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先週は「ユリイカ」誌の原稿を書くので更新出来なかった。
来月までBABYMETALは公的な活動は予定されておらず、ファンにとっての飢餓状態は続く。こういう時期こそ本ブログの様なところはせっせと書くべきとは思っており、メタル論、SU-METALのヴォーカル再論など書きたいモチーフはあるのだけれど、なかなか時間が作れない。
父逝去後の法務、会計関係の手続きがやっと昨日一段落して安堵していたところだったが、驚きの訃報を聞いた。
昭和の特撮美術監督を多く務められ、近年までCMの美術監督を長く続けられた池谷仙克さんが亡くなられた。
昨年に出版した怪獣小説アンソロジー「日本怪獣侵略伝~ご当地怪獣異聞集~」(洋泉社)で、私が書いた小説に挿画を描いて戴いており、ご挨拶に伺わねばとずっと思っていたのに……。
キツネサインの元ネタであるメロイック・サインが、単に「ロニー・ディオがやってたからカッコイイので広まった」(ロニーは魔術マニアだった)以外に現在敷衍している様々な解釈については、このブログでもずっと以前に触れたと思う。
どうもしかし、これはある特定の時期に論じられたものの様だ。
先般、80~90年代のロサンジェルスのパンク・シーンを捉えたドキュメンタリ映画「ザ・デクライン(西欧文明の衰退)」三部作をDVDで観たのだが、2作目はL.A.メタル勃興時のメタル・シーンを描いた「メタル・イヤーズ」だ。インタヴューイーとして登場する若い諸バンド・メンバー(現代の目で見るとあまりに恥ずかしい扮装をしている)の談話は、デイヴ・ムスティンを筆頭に何れも、メタル・バンドとしてのアティテュードから全く逸脱しない。音楽雑誌取材の様な(つまらない)談話と同質だ。ポール・スタンレーの場面は、裸の女を数人はべらせ横たわった姿勢を上から撮影している。つまり、「どう他者から見られたいか」というペルソナを体現している。
(オジー・オズボーンや故・レミー・キルミスターといったイギリス勢は例外的に自然体を晒していた)。
後年サム・ダンが、ミュージシャンとしての本音を聞き出したメタル・ドキュメンタリ諸作のそれとは真逆の取材スタイルだ。というより、サム・ダンはそれを狙ったとも思える。
しかしドキュメンタリとしてつまらない訳では決して無い。監督(ペネロープ・スフィーリス/後に『ウェインズ・ワールド』を撮る)は特にガター・パンク(ホームレスなパンクス)の心情に沿ってフィルムを回している。全ての映画の冒頭は、登場ミュージシャン全員にステージ上で言わせる「客席も撮影するけど文句言うなよ」宣言をモンタージュしており、キャメラが記録している事を意識させた上で被写体を捉える姿勢は、モダンなドキュメンタリの王道的な手法でもある。
「メタル・イヤーズ」に、流行り始めていたメロイック・サイン(まだその呼称は使われていない)を説明する場面があるのだが、ティッパー・ゴアのPMRC関係者らしき女性はサインをレンズに向けて作り、「このサインには6,6,6が含まれている」と得意気に述べる(だから悪魔的でありヘヴィ・メタルは社会から排除すべきという主張)。
流石に「アホですか」と漏らさざるを得なかった。ならば、普通のピースサインであっても3本の指が折られている訳で、これまた「666」なのだから。
ともあれ、あのサインは最初から悪魔信仰とはほぼ無関係なのであった。
暫く前、National Geographicチャンネルで「血塗られた遺物」というドキュメンタリーを見ていた。今年製作の新作で、ISISによって破壊された古代文明遺跡の一部や遺物の多くが、アンダーグラウンドのブローカーによって欧州各地で売り払われている事を告発するものだった。当然ながらこれらの売却はISISの活動資金となっていた。
リポーターはイギリスのジャーナリストで、やや危険な潜入取材も試みるのだが、キャメラに決定的な瞬間を収める事は出来ず証言構成が主となっていた。
ロンドン市内でも遺物を売る業者がおり、それを仲介しているらしいブローカーを突き止め、そのブローカーはトルコ人だった。
その人物が映った画像をPCで見ると、リポーターは通訳の女性に「これ、何のポーズ?」と訊ねる。「ヘヴィメタル」そう言って女性はメロイック・サインを作って見せた。しかし画像に写っている男のポーズはそれではなくキツネサインだったのである。
はて、トルコ人のキツネサインというのは見覚えがあるなと、衰えつつある記憶を手繰ると、ジャン・レノ主演の映画だった事をやっと思い出した。
「エンパイア・オブ・ザ・ウルフ」(2005)は、ジャン・レノが以前主演した「クリムゾン・リバー」と同じ原作者の小説を映画化したものだ。記憶を喪失した主婦が、自分に覚えのない整形跡を見つけるスリラーと、違法移民連続殺人事件を交錯させた映画で、ミステリとしてはあまり良い物語と言えない。
この映画の「悪の組織」として登場するのが「灰色の狼」という実在のオスマン帝国主義トルコ極右組織で、彼らのポーズが「狼」を模した件のサインなのである。映画ではそれについてはさらりと触れるのみだった。
その組織の思想性等はさておいて、トルコの周辺国では件のサインはその団体を象徴するものとして広くではないだろうが、知られている様だ。
さて、この様な事があるからと言って私は当然ながら、ポリティカリーにインコレクトだとか、アンスータブル(不適切)だなどと言ってBABYMETALはキツネサインを控えるべきとは考えない。『META!メタ太郎』には指を伸ばした腕を斜め前方に差し出す振りが、敬礼と交互に実行されるパートがある。瞬間的にではあるがローマ式敬礼に見える事から、ドイツでこの振り付けは拙いのではという声があった。しかし何の問題もなく、この振り付けのままドイツでもパフォーマンスする事が出来た。
長らくドイツ国内では発売禁止であった「わが闘争」が遂に多大な注釈入りで復刊され、状況は変化しているのだが、あの敬礼については今も尚タブーとなっている。フィル・アンセルモの近年最大のヘマであった「ホワイト・パワー」宣言は、あのポーズ付きだった事も問題視されたのだ。
