是非はさておき、一つ明らかになった事は事実であり、それに目を背ける訳にはいかない。
「Si,Si,SiSiSi」は、BLACK BABYMETALの二人にとってヴォーカルという認識では録らなかったかもしれない。しかし間違いなく二人が発した音が用いられているだろう。
 ブレスは完全に反復しており、一回分をサンプリングして延ばしている様だ。



 前項のコメント欄では、「合の手」の概念についての話題も上がった。
 合の手そのものが日本の古典文化に源を見出せるのかどうかについて、私は確かな見地を持たない。
 BABYMETAL楽曲に共有されている、コンセプチュアルな特色である「合の手」がどういう効果、或いは価値観をもたらしたかについて、私はこう考えている。

『4の歌』のメロディには隙間が多い。
 Aメロでは歌詞には記載されていないが、「へへーい!」という合の手が入る(殺人的だ)。
 サビでも「幸せの4 死ぬじゃない4」と歌った後、バッキングにはない8分の符割で「うんうん」と頷く仕種がある。
 この事が『4の歌』を紛れもなくロックにしているのだ。

 以前本ブログの雑話エントリで、8ビートをコードストロークしながら歌う多くの日本のロック系Jpopを、私はロックと認め難いという趣旨を書いたのもこの事に関連する。

 JPopの多くは端的に言ってメロディ・ラインが過剰であり、詰め過ぎなのだ。

 海外のロック楽曲は、「作曲」と「アレンジ」が一体で作られるのが普通だ。編曲という語を持ち出す場合は、既存曲に変化をつける場合の概念である。

 ロックであればリフが先ず有って、メロディはそのリフを牽引する、もしくは隙間を縫う。
 これによって曲としてのグルーヴが生まれる。逆に言えば、べったりメロディが続く楽曲でグルーヴを生み出す事は極めて困難である。
 JPopに限らずJRockの大多数も「こうやって作るでしょ普通」というメロディ作成法に盲従していると私には思える。ポスト・ニューミュージックだと私には聞えるのだ。

 一般受けするコード進行には自ずと限界があり(当然だ)、勢い日本のメロディ・メイカーらは転調という本来禁じ手(小手先変更と言って良い)に奔った。

 この私の指摘は極論的暴論だという自覚もあるが、40年剰りずっと抱いてきた日本の商業音楽への不満なので、如何なる反論も受け付けられない事をお断りしておく。
 まあマーティ・フリードマンなら「そこがいいんジャーン」とでも言うであろうが。

 これはロック系に限らない。R&B系、特にソウル、ファンクもそうあるべきなのだ。

 BABYMETALは、YUIMETAL+MOAMETALという二人のポジションから「合の手」を入れる事がルーティンとなっている。つまりそこではメロディに隙間を意図的に生じさせる必要があった。
 副次的に、その隙間はリフやシンコペーションとして機能する。ロックのグルーヴが生まれたのである。

 初期楽曲で最もJRockに近いであろう『イジメ、ダメ、ゼッタイ』からして、Aメロこそメロディは埋まっているが、B,Cメロには隙間があって、YUIMETAL+MOAMETALの合の手と共に、印象的なギターのキメを多種多様に聴く事が出来る。

『ド・キ・ド・キ☆モーニング』などのポップ系楽曲はこの範疇には入らないが、『ヘドバンギャー!!』『Catch Me If You Can』、そして『Road of Resistance』に至るまで、メロディに休符がある曲が圧倒的に多い。私がBABYMETALを紛れもなくロックだと感じるのはこれ故である。
 例外的なものが『メギツネ』だが、こちらは真逆にメロディが極めて微妙な上下動をしつつ、ブレス位置が少ないというエクストリームなもので、精神的にロックであると思える。
『悪夢の輪舞曲』もメロディに休符は少ないが、こちらはポリリズムのジェントなバッキングとヴォーカルが闘争する様な曲であり、ロックだとしか思えない。

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 BABYMETALが今後の音楽性を現状よりロック、メタルに振ろうとはしないだろう。それによって失うものはあまりに大きい。
 今の様なアプローチをしているからこそ、メタルの中でもスピードメタル、Nuメタル、オーセンティックなメタルと節操なく取り込む事が出来るのだ。
 あるサブジャンルのアーティストのCDで、雑多なサウンド・スタイルが入っていたら普通のリスナーは怒るのが自然だ。
 BABYMETALは鵺的なポジションを維持する事で、常に斬新な折衷をしていく事が可能なのだ。
 どこまで計画的だったかは与り知らねど、これは実に冴えたアプローチだったと感服せざるを得ない。
 偽物感はつきまとうかもしれないが、日本の現代音楽史の中で最もロックしているサウンドを獲得したとすら思う。

