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ロスト=ストーリーは斯く綴れり 作者:馬面

ウェンブリー編

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第4章:偉大なる詐術者(7)

 揺れる光に冷たい石の壁が波打つ中、二人の男が鉄格子を挟んで対峙する。

 それは一見、勝者と敗者の構図であるかのようだが、敗者の眼はそこにはなかった。

「よう、数日振りか……イマイチ時間の感覚がわかんねーが」

 実際には10日近く経過しているが――――それ以上に時が経ったのではないかと錯覚してしまう程、ラインハルト=ルーニーの外見は変わっていた。

 剣は取り上げられ、身に付けているのはボロ切れのような布だけ。

 あちこちに擦り傷や汚れが散見される。

 手には枷が嵌められており、その自由を奪われている。

 頬もこけているようだ。

 しかし、眼だけは――――あの時のままだった。

「負け犬の無様な姿を見に来た、って顔じゃないな。何の用だ?」

「魔崩剣の仕組みについて聞きたい」

 アウロスは率直に、自分の希望だけを述べた。

「それに答える義務はない、な」

「そうか」

「……」

 そのあっけない返事に感じるものがあったのか――――ラインハルトは急に笑みを浮かべ出し、目の前の鉄格子を足先で突付く。

 久し振りに玩具を見た子供のような無邪気さはないが、どこかそれに近い表情だった。

「言っておくが、拷問しようとしても無駄だぞ。ここには尋常じゃない封術が施されている。お前の魔術は俺には届かん」

 封術が施されている扉や箱には、魔術の殺傷力が一切その効果をもたらさない。

 封術が通常の施錠より効果的とされる理由の一つだ。

「尤も、お前が解除コードを知っているのなら話は別だがな」

「生憎だが知らない。でも開けるのは多分可能だ」

 まるで日曜大工のような手軽さでそう言ってのけるアウロスに対し、ラインハルトの表情が一変した。

「お前な……大学の魔術士なら、これが超厳重な封術って事くらいわかるだろ? 無駄な見栄を張るな」

「流石に時間は掛かる。そうだな……1時間強ってとこか」

 当然とも言えるラインハルトの呆れ顔は無視して、アウロスは解術の準備に取り掛かった。

 解除コードのない状態での解術は、謂わばパズルを解くようなもので、対応するルーン配列を何度も何度も組み立てて少しずつ解いて行くと言う、極めて綿密で長期的な作業だ。

 魔力は余り消費しないが、精神はかなり磨り減る。

「おい。まさか本当に開けられるのか?」

 そんなラインハルトの声も、アウロスの耳には届かない。

 黙々と、粛々と、単純な作業が延々と続く。

 そして――――68分後。

 金属の糸で鉄の棒を擦ったような音が響き、アウロスが扉に手を添える。

 微かな力の伝導により、鉄格子の一部がゆっくりと開いた。

「マジか……」

 その言葉を遮る鉄の棒は既にない。

 アウロスとラインハルトは、10日振りに張り詰めた空気のみを間に挟み、対峙する格好となった。

「全く……大したヤツだな。俺をあそこまで追い込んだ事と良い、呆れるしかねーな。とても年相応には思えん」

 そう褒めつつも、表情には正反対の意味を付随した笑みが漏れる。

 次の言葉の予備動作だった。

「が、やはりガキだな。丸腰の俺なら注意の必要はないとでも思ったか? 剣士たる者、剣がなくても戦う術は幾らでもある。お前ら魔術士とは違ってな。さあ、あの時の続きといこうじゃないか。俺に勝てたら話してやっても……ぎゃあああああ!?」

 雷撃一閃。

 喋りが長かったので、こっそりルーリングする時間はたんまりあった。

「ひ、卑怯だぞ……丸腰の俺に不意打ちとは……」

 再戦は開始前に終わった。

 アウロスは負け犬を平素な目で見下ろしつつ、逃亡されないように鉄格子に封術を施す。

 当初の目論見では、扉を開けた見返りに情報を得て、脱走を試みる前に再び閉める(『扉を開けるとは言ったが脱走を許すとは言っていない』と言う決め科白付き)と言った流れを想定していたのだが、提案の前にケンカを売って来た挙句言質まで頂いたので、問題なく進行を続ける事にした。

