第七話 栽培
ティトはグレイとともに長い廊下を歩いていた。グレイの指示で拘束は解かれてはいるものの、逃げ道は塞がれている。ここから逃げる道は残されていない。
しかしまだチャンスはある。彼はどうやら彼女のことを気に入った様子だ。このまま大人しくしていればいつか必ず隙が生まれる。それをティトは狙っていた。
それに姉のこともある。姉はあの部屋にいなかった。あらかじめ別の部屋に移動させられていたのだろうか。分からないが、姉の安否が分かるまでこの屋敷から離れるわけにはいかない。たとえこいつの奴隷になろうとも。
グレイはティトの前を歩きながら言った。
「部下が手荒な真似をしてすまない。彼らは魔族をみんなケダモノだと思っているのでな」
「サウスはどうなるの?」
「あのオークか? 言っただろう。拷問の後晒首だ。これは勇者としての威厳を保つためには必要なことなのだよ。ああいう反乱分子を野放しにしておくと住民も不安がるしね」
グレイは何事もないように言い放つ。あのサウスが自分のせいで殺されてしまう。ティトは自分の無力さを呪った。
「だが君は違う。君は美しい。私は美しいものが好きでね。君のような美しい獣人族を拷問にかけるのは私の趣味じゃない。だから特別に君を私のコレクションの一部に加えてあげようというわけさ」
「あの魔族達みたいに? 冗談じゃないわ」
「ああ、あのペット達のことか。はははは。あれは違う。あれは私が飼っているただのペットに過ぎない。以前私に噛み付いてきた魔族達のなれの果てさ。君とは違う。君はもっと崇高で誇り高い存在になるんだ」
グレイは笑いながらそう言った。ティトには彼が何を言っているのか分からなかった。
「なんのこと?」
グレイは歩みを止めずに笑みを浮かべる。彼女にはそれが不気味だった。
「昔話をしよう。私が勇者としてまだ駆け出しだった頃の話だ。私は仲間たちと一緒に暗黒大陸に上陸し魔族達と戦った。だがまだ未熟だった私は深手を負ってしまいとある村に逃げ込んだ。そこは魔族の村だったが、人間だった私を受け入れて治療してくれたよ。嬉しかったな。そこで出会った魔族の娘に私は恋をした。美しい娘だった。一目で恋に落ちた私は魔王を倒したら必ずまた会いに行くと誓った。しかし魔王を倒した私が彼女に会いに行くと、彼女は死にかけていた。重い病にかかっていたのだ。私は必死になって彼女を救う方法を探したよ。彼女こそ私の全てなのだからね。そこで私は暗黒大陸の密林地帯に生息するある植物を発見した」
グレイはある部屋の前で立ち止まった。そこはグレイしか入ることのできない特別な場所であった。ティトの心臓がどくんと高鳴る。
グレイは厳重にロックされた鍵を開け重いドアを開いた。そこに広がる光景にティトは絶句した。
広い部屋にまるで美術品のように並べられた彫像。いやよく見るとそれは彫像ではなく生きた魔族である。だがその姿は異様なものであった。
魔族の下半身は植物の如く根が生え、しかもその根は肉体と完全に同化しており青い血管が浮かび上がっていた。両手は植物の幹の中へ埋まり同化し、魔族は身動き一つ取ることはできず彫刻のように固まりただ呼吸に合わせて小さく身体が揺れるのみであった。その異様な肉体とは裏腹に、魔族の相貌はどれも美しく、だが瞳は虚空を見つめ意識があるのかどうかも定かではない。
まるで植木に魔族の上半身が生えたような姿。それが広い部屋いっぱいに美術品のごとく並べられていた。
一体これはなんなのか。ティトは混乱し取り乱しそうになる。そこへグレイの言葉が響いた。
「その植物の名は『マンイーター』。他生物に取りつきその魔力を吸収する寄生植物だ。寄生された生物ははじめ体表を植物と同化させその後血管ごと結合される。そして体内の臓器をほとんど全て植物に換装させられるのだ。マンイーターは宿主の魔力を吸収し光合成によって栄養を蓄える。傷や病気もマンイーターの自然治癒によって回復し老化もなく食事も必要ないから排泄の必要もない。それがどういうことか分かるか? 永遠に老いることもなく、飢えもなく、死ぬこともない肉体を手に入れられるのだ。素晴らしいと思わないか?」
ティトには彼の言葉が信じられなかった。これはただの醜い植物の化け物だ。彼女の目にはそうとしか映らなかった。
