第六話 趣味の部屋
Ⅵ 趣味の部屋
その男は、人を殺せそうなほど鋭い眼力で、シュオウを睨みつけていた。
伸びきった無精ひげと、頬がこけているせいでわかり辛いが、目鼻立ちはすっきりとしており、美醜を評するのであれば、整っている部類に入るだろう。アゴにある一点のホクロが、不格好に伸びた髭の中からやたらに存在感を放ち、男の風貌を特徴付けていた。赤茶けた短髪は、埃や泥にまみれて鈍くくすんで見える。
がっしりとした体躯から伸びる四肢は長い。シュオウの知るなかで、もっとも巨体を誇るクモカリと並ぶか、それ以上かもしれない。大きな左手首には、薄黒い革手袋のようなものがはめられていた。
かろうじて届くかすれた朝日を受け、絶え絶えな息を吐きながら、男は口を開いた。
「なにもんだよ、なにをしてここに入れられた」
シュオウは寝起きで渇いた喉に唾液を流し込み、かすれた声で答えた。
「戦で、負けた」
鉄格子を二重に挟んで対面する男は、眉を不思議そうに歪める。
「その茶色の軍服、見覚えがある……てめえ、ムラクモの兵士か」
シュオウが鷹揚に頷くと、男は口の片端をあげ、よく切れる包丁のような笑みを作った。
「そんなうすらぼけた色の頭してムラクモに与してるなんざ、どうりで、あの豚坊主に気に入られるはずだ」
聞くまでもなく、囚われの身である自分と同様の立場に置かれているこの男は、やや浅い色合いではあるが、南方に暮らす多くの人々と同様に、褐色の肌をしている。
同族であろう人間が、なぜこのようなめにあっているのか、わずかばかり気になった。
「どうして──」
牢獄の入り口のほうから戸が開く音が聞こえ、言葉を止める。奥の暗がりから、禿頭をゆらしてのっそりと現れたのは、この拠点の代表者であるア・ザンだった。
「おやおや、仲良くお喋りかね」
そう言ったア・ザンを前にして、今まで話をしていた男の視線がより険を増した。
ア・ザンは従者に手伝わせて上着を脱ぐと、たるんだ上半身をむき出しにしてパシパシと腹を叩いた。
「よし、朝の一運動といこう。どうにもこれがないと朝飯がうまくないからな」
ア・ザンは腰にさしていた短鞭を取り出すと、それを向かいにいる男の鉄格子にたたきつけた。
先日の言動からして、自分がこの男の欲求を満たすための対象に選ばれたのだと、薄々察してはいたが、鞭を片手にうれしそうに向かいの牢に入っていくア・ザンの背中を見て、改めてそれを確信した。
この薄暗く不潔な部屋は、つまりは拷問部屋なのだろう。よくよく見てみると、各所に無造作に放置された怪しい器具が散乱しており、その中にはこびりついた血の跡が残ったままの物がいくつもあった。
「さて──」
ア・ザンは一言前置きして、
「──そろそろ限界なのではないか? 三脚の捕獲術を教える気にはならんか。私もな、殺すまではしたくないのだ。だから毎日食べ物も与えているし、こうして座る事だって許しているだろう」
鞭を指でなでながら、ア・ザンは高圧的な口調で言う。しかし、言われた側は、強くにらみ、ただ一言だけ返した。
「うるせえ」
背中ごしでも、ア・ザンの頬の肉がぴくりと痙攣したのがわかった。
「もう少し弱らせねばわからんか……しかし、命を気にして拷問にかけるというのも面倒なものだな」
ア・ザンは握った短鞭を振り上げ、両手を縛りあげられた男の背中を思い切り打ち付けた。強く肉をはじいたその音は、皮膚が裂けていてもおかしくないほどの力が込められていた。
強烈な鞭の一撃を受けた虜囚は、たまらずうめき声をあげる。しかしそれでも歯を食いしばり、目には強い光を帯びたまま、気持ちのうえではまるで屈服した様子はない。