「それじゃ、魔崩剣について話して貰おう。大学の図書室で調べてみたけど全然載ってないんだ」

 脱出の可能性とリベンジの機会が同時に消失した事で精神をやられたラインハルトは、仰向けに倒れたまま諦観気味な表情を浮かべた。

 観念、とまでは行かないものの、敢えて喋らない理由も見当たらなかったらしい。

「……重要なのは、この眼だ」

 そしてポツリと零し始める。

 涙のように小さな声で。

「俺を始めとする魔崩剣の使い手は、魔術の接合点が見える。ボヤっと赤く光ってる感じだ。そこを、魔崩剣専用の剣で斬る。それだけの話だ」

 謙遜か本心か――――実際は決して容易ではないその技術に対し、ラインハルトは事もなげにそう告げる。

「その剣は今どこにある?」

「知らねーよ。目を覚ました時にゃ既にこの格好さ」

 領の掌を上に向け、かぶりを振る。

 本来、この状況は一流の剣士にとっては自害すら選択肢に入る程の屈辱的なものだが、ラインハルトには余り悲壮感が見られない。

 アウロスは少し、ほんの少しだがそれを面白いと思っていた。

「大体お前、魔崩剣の使い手に勝ったじゃねーか。原理を知る必要ねーだろ?」

「魔術を無効化するって事は、ルーリングによって形成された魔術の性質を打ち消すって事だ」

「……は?」

「そのシステムを知りたかっただけだ」

 アウロスが魔崩剣に興味を持ったのは、単に好奇心と言う訳ではない。

 仮に魔崩剣が金属の特殊加工によって魔術を消失させると言う技術なら、正反対の技術――――つまり、魔術を記憶させる事も可能なのではないか、と言う期待があっての事だった。

