糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの
09月18日の「今日のダーリン」
・毎年、9月14日から11月10日までの約2ヶ月間、
矢沢永吉とぼくは同い年になる。
実にまぁ、それがどうしたという話なのだけれど、
同じ年齢の男が、東京ドームを爆発させてるんだぜ。
あのツアーを息も切らさずやりきっている姿を見ると、
ぼくも、くたびれただの、老人だからだのとは、
冗談でも言えなくなってくる。
矢沢永吉は、ロックと語呂合わせのできる69歳、
アスリートならとっくの昔に引退しているし、
もっと若いシンガーでも、歌の間にトークをはさんで、
休み休みの状態でステージを演出している。
それがいいとかわるいとか言っているのではない。
ヤザワは、長時間のステージをフルに歌いまくっている。
どうしてそんなことができるのか、
WOWOWの生中継の録画を観ながら考えてしまった。
鍛えているから? それもある。
体力がもともとあるから? それもあるだろう。
しかし、そういうことじゃないと思うのだ。
同じ年齢の男の目で、ずっと観ていて
「そうか!」と、わかったような気がした。
責任感だ、これは。
「矢沢永吉」という名前を守るという責任感だ。
「ヤザワが、ステージでべしゃりで時間保たしたら、
ファンは、やさしいからさ、お疲れさま、
永ちゃんたのしんで、ゆっくりやってくださいって、
言ってくれるのかもわかんない。
バラードやって、思い出話して…わかった、それもいい。
だけどオレ、まだ声バリバリに出るんだよ、残念ながら。
そして、動ける、歌詞忘れないし(笑)。
まだ全然、みんなが知ってるロックのヤザワなの!
69歳上等、声太くなって高音も出るし、身体も動ける。
歌、かえって上手くなってるもん。わかります?
60になってもケツ振ってロックンロールやっていたら
最高だねって、30くらいのときに言ってたけど、
それどころじゃない、70オッケー、80カモンだよ」
と、これはぼくの趣味のものまねセリフだけれど、
こう言い切れるのが矢沢永吉というものなのである。
で、その矢沢永吉を守り通してるのが、矢沢なのである。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
こうなったら、糸井重里も責任感でステージを…ちがうか。
矢沢永吉とぼくは同い年になる。
実にまぁ、それがどうしたという話なのだけれど、
同じ年齢の男が、東京ドームを爆発させてるんだぜ。
あのツアーを息も切らさずやりきっている姿を見ると、
ぼくも、くたびれただの、老人だからだのとは、
冗談でも言えなくなってくる。
矢沢永吉は、ロックと語呂合わせのできる69歳、
アスリートならとっくの昔に引退しているし、
もっと若いシンガーでも、歌の間にトークをはさんで、
休み休みの状態でステージを演出している。
それがいいとかわるいとか言っているのではない。
ヤザワは、長時間のステージをフルに歌いまくっている。
どうしてそんなことができるのか、
WOWOWの生中継の録画を観ながら考えてしまった。
鍛えているから? それもある。
体力がもともとあるから? それもあるだろう。
しかし、そういうことじゃないと思うのだ。
同じ年齢の男の目で、ずっと観ていて
「そうか!」と、わかったような気がした。
責任感だ、これは。
「矢沢永吉」という名前を守るという責任感だ。
「ヤザワが、ステージでべしゃりで時間保たしたら、
ファンは、やさしいからさ、お疲れさま、
永ちゃんたのしんで、ゆっくりやってくださいって、
言ってくれるのかもわかんない。
バラードやって、思い出話して…わかった、それもいい。
だけどオレ、まだ声バリバリに出るんだよ、残念ながら。
そして、動ける、歌詞忘れないし(笑)。
まだ全然、みんなが知ってるロックのヤザワなの!
69歳上等、声太くなって高音も出るし、身体も動ける。
歌、かえって上手くなってるもん。わかります?
60になってもケツ振ってロックンロールやっていたら
最高だねって、30くらいのときに言ってたけど、
それどころじゃない、70オッケー、80カモンだよ」
と、これはぼくの趣味のものまねセリフだけれど、
こう言い切れるのが矢沢永吉というものなのである。
で、その矢沢永吉を守り通してるのが、矢沢なのである。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
こうなったら、糸井重里も責任感でステージを…ちがうか。