外国語の歌詞がその国の言語としては不適切な音韻に近い、という理由で変更されるという例は、過去に幾つかあった。今のところ幸いにしてBABYMETALにその様な事例は無い。
キツネサインばかりではなく、MIKIKO-METALの創造性から生まれたポーズやサインの中には、他国の文化で何らかのタブーに触れる様なものが無いとも言いきれまい。
そして、アメリカも欧州も、ISISによるものばかりではない殺傷事件は頻繁に起きている。
そんな時代に、無防備な少女達を海外遠征させる事について、事務所がどれだけ胃を痛めるかは容易に想像もつく。
テロばかりではなく、政治的に今欧州は極めて不安定になっている。
しかしそうだとしても、今、BABYMETALは「なんじゃこりゃ」と多くの笑顔を作りに海を越えている。
何らかのタブーに触れる危険はあるとしても、それでも歌で、振り付けでBABYMETALは異国の人々に強く語りかける。タブーの危険があるからとモラトリアムに陥っている無気力さ、無関心さの方が遥かに危険なのだ。
今は音楽の嗜好性という、社会に於いては左程の問題とはならない領域でああるが、BABYMETALは壁を突き崩し続けている。「◯◯は××でなければならない」という固定観念を破壊し、「こ、これもアリかも」「いやこれしかない」という意識の変化を起こし続けてきた。
その意識変化の対象が、社会全体にまでフレームが広げられたなら、きっと今よりも平穏な気持ちが持てるに違いない。
BABYMETALが、「BABYMETALというジャンル」を否応なく確立した事を周知させた時、社会に於けるダイヴァーシティ(台場のZeppがあるビルの事ではなく「多様性」)が真の意味を持つのだろう。
本エントリは4月の『METAL RESISTANCE』発売後間もない時期に書いたものながら、アップを躊躇っていた記事である。位置づけとしてはプログラム論考の前振りだったのだけれど、『NO RAIN, NO RAINBOW』そのものとはあまり関係が無い。
東京ドームで初めて生で聴いた『NO RAIN, NO RAINBOW』が素晴らしかった事は前に書いている。
『NO RAIN, NO RAINBOW』は2014年の武道館にても披露され、映像ソフト化されていた既発表曲だが、私はこれまでこの曲について触れる事を避けていた。
中元すず香の歌としては勿論堪能出来るし、メタルに限らずロックのライヴでバラードがセットリストに入る事は普遍的であり、存在意義はあると思う。
個人的趣味嗜好を告白せねばなるまいが、私はバラードというものがどうしても好きではない。
これはBABYMETALだからなのではなく、基本的な趣味の問題だ。
静かな曲を聴きたいのであれば、そうしたサウンドを主とするジャンルのものを聴く。
激しい音圧を浴びたいが故に聴いているロックのアルバムでバラードがあると、私は落胆してしまう。
学生時代、パーティーのハコバン(ド)をバイトで幾度か経験したが、バラードを演るのが嫌で嫌で仕方なかった。ベースはルートを淡々と弾くばかりで、良い気分なのはヴォーカルだけじゃないかと不満を募らせたのも、トラウマ的にはあるのだろう。
例外的に、デヴィッド・フォスターがアレンジしたバラードは、プログレ由来の屈折したテンションや、一回だけ変化する様な工夫がアレンジに盛り込まれており嫌いではなかった(尤も、音源では大抵シンセベースなのだが)。
アイドルの歌うバラード、となると唯一私が好きになったのは、少女隊のアルバムには必ず1曲入っていた「安原麗子のソロバラード」だった。
少女隊についてはいずれ書くかもしれない(ブログ初期は書く気でいたのだが完全に機を逸してしまった)。これは楽曲が当時のアイドルの歌とは思えないAORであったのと、安原麗子のウィスパー・ヴォイス歌唱が恐ろしくマッチしていたからだった。
メタル/ロックに於けるバラードは、そのバンドのターニング・ポイントを握った例が多いのも、私にとってはネガティヴな印象となっている。
KISSが最初にブレイクしたのはピーター・クリスが歌う「Beth」であった。それまでアングラなロックンロール・バンドだったKISSがレコード・セールスも上げ始めるには、この曲のシングル・ヒットが必要だったのだ。
私が大好きだったファンク・メタルバンドExtream(つい先日来日。ライヴ行きたかった……)。も、代表曲となると「More Than Words」というアンプラグド・バラードだった。
お陰でExtreamと言えばこの曲を先ず思い浮かべる人が多勢となってしまい、ヌーノ・ベッテンコートの繰り出すグルーヴに満ちたリフをメインにした、極めて独自なバンド・サウンドの影が薄くなってしまった(勿論 Get The Funk Outといったヒット曲もあるのだが)。
余談だが、2014年頃か、ヌーノは打上げのクラブか何処かで自ら持参した『BABYMETAL』(アルバム)を掛けたらしい。いつかレコーディングにでも参加してくれたらと淡い期待を抱いている。
L.A.メタル全盛時にバラードは必須になっていた。
最近では、メタル/ロックのバラードは「パワー・バラード」と呼ばれている。
恐らく、パワー・バラードのアーキタイプとなったグループと言えば、意外かもしれないがCarpentesである。
1972年のアルバム「A Song For You」に収められた「Goodbye To Love」がそれだ。
甘いラヴバラードの様な曲調だが、「私にはもう愛など無関係なのだ」と恐ろしく悲壮な歌詞である。
Carpentersのアルバムは半分は既存曲をCarpenters流にアレンジしたもので、それ以外がRichard Carpenterのオリジナルだ。デビュウ・シングルは「Ticket To Ride」であるし(殆どヒットせず)、ヒットした曲もカヴァーとオリジナルは半々ぐらいだろう。
しかしこれはリチャードが謙虚なのではなく、自分の才能に強い自信を持っていたからだと思う。自分が書いた曲と、バート・バカラックの「遥かなる影 (Close To You)」を並べているのだ(この曲の提案自体は当時A&M社長だったハーブ・アルパートだったが)。
