「MSVジェネレーション(著:あさのまさひこ)」読了。本書は表現的に気を使っているところが見受けられ、好感を持てる部分もある一方、事実誤認&疑問点が散見されました。
特に気になったところをいくつか……と思ったけど、まずはイイと感じたポイントについて。83年春季からの「MSV」プラモ展開以前の時局で行われたこと(派生型MSのデザイン化など)は、MSV的展開と「的」をつけることで前後関係を強調させた点はイイですね。
個人的には「ガンダム画報」(だったよな?)などでアッグガイなんかを「MSV前夜」と呼んだ表現が好きなんですが。それはともかく、こういう風になんらかの仕切りを設けて、気を使っている書き方はとてもイイと思います。
……しかし、こう思ってたらP88で「バンダイはMSVを発売してほしい」と82年の時局でユーザーが要望したと書かれてていささか気力ダウン。この時点でMSのバリエーション機を「MSV」と呼ぶファンはまだいなかったのでは。
というわけで、中でも特に気になった点に関して言及をはじめます。
少し長くなります。
まずは明らかな間違いからいきましょう。
P63で1/100リアルタイプシリーズを発表後にすぐユーザーから「焼き直し」という文句が「模型情報」誌を中心に巻き起こり(実際に「模型情報」とは別に『プラモ狂四郎』で「なんだこれ?」って感じの描写はありました)同誌82年2月号でメーカーの釈明が行われた、とありますがこれは間違いですね。
同誌82年1月号で発表され、前述の2月号で釈明があったのは事実ですが、これは急きょ発売が決まった(十分な事前告知が無かった)ことのみへのお詫びです。ユーザーから疑問の声が「模型情報」に載ったのは82年4月号が初ですが、これとて文句というものではありませんでした。
ちなみに1/100リアルタイプシリーズがなぜ急な発表だったのかは「ガンプラファクトリー」(05年/バンダイビジュアル)の中で語られている談話からある程度推察できます。
P146は2か所。「ザ・特撮コレクション」の第1作めは1/350ウルトラマンとありますが、実際は1/350バルタン星人(二代目)がNo.1です。
次、83年10月前後の時点でケンにいちゃんこと草刈健一さんの「テレビランド」(徳間書店)の連載が終了、とありますが実際は同誌85年3月号まで続いています(終了告知あり)。
P147。「コミックボンボン」に連載された「MSVエースパイロット列伝」のイラストは増尾隆幸さんと書かれていますが、実際は故・石橋謙一さんです。
P152。「MSV」模型化アンケートですでに発売ずみの「グフ飛行試験型」が名前に上がっていると、あさのまさひこさんがツッコみを入れていますが、模型化されたのは「MS-07H」で、このアンケートに書かれているのは系列機の「MS-07H-4」です。
間違いに関してはP136の『ドラグナー』が88年と書かれている(実際は87年)など、ほかにも細かいところでいくつか見受けられますが、長くなりそうなのでとりあえずここまで。
ここからは疑問点や自分なりの意見(感想)です。
グラビアやP164などで「ハイコンプリートモデル」が「塗装済み」「多色成型」とありますが間違いありませんか? 当初は塗装済みをアピールしていたものの、最終的には成型色分けのパーツ構成(一部のみ塗装やマーク処理)を基本とし、これは小田雅弘さんも当時言及していたはずです。
また「多色成型」というのは「いろプラ」のことを指すのだと思いますが、ハイコンって「いろプラ」として成型されたランナーパーツを組み上げたものだったのですか?