ア・ザンは立て続けに鞭で痛打を繰り返す。しかし、動じた様子なくにらみ続ける男を前にして、つまらなそうに溜息をこぼした。
「まったく、いつまでたっても退屈な男だ。おい、あれを寄越せ」
何事か指示を出すと、今まで猛獣のような瞳で彼を睨みつけていた男の顔が、突然に一変した。
命令を受けた従者は腰から短剣を引き抜いて手渡す。
その鋭さを確かめるように、ア・ザンは刃先に指を当てた。だがなぜか、ついさきほどまで愉悦に満ちた顔をしていたにもかかわらず、短剣を手にたたずむア・ザンの顔は暗い。
彼の手にしたその短剣の刃先が、虜囚に向いたその瞬間だった。男は急に取り乱し、両腕を拘束する鎖を引きちぎらんばかりに引っ張って、盛大に上半身を仰け反らせ、叫んだ。
「いやだあああああああああああ!」
青ざめた顔でわめいた男は、駄々をこねる子供のように騒ぎ続けている。別人のような豹変ぶりに、シュオウはそれを唖然として見つめていた。
ア・ザンはうんざりした様子で、わめく男に言う。
「どうだ、こいつで刺されたくなければ──」
しかし言い終えるより先に、男はそれをかき消すほどの大声で叫ぶ。
「うあああああ! やめろおおおおッ! いやだ、いやだ、いやだあああ」
巨体から絞られる声は痛いほど耳に響く。両の手が自由なら即座に塞いでいただろう。
男は甲高い声でひぃひぃと泣きわめき、ジャラジャラと鎖を鳴らしては身をよじらせている。その姿に呆れてか、ア・ザンはうんざりした様子で短剣を取り下げ、首を横に何度も振りながら牢を出た。
「ようやく弱点を見つけたと思ったが、こういちいち発狂されては話もできん──」
従者に短剣を返して、ア・ザンは愚痴をこぼした。
「──もう少し体力を削ってからためしてやろう。今日から配給を半分にしておけ」
従者にそう指示をしつつ、汗を拭うア・ザンの粘りけのある視線が、シュオウに移る。
「お前はもう少し常識的な反応を返してくれるものと期待しているぞ。気が向けば、夕食の前にしっかりと相手をしてやろう。せいぜい覚悟しておくのだな」
牢部屋からア・ザンが出て行き、二人きりの時間が戻った。
泣きわめきながら暴れていた向かい合う男は、鼻水をすすって取り繕うようにしれっと床に尻を落とす。シュオウはそんな姿に向け、じっとりとしめった視線を送りつけた。
「……なんだよ」
「……べつに」
ぶっきらぼうにそう返し、シュオウは溜息を一つ吐いた。
「なんだよッ!」
「だから、なにも言ってない」
「バカにしてんのか、そうだろ!?」
「してない」
シュオウは視線を男の充血した眼から視線をそらした。
だが彼の言うように、たしかにシュオウは失望感を抱いていた。道ばたで熊や虎に遭遇し、覚悟を決めたと思いきや、それがはりぼてだった……そんなむなしさと、勘違いした事への気恥ずかしさのような心地がして、男の顔を見ているといたたまれない気持ちになる。
「ちきしょう、ああ、どうせおれは尖ったもんが嫌いだよ、苦手だよ! でもそれがなんだ、誰にだって嫌なものくらいあるだろうがよ!」
男のその言葉に、シュオウは眉を上げた。
──たしかに。
視線を戻し、羞恥と怒りに顔を歪める男を見て、言う。
「そうだな……わるかった」
シュオウの言葉に気が抜けたのか、男はこわばった顔の緊張をゆっくりとほどいていく。
「べつに、謝れとまでは言ってねえよ……」
そうして、男は初めて見たときと同じように、強い瞳で無表情に顔を落とした。
狂犬のような男かと思えば、存外繊細なところがあるようだ。