鉄壁な砂糖コーティングが施されたCarpenters楽曲は、曲調からして楽器のソロがある場合にはオーボエやクラリネット、サックスがとる場合が多い。卓越した鍵盤の腕を持つリチャードだが、あまりソロを積極的に弾こうとはしなかった。
「Goodbye To Love」のレコーディング時、リチャードはファズ・ギターのソロを入れたいと言い出す。
当時前座を務めていたバンドのギタリスト、トニー・ペルーソにカレンが直接電話をして、ギターを持ってスタジオに来て欲しいと要請した。
驚きながらも、ペルーソは曲に合った様なソフトなソロを最初に弾くが、リチャードは「違う違う、最初の6小節から後はもっと激しく!」と駄目出しをする。
結果、ブルージーでアグレッシヴなソロが中間とエンディングに録音されている。
ファズのみでリヴァーブさえ掛かっておらず、浮いていると言えば浮いているのだが、この曲は最早このソロが不可欠な存在となった。
このBBCが放送したライヴでも、ギターを弾いているのはペルーソ。「Goodbye To Love」のレコーディング以来、彼はツアーでも録音でもカーペンターズを12年間サポートした。2010年に亡くなっている。
Carpentersの以降の楽曲では、こんな趣向の曲は録音されていない。
少なくとも70年代後半のロックバンドがバラードで、いきなり激しいディストーションのソロをやってもいいと思ったのは、この曲の存在が無意識下に影響していたとは類推出来ると思う。
本稿としては余談になるのだが、この曲の歌メロには♭や♯が多々つく半音階が多用され、更にはブレス位置が極端に少ない。こう書くとBABYMETAL主力作家の作風を連想させるが、勿論何の関係も無いだろう。
『THE ONE』もパワー・バラードだと受け取るレヴュワーが多いが、プログレ・バンドのレパートリーという見方からすればシンフォニック・トラックの範疇で、敢えてバラードと呼ぶ必要もないと個人的には思う(勿論『Unfinished Ver.』はバラードだ)。
『NO RAIN, NO RAINBOW』は、曲としてはメロディ/コードも歌詞も、SU-METALが一度歌った『翼をください』と比べてしまうと、意地悪く言えばあまりに凡庸だ。Aメロの下降コード進行で残りの大凡の曲想は見当がついてしまう。
しかしこの曲はSU-METALのポテンシャルを広げるキーともなる曲であった。
個人的には、メロにせよコードにせよ、もうちょっと捻って欲しかったのだけれど、それをやればSU-METALの歌がすんなりと聴取者に届かなくなってしまう可能性もあろう。
そういう事として私は自らを収めようと思っていた。
しかし、雑誌インタヴュウでKOBAMETALはこの曲を「Billy Joelの『Honesty』みたいなのいいよね」というところでプロデュースしたと述べていて、「ええ~? だったらもうちょい凝ろうよ。あんなフックの多い曲もないんだから」と率直に思ったのだった。
しかし振り返れば、メタル・バンドのパワー・バラード自体、凝った様な曲はあまり無い気もする。パワー・バラードはそういうものだと捉えるべきなのかもしれない。
『METAL RESISTANCE』に於けるこのトラックは、Ledaによる多重録音のギター・ソロがフィーチュアされている。
この部分を海外のレヴュワーは「Queen(ブライアン・メイ)風」と捉えた人が多く、確かにそういうものを狙ってはいただろう。
しかし殊更に「あの音」、端的に言えばBurnsのTri-sonicシングルコイル・ピックアップのフェイズ・アウト出力で、レンジマスター(トレブル・ブースター)を噛ませてVOX AC100AC30(か、ジョン・ディーコン製作のDeacy AMP)を鳴らし、最低でも30回は音を重ねる事で得られるギター・オーケストレーションではない。
ライヴでの再現性を考慮して、ツインが主ラインとなっている。
これが「良い塩梅」だったと思う。もっと似せる事は幾らでも出来る筈だが、Queenの中の人の一部には洒落が通じない事を、私は知っているのだから。
90年代末に脚本を書いたあるロボット・アニメの主題曲が、あまりにもアレっぽかったのだが、海外版をリリースしてからややして、何らかのクレームがついてしまった(訴訟とはなっていない)。どのメンバーかは知らないが、子どもがそのアニメを見ていて「この曲、お父さん達の曲に似ているね」的な事を言ったらしい。勿論子どもは責められまい。
このシリーズは幾度もDVDやBlu-rayで再発売されてきているが、主題曲は新規に作られた曲に差替えられており、オリジナル版の発売は二度と叶わなくなっしまった。
という事で、『NO RAIN, NO RAINBOW』のギター・ソロが「あんまり似てない」事に、個人的には胸を大いに撫で下ろしたのだった。
オマージュと剽窃の境界は極めて恣意的なものなのだと思い知らされた出来事だった。
昨日の本屋B&Bに御来場戴いた方々、ありがとうございました。
トークのお相手をお願いした円堂都司昭さん、突然話に参加して戴いた柴那典さんには深く深く感謝しております。お陰でなんとかイヴェントとして成立出来たと思っております。またカネコシュウヘイさんにも来て戴いて恐縮です。
昨日配布した、特別限定版正誤表のデータはこちらです。先に上げたものに追加もあります(重ねて申し訳ありません……)。
何れの方々とも昨日が初対面だったのですが、BABYMETALについて話をするのは愉しいな、と思いました。私にとってBABYMETALは、「考え」て「書く」対象だったのだったし、BABYMETALについてのコミュニケーションに触れるにしても、ネット上が全てでした。
固有名詞を言う度に気恥ずかしさを抱きながら話をする事は愉しい。それを知りました。
とは言え、昨日を以て私はまたただの一ブロガーに戻り、ファン・モードに戻れます。
プライマリー・オキュペイションが「BABYMETALの事を書く人」状態であったこの3ヶ月ほどは流石に辛かったです……。
頻繁には更新出来ませんが、「BABYMETAL INFO.」さん、「BABYMETALアンテナサイト」さんなどアンテナサイトに登録して戴いているので、週一程度でもチェックして戴ければ幸いです。
こうしたものをブログに上げねばならないのは本当に恥ずかしい事だと思っている。