※「ガンプラファクトリー」より。
巻頭目次で「発売日」に関するエクスキューズがなされているのでこれを言うのは野暮かもしれませんがちょっとだけ。通例ひと月ほど先の日にちが奥付に記載される書籍(それゆえに厳密な発売日の特定が困難なのもあるのはわかります)はともかく、必ず次号の発売告知が載っている「ボンボン」は特定できたはずです。本書では基本的に「ボンボン」の発売日を「○月15日」とすべて15日表記していますが、実際はその限りでありません。せっかく当時の「ボンボン」を全部リサーチしたのであれば、正確な発売日の記載は欲しかった気もします。
P38。小田雅弘さんと安井尚志(安井ひさし)さんの最初の出会いが「アニメージュ」81年4月号で、これが「コミックボンボン」における両者の連携につながるのは間違いないでしょうが、この間にミッシングリンク的に存在する「宇宙船」Vol.7(81年夏季発行/朝日ソノラマ)のSFプラモ特集を無視できないと思います。
「宇宙船」は安井さんも編集主幹のおひとりで、同号では小田さんの作った1/60シャア専用ザクやオリジナルデザインによる偵察用MS(今見てもカッコいい! のちのザクIIIに連なる小田さんの特徴が顔の部分に見られます)など多くの作例が掲載されていました。
個人的には、この時の手ごたえがあったからこそ、安井さんは小田さんと「ボンボン」で組んだものと考えています。
あと(これは記憶ですが)次号の「宇宙船」Vol.8には小田さんによる1/144ガンダムの商品仕様の変遷紹介が載っていたはずで、以降も何度か同誌には模型関連の記事を担当されています。
なぜか「MSVジェネレーション」では「宇宙船」がほとんど触れられていませんが、小田雅弘さんと安井尚志さんをいっしょに語るのであれば「宇宙船」についてもきちんと目を通しておくべきでしょう。版元こそ違いますが当時の「ボンボン」(ホビー/特撮/アニメ記事など)と「宇宙船」の主要編集スタッフはかなりの方々がカブっていましたし。
P44をはじめ、あさのまさひこさんは本書で『ガンダム』第1作の世界観において連邦のMSはバリエーション機が少ないはずとし、ガンキャノンIIをありえない機体のように書かれていますが、どちらかというとこれは宇宙世紀の公式年表に依った考えですね。むしろ「ガンダム・センチュリー」は『ガンダム』第1作ラストにおける0080年に戦争が終結というナレーションを少しひろげて解釈し、同書では一例としてRX-78のプロトタイプ1号機が完成したのは0080年4月と記しています。言い換えれば「センチュリー」的には映像中の0079年のほか0080年という一年分の戦争期間が与えられていたわけで、連邦のMS派生機が複数生まれていてもおかしくなかったのではないでしょうか(なおジムキャノンに関する言及も文中にあります)。「センチュリー」の文芸を継承した「ポケット百科MSV」シリーズも同様に0080年における戦局が書かれていました。
しかし、以前どこかの本で自分が書いたかもしれませんし「ガンダム」ファンなら耳タコな話題でしょうが『ガンダム』原作者にして総監督の富野さんは80年春季発行の「アニメック」10号にて終戦日が0080年1月1日と言及し、現在の公式年表につながっているんですよね。この意味、あさのまさひこさんの連邦軍MSの私見は共感できる部分もあるのですが、一方で「センチュリー」や「MSV」は富野さんの意向から離れてしまっていたのが複雑な想いです(このあたりに関する現行の公式設定は調整されています)。もしも、この富野さんの発言を前提に「センチュリー」や「MSV」の文芸面が生まれていたら、また「ガンダム」の歴史は変わっていたかもしれませんが。
P92。「コミックボンボン」83年1月号で「MSV」キット化決定を報じたのは間違いないですが、実際には82年10月の第22回プラスチックモデル見本市で「新製品」として小田さんらの作例がサンプル展示されていました。また「ボンボン」同号のおよそ半月前発売の「テレビマガジン」83年1月号では折り込み形式でいちはやく一般に向けて公表されています(もしかするとこれより早く報じたものが他にあるかもしれませんが)。
当時「テレビマガジン」では「ボンボン」の作例も流用しつつロボットプラモの記事作りをかなり精力的におこなっていました。「ガンダム」「MSV」がもちろん記事の中心です。画像はほんの一例ですが「MSV」のここでしか見られない描きおこしイラストも多数存在。小田さん、高橋昌也さん、川口克己さんのお名前まで出しちゃう児童誌っていったい……という気にも少しさせられます(苦笑)。