 しかしラインハルトの説明だけでは、その可能性についての判断は難しかった。  

「聞きたい事はもう一つある」

「はいはい、何でも喋ってやるよ」

 槍を投げるようなラインハルトの物言いに、アウロスは一抹の不安を覚えつつ、静かな口調で問う。

「お前、本当に『魔術士殺し』なのか?」

 その言葉に対し――――ラインハルトの表情に変化はなかった。

「前に確認した時は、はっきりと肯定してなかったよな。正式な答えを聞きたい」

 4つの眸が動かずに交差する。

 映し出すは心か鏡か――――見上げる眼は静かに目尻を下げた。

「さあな。そう呼ばれているかも知れねーし、違うかも知れねー。そう呼ばれてる人間はごまんといる」

 その返答は、アウロスを困らすに十分だった。

 眉間に寄る皺を軽く揉む。

「そんなに?」

「お前は知らないかも知れんがな、魔術士が買ってる恨みは半端な数じゃねーんだ。当然魔術士を狙う人間は数多と存在する。お前が守ったあの総大司教なんて特にそうだ」

 ラインハルトの表情が苦く歪む。

 10日前は冥土の土産を断られた格好だったが、ここでは要求された回答の一部として語られる事になる。

 その気分は何れにせよ、良いものではないらしい。

「あいつはな。戦争にかこつけて、一つの村の住民を、皆殺しに……しやがったんだ。それも、自分の国の村をな」

 エチェベリア国の剣士が口にしたのは、衝撃の事実の筈だった。

 しかしアウロスは何も顔に出さない。

 アウロスにとって、それは驚愕には値しなかった。

「その村には、敵国であるエチェベリアの人間が住んでいた。そいつらを匿った村人を全員殺したのさ。女子供も関係なくな」

 聞き手の沈黙にやや感情を乱されつつ、続ける。

 全ては次の言葉の為に。

「そのエチェベリア人は、俺の母親だった。やんごとなき事情で父親と別居中のな」

 その告白に、アウロスの表情は――――動かない。

「親の仇……陳腐な理由だろうよ。だが俺はあいつを許さねえ。例えここで朽ちる事になっても怨念で殺してやるさ」

 最後まで変わる事のなかったアウロスに対する苛立ちもあったのか、ラインハルトは殺気立った視線を向けて来た。

 それをかわすでもなく、受けるでもなく、他人を見るだけの目でアウロスは見続ける。

 何ら変化なく。

「お前の行動理念はわかった。けど、あの婆さんを殺すのは止めとけ。出来るかどうかは別にしてな」

「婆さん、と来たか。つくづく変なヤツだなお前は」

 魔術士にとって、総大司教は王家の人間に等しい存在。

 アウロスは魔術士ではないと主張しているが、この国に住み、魔術を操る者がそう看做されない事はまず考えられない。

 もし、この国に住む他の第三者が今の発言を聞いていたら、アウロスを問答無用で殺したとしても、罪に問われる事はないだろう。

「あの婆さんは恐らく、常に苦しみの中で生きている。今殺しても楽にするだけだ」

 激昂――――そう呼んで差し支えないラインハルトの表情がアウロスを襲った。

 尤も、魔術によるダメージはかなり大きいらしく、行動で示す事は叶わない。

「……苦しみだと? 殺しの報酬で総大司教と言う不相応な身分を得た人間に、何の苦しみがあると言うんだ!」

 代わりに吼える。

 重力に逆らって宙を待った咆哮は、アウロスの瞼の傷痕を僅かに疼かせた。

「わからないか? 魔術士殺し――――そんな物騒な奴が出没したって情報が出回っているのなら、たかが一富豪の展覧会に総大司教が出向く筈がないんだ」

「……」

 その説明は、圧倒的に理路整然としていた。

 ラインハルトの獣のような怒りが鎮まるほどに。

「それでも彼女は出向いた。『そうせざるを得なかった』理由があったんだろう」

「理由だと?」

「魔術士の世界は女性であっても生き易い方だが、上位者ともなるとそうは行かない。総大司教に女性の席があると言う事実を忌み嫌う人間は、必ずいる。もしかしたら、日常的に耐え難い嫌がらせでも受けていて、教会から逃げ出したのかもしれない」

 アウロスの表情にようやく変化が訪れた。

 同情も嫌悪もないが、どこか悲しげな顔。

 ラインハルトはその変化に若干驚いた様子を見せたが、直ぐに打ち消して反論を試みる。

「そんな憶測……」

「どうしてわざわざ子供を連れて来ていた?」

 言葉を被せる。

 そして直ぐに連ねる。

「教会に置いて来たら、何をされるかわからないから……じゃないのか?」

「……フン。それは違うな。子供が殺されても構わないからだ。あの親子は血が繋がっていない」

 何故その事実を知っているのか――――その疑問より先に、アウロスの脳を刺激したのは、ラインハルトのまるで駄々っ子のような表情だった。

「子供を守るなんてのは母性に特化した反応形式じゃない。生物が生物である為の矜持だ。だがあの女は殺した! 見境なく! そんな人間が生物の誇りなど持ち得るものか!」

 先程の殺気とは打って変わって、聞く者を困らせる、がなり声。

 アウロスは狼狽を押し殺すように、目を閉じた。

「俺はその現場を知らない。肯定も否定も出来ない。ただ、あの婆さんはオルナに好かれたがってた」

「どうだかな。所詮は他人だ」

「血の繋がりなんて、世間で言われている程強くはない。それよりも、与えるから頂く、頂くから与えるって言う利害関係の方が余程純粋でわかり易い。温もりを欲する為の愛情……これも一種の利害関係だ」