話をしてみるのもいいかもしれない、とシュオウは思った。そのための時間はたっぷりとある。
*
「これだけかぁ……」
小さな椀を半分も満たせぬほど少量の芋汁を手に、サブリは牢の中で消え入りそうな声で不満を言う。
「食うもんがあるだけありがてえと思っとけ!」
サブリにそう怒鳴ったのは、周囲の者らからジン爺と呼ばれている、褐色肌の老兵だ。彼がそう言うと、サブリと同様にぶつぶつとあがっていた不満の声がぴたりと止んだ。こういう時、老人の言葉には妙に説得力がある。
腐れ縁の相棒であるハリオは、牢部屋の片隅に座り、暗い表情で汁をずるずるとすすっている。
寝いびきのような音がサブリの腹から鳴った。
食ってしまうのはもったいないが、空腹にあえぐ体は、この粗末な芋汁を欲している。
すぐになくなってしまわないようにと、少しずつすすって喉に流すが、味はないに等しい。塩気は皆無で芋も崩れてしまい、元々の量も少ないのか、ただのぬるい白湯のようなものだ。それでも、ほんの少しだけとろみがあり、それが唯一の慰めだった。
「あいつ、生きてっかな……」
誰かが言ったその言葉で、少ない汁を食べおえた者らの間に自然と、ある一人物をあげた話題が交わされる。
「それって、お前んとこの隊長のことか? ひょろひょろしたただのあんちゃんかと思ったけどよ、あれりゃ凄かったな。黙ってたって獲物がぽんぽん地べたに転がってくるからよ、思わず付いていっちまった」
「訓練だっつってよ、毎日つきあわされたから腕が良いのは知ってたが、まさか輝士を平気でぶっ殺せるほどとは、思わなかったぜ」
「おい、南じゃ輝士とはいわねえんじゃなかったか」
「うるせえな、どうでもいいんだよ」
彼らの交わすやりとりに、また別の者らが追従する。
「俺にあれだけの剣才があったらなあ、大商人の用心棒にでも売り込むか、名をあげて道場でもおっ立てるね。弟子がわんさか、美人の嫁と子供は三人。死ぬときは孫子に看取られて安らかに死ぬんだ……」
「手前勝手な妄想で死ぬとこまで勘定に入れてるんじゃ、せわねえぜ」
誰かがいれた合いの手に、敗残兵たちはケラケラと笑い声をあげた。しかし、一時訪れた朗らかな時間を一瞬で冷ます声が、牢部屋に低く響く。
「おめでてえな……」
サブリには、その声の主が一瞬でわかった。
「ハリオ……」
座った目で皆を睨みつけるハリオは、誰がどう見ても喧嘩を売っているようにしか見えない。
「おい、どういう意味だよ」
同部屋にいる男達の中でも一、二を争う人相の悪い男が、ハリオにくってかかる。
「お前らの頭がおめでたいって言ったんだよ、俺たちがこんな羽目になったのは誰のせいだかわかってんだろ? あいつだよ、シュオウだよ! そんなやつをヘラヘラ褒めそやしやがって……聞いてて耳の穴から反吐がでそうになったぜ」
ハリオが言うと、皆が怒りに鼻の穴を膨らませた事に、サブリは気がついた。
「ハリオ、やめとけって!」
しかし友の言葉も、ハリオには届かない。
「ああ、あいつが腕が立つのは知ってるよ、その通りだよ! 剣なんかなくったって、腕っぷしだけで何人も相手にしてたのを俺だって見てるんだ。いるんだよ、ああいうやつが……俺がガキの頃に通ってた道場にも、後から入ってきたくせにあっという間に俺を追い抜いて、しまいにゃ大人達に混ざって勝っちまうような天才がいたんだ。そんで、俺たち凡人は、それを見て、すげえすげえってぶつぶつ言ってるのが関の山だ」
ハリオの視線は徐々に落ちていく。言葉は消え入りそうになり、最後には自分自身に語りかけているかのように、サブリには見えた。