それはともかく、本書「MSVジェネレーション」P20には、あさのまさひこさんが「当時商業流通した雑誌や書籍の(「MSV」)関連記事をほぼすべて収集した」と書いていますので、さすがに「ボンボン」の兄弟誌「テレビマガジン」をスルーしたとは考えにくいですが、本書の中で「テレビマガジン」に関する言及がほとんど無いのがちょっと気になります。
また当時の「MSV」関連雑誌といえば「ホビーボーイ」(徳間書店)も無視できません。同誌Vol.2は草刈健一さんによる1/60ジョニー・ライデン専用MS-06R-2が表紙を飾っています。シールドや足に施された「J」マークがこの作例の特色ですね。草刈さんとライデン専用MS-06R-2といえば「ボンボン」「模型情報」そして「スーパーモデリング」(講談社)などに掲載された1/144モデルが有名で、これは「MSVジェネレーション」でも触れられていますが、なぜかこの1/60ライデン専用MS-06R-2の存在はスルーされています。「ホビージャパン」誌の渡辺誠(MAX渡辺)さん、「スーパーモデリング」の小田雅弘さんによる1/60ライデン専用MS-06R-2の作例に続き、草刈さんが挑戦した一作なのでしたが。
P241。1/60ゲルググキャノンの完成品写真ですが、これって1/144同MSのものじゃありませんか? まずプロポーションがぜんぜん違いますし、自分の記憶だと開いた左拳なんて1/60版には付いていなかったような……。これは記憶で書いてますので、もしも違っていたらすみません。
そろそろまとめにはいりましょう。
……根本的なところとして本書の巻頭などに「MSV」が小学生~大学生に圧倒的な支持を得た、とありますが、自分の正直な気持ちだと当時の「MSV」は「ガンダム」好きの小学生(たぶん「ボンボン」「テレマガ」の愛読者)しか買ってなかったと思います。もちろん、自分みたいにイイ年して追っかけていた人も少なからずいたでしょうが、支持層の中心は間違いなく小学生だったという実感があります。
自分とあさのまさひこさんの見解の相違や、感じている温度差が大きいといわれればそれまでですけど。
あと、本書は「MSV」を「革命」だと評していますが、これも自分にはあまりピンときません。
そもそも、売れているモノに延命措置を施してシリーズの商品点数を少しでも増やそうとするメーカーの販売戦略はある意味当然で、かつての『サンダーバード』における映像未登場のXカーやサンダーバード7号などで多くの模型愛好者が体感してきたことです。
「MSV」キットの発売によって、かならずしも完成度が芳しくなかった1/144ゲルググなどがリメイクされたことなど、多いに意義のあるものとわかりますし、安井さんや小田さんといった『ガンダム』アニメ本編の非スタッフの情熱が感じられたのもたしかですが「革命」といえるほどのことかと問われると疑問です。
84年暮れに「MSV」のプラモデル展開がひとまず区切りを迎えたことを、本書は「ひとつの時代が終わった」とまとめています。ただこれは別に「MSV」に限ったことでなく、たいがいのシリーズは終わるものでしょう。
自分も間違いなく「MSV」をリアルタイムで体験して楽しんだ者のひとりですが、一区切りした際は「MSV」の新作プラモそのものが未来永劫発売しないと決定されたわけでなし、作ってないキットもまだまだたくさんあるんだから……というのが当時の心境でした(まあそれでも87年前後だったか「MSV」のミニアニメ頓挫の話を聞かされた時は残念な思いもしましたけど)。
『Zガンダム』への「MSV」(および後継作「MS-X」)客演も本書では悲観的に書かれています(これは実際に当時の模型ユーザーやアニメファンからの風当りが本当にひどいものでした)が、個人的には「MSV」が次のステージに遷移するためのある種の儀式のようなものだと感じてました。
85年以降「MSV」シリーズの新作キット発売こそ断絶しましたが、以下に挙げているような形でアニメスタッフやバンダイ社員、マニア系編集プロダクションがその因子を継いだのも本当だと思います。
ちなみに『最期の赤い彗星』(86年/ケイブンシャ)は一年戦争の終戦直前にシャアがある男から狙われるオリジナルストーリーのゲームブック。この話でシャアは「5機め」のMS-06R-2にも搭乗します。
最後に。
本書は前述のように事実誤認や疑問点も少しありますが「模型情報」編集長にして「MSV」の功労者のおひとりでした故・加藤智さんへの敬意もひしひしと伝わる一冊で「MSV」を取り巻く当時の状況がどのようなものだったかを今から学ぶうえで不可欠な良書といえます。
まだ未読で、自分の拙文で興味を持たれた方がいらしたら、ぜひお手に取ることをおススメします。