購入された方々には伏してお詫び申し上げます。
正誤表は以下の通りですが、PDFはこちらから(葉書サイズで印刷してください)。
尚、10月3日の円堂都司昭さんとのトーク・イヴェントにて、ご来場された方には特製限定正誤表(は、恥ずかしい……)を配布させて戴きます。
という事で東京ドームからもう一週間も経ってしまったのだが、何かまだ落ち着いて振り返る気分にもなれないでいる。
昨年の横アリは一日しか行っていない事もあるのだろうが、ここまで尾を引きはしなかった。
BABYMETALは、東京ドームをファイナルとする3回目のツアーで、20カ国弱を巡り累算45万人を動員したと公表された。勿論これにはフェスに来た観客数全般も含められている。
それにしても途方もない数字だ。
過日、Live Nationの総帥を追ったドキュメンタリ映画「アーサー・フォーゲル~ショービズ界の帝王~」をDVDで観た。80年代後半以降のストーンズ、U2、The Police再結成ツアー、レディガガのツアーを仕切っている“大物”プロモーターなのだが、世代交代する前代に音楽興行の帝王だったビル・グレアム(そう言えば今年BABYMETALはThe Fillmoreでもライヴをやっていたなぁ)がいかにもな人物像だったのに対して、フォーゲルというカナダ人は何ら大物さを感じさせない、一見控えめに見える人物像だった。
U2のツアーは世界で700万人を集めたというのだが、BABYMETALの45万人という数字を聞くと、「そんなものか」とすら思ってしまうのが恐ろしい。
まあ数字のマジックではあり、実態は勿論次元が到底異なる。
ここからは余談。
「Windowsの更新に失敗しました。構成を戻しています」という表示のまま、自宅マシンが頻繁に10時間近く固まる症状がここ2ヶ月程続いている。アップデートを拒否したWindows7機なのだが、4年なのでもう見切るしかなかった。
ちなみに自宅用マシンの使用リソースの内訳約70%はBABYMETAL関係のリソース収拾。
そこそこマルチメディアに強いテキスト入力機として今回選んだのは、OMEN by HP 15-ax000 というゲーマー用PC(HPに買収されたVoodooPC)。いやもう自分でもどうかしているとは思っている。選んだ理由は勿論色味。怖いなぁ、刷り込みって。
私はファンクラブ抽選で二日とも外されてしまったのだけれど、友人が幸い当選してくれたお陰で、二日とも観る事が出来た。
ドーム規模なのに外れるなど受け容れ難かった(何の為の登録だ)が、ライヴが近づくともう落ち着いてはいられなかった。
開演直前の前説アナウンスで、二日かけて1枚目と2枚目のアルバムの全曲を、被りなしで全てを披露するという宣言がされると、誰もが二日来られる訳では無いのにとも思った。
掛け値無しに5万5千人を二日集めるというこのライヴは、セットリスト以外については概ねがBABYMETALのルーティンなライヴであった。勿論ステージセットは弩級なものだったし、3人のパフォーマンスはやはり普通のライヴよりも昂揚していた事に疑いはなかったのだが。
1日目は内野ではあるものの後方。二日目は外野レフト後方だけど前日よりはアリーナに近く、席としては共に悪かった。尤も8割の観客にとっても良い席ではなかっただろう。アリーナ客はステージ構造体の天頂に立つ3人は目視出来ない。
円形ステージは多層になっており、並ぶ3人の姿は幾度か一周して、全方向に幾度かは向く(かなり速度があるので、相当な遠心力が掛かっていた筈だ)。
来た人全てを愉しませようという意図は判ったし、配慮も感じた。
しかし華奢な少女達は遥か遠くにいるという距離感ばかりが感じられた。
円形ステージ上方には素晴らしい画質の4面構成の筒型モニタがあって、やはりその映像が頼りとなってしまう。
両日共にライン・アレイ(スピーカー)の近くで、このスピーカーの指向性は極めて優秀だった。ドームという特性からだろう、低音が控えめの出音であり、帯域バランスも良かった。ドラムが心地よく響いていたし、ギターのリフもはっきり聞こえる。ただどうしてもモノラル音像になってしまう。また、スピーカー側の耳はやはり痛くなりそうだったので、両日共に片耳にイヤープラグを少し浮かせ気味に入れて、これで丁度良かった。
天気は想定し得る中で最悪の二日だったし、11万人には色々な我慢を強いるイヴェントであったと思う。しかし東京ドームの係員による、終演後の観客の送り出しは極めてシステマティックに統制されており、非常に感銘を受けた。
サポートアクト無し、モッシュも出来ず、1時間半弱だけのショウ。
それでも、来た人の多くは満足しただろう。それだけのものになっていた。その事に率直に感銘を今尚受けている。
1日目「Red Night」は、『Road of Resistance』始まりで『THE ONE』締め。チョイスとしては2枚目が多めなセットリスト。
『Tales of The Destinies』が初披露されたのが何よりも印象深い。
「(この曲を)どうライヴでやるのか想像つかない」とSU-METALはかつて述べていた。
しかし神バンドによる演奏は既にしてこなれており、変拍子やテンポチェンジなどもナチュラルに聴かせるものとなっていた。3人はもう慣れており、至って普通の曲だと言わんばかりに歌い、踊ってみせた。
ただ初演ならではなハプニングではあろうが、SU-METALのヴォーカルは終盤、「あ、ヤバい」という顔を見せた直後に声が裏返った。まあこれくらい起こってくれないと、ライヴ感が薄くなる。
横アリ二日目程の完璧さではなかったが、SU-METALのヴォーカルはすこぶる調子が良く、5万5千人をたった1人でも圧倒する。
ラストの『THE ONE』では、YUIMETALが感極まっている表情をしていた。
ただ、やはり私は個人的にこの幕引き方があまり好きではない。
『Red Night』は、充分に満足は出来たが、しかし何か物足りなさを感じたのも事実だった。
二日目『Black Night』は『BABYMETAL DEATH』始まり。やっぱりこれだよなぁと思った。
最初にテンションが上がったのは、序盤にギタリストの1人がStrandberg BORDENを弾いている事に気づいた時。「Ledaだ!」