もう奴隷ですらない。いや魔族ですらない。死ぬこともできない哀れな生き物だ。こんな愚弄が許されるのか? ティトの胸に怒りがわいた。
グレイは一人の魔族の前で立ち止まった。それはマンイーターに侵された美しい翼人族の少女だった。だがその目は虚空を見つめ口元は開かれ涎が垂れていた。
「彼女が私の初恋の人だ。私は彼女のためにマンイーターの人工栽培に成功し彼女を一番最初のコレクションにした。彼女はあの時の美しい姿のままだ。私は病に苦しんでいた彼女を救い生も死も超越した崇高な存在に変えてあげることに成功したんだ」
グレイは自分の言葉に陶酔していた。そして虚ろな彼女の唇に口づけをした。
「あなたは狂ってる」
ティトは言い放った。
「正気じゃない。これのどこが美しいの!? みんな自分で死ぬこともできないじゃない! こんなの奴隷以下だわ!」
「君には分からないだろう。真の美しさは凡人には理解されないものさ。だけど、君もすぐに分かる。この身体がいかに素晴らしいのか」
ティトの言葉もグレイには全く響かなかった。グレイにとってこれこそ最も完成された生命の姿なのだ。
ティトは怒りと悲しみに震えた。いくら勇者とはいえこんなことが許されるのか。なぜこんな酷いことができるのか。
理解できなかった。
その時、ティトの目にあるものが飛び込んできた。部屋に並べられたマンイーターの中の一つ。他の物と同じように魔族の身体が生えていた。
しかしその顔は自分がよく見知った者の顔だった。
「お姉ちゃん……」
ティトはヨロヨロとおぼつかない足取りでそのマンイーターの元へ駆け寄った。それは自分が探し求めていた血の繋がった姉の変わり果てた姿だった。
「あ……あああぁぁあああぁあああああ!!」
悲鳴のような嗚咽が喉の奥から溢れる。瞳からは涙があふれた。身体から力が抜け自分の足で立つこともできずその場に崩れ落ちる。
その顔は優しく綺麗なあの時のままだった。自分より背が高く世話焼きで面倒見のいい姉。自分とは違い器用で料理上手な姉が羨ましかった。
だけど姉はいつも自分より妹のことを優先し守ってくれた。奴隷狩りに襲われた時も、姉は自分を囮にしてティトを逃がした。
だから今度は私が助ける。姉を救い出すためなら何でもするとティトは誓った。
だが、その希望も打ち砕かれた。姉はもう身体を完全にマンイーターに侵食されていた。目は虚ろで焦点が合わず、口元からは涎が垂れている。
あの時の優しい笑顔はもう存在しない。
ティトは発狂しそうになった。脳に硝子の破片が突き刺さったような痛みが走り、足元から全てが崩れ去っていくような感覚が襲う。周りが真っ暗になり上も下もなく闇の中へ落ちていく。
「なんだ。彼女は君の姉か。そうか、君は自分の姉を取り戻すためにここへ侵入してきたというわけか。はははは。それはいい。姉妹そろってのコレクションといのは初めてだからな。安心しなさい。君はちゃんとお姉ちゃんの隣に並べてあげるからね。これで永遠にお姉ちゃんと一緒にいれるわけだ」
グレイの言葉はティトの耳には届かなかった。ただ変わり果てた姉の足元で泣き崩れている。
するとそこへ一人の兵士が部屋に入ってきた。兵士は汗だくで肩で息をして急いでいるようだった。
「グレイ様!」
兵士は部屋へ入るなり叫んだ。その表情は青ざめている。
「なんだ?」
「あ、あの魔族が! オークが地下室から逃げ出しました!」
「なに?」とグレイは眉をひそめた。一体どうやって、と考えていると兵士は立て続けて言った。
「屋敷中の兵がオークを取り押さえようとしましたが……全滅です! オークに立ち向かった兵は皆殺しにされ、残った兵も自分の命惜しさに逃げ出しました! もうすぐ奴がここに――――」
兵士が次の言葉を発しようとした時。胸に激痛が走った。見ると背後から刺された剣が心臓を貫いていた。振り向くと、そこにいたのはサウスであった。
「がはッ!」
血を吐き倒れる兵士。サウスはそれを踏みつけ、剣に付いた血を振り払った。
現れたサウスは全身を血で濡らし佇んでいた。その血は自身のものではなく、返り血である。サウスはグレイを見据え剣先を向けると呟いた。
「また会ったな」