国家を運営するためには国民から税を徴収しなければならない。ここまではすべてのひとが合意するだろうが、「どのような税制がもっとも公平なのか」となると、議論百出して罵詈雑言が飛び交うようになる。国民一人ひとり利害が異なるし、主義主張もちがっているのだから、みんなが納得するような税制はものすごく難しいのだ。
日本を含むほとんどの国で、所得税は累進課税になっている。なんとなく当たり前に思っているかもしれないが、なぜ累進課税が正当化できるかは経済学や政治学における大問題だ。
「お金持ちのほうがたくさん払えるから」でもそれって、国民を平等に扱ってないんじゃないの?
「お金持ちは強欲で邪悪だから」勤勉で誠実なお金持ちや、強欲で邪悪な貧乏人はどうなるの?
「お金持ちだけが得するような制度になっているから」だったら税金で罰するより、その制度を変えればいいんじゃないの?
というように、すぐに思いつくような理屈にはただちに強力な反論が戻ってくる。思考実験でいろいろやってみても面白いかもしれないが、みんなが「たしかにそうだ!」とうなずくような理屈があれば「大問題」にはならないのだから、あまり見込みはないだろう。
アメリカの政治学者、ケネス・シーヴとデイヴィッド・スタサヴェージの『金持ち課税 税の公正をめぐる経済史』(原題は“Taxing the Rich”)は、先進20カ国の過去200年間の税法を比較することでこの謎に迫った。
二人によると、イギリスで1799年に所得税が導入されて以降、アメリカ、フランス、日本などを含め、どの国でもその税率は19世紀を通じて非常に低い率にとどまっている。ところが20世紀に入った途端、富裕層への課税が強化され、1950年代に累進税率(法定最高限界税率)はもっとも高くなる。だがその後、すべての国で累進税率は急速に下がりはじめ、お金持ちはあまり税金を払わなくなるのだ(相続税率も同様の推移を描いている)。
所得税の累進課税は最初はあまり人気がなくて、その後、広く導入されるようになるものの、近年はまた人気がなくなった。なぜこのようなことが世界じゅう(すくなくとも先進国のあいだ)で起きたのだろうか。そのこたえは思いがけないものだった。
政治家は国民の所得や財産に税を課すことをどこか不当なものと考えていた
最初に、かんたんに税の仕組みのまとめておこう。
税には個人所得税のほかに相続税、消費税、法人税などがある。これらはそれぞれ一長一短があり、どれかひとつの方法だけで税金を徴収すると不公平になってしまう。
相続税には、「二重(三重)課税ではないのか」との執拗な批判がある。所得に対して税を支払い、資産運用の利益や消費にも税金を納め、それでも残ったお金に対して課税しているからだ。遺産を全額使いきってしまえば相続税はかからないのだから、「国家が国民に放蕩を勧め、子どもを愛することを罰している」ことになる。これがアメリカなどの保守派が相続税(遺産税)を嫌う理由で、(理由はさまざままだが)カナダやオーストラリア、ニュージーランド、スウェーデンなど欧米先進国でも相続税を廃止したところがある。
法人税に対しても「二重課税」との批判は根強い。会社法では株式会社の所有者は株主で、会社(法人)の利益はすなわち株主の利益だ。そう考えれば法人段階で課税する理由はなく、株主に利益が分配されたときに、他の個人所得と合算して課税すればいい。「法人が利益をためこむ」と危惧するかもしれないが、だったら利益の内部留保を禁止し、いったん全額を株主に分配したうえで、資金が必要ならその都度、資本市場から調達するようにすればいいだろう。
これは荒唐無稽に思えるかもしれないが、LLC(合同会社)やLLP(有限責任事業組合)などの会社形態で実際に行なわれている(日本ではLLCは法人税課税の対象)。フィンテックによって資本市場が効率化すれば、株式会社も運転資金以外は余剰資金を保有せずに経営するのが当たり前になるかもしれない。日本では大手企業の多額の内部留保が問題になっているが、すべての会社を内部留保ができないパススルー型にして法人税を廃止すれば、効率な経営ができるうえに徴税業務も簡素化されて一石二鳥だろう。
消費税は相続税や法人税に比べて原理的な問題が少なく、なにより国内の消費にもれなく課税できることから、先進国では徐々に徴税の中心になってきた。だがそれでも、所得の低い層ほど実質負担が重くなる逆進性があるし、インボイス制度を導入せずに軽減税率を行なうと申告・徴税の実務が混乱する。