「はあ? けっきょく、自分がみじめだから俺たちにも同じようにうつむいてろって言いてえのかよ」
「い、いや、だから俺達はあいつのせいでこんな目にあったって──」
「しつけえ野郎だな、こうなっちまったもんはしょうがねえだろうが。元々俺たちは生きるか死ぬかの世界で飯食ってたんだ。こうなる事くらい誰だって数えられねえくらい想像してら」
「おまえらと一緒にすんな! 俺とサブリはな、こんなとこ来るはずじゃなかったんだ。そうだよ、アデュレリアの氷姫の命令でもなけりゃ、だれがあんな野郎の監視役なんてやるもんかよ! 王女を助けて気に入られて、毎日のように貴族のお嬢達から贈り物が届いて……謹慎処分だったはずなのに簡単に昇進しやがって……あいつばっかり良い目にあってるんだ、なのに俺たちはそいつのために死ぬかもしれない! こんなのってねえだろ、なんであいつばっかり──」
必死の形相で言うハリオを前に、厳つい顔で状況を見守っていた男達の間に失笑が漏れた。
「アデュレリアぁ? 王女だぁ? ふくならもっとましな嘘を選びやがれ」
ハリオと対していた強面の男を、静観していたジン爺がいさめる。
「おい、サンジ、そのくらいにしとけ。騒ぎにして看守に目つけられたらめんどくせえぞ」
「言われなくったってそうすらぁ。頭のかわいそうな野郎だって知ってりゃ、最初からむきになんてならなかったんだ」
誰も、もうハリオを相手にしていなかった。
ハリオが感情にまかせて言った事の多くが真実だと、サブリは知っている。しかし改めて一つずつ、あのシュオウという人間がしてきた事を思うに、それを目の当たりにしていない者が証拠もなしに信じる事などできはしないのだろう。
誰一人として同調を得られなかったハリオは、しぼんだ木の根のようにしょんぼりと肩を落としていた。
サブリは、そんな友の姿に、かける言葉を思いつくことができず、からっぽになった粗末な椀の底を、ただじっと見つめていた。
*
この日、夕食どきを前にしてア・ザンは上機嫌に鼻歌を奏でていた。
戦の後処理のために残してきた部隊も無事に撤収を終え、渦視城塞は万全の状態を維持して一切の淀みなく、平常にその役割をはたしている。
ムラクモに戦で勝利を得たという快挙を成し遂げた事で、各地から続々と祝辞を述べる文がひっきりなしに届き、なかでも国王直筆の書簡には、ア・ザンの武勲を称えるとともに、国王自らが渦視への慰問を計画しているとの内容が記されていた。
「むふッ」
国王から直々に報奨を受け取る自らの姿を妄想し、ア・ザンはこらえきれず笑みをこぼす。
晴れやかな心地で、普段は重い贅肉を貯めた体もやたらに軽く感じられ、いつも忌々しいと思っていた辛気くさい薄茶色の石壁も、今はきらきらと輝いて見えた。
足取りも軽やかに向かったのは、自身の趣味を満たすために造った特別な一画。そこは捕らえた特別な囚人を隔離し、拷問を行うために用意した牢獄だった。
ア・ザンは体を動かす事を嫌うが、こと拷問に関しては別である。特に食事を前にして一汗流すことで食事がうまくなる。空腹にあえぎ、痛みにもだえ苦しむ囚人の姿を見た後はなおさら格別だった。
結果として、ア・ザンに拷問にかけられた者のほとんどは命を落とす。ただそれは、殺意を持ってなにかを行った結果ではなく、たいていの者は体力の限界を迎えて、枯れるように死を迎えるのだ。
故意ではないにしろ、死ぬかもしれないと思っての結果、自分のしている事は殺人と呼ぶになんら支障のない行いであるという自覚はある。
だが、それがなんだというのだ。