私は今回のドーム公演で、スペシャル・プレイヤーの登場を勝手に望んでいたのだが、まさに正攻法はこれであった。トレブリーなトーンは藤岡幹大とは全く異なる個性で、これは愉しかった。
実のところ、『No Rain, No Rainbow』についてはあまり思い入れがなかったのだが、この日の『No Rain』はSU-METALが良かったのは当然として、音源でもギターを弾いているLedaが大村孝佳と共にソロを弾くのが観られた事もあり、実に心に染みた。
そして『紅月』だ。数十回以上聴き続けたこの曲だが、初めて目の奥が熱くなった。SU-METALの憑依度はかつて観た事が無い程だった。
続いて、再演を諦めていた『おねだり大作戦』である。前日の紙芝居では「もうおねだりは決してしません」と言っていたくせに(Wembleyの完全流用)。
もうこれでこちらのテンションはMAXになったが、BABYMETALはそこから本当にノンストップでラストまでやってしまった。
これまでも「ノーMC、ノンストップ」は貫かれてきたものの、Black Nightの中盤以降は本当に曲間が無かった。3人の移動分だけである。
それなのに『ヘドバンギャー!!』では二箇所ともYUIMETAL+MOAMETALは大の字ジャンプをやったのだ。
ラストは当然『イジメ、ダメ、ゼッタイ』。紙芝居のナレーションは今年新録されている。SU-METALの英語発音はもうほぼネイティヴに近い。
アリーナエンドに伸びた花道を、YUIMETALとMOAMETALは全力疾走で中央ステージに駆ける。
完全燃焼した。ステージも客席も。
二日でセットとしての東京ドーム公演は、最終的には極めて満足度が高いライヴだった。
もし『Red Night』だけしか観られなかったとしたら――。
いや、今はまだあの二夜の熱を抱いていたいと思った。
4日経ってもまだ、その熱は残っている。腰痛も続いているのだが……。
さて、またも長らく無沙汰をして大変申し訳ありません。
出版した事で、まるで人前で全裸になったかの様な自己嫌悪があり、体調不良に陥り、ついでにウチのネコまで片眼が悪くなり、更には自宅用PCまでも不調になったという負の連鎖だった。
本については、極めてケアレスなミスがあり、御指摘された以外にも見逃した部分が多く、これもまた自己嫌悪の元となっている。重版分は修正しているが、近い内に本ブログで正誤表をアップしますので暫くお待ち下さい。
そして、出版記念イヴェントを今頃になってだが、やらせて戴く事になった。
文藝・音楽評論のプロ、円堂都司昭さんとのトーク・イヴェントを10月3日に、下北沢の本屋B&Bにて行う。
初対面なので、怒られに行く様な気分なのだがw、しかしプロの談話は私も是非伺いたいところだ。
よろしければお越しを。詳しくはこちらへ。
長らく更新出来ず、ご心配をお掛けして申し訳ありません。
この一月ほど、新たな情報を一切シャットダウンして、ある作業をしていた。
本ブログを書籍にまとめる作業だった。
本ブログは、書籍にまとめる事など全く想定せず、好き勝手に長々と書いてきたものである事はご承知の通りだが、あまりに長文過ぎて、まとめて読める媒体があった方が良いのかもしれないと、ある時点からは思い始めた。
書籍にしないかという誘いは昨年より複数回あったのだけれど、今年初めに父が亡くなり、ブログも中断を幾度かしてきた中でも書き継いできたものであり、自分の中でも一度きちんとまとめておきたいという意思が強くなり、踏ん切る事にした。
本ブログ設立当初に立てた目標である、『Road of Resistance』までのプログラム論考をまとめ、執筆時のリアルタイムな出来事をドキュメントとして記録する意味でブログ・エントリを取捨選択し、全面的に手を入れた。
30万字あるテキストを15万字に削いだが、2万字分を書籍用に新規書き下ろしをしている。
いわゆるファンブックという「非公認本」なのだが、400ページ近くある、ちょっと異様なものになりそうだ。
BABYMETALは現在進行形で進化中であり、何ら結論めいたものを書ける筈もないのだが、何故自分がここまでBABYMETALにのめり込んだのかは、本をまとめる中ではっきりしてきた事を自分でも確認出来た。
それを文章にする為には、新しい情報を一度シャットダウンしなくてはならなかった。
コメントも、ある時点から逐次読む事が出来なかった。
ロブ・ハルフォードとの共演もまだ動画すら見られていない。
仕事の息抜きで始めたブログだった筈が、本気で取り組む「仕事」になってしまっていた。
まるで潜水状態のままプールを往復している様な気分だった。コメントを書いてくださる方々には申し訳ない気持ちで一杯だ。
やっと自分でも納得出来る文章を書いた時、正直に言うと「燃え尽きた」と思う程だった。
しかしあくまでこれまでの一年半に書いてきたブログの再構成であり、文章そのものの原形はこれまで通り自由に読まれるものとして、ネットに在る。
新たにファンになった人に、或いはもう一度読み直したいと思う方には、サブテクストとして手にとって戴ける様に工夫はしている。
どう受けとめられるか見当もつかないのだが、気に入って戴けたら最高の幸せだ。
カヴァーを含め、どういう全容となるのか判ったのがやっと昨日だったのだが、もう予約が始まっている。まだ作業は終わっておらず再再校にこれから取り組まねばならないのだが、やっと息継ぎが出来る状態にはなった。
すっかりBABYMETALの最新情報から疎くなってしまっていたが、徐々にファンとして復帰していきたいと思っている。
コメントもこれからじっくりと読ませて戴きます。
尚、ブログは「メタル」「メタ論」など書きかけた単元があるので、今暫くは更新を続けるつもりだ。
「BABYMETAL試論」小中千昭
アールズ出版
発売日:2016年8月29日
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そして復帰早々に告知で恐縮ですが――、
「プレイバック “中村隆太郎監督”」
~劇場版"キノの旅"ともに振り返る~
故・中村隆太郎監督を偲ぶイヴェントが近く行われる。
