平成最後の自民党総裁選が意味するもの
自信喪失の平成の日本。アメリカの変質という現実に気づき「戦後の国体」からの脱却を
白井聡 京都精華大学人文学部専任講師

自民党総裁選を終え、壇上で手をつなぐ3選の安倍晋三首相(右)と敗れた石破茂・元幹事長=2018年9月20日
論戦から逃亡した安倍晋三
自民党総裁選という儀式がおわった。平成からポスト平成へと元号がかわり、天皇が代わっても、安倍晋三氏が総理の座にいることが、事実上、確定した。
この平成の終わりの選挙が、日本の何の終わりを意味するのかを考えておきたい。
今回の総裁選は、「終わり」=「末期」を強く印象づけるものだった。最終段階でテレビ討論はあったものの、外交日程などを盾に、安倍首相の姿勢は論戦を極力避けようというものだった。そのテレビ討論も、討論と呼ぶにふさわしいものだったのか。詭弁(きべん)によって議論から逃げようとする首相の姿のみが印象に残った。
そもそも総裁選に対し、安倍氏は最初から乗り気でなかったようだ。総裁選前、安倍氏は石破茂氏が総裁選に立候補することについて、こう周囲に語ったという。「現職がいるのに総裁選に出るというのは、現職に辞めろと迫るのと同じだ」と。
現職の総裁が続ける意思がある以上、総裁選は必要ないということらしいが、それならば党規約を改定して総裁選を廃したらいかがだろうか。
壊滅的な状況に陥った統治機構
冗談はさておき、総裁選の過程で明白になったのは、安倍首相の政治手法は恐怖政治の段階に達したという事実だ。石破茂氏の支持勢力に対する恫喝(どうかつ)が、公然と行なわれた。
安倍政権が長期政権化するなかで、行政、議会、司法といった日本のあらゆる統治機構が機能不全をおこしてきたが、政党も例外ではなくなった。
本来、次のリーダーをめざす人材が、政見を論じ、政策をたたかわせ、政党の活力を高める「場」であるはずの自民党総裁選が、まったく機能しなかったのは、その証左だ。日本の統治機構はすでに「ポイント・オブ・ノーリターン」を越えて、壊滅的な状況に陥っているようにみえる。
なぜ、そんなことになってしまったのか?
ややミドルスパンの話でいうと、それは「平成」という時代が何だったのかという問いにつながる。
平成は丸ごと「失われた30年」