サンゴ国の王族を妻に娶り、娘は王位継承権を持つ正統な王家の末裔。自身は南方各地に根深く関わるクオウ教の上層に席をいただき、黒戒布を肩にさげ、僧将という階級をもって隣国からの侵攻を防ぐ重要拠点の長を務めている。
ア・ザンの行いに、異を唱える者などいようはずがなかった。
北方から西側諸国を支配域とする、リシア教会の神官とは違い、クオウの僧侶は戒律で殺生を禁じられてはいない。むしろ、国と神の名を守るため、日頃から武力による切磋琢磨が推奨されているほどだ。
拷問にかける対象者が、国家に害をなすもの、また敵国の人間や異教徒であればいうことはない。それはクオウの戒律にもかなっている。
見せかけだけの正義心を満たす事ができ、一方的に誰かをなぶる事で、自分が特別である事を再認識できる。
薄暗く陰気で不潔なそこは、ア・ザンにとって自己の存在価値を確認するための小さな神殿だった。
従者を一人ともなって入った牢の中は、陽も落ちて鬱蒼とした森のように薄暗い。ア・ザンは指示を与え、壁かけのランプに火を入れさせた。
欲求を満たすための手持ちの人間は二人。とくに目玉ともいえるガ族の若者はいたぶり甲斐のある相手ではあるが、その口がいつまでたっても欲している情報を言わないため、正直なところ手を焼いている。
深界には、そこではぐくまれた独特な生態系の中には、いわゆる狂鬼という名で区分される生物の他にも多様な生物が息づいている。三脚とよばれる二足歩行の生物もまたその一種で、駿馬を凌駕する速力と、胸の中に折りたたんでいる強靱な副腕をいかした跳躍力は、驚嘆に値する。
だが三脚はめったな事で人に懐くことはなく、生息域が深界ということもあり、遭遇すら簡単にはいかない。
ごくまれに人里に迷い込んだ三脚を、運良く馴らす事に成功した事例は確認されているが、それがまぐれではなにも意味はないし、きちんとした生育法がわからないせいで、人に懐いたそれらの個体も、結局は短命に終わるのだ。
ガ族は、そんな三脚を捕獲し、飼育と繁殖法までを把握していたとされる希有な一族である。だが、三脚を用いた優れた騎兵戦力を有していたガ族は、周辺国の思惑に飲み込まれ、結果として一族もろともにその血統は絶たれたと周知されていた。が、生き残りがいたのだ。
ランプのぼんやりとした明かりが二人の男を照らした。
一人はくすんだ銀髪をしたムラクモの軍人。そしてもう一人は、重要な情報を握ったまま口を閉ざすガ族の生き残り。
食事を絶った事がきいているのか、ガ族の男はくたびれた様子でうなだれ、起きているのかどうかもはっきりとしなかった。
だが今、この男の事はどうでもいい。ア・ザンの目当ては新しく仕入れた変わり種のムラクモ軍人である。
報告によれば、この男は彩石も持たない身でありながら、単身で複数人の星君兵を斬り殺し、多くの歩兵の喉を切り裂いたのだという。
にわかに信じられない情報ではあったが、その目撃情報があまりに多く、実際にこの男がいたとされる部隊が、不自然なほど深くサンゴの陣中まで食い込んでいたという事実が、各人からあげられた報告と一致していたことから、情報の信憑性に疑いの余地はなくなっていた。
「さて、と」
ア・ザンは従者を牢の入り口で待たせ、一人きりでムラクモ軍人の牢に入った。
中にいる銀髪の男は、淡々とした態度で顔をあげ、こちらをじっと見つめている。たいして疲れたふうでもなく、怯えた様子も見せないところは可愛げがない。だが、件の活躍が事実であるならば、このくらい肝が据わっているのも当然だろう。むしろ、こうした屈強な人間がしだいに屈服していく様こそが、この行為の目的の大部分を占めているのだから、願ったり叶ったりの相手だといえる。