8月11日(木・祝) OPEN 12:30 / START 13:30
阿佐ヶ谷ロフトA
【ギターソロ2】
シンガロングは会場によって長さが可変する。最長だったのはやはり2015年1月新春キツネ祭りだったと思う。
ステージに出島があると、YUIMETAL+MOAMETALは再びフラッグを手にして合唱を統率する。
シンガロングが終わると二つ目のギター・ソロなのだが、ここが振り付けでは最大の見せ場となる。
今でも尚、この部分についてはアンビバレンツな気持ちを抱く事を告白しておこう。
私は観客視点というよりは神バンド側に身を置いた見方をしていたらしい。
バンドなら、ギター・ソロはギタリストにスポット・ライトが当たって欲しいと思ってしまうのだ。しかもただのギター・ソロではない。DragonForce(このパートは主にサム・トットマン)が、出来る限りに無理な量の音符を詰め込んで作り上げたソロであり、それを神バンドは平気の平左で弾き倒しているのだ。
しかし観客は3人を凝視せざるを得ない。それだけの事を展開しているのだから。
BABYMETALの振り付けで目立つものの一つとしてここで挙げられるのは、無目視のまま後退しながらポジションにつくというもので、それまでフリーに動いていた3人がその所作により所定位置についてからフォーメーション・シンクロを始める。
目まぐるしく、ぐるぐると回すパートが多くトリッキーな振り付けだが、よく見ればここは歌メロならぬギター・ソロにダンスがついている事が判る。ギター・ソロのフレーズを視覚化した様なダンスなどBABYMETALとしても前代未聞だ。
3人一斉にハイキックを喰らわせるなど、このパートでは要所がポージングで決められる。それ自体は通常のBABYMETALコレオグラフィであるが、このプログラムのポーズは「可愛い」ではなく「カッコいい」ものだ。
それも生半可ではなく、ヒーロー・アクション映画のヒロインそのものになっている。
防御・威嚇・牽制と次のモーメントに備えた隙の無いポーズで、格闘面での機能性までも感じさせる。
先に挙げたYUIMETAL+MOAMETALによる、仰け反りからの立ち上がりもアクション映画の擬闘的なニュアンスであったが、このパートはSU-METALをメインに動く。
もう間違いなく東映戦隊ヒーローがモデルだと断言出来る。
思えば戦隊モノも、アメリカで「Power Ranger」としてリメイクされた日本の輸出文化の一つでもあった。大きく足を広げ、中腰で相手に向かっての「構え」ポーズは、アメリカの「子ども」にとっても「カッコ良い」と感じられるものだったのである。
1拍目の裏にカウンター・モーションを入れたりと細かい振り付けも多い。
このパートは大きな動きはどちらかと言えばSU-METALに任せて、YUIMETAL+MOAMETALは従側となる。時間差モーションの動きはSU-METAL程には大きくない。しかしこのパート後は再び、上下左右、最大限に動きまくり始める。
【Dメロ】
「命が続く限り 決して背を向けたりしない」
SU-METALが歌い出しながら、ポジションは再び後退し、両サイドがフロントとなる。
2人とも口ずさみながら、身体を最大限に使って歌詞とメロディを視覚化する。
「On The Way」
ここで転調。
【ラスト・コーラス】
サビに戻ると同時にSU-METALと2人が前後を入れ替える。
「Stand and Up and Shout!」「Shout!」
この「Shout!」は、本来の曲想ではライヴ感的に音符に填まらない域で実際に叫ぶ様なものだったと想像するのだが、SU-METALはやはり本質が音楽的なのだろう、きちんとコードとして適合する音程で叫ぶというよりは歌っている。初期はどっちつかずな感じを受けていたが、すぐに確信的な歌い方となった。
コーラス・パートのYUIMETAL+MOAMETALの表情は常ににこやかで、曲が始まる時点の真剣なものとは全く対照的だ。既にこのレジスタンスの戦いには勝利している事を確信しているという演出だろう。
歌詞の検討で書き漏らしていたが、この楽曲の主語は「僕ら」である。不思議と言えば不思議だが、「レジスタンス」という語を用いた戦いの歌で「私たち」ではサマにはなるまい。女性アイドル・グループの歌詞としても、そう異例という訳でも無い。
振り付けはやはり少女らしさに最終的には帰結しているので、このプログラムのジェンダー性は曖昧なまま止揚されている。
一回目のギター・ソロ前同様に「僕らのレジスタンス」でYUIMETAL+MOAMETALは床に仰け反りながら拳を上げる(キツネサインではなく)。
リタルダンドするので、仰け反りポーズは倍ほどの長さを2人は堪えねばならない。
SU-METALが良きところで息を抜くと、やっと2人も立ち上がれる。
昨今の概ねのライヴに於いてこのプログラムはセットリストの最後に載る。例外的に冒頭に実施される場合もあるが。
ライヴの締めを担うプログラムであり、2014年までの『イジメ、ダメ、ゼッタイ』の終わり際同様、3人はこのプログラムの終わりでは、やりきった達成感の笑顔に弾けている。
最後の観客とのCall & Response「We Are!」「BABYMETAL!」がひとしきり続けられ――、
『いいね!』の場合はSU-METALは「ぷっちゃキツネあーっぷ!(Put Your Kitsune Up!)」と煽るのだが、2015年からは「Put Your Fox Horns Up!」というフレーズに変わって、未だに私個人は慣れない。というか、キツネに角はないよねという。キツネサインとブルホーンズが混同されている。普通に「Put Your Fox Up!」で良いと思うのだが。
最後には、音源にもあるオクターヴ上の「Ah-Ah!」というSU-METALのシャウトで決まる。
『イジメ、ダメ、ゼッタイ』のクライマックスに引けを取らないカタルシスがある事は間違いない。
しかし一抹の寂しさも感じる。
『イジメ』がラスト・ナンバーの場合は、バンドの伸し音を3人が「3,2、1」とカウントで止め、一斉にジャンプするという美しい様式があった。
BABYMETALのジャンプする画像だけを集めた時があるのだが、彼女達は恐ろしく高く、しかし写真でどの瞬間を切り取られても美しいポーズで跳躍していた。