『4の歌』は、何の野心もない遊びの中から生まれた歌がパッケージングされた。
 隙間恐怖症の職業作家なら「1の次は2」という一小節+一拍のメロは書けないだろう。
 原形の歌がどこまで出来ていたかは判らないが、最大限、原形を尊重して作られたのだと思う。
 Aメロのシンコペーションのギターリフがグルーヴを生み出し、この楽曲を紛れもなくロックと断言出来るものにしている。

【補記】
 本稿の趣旨は、あくまでロック〈系〉楽曲を作るスタンスについてである。
 決して日本音楽業界の編曲という概念を卑下する意図は無い。アイドル歌謡曲などで作家性のあるアレンジをしていた編曲家達を敬服している。
 古くは70年代にも西城秀樹「激しい恋」という見事なブラス・ロックが作られた。

 この項つづく。


2015年10月 1日 (木)

『4の歌』考 1



作詞:BLACK BABYMETAL     作曲:BLACK BABYMETAL
編曲:tatsuo、KxBxMETAL

Oriffffinal

 2014年2月発売の1stアルバムで発表された。
 当時のファンクラブ限定の「BABYMETAL APOCALYPSE LIMITED EDITION」に、別ヴァージョン『4の歌 444 ver.』が収録されている(「メタルじゃなくね」というまたもやの台詞が入っているだけで、私は好きではない)



 YUIMETAL+MOAMETALという二人を指す「BLACK BABYMETAL」が作詞・作曲とクレジットされ、二人で演じるプログラムという特異性から、この曲の成り立ちはネットの多くで既に言及されてきた。
 楽曲の成り立ちについて私独自の観点はほぼ無い事を先にお断りしておく。
 論考の一回目の今回は、情報のまとめとして読んで戴ければ幸いである。


† 歌の成り立ち

 この曲が生まれたのはシンガポールだった。
 BABYMETALはワールド・ツアーを開始する前にはアジア圏へ幾度か遠征しており、シンガポールにも複数回行っている。
 そのどの時なのかは定かではないが、シンガポールのホテルからライヴ会場へ向かう車中の時間が長かった。
 BABYMETALの三人、特にMOAMETALとYUIMETALはその場で即興の歌を作って歌うという遊びをよくやっていた。

 その場で歌を作って歌う?
 松崎しげるや山口智充らがそうした芸をかつてよくやっていたが、小中学生の子にそんな事が可能なのかと、俄には信じられなかった。
 しかし、この動画=「SAKU SAKU」のオマケコーナーを見てどういう感じに作られたか判った。極めて説得力がある動画である。

「あげぱん 冷凍ミカン」の歌


 振付けが『ド・キ・ド・キ☆モーニング』の部分流用なのは目を瞑ろう。
 オンエアでは切れているが、菊地最愛にはまだ「持ち歌」がありそうであった。

 シンガポールの車中では、二人はどんな歌でも作れるという自信があった様で、SU-METALにお題を出させていた。
 この時にSU-METALが出したのが「4。数字の4」だった。
 他に「バナナの歌」とか「木の歌」があった様だが、これらは窓外の風景を想像すれば自然な発想にも思える。
 しかし「4」。そんな歌なんて作れまい、というSU-METALの挑戦心も伺える。

 ともあれこうした成り行きで「4の歌」の原形が出来た。

 東京に帰って暫くして、KOBA-METALが「あの時歌ってたの、もう一回歌って」とハンディ・レコーダーで二人の歌を採録したものが原形である。

 メイン・アレンジャーであるtatsuo (tappun)は元バンドマンだが、ゴールデンボンバーの楽曲を手掛けて名を高めていた。
 同じくBLACK BABYMETALの楽曲『おねだり大作戦』に続いての参加だが、LEGEND 1999ライヴでYUIMETALが歌ったミニモニ。プッチモニ。のカヴァー「ちょこっとLOVE」のメタル・アレンジをしたのがBABYMETALとの最初の関わりの様だ。
 2015年幕張メッセ 天下一メタル武道会では、ショウのラスト・クロージング曲を担当した。ライヴに行ったファンには「ラララ」と呼ばれるその曲(恐らくSU-METALのスキャットがフィーチャーされている)は、プログレ的なギターのアルペジオが美しい曲であり、BABYMETALの新曲にして欲しいと望む人が多い。
 アレンジにはKxBxMETALも併記されているが、多くの人同様私もこれはKOBA-METALの事だと思っている。
 ギターリフにMetallicaの「Master of Puppets」の雰囲気を導入したのは意図的だ。

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† トラックと歌唱

 オリジナル音源版では、いきなり半テンポのブレイクダウンから始まる。
 マイナーのかなり重いトーンで、多弦ベースの低音とギターのワイドストレッチな6連というサウンドは、BLACK BABYMETALの原曲とは最も掛け離れたイントロであろう。

よんよん!

