4月22日、1回表のマウンドに上がったハイメ・バリーア(ロサンゼルス・エンジェルス)は、2番打者のブランドン・ベルト(サンフランシスコ・ジャイアンツ)をライトへのライナーに討ち取るのに、21球を要した。
1打席21球は、データが存在する1988年以降の新記録だという。MLB.comをはじめ、いくつものメディアがそう報じた。それらによると、1998年6月26日にバートロ・コローン(現テキサス・レンジャーズ)が20球を投げ、リッキー・グティエレスを三振に仕留めたのが、これまでの最多だった。
ただ、1988年と言えば、たった30年前だ。SABRのビル・ラムバーティは、19世紀から20世紀にかけてプレーしたロイ・トーマスのバイオグラフィに「27球をファウル」と記している。また、2003年のベースボール・ダイジェストによれば、ルーク・アップリングは1940年にレッド・ラフィングから24本のファウルを打った後、四球で出塁したという。そう語るアップリング自身のコメントも載せている。
どちらも、本当であれば21球よりも多い。だが、トーマスのみならずアップリングの場合も、どの打席どころか、どの試合なのかさえ判然としない(アップリングの打席に関しては、先日、ワシントン・ポストのマット・ボーンスティールが詳しく検証している)。ニューヨーク・タイムズは1991年にアップリングの死去を報じた際、元チームメイトのテッド・ライオンズがこの打席(だと思われる)について語ったコメントを紹介しており、そこには、カウント3-2から14球をファウルにして四球とある。これだと、1打席20球かもしれない。ライオンズは1986年に亡くなっている。
なお、ベルトに対する21球を含め、バリーアは1回表に49球を投げた。こちらも1988年以降のデータだが、初回の投球数としてはチャック・フィンリー(1991年6月15日)の50球に次ぐ。当時のフィンリーも、バリーアと同じくエンジェルスの投手だった。もっとも、フィンリーが1回裏の途中で降板し、結局、7失点となったのに対し、バリーアは1死満塁としたものの、無失点で初回を切り抜けた。