品定めするように銀髪の男を見つめ、ア・ザンはまず顔を隠す大きな眼帯を引きはがした。
「うぁ……なんともまた、醜いものだな」
せいぜい傷を隠している程度のものだと思っていたが、その下にあったのは焼けただれた痕が生々しく残った皮膚だった。右のまぶたがある部分は熔けるように爛れていて、見るからに痛々しく、片目を塞いでいる。
素顔を露わにされたムラクモの軍人は、その瞬間に涼しくしていた顔を歪め、隠すように顔を伏せた。ア・ザンはそれを嘲笑う。
「なんだ、恥じているのか? 当然だろうな、こんな大きなもので隠しているのだから」
はぎとった眼帯をすみに放り投げ、ア・ザンは指をぱきぽきと慣らした。
「言っておくが、お前から聞き出したい情報などなにもない。ただ、これから行われる事を受け入れ、私好みの反応を見せてくれる事以外、なにも期待などしていないのだからな」
言って、腰から鞭を取り出す。たいていの人間は、これを見れば押し黙り、痛みを想像して怯えに脂汗をひりだす。だが、この男はア・ザンの予想を超える行動に出た。
「俺も言っておく。だらだらといたぶるつもりでここに繋いでいるのなら覚悟しておけ」
なにを思ってか、囚われのムラクモ兵は、ア・ザンを威圧するような言葉を発した。
「な、に──」
思わぬ反撃に戸惑うア・ザンを前に、銀髪の男は伏せがちだった顔を上げて饒舌に語りだす。
「痛みを受けたものはそれを忘れないと、育ての親は教えてくれた。苦痛を受ければ、生物はその原因を排除しようと努める。だから、命をなぶるには相応の覚悟が必要になる。俺も、戦場にでるまでその意味をきちんと理解していなかった。でも今ならわかる。対した相手を殺すよりも、生かすほうがよほど勇気が必要なんだ」
「小賢しい……わけのわからんことを言って、私を惑わせているつもりかッ」
感情的に振り上げた鞭を振り下ろすより先に、自分を見つめる穏やかな男の左目が、それを止めた。
「やりたければ、それを振り下ろせばいい。だけど俺は忘れない。命があるかぎり、お前への復讐をかならずやりとげてやる。それが嫌なら今すぐ、俺を殺せ」
その言葉が、ただ見せかけだけの強がりではないと、ア・ザンは直感した。
怯えなく言ってのける、この強い眼には見覚えがある。これは、そう、英雄として名高いシャノアの将、バ・リョウキが自分に向ける視線によく似ている。それに、もう一人……
──シャラ。
突然に浮かんだ娘の顔に、ア・ザンは混乱した。
すっかり気持ちも冷めてしまい、急ぎ足で牢を飛び出て、従者の呼びかけにも応じず、なにもしないまま、なにより憩いの場であったはずの神聖なる祭儀場から、逃げるように走り去った。
*
残された従者がせっせと牢の鍵をしめ、外に出て行ったのを待って、シュオウはどっと溜息を吐いた。すると盛大な笑い声が聞こえてくる。
「あの豚を口だけで追い払いやがった。ここに閉じ込められて初めて腹の底から笑ったぜ」
実際のところ、シュオウが発した言葉の大半ははったりもいいところだった。抜け出す手立てもなく繋がれた状態で、復讐などできるはずもない。ただ一方的にやられるのを嫌い、できる限りの虚勢をはったつもりだったが、それは思いのほか効果があったらしい。
爽快に笑う男は、残されたままのランプの灯りを受け、長い犬歯をむき出しに破顔した。
「俺はシガだ、ガ・シガという。教えろよ、お前の名前を知りたくなった」
こわばっていた体の緊張をほぐし、肩の力を抜いたシュオウは、ここに至り初めてシガと名乗った男に、自分の名を告げた。