歴史的には、国家はまず土地などの不動産に税をかけ、重商主義の時代には輸出を増やし輸入を減らすために多額の関税がかけられた。輸入品への関税は消費税と同じで、国内物価を上昇させるから逆進性がある。このことは19世紀には知られていて、富裕層がより多く税を負担する相続税や所得税の根拠とされた。
だが『金持ち課税』の著者たちによれば、それはきわめて微々たるものだった。大論争の末に1909年にイギリスで導入された累進課税「スーパータックス」の最高税率は8.3%だった。アメリカでも20年にわたる論争の末に1913年に累進所得税が導入されたが、その最高税率は7%だった。フランスはさらに極端で、1907年になっても富裕層は約2%の所得税を支払っているだけだった。
こうした事情は相続税もほぼ同じで、その背景にある価値観は明らかだ。政治家は国民の所得や財産に税を課すことをどこか不当なものと考えており、さまざまな事情からそうした課税が余儀ないものとなっても、その税率をできるだけ低くしようとしたのだ。
累進課税は国家が行なうもの以外には例がない
個人所得税には、大きく3つの分類が考えられる。定額税、定率税、累進課税だ。
定額税は「国民1人あたりいくら」と一律に決める方法で、一般に「人頭税」と呼ばれている。これは貧困層への逆進性がきわめて大きい(富裕層がものすごく優遇される)ので「国家による搾取」として忌み嫌われるが、必ずしも不公平というわけではない。
このことは、『金持ち課税』の冒頭に著者たちが掲げた旧約聖書からの一節でも明らかだ。
「あなたたちの命を償うために主への献納物として支払う銀は半シュケルである。豊かなものがそれ以上支払うことも、貧しい者がそれ以下支払うことも禁じる」(出エジプト記30章15節)
古代において「公平」な税(献納)は定額税だけであり、信者の懐具合によって金額を変え「差別」することは神によって禁じられていたのだ。
こうした定額方式は、日本でも町内会費や組合費などで広く使われている。これは「みんな同じ」というのが、直観的な「公平さ」と相性がいいからだろう。――町内会の委員から「あなたは金持ちだから倍払ってください」といわれて納得するひとはいないだろう。
定率税は「収入に対して何パーセント」と一律に決める方法で、「フラットタックス」と呼ばれている。新自由主義の経済学者にはこの方式を支持するひとが多いが、現実に導入している国は(たぶん)ない。
とはいえ定率方式は、実社会ではマンションの管理費などで使われている。占有面積1平米に対する金額を決めておけば、ワンルームの管理費は少なく、5LDKは高くなるが、やはり「公平感覚」は満たされるだろう。
それに対して累進課税は、所得が増えるにしたがって支払額が増えていく方式だが、国家が行なうもの以外には例がない(身のまわりでなにか思いつきますか?)。これは累進課税が一般の「公平感覚」からずれていることを示している。――だからこそ正当化が難しいのだ。
それにもかかわらず、日本では昭和49年(1974年)までは所得税の最高税率75%、住民税と合わせると93%とされていた。だがこれは異常というわけではなく、アメリカでも1952年は最高税率が92%だった。だとすればそこにはなにか、みんなが納得する理由があるはずなのだ。
誤解のないように付記しておくと、最高税率(正確には「法定最高限界税率」)90%というのは、所得全額に対して90%が課税されるということではない。累進課税では所得に応じて段階的に税率が上がっていくので、最高税率は基準以上の所得に対してしか適用されない。現行の日本の所得税区分では最高税率は4000万円超の45%だが、これは所得金額が5000万円の場合、4000万円を超えた1000万円分に対して45%の税が課せられるということだ(それ以下の所得は別の税区分になる)。
最高限界税率以外にも、「実効税率」がよく使われる。これは所得に対して実際に支払った税金の割合のことで、日本の個人所得課税の実効税率は32%だ(2018年)。どの国も実効税率は最高税率より低いが、実効税率を長期にわたって国際比較することは困難なので、著者たちは最高税率の推移で代替している。法律上の最高税率と実効税率はほぼ相関するので、全体の傾向を論ずるのに問題はないとされている。
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