 ダッダッダダダ――と同じ音で繰り返すフレーズは、様々な前例が見出せる。

The Ramones - Do You Remember Rock 'N' Roll Radio?

HANOI ROCKS☆Malibu Beach Nightmare

 あとは

Bay City Rollers - SATURDAY NIGHT

 を想起する人もいただろう。

 このリフに乗せて、「Si-Si-SiSiSi」という音が被る。
 歌詞では「4 4 444」と書かれているものの、これは声ではなくホワイトノイズを短くカット・インアウトして作られていると思う。
「静かに」といった時の「シー」に近い音で、これを「4」と見立てているのだ。

 Aメロのリフは、まさに

Judas Priest - Painkiller

Metallica - Master Of Puppets

 の折衷的なアレンジだ。

 さてここでやっと、BLACK BABYMETALの歌声が聞えてくる。

1の次は2 2の次は3

 先にMOAMETALが1番を歌うのだが、この歌い方が可笑しい。
 まるで幼児番組の「歌のおねえさん」の様な作為的な歌い方をしているのだ。精一杯背伸びをして、小さな子どもに向かってる様だ。

3の次は ウーッ4 !!

 実際には「ウーッ4! Four!」という感じのコーラスが入る。
「Four」は、まあMichael Jacksonが歌の端々でよく入れるアレ「Fow!」由来だろう。

 余談だが、かつてのSoul/R&B(70年代にはBlack Contemporaryと呼んだ)の「濃い」シンガーはこうした独自の「合の手」をよく入れたものだった。
 Michaelは他に「きひーっ」とか、普通の人が真似したら苦笑必至なものが多い。
 Earth, Wind and FireのMaurice Whiteの「ん~にゃおおぅ」などもそうだ。
 ラップ・ミュージックがメイン・ストリームになって以来、こうした伝統が途絶えた事が個人的には哀しい。


 2番のYUIMETALも、MOAMETALの企みを踏襲しようとはしているのだが、声を出す関連についてはMOAMETALがどうしてもYUIMETALよりもリードしてしまう。

 MOAMETALの声質は、SU-METALと同じく若干ハスキーな成分(空気音や倍音を含んだという意味で)があって通りが良い。地声は低めでも、歌う時の甘い声質は高めの周波数にスイートスポットがある様だ。
 YUIMETALの声にはハスキーな成分が殆ど無い。私はあまりYUIMETAL、水野由結のソロ歌唱を多く耳にしていないのだけれど、彼女の様な声質でも「ソロ」として歌うヴォイス・トレーニングをすれば、天性のリズム感で良いシンガーに成り得ると思う。
 さくら学院に転入して以来、声を合わせる機会が誰よりも多かったこの二人が声を揃える時、実に美しい響きになるのだから運命とは面白いものだ。

 さくら学院在籍時の2代目ミニパティは、田口華をセンターに二人が並んだが、この三人の重なった声もまた魅力的であった。重心の低い田口華の声と菊地最愛、水野由結の声で、ミニパティのレパートリーである可愛らしい歌い方をすると実にEar Candyといった響きになるのだ。

 BABYMETALに於いて、BLACK BABYMETALの主な役割は「合の手」なので、SU-METALとBLACK BABYMETALが声を重ねる機会は数少ない。
 しかし『ギミチョコ!!』ライヴ版の終わり近くで聞えるそれは、あまりに強いSU-METALの声が芯となって、エキサイター(倍音を加えるエフェクター)の様な効果が現れて、これもまた魅力的だ。

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 Bメロに相当する部分はなく、ここからサビに直結する。

幸せの4 死ぬじゃない4
失敗の4 よろしくの4

幸せの4 死ぬじゃない4
ビタミンの4 喜びの4 !

 相当に無理のある歌詞だけれど、紛れもなく小中学生時の二人が作ったであろうリアリティに満ちている。

 原盤では無理なく歌えているのだが、ライヴになると振付けの運動量が尋常では無い為に(振付けについては次項に送る)、このサビのメロは彼女達には低すぎる感じを受けていた。
 しかし2015年以降は彼女達の地声も低くなっており、この楽曲に関してはトラック製作時よりも寧ろ歌い易くなっているかもしれない。

 4,4,444 Four!

