第二話 遭遇
「ちくしょおぉおおぉ! 俺の! 俺の腕があああぁあぁあ!」
腕を斬られた男は泣き叫びながら地面に蹲った。その悲痛な叫びだけが森の中を木霊する。
「うるせえ」
オークの剣が男の喉を切り裂いた。喉元から血が噴水のように吹き出し男は倒れた。
「テメエ……よくもやりやがったな!」
それを見た男の顔がみるみる怒りに染まっていく。手には鈍く光る刀剣が握られていた。
「馬鹿が……オークってのは噂通りの頭の悪さのようだな。大人しく見て見ぬふりすればいいものを。変な正義感か同情心か知らないが、愚かな奴だ。まあいい。一度剣を抜いた以上、生きて帰れると思うなよ? 命乞いしたって遅いからな」
男の言葉にオークは全く動じる気配がない。ただその場から動くこともなく相手を見つめる。
「魔族が人間様に刃向かおうなんてこの世界じゃ犯罪なんだよ。人間が魔族を殺すのは合法だが、その逆はない。つまり、テメエは死刑を受ける犯罪者だ。だが安心しろ。俺が直々に手を下してやる」
「言いたいのはそれだけか?」
「なに?」
男は目を疑った。オークは手に持った剣を鞘に戻し両手を広げたのだ。当然、両手には何も持っていない。
戦闘を放棄したのか? いや、オークの表情はそんなものではない。これは相手を挑発しているのだ。
お前を相手にするのに武器は必要ない、と。それを理解した男は怒りで顔を紅潮させた。
「テメエ舐めてんのか?」
「いいからさっさとかかってこい。お前の話を聞いてると日が暮れそうだ」
「ほざきやがれ!」
男は思いきり剣を振りかざした。上段からの強烈な一撃だ。
しかし、男の剣はオークの目の前でピタリと止まった。見ると、オークが両手で剣を挟むように受け止めていたのだ。
そしてそのままオークは手首を捻り、剣を半ばから折った。
「馬鹿な!」
男が驚愕の声をあげる。そして次の瞬間、オークの手が男の頭部を鷲掴みにした。男は必死でオークの手を引き剥がそうとするが、強靭な握力で指一つ外すことができない。そしてオークの力が次第に強まり、男の頭を圧迫していく。
「ま、待て! 命だけは――」
男の次の言葉を待たず、オークは男の頭を握り潰した。男の頭蓋骨は砕け中から脳漿がこぼれ落ち、眼球が飛び出した。真紅の醜い薔薇の肉片が咲き、強烈な悪臭を放った。
頭部を失った身体はダラリと脱力し、オークの手から崩れ落ちた。オークは真っ赤に染まった手を軽く払い何事もなくもう最後の男の方に振り向いた。
「ち、近付くんじゃねえ!」
男は獣人の少女の喉元にナイフを突きつけていた。男のナイフを握る手は微かに震えているのが伺える。
オークと獣人の少女には面識はない。オークが少女のために降伏する道理もない。だが男は少女を人質にとった。
恐怖でもはや正常な判断はできないのだろう。だがそれだけに尚厄介であった。
少女は自分の置かれた状況にただ怯え震えることしかできなかった。今目の前で起こっていることが現実なのか、それすら定かではない。
自分が現実逃避の中で見た夢の中にいるのではないか。そう思った。しかしそれにしては、これはあまりに酸鼻で、残忍な光景であった。
オークは獣人の少女を見た。怯えた表情の普通の獣人だ。別に彼女を助けようと思ったわけではない。ただ、人間だというだけで魔族に対して乱暴な扱いを許され、それを享受し好き放題な振る舞いをする人間が癇に障っただけだ。
少女の身を案ずる理由はない。たとえここで殺されようが関係ない。
しかし――
「動くな」
オークは一言そう言うと、腕に装着した武器を構えた。それは見なれない変わった武器だった。言うなれば、腕に装着する小型のボウガンである。
通常時は折り畳んであるため目立たないが、戦闘時にはこうして開かれる。そして構えてから矢が放たれるまではほんの一瞬に過ぎず、この距離なら防ぐことはまず不可能だ。
オークが放った矢は少女の頬を掠め、男の眉間を射抜いた。全くの意外な攻撃に男は反応することできず絶命した。
「いい子だ」
オークはそう言って腕のボウガンを閉じた。そして崩れたローブを羽織り直した。
少女は緊張が解けたのか、崩れるようにその場にへたり込んだ。頬からは赤い血が一筋流れている。失禁したせいで、少女の足元はぬれていた。
少女は目の前のオークを見上げた。一瞬ローブの下から見えた身体には、様々な武器がしまわれており、その肉体は強靭な筋肉に覆われ、無数の傷を負っていた。まるで現実離れした、異様な出で立ちであった。
「何よ……これ……あんた一体……何者よ……」
少女はオークに尋ねる。このオークがこの光景を作り上げた張本人。確かに自分を助けてくれたが、彼からは善人のような雰囲気は感じられない。まるで血に飢えた、獰猛な野獣のような匂いがした。
「私も殺すの?」
「俺は殺人鬼じゃない」
「もう……わけわかんない」
「お前もさっさと消えろ。またこいつ等みたいなクズ共が襲ってくるとも分からん。今日は運が良かったが、次からは自分の身は自分で守るんだな」
オークは冷たくそう言い放つと、少女に背中を向けた。彼にとって彼女は偶々その場に居合わせた傍観者に過ぎない。
しかし少女はオークの背中に向かって叫んだ。
「待って! あなたオーク族でしょ? 確か、オーク族は人間の勇者に絶滅させられたって聞いてたけど……。あなた、もしかしてその生き――」
オークの足が止まり、少女の首を掴んだ。勢いで少女は背後の木に身体を打ち付けられる。オークの目は怒りで深く凍り付いていた。
「おい小娘。ここから先は口に気をつけろ。お前が気安く踏み込んでいい領域ではない。俺が誰だろうとお前には関係ない。お前を助けたのもただの偶然だ。分かったか?」
「く……苦しい……」
オークが手を放すと、少女は深く咳き込んだ。やはりこのオークは善人とは程遠いようだ。しかし、彼女はあきらめなかった。
「私は……私のお姉ちゃんは、魔族ってだけで奴隷狩りに連れ攫われたわ。両親は人間に刃向かった罪で処刑された。どこにも帰る場所なんてないの」
少女は一つ一つ言葉を選ぶように言った。オークはそれを黙って聞いていた。
「でも……お姉ちゃんはまだ生きている。奴隷狩りに攫われた後、ある奴隷商人に売られたの。私はその情報を元にお姉ちゃんを探していて、その時にこいつらに襲われて……」
「要点を言え」
オークは急かすように言った。少女はいったん言葉を飲み込むと、オークの目を見つめ言った。
「その奴隷商人の名はグレイ。魔王を殺した五人の勇者の一人よ」