 アウロスのその自論は、決して一般向けではない。

 しかしこう言う思想を抱くにはそれなりに理由があり、確信がある。

 それを察したラインハルトは、確めるようにアウロスの顔を見上げた。

「……本当にそう思うのか?」

「ああ」

 その淀みない肯定に、思う所があったのか――――ラインハルトの顔から険が消える。

 そして、どこか救われたかのようなその表情から一変して、底意地の悪そうな笑みを浮かべた。 

「あーだこーだ言ってるが、結局はお前、あの子供から母親が奪われるのが嫌なんだろ?」

「……」

 戦いの最中に見せたアウロスの動揺を目聡く付いたその指摘は、何気に図星だった。

「ま、どうせ俺はここからは出られないから、俺の復讐心など無意味なんだろうけどな」

 自嘲気味な言葉だが、悲壮感はない。

 しっかりと野心を隠し持った人間の声だ。

「俺も一つ聞きたい事があったんだ。何故お前には魔崩剣を目の当たりにして平然としていられたんだ?」

「……ある種の親近感、かな」

「はあ?」

 全く想定外の答えだったようで、ラインハルトの顔に奇妙な筋肉の伸縮が見られる。

 アウロスは内心、苦笑を禁じ得なかった。

「俺は昔、魔術の人体実験の試験体を務めていた事がある。毎日のように魔術を身体に受けた結果、ボロボロの身体にされた。だから魔術は好きじゃない。それだけの話だ」

 事実――――アウロスにとってはそれだけの話だった。

 魔術が嫌い。

 ならば、嫌いな魔術が封殺されても、動揺や恐怖など生まれる筈もない。

「それだけ……ね。そんな事をされても魔術の傍にいられるもんなのか?」

「さあな。魔術士の中にも良い奴もいれば、吐き気を催すような下衆もいる。いちいち同じ括りには出来ない」

 種族も血も肌の色も思想も、結局の所は個を形成する一要素に過ぎない。

 そんな事は誰でもわかる。

 が、それを許す程の自由は世界には存在しない。

 それを身をもって体験して来たアウロスは、それでもその考えに着地した。

「……どーも、お前と話してると自分がガキみたいな気分にさせられるな」

「それはお前の精神年齢が悪い」

「悪いって何だ悪いって!」

 ラインハルトの怒号が監房内に響く――――のとほぼ同時に、別の場所で人工的な音が鳴った。

 恐らくは人の声。

 言葉として認識するには余りに遠いが。

「俺等以外の誰かが居る……?」

「ここは収容所の割に人通りが多い。見つかればただじゃ済まないんじゃないのか? 私欲でここに来たのは明らかだしな」

 ラインハルトの言葉は興味深いものだったが、その詳細を聞く余裕はアウロスにはなかった。

 指摘通り、大学関係者に見つかれば厄介な事態になる。

 入り口に封術が施されていると言う事は、立ち入り禁止区域に指定されているのと同義だ。

「ここまでか。もう少し深く聞きたかったが……仕方ない」

 アウロスはランプの炎を消し、闇に塗りつぶされた鉄格子に背を向ける。

 それが見えているかのようなタイミングで、ラインハルトが声を掛けた。

「一つ良い事教えてやる。魔崩剣はな、生物兵器を応用した技術だ」

「……何?」

「詳細は知らねーが、魔術の形成組織を崩壊させる性質を持った『バイラス』とか言う生物兵器を金属に同化させるらしい。それで魔術の接合点を斬ると、魔術は消失する。接合点を見える眼と正確にそこを斬る技術、そしてその剣があって初めて成り立つ技だ」

 どこか吹っ切れたように言葉を紡ぐ。

 表情は窺い知れないが、恐らくは誇らしげな笑みを携えて。

「何故話した? すっとぼけてればそれで良かったろ」

「さーな。そっちこそ、何故俺が魔術士殺しじゃないと踏んだ? だから聞いたんだろ?」

「お前が一人も殺さなかったからだ」

 即答。

 それは、紛れもなく確証だった。

「殺す気はあったんだがな。1人だけは」

「どうだか」

 血の気配はあった。

 臭いもあった。

 人を殺めた人間にのみ身に付く、死臭と血液で錆びた金属のような殺気。

 それは確かにあった。

 しかし――――必ず付随する筈の、死を宣告された恐怖はなかった。

 アウロスはその事を思い出しつつ、闇の中で歩を進めた。


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