「ブロッキングは、これまで『通信の秘密』を担保にユーザーから信頼されてきたISPの立ち位置が、ユーザーの監視へと変わるということ。今後のネット社会のあり方が、監視へ進むのか、自由へ進むのか。この議論がクリアになって初めて、ブロッキングの方向性について議論ができる。通信の秘密の法律論、解釈論の議論を深めてほしい」――。
検討会議の第5回で、総務省 電気通信事業部 消費者行政第二課の中溝和孝課長はこう述べた。
なぜ日本は通信行政において「通信の秘密」が重視されたか、ブロッキングの法制化は「通信の秘密」にどのような影響を与えるのか。第5回の会議に至るまで、突っ込んだ議論はなされなかった。第7回の会議で幾分踏み込んだ議論があったが、到底十分とは言えない。
総務省は「通信の秘密」をどう運用してきたか
「(通信行政における)ユーザー保護の理念の柱が『通信の秘密』だ」と中溝氏は語る。
同氏が所属する消費者行政第二課は、名誉毀損や著作権侵害などネット上の違法・有害情報や個人情報保護の問題を担う。
これまで総務省、特に消費者行政課(業務の増加に伴い2016年に第一課、第二課を設置)は、ネット上で問題が発生するたびに対策や規制の整備に関わってきた。ネット上の名誉毀損や著作権侵害、出会い系サイト規制、SNSでのヘイトスピーチ対策などはその一例である。
ネットに関わる事件が発生すると、どうしても「規制を強化すべし」との意見が強まる。ただ規制が強くなりすぎると、インターネットの自由が損なわれ、ユーザーにとって使いづらくなる。規制とユーザー保護のバランスを取るのが総務省の基本方針であり、その柱の一つが「通信の秘密」だったという。
「規制と保護のバランス」を図る典型例が、ISPやWebサイト運営者などへの損害賠償責任を制限する法律として2001年に制定した「プロバイダ責任制限法」だという。
例えば、名誉毀損など権利侵害につながる書き込みを常に監視させる法的義務をプロバイダーに負わせるかについて、「表現の自由に対し著しい萎縮効果を及ぼすおそれがある上、場合によっては通信の秘密を侵害する可能性もある」(プロバイダ責任制限法検証WG 提言より)として、そこまでの責任は負わないものした。
中溝氏がブロッキング法制化を「自由から監視」と表現したこと自体は、通信の秘密を理念に掲げていた総務省の通信行政からすれば、不思議でもなく、唐突でもない。プロバイダ責任制限法における「監視」とは「個別の情報流通の有無の確認」を指す(プロバイダ責任制限法検証WG 提言より)。DNSブロッキングはDNSサーバーにおけるドメイン名とIPアドレスの対応表を書き換えるものだが、総務省の伝統的な解釈からすれば、その適否はともあれ「監視」に該当する。
「議論を深めてほしい」発言の真意
中溝氏は、第5回検討会議での発言の真意について「『通信の秘密』に関する議論がなされないまま進んでおり、消費者行政の担当者として危機感を持った」と語る。
特に中溝氏が懸念する点は二つある。一つは、先述した「自由から監視」への移行が、通信への安心と信頼を崩しかねない点だ。「インターネットの自由には様々な要素がある。ISPにとっては『(パケットに対して)技術的に手を加えない』ことが、安心と信頼の源だった。(ブロッキングを通じて)こうした安心感が阻害されないかどうか。国民が納得する形での丁寧な議論が必要だろう」(中溝氏)。
もう一つは、これまでプロバイダ責任制限法と関連ガイドラインを通じて保っていた「規制と保護のバランス」が崩れかねない点だ。著作権でブロッキングを認めると、名誉毀損などこれまでプロバイダ責任制限法が扱ってきた他の違法・有害情報もブロッキングの対象になり得る。
ブロッキング法制化を巡る議論がどのような方向に進むにせよ、実際に法律に基づき消費者行政を担うのは総務省だ。「あの議論のままでは、著作権に限ってブロッキングを認める理由について説明責任を果たせなくなる」(中溝氏)。
ドメイン名とIPアドレスの対応表を書き換えるという形の「監視」は、表現の自由の萎縮を招き、通信への信頼を損なうのか。あるいは、司法判断を通じた透明性のある運用であれば、国民は納得し、不利益を受け入れる余地があるのか。
この点は賛成派・反対派ともに一定の理があり、議論が煮詰まっているとは到底言いがたい。
「通信の秘密」を通じて国民が得ている利益は何か。DNSブロッキングに伴う「監視」で国民が被る不利益は何か。その不利益を受け入れるだけの「公共の利益」とは何か。海賊版サイトのブロッキングは、公共の利益に合致するのか。
残念ながらこれまでの検討会議は、2018年9月中旬までに中間取りまとめを実施するという期限の設定、「委員がそれぞれ手を挙げて主張を繰り返す」という議事運営の問題もあり、こうした体系だった議論は難しかった。法制化の推進・阻止の思惑が優先し、議論の深化を妨げていた側面もあった。
まとめ案が示したブロッキング法制化の合憲性条件を額面通りに捉えるなら、法制化の前提となる立法事実の確定や、広告遮断など他の海賊版対策の効果検証といった作業のため、ブロッキングの法制化は当面先のことになりそうに思える。だが、仮に議員立法などを通じて国会での議論が始まれば、通信の秘密について議論が生煮えのまま、立法の作業が進みかねない。
そうした事態に向け、通信の秘密について有識者は改めて議論を深め、その記録を残しておくべきだろう。