 ここでブレイクダウンだ。
 イントロとは別の、ヘヴィ・リフであり、曲を聴いているだけでも頭を上下させられそうなリフである。グロウルの低い唸り声も響く。
 ここまではしかし、「BLACK BABYMETAL作のメタルアレンジ」という想定の範疇ではある。

 この後に続くブレイクダウンの展開がレゲエになっているのには、日本よりも海外のリスナーの方が戸惑いと驚きがあった様だ。

 よんよんよよんよん

 レゲエのベースは頭拍を弾かない事が作法となっている。クラシックなレゲエはほぼ必ずそうなっており、この曲もその作法を守っている。
 ギターは割と素直なカッティングをしているだけだが、欲を言わせて貰えば途中でアナログ・ディレイを盛大に掛けた“ダブ”(まさに元祖)をやって欲しいところだ。もう今のライヴで、少しぐらい変な音が変なタイミングで出ても二人には何の影響も無い筈だ。

 去年のロンドンのファンカムで、このパートが始まると観客がゆらゆらしながら緩いモッシュをしている動画があって可笑しかった。
 ピュアなロックファンには歓迎されないだろうが、ライヴでこのレゲエ・パートをもっと延々と続けるのも面白そうだ。モッシュに疲弊した観客には良いクールダウンにもなるだろうし。
 何より、このパートが長かったなら、二人はもっと色々な事を観客に語りかけそうな気がするのだ。

 よっしゃー!
 おいCー!

 如何にリスナーを脱力させるか、という言葉選びのセンスとしてBLACK BABYMETALは希有な才能を持っていると思わざるを得ない。

 アウトロではギターリフが若干変化をつけている。
 そして二人のケラケラと笑う声がエコーを強くして聞えてくる。愉しげではあるが、少し(小)悪魔的な感じも受けないではない。

『4の歌』がメタルの曲に成り得る、という判断の一つの傍証的な根拠に、Slipknotの楽曲「The Heretic Anthem」があったかもしれない。

Slipknot - The Heretic Anthem [live] HD

 ライヴでこの曲を演る前、コリィは
If you're 555, then I'm と問うと観客(maggots)は
666 と叫ぶ決まりになっているのだ。

 666は野獣/アンチクライストを象徴する数字であり、つまりこの曲は「666の歌」なのだ。5の次は6、という。

 明るく楽しい雰囲気の『4の歌』だが、ほんの少しこうしたダークな陰が見えるところが、『おねだり大作戦』と同じくSU-METAL抜きでも、BABYMETALらしさを明確に表現していると言えよう。


 この項つづく。


2015年8月 7日 (金)

『悪夢の輪舞曲』考 2

Rondo_2

 論考の前段では特異な変拍子構成について終始してしまったが、この楽曲のエクストリーム性はそれだけではない。
 Aメロのオケはドラムしか聞こえないのだ。ギター・コードには音程感が薄く、ほぼ白玉(全音符)のノイズと化している。
 こういうオケであるのに、正確な音程であの難解な符割のメロを歌っているのだ。これ程エクストリームな挑戦は無い。

 あるピアノ調律師が書いた本によると、如何なる声楽家であっても「絶対音感」というものは存在しないのだという。
 会場、当人のコンディションなどでもピッチは変動するのだろう。
 もう一つ印象的だった記述は、ヴィブラートを掛けて歌うよりも、ストレートに伸ばしきって歌う方が難しいものだという。ちょっと意外な感覚も抱いたが、確かにヴィブラートはターゲットの音程とその上、場合によっては上下に音程を揺らすものだ。ターゲットの音程にきっちりピッチを合せる事の方が正確さに於いては困難なのかもしれない。
 そしてSU-METALは、そうした歌い方をこの曲でもしているのだ。

 
 

 このプログラムに決まった振付けがあるのか、可能な限りの動画を見直したが、ほぼ決まった動きはしていた。
 しかし基本的には、特異な変拍子構成を自分なりにモーションで掴んでいる様な動きであって、腕の曲げ伸ばしなどに振付けとしてのメッセージ性は感じられず、歌う抑揚を視覚化した様なモーションだ。
 MIKIKO-METALによれば、SU-METALはカウントで振付けを覚えないらしい。ビートばかりでなく、ギターやピアノのフレーズ込みで本能的に体得しているのだと思う。