身体的な成長に伴って、ジャンプ系の振り付けは軽減される傾向がある様だ。確かに着地時には体重の数倍のショックがあって負担が大きい。
『イジメ』がラストというライヴが今でも無くはないので、その時にこの様式を愉しませてくれればファンとしては納得出来る。
或いは『Road of Resistance』のラストを、3人が叫ぶ様な演出のアレンジもアリだと思う。
【おわりに】
楽曲が増え、ここらでマジなスピード・メタル曲をという意図で、それでは実際本当にそうしたシリアスかつBABYMETALらしい曲として作り上げる事がどれだけ難しいか、私には判る気がする。
本来そうすべきとこで、軸からブレたりスカしてしまったりと、意図とは異なったものになってしまう様な例は音楽だけでなく映像表現でも極めて普遍的に起こってきた。
非常に個人的な体験を書いてしまうが、『Road of Resistance』という曲の在り様はシリーズ物の最終話のシナリオに近いのだ。
シリーズとしては、その途中途中のエピソードで描かれてきたモザイク総体が物語の本質であって、最終回がどうなろうと本質的な問題ではない。しかし視聴者は最終回が盛り上がらずに放り出されると、それで全てのエピソードも無価値になったとすら思ってしまうものだ。
だから最終回を書くには、それ以前のエピソードの何倍もの体力が要るのである。決めるべきところをきっちり決めなければならない。
そうした主題を『Road of Resistance』はスカしもズラしもせず真っ向勝負で結果を出しており、とても感銘を受けている。
またコレオグラフィに於いても、MIKIKO-METALの表現が一段加速したという感覚を受けている。
【テイク違い】
さてコレオグラフィの本編に入るのだが、その前にこの楽曲のヴォーカルが『METAL RESISTANCE』の為にリテイクされた事を書き漏らしていた。
最初に国内では配信で、『BABYMETAL』海外盤リリース時にボーナス・トラックとしてリリースされており、そのテイクに長く親しんできたのだが、2枚目アルバムのヴォーカル録りがオーストラリアのソニー・スタジオで行われ、『Road of Resistance』も再録音されたという。
しかし私の耳で両者の違いが明確に判るのは「Stand Up and Shout! (Shout!)」の部分のみだ。ここは初出時よりも力強くなっている事は明らかだ。
最初のテイクからして、SU-METALのヴォーカルは完成度が高かったのだと思える。
オーストラリアでは他にも数曲が歌録りされたと知った時、何故オーストラリアでという疑問が湧いたのだが、やはりこれはアルバムに向かう姿勢の問題が大きかったのではないか。音楽産業が縮小するに伴い、都内のスタジオの多くが無くなっている。
『あわだまフィーバー』など、既に仮歌もライヴでも幾度となく歌ってきた楽曲を改めて録ろうという時、ちょっとその辺で録ろうという訳にはいくまい。
マッスル・ショールズというアラバマ州のド田舎町にあるスタジオ、白人中心のハウス・ミュージシャン達の演奏で、60年代R&Bの代表的シンガー(ウィルソン・ピケット、アリサ・フランクリン等々)をわざわざ出向かせて録音していた、という事は余程のポップス・マニアでなければ知られていなかった。しかしミュージシャン間にはその南部のド田舎で録音すれば特別なサウンドになると事が知られており、The Rolling Stonesも1969年に「Sticky Fingers」をここで録音している。特にミックとキースにとっては思い入れのある録音となった(2014年にドキュメンタリ映画『黄金のメロディ マッスルショールズ』が製作され、初めて私は全容を知った)。
SU-METALは誕生日を録音スタジオで迎えたらしい。日本でもかつてならそうしたアーティストの気分を変える環境として、リゾート地のスタジオで合宿録音という手段があったのが、河口湖のそれを初めとして今はもうほぼ絶滅した。
様々な日常のしがらみからアイソレーションして、歌に集中させるというプロデュースは実のところ王道なものだった。
(尚、この録音にはBLACK BABYMETALの2人は参加しなかった模様。)
【コレオグラフィとライヴ・パフォーマンス 2】
イントロの激しい騎乗ダンスからAメロに入る直前、ギターとドラムの三連畳み込みに合わせた動きを両腕を交互に出しながら円弧状に回す。その直後の頭拍でビシっと決まる様を演出する為である。
AメロのSU-METALは要所を決めるのみでダンスには参加せず歌に専念する。
YUIMETAL+MOAMETALのムーヴメントはやはり基本的には歌メロを視覚化した様な符割で、精緻に緩急がつけられている。
「狼煙の光が」という部分、SU-METALは巧みに声のヴォリュームを上下させる。これまでのBABYMETAL楽曲にない、スケール感が生み出されている。この上下に2人は波動拳的なモーションで、やはりぴったり合わせてくる。多くの場合2人ともここでは一緒に歌っている。歌心を持たねば表現出来ないムーヴメントである。
多くのパートで2人は指を立てた手を顔の側に近づけては離す。
ポーズをつけた手を顔に近づける振付けもMIKIKO-METALの振付けでは大きな特徴となっており、Perfumueで繰り返し導入された。可愛らしく見えるという理由を何かで読んだのだが、この効果は単にそれだけではないと思える。
ステージに立つ表現者を見る時、人はやはり顔を中心に見るものだ。視線のフォーカスは基本的に顔を中心とした画角でまず切り取られている。全身の動きが目に入ってくるのは、そのパフォーマンスを見る事がある程度慣れてからになる。
指を顔近くに置くポージングは、そこから「ほらこっちでも面白い動きしているよ」と観客の目線を誘導する効果も生んでいる。
「Now is the time! is the time!」
ここで2人が身体を傾がせつつ決めるポーズは「Time」の「T」。多くの球技で「タイムアウト」を審判に申請する時に用いられている。世界の何処であっても通じる「世界言語」である。