 緩急は自在にコントロールされており、「ロンドが」と歌うところでは軽くステップを踏んだかと思えば、1小節分だけ激しい4拍子になると裏拍に全身で乗っていく。しかしそのパートを全て同じモーションで続ける事は無い。これもMIKIKO-METAL振付けの特徴だが、パートの振りはそれ一杯まで繰り返させずに次のパターンに入る。

 ラジオトーンのDメロパートでは、ゼンマイ仕掛けのオートマタが停止したかの様なポーズで静止する。
 ライヴでこのパートのヴォーカルは完全にプリレコーディングが流され、すぐ後の「ゆらゆらー」から生のヴォーカルとなる。
 音源の再現演出という意味でこの方法には蓋然性がある。
 しかしSU-METALの変幻するヴォーカルをライヴでも楽しみたいと思う観客は多い筈だ。
 Dメロ部分だけ、メイン・ヴォーカルのEQを変更する事も不可能ではあるまい。しかし安全性を考えるなら、このラジオトーン専用のマイクを別途に用意した方がいいのかもしれない。
 Primusというオルタナ系バンドのベース兼ヴォーカルのレス・クレイプールは、トランジスタ・メガホン(拡声器)の様な声で喋り倒すパターンの歌唱をするが、ライヴでそれを演じる場合、ノーマル・ヴォーカル用のマイクとは別途に、エフェクト専用のレトロなマイクを立てて自在に行き来する。
 そういう手法もあるのだ。

 2014年のライヴに於いて、SU-METALのソロ『紅月』に対して、Black Babymetalの『おねだり大作戦』というプログラムが交互に配され、双方に一曲分の休憩とされていた。
『4の歌』が出来ても、武道館ではBlack Babymetal曲はまとめられており、『悪夢の輪舞曲』は単独の扱いとなっている。それ故か、神バンドのインストゥルメンタル曲『Mischiefs of metal gods -KAMI Band Instrumental-』(『メタル神達の悪戯』)が演奏された。『Catch Me If You Can』前のソロ回しよりはもっと独立性のある曲だが、構成としては同くじソロ回しをするパートだ。2014以降に半固定化された神バンドに最適化されており、ベース・ソロ後半はBOHがタッピングを披露出来る様に、リズムがフラメンコ的に変化する。
 SU-METALは『悪夢の輪舞曲』を歌い出す前、この曲によって息を整える事が出来ていた。

 2015ワールド・ツアーでは、『紅月』とこの曲はイーヴンな在り方となり、Black Babymetal曲と交互に披露される事になっている。

 私がBABYMETALを好きになって聞き始めた昨年暮れの時点で、SU-METALの歌声は大人として成熟しつつあり、変化している経過にあるのだと思っていた。
 実際『ド・キ・ド・キ☆モーニング』音源で聴かれる声とは明らかに変わっている。
 しかし2015年に入ってからのSU-METALは、2013年までの歌声に戻っているかの様に聞こえて不思議に感じていた。

 今年に入ってからのライヴ告知動画やインタヴュウで聞かれるSU-METALの地声(普通に喋る時の声)は、現在のYUIMETAL、MOAMETALよりも高い事に気づく。
 2014年後半からドラスティックに成長をしたYUIMETAL+MOAMETALは、年齢相応に地声が低くなっているのだが(歌では問題無く上の音域も出る)、SU-METALは身長が伸びても頭部は小さいままで、日本人離れしたプロポーションに育っており、それは彼女の歌声という特質を奇跡の様に維持させているのだと判った。

 2014年頃、『メギツネ』『紅月』といったプログラムの高域が苦しげに聞こえたのは、『悪夢の輪舞曲』での低めで太く発声する歌い方を覚えたからであったのかもしれない。
 Dメロ以外は中性的な、物語る詠唱歌である『輪舞曲』はSU-METALの新たな歌声を見出す楽曲だった。
 2015年、SU-METALは歌から力みが消え、楽曲によって自在に声のトーンを使い分ける様になっている。それによって、ミドル・ティーン期の楽曲でも無理なく歌える様になってきたのだと思う。

 そして新曲『違う』(仮)では、また新たな歌の表情を獲得しているのだ。これからどんな進化を遂げるのか、全く予想すらも出来ない。こんな感覚を抱いたアーティストには、過去に触れた経験がない。

 プログラム論よりも、SU-METALヴォーカル論考に傾いてしまったが、なかなかまとまって触れ難いSU-METALの歌声について、思うところを書く事が出来たと思っている。



 

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