しかしこのポーズは言わば「Pause」を求めるものなのであって、Just NowのTimeを表すものではない。2人は「T」ポーズのすぐ後にSU-METALの歌の裏で背中合わせに腕を組み「Just Now is the time!」と歌いながら、音程を表すかの様にポインティングをしていくので、タイム・アウトにはならない。
こうした矛盾や不条理を、MIKIKO-METALは無意識に採り入れている。意外性、非予定調和がそこには生まれ、何を表現しようとしているのだろうと観客の注意力を高めているのだ。
「さあ、時は来た」
の後、YUIMETAL+MOAMETALは屈んだポーズを早めに決めると、「Go for Resistance!」に入る直前、ギター+ベース・ユニゾンのフレーズに合わせ、指で1,2,3とカウントを入れる。コーラスの盛り上がりを効果的に予告している。
サビに入ると「WOW WOW WOW WOW」で声を広げる仕種。
「心は一つ」ではやはり様式美として、3人が向かい合い一本の指を立てる。
「君が信じるなら」で大きく頷き、SU-METALと入れ替わりに後ろのポジションに移る。
「進め」では『イジメ、ダメ、ゼッタイ』以来、BABYMETALの振付けでは印象的な振付けである敬礼がある。
「道なき道を」で手を振りながら「進む」所作を行う。
この「道なき道を」の振付けが私個人的には最も好きな場面である。
上半身は歌メロに追従し、付点4分のニュアンスを表現しながらゆっくりと上下しながら両腕を前後させるのだが、下半身では全く異なるリズムで身体の向きを3/4周させているのだ。
この部分は『ド・キ・ド・キ☆モーニング』の「知らないフリはキライ キライ」のパート、オートマタを模したダンスの発展形とも見える。
『Road of Resistance』でもドラムの16分連打に、流石に正確に合わせてはいないのだが、充分にドラムの音を激烈な足踏みで表現しきっていると言えよう。
このパートのダンスはドラマーのプレイに近いのである。
サビ後半「心の奥に」で、2人は左右のポジションを入れ替えながら互いの手を重ね、
「燃える 鋼鉄魂(ハート) それが僕らのレジスタンス」
SU-METALの「レジスタンス」と歌うのと同時に、2人は拳を突き上げながら床に仰け反っていく」
BABYMETALのダンスは、最初期にはテレビ・フレームに収まる様な、コンパクトなイメエジで作られていたが、早々に大ステージを経験していき、少しずつ変化をしてきた。
3人が並んだ時の姿はこれまでも様々な構図が見られたが、SU-METALが直立し、左右の2人が仰け反っていくというピラミッド形態はかつて無かったものだ。
仰け反る、というモーションは凡そ少女アイドルのものではないが、ヒップホップならば当然にある。しかし『Road of Resistance』のそれは、ヒップホップというイメエジは全くなく、強いて言えばスポ根アニメの構図である。
このモーションは実際に演じるにはキツいらしいのだが、SU-METALの歌声が伸びているので、やらなけらばならない、という感覚でやっているという。
白眉はこの後だ。
2拍目からすぐにギター・ソロの弱起分がスタートするので、2人はすぐさまSU-METALに合流してダンスに入らねばならない。しかし仰け反った体勢から直結でダンス・フォーメーションに戻るのは物理的に不可能だ。
そこで2人は片腕を床について体勢を横にし、円弧状に床を蹴って回転しながら立ち上がるのである。
ヒップホップにもあるにはあるのだろうが、どう見てもこのモーションは香港アクション・コレオグラフィのそれ、敢えて言えばドニー・イェンのムーヴメントだ。
『イジメ、ダメ、ゼッタイ』に「擬闘」が盛り込まれていたのだから、全く意外性が無いとは言えないかもしれないが、それにしても観る度に瞠目させられる。これもしかし、YUIMETAL+MOAMETALという、身体能力とセンスが極めて高いパフォーマーでなければ不可能な振付けだ。
一回目のギター・ソロは、比較的振付けの難度は下げられている。とは言えパート終わりにはイントロ同様のギャロップ・ダンスがあるのだから決して楽ではない。
ソロ終わりはまた、3人が時間差をつけて腕を上げていき、シンガロングをさせるパートに導く。
【シンガロング】
『Road of Resistance』のシンガロングさせるメロディは、男声にはキツい音域だ。
本ブログでは以前、下ハーモニーを歌うのはどうかなどと無責任な事を書いた。
これはBABYMETAL側も配慮したらしく、次に日本国内で歌わせるプログラムとして『あわだまフィーバー』の「Ah-Yeah!」のパートが設定された。昨年のSummer Sonicが初出だったと思う。いきなりSU-METALが「歌って~」と言い出したので驚かされた。
しかしこの「Ah-Yeah!」はSU-METALのかなり上の音域で歌われているので、男声でも歌い易い。
『Road of Resistance』は、女性客の割合が大きくなれば、もっと良くなるのだろうと思っていた。
しかし、ウェンブリーのライブビューイングでは全く異なるものが聞こえたのだ。
テレビ等で当該部はチラっとだけ放送されているが、その音声はやはり整理された音だった。
ライブビューイングのPAで聞こえたのは、最早音程など全く関係無いという、分厚い声のシンガロングだった。プレミアリーグなどフットボール・スタジアムで聞かれるチャントと全く同質だったのだ。
ウェンブリーのライブビューイング体験の中で印象的な瞬間は幾つかあった。
『META!メタ太郎』(をそもそもやると予想などもしていなかった)で、応援団になりきっているYUIMETAL+MOAMETALの前で、SU-METALが中途半端なバッティング・ポーズを決めた時には思わず「くっ! くだらない!www」と実際に吹き出して感涙した(周囲の観客はあまり反応してなかったのが不思議だ)。これを見られただけで、辛いライブビューイングに来た甲斐はあったなと思っていたのだが、『Road of Resistance』のシンガロングというよりチャントでは鳥肌を立させられたのだった。
この項続く
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