1967年、福岡県宗像市に誕生した大島土木が現・大島産業の前身。84年、高校卒業と同時に創業者である父親を継いだのが大島康朋氏だ。高校時代は甲子園で活躍。大学野球を目指したが、病に倒れた父を助けるため野球への思いを断ち切り、家業に入った。

99年、それまでは道路、橋梁、下水道などの土木建設工事を専らとしていた社業を拡大し、トラック輸送に新規参入。大手物流会社の協力会社となって業績を伸ばし、現在は物流部門が全社売上高の約6割を占める。

2012年、前年に続き「アジアの次世代の最高経営責任者100名」(ジャパンタイムズ)に選ばれた大島氏に、経営へのスタンスや九州の可能性などについて聞いた。

高校時代の野球部での教えが
経営の原点になっている

大島康朋●おおしま・やすとも
株式会社大島産業グループ 代表取締役CEO

1965年福岡県生まれ。和歌山県立箕島高校野球部二塁手として甲子園大会出場。卒業後、大島産業入社。同社代表取締役を経て、持株会社である大島産業グループのCEOに就任。

「成功した」と思ったら
そこですべてが終わる

国土交通省 九州地方整備局 北九州国道事務所 黒崎バイパス工事
大島産業が手がけた公共工事の例。工事の質への要求がますます高まるなか、大島産業にとっても、技術力アップへの投資は重要な経営課題。「自分たちが造った道路を自分たちのトラックで走り、皆様の荷物を届ける。これが大きなやりがいの1つ」と大島氏。

建設企業にして物流企業─。こうした会社は、ほかにあまりないでしょう。「雨が降れば仕事にならない建設業だけではダメだ」と私は思っていました。主な仕事である公共工事は工期が長く、資金繰りに苦慮することも多かった。だから物流に参入した狙いは、円滑なキャッシュフローの確保にあります。父親が工事に付随する資材販売のために運送業認可を取っていたことも幸いしました。参入後、キャッシュフローは安定し、建設部門の技術面などへ戦略的に投資できるという好循環も生まれています。

では、「それで成功なのか?」と聞かれると、13年経ってもその実感はありません。まだまだ終わったわけではない。成功したと思ったとたんに、そこですべてが終わってしまう──。いまは九州全域に荷物を運ぶほか、福岡から最も遠方で北関東、北陸までの長距離便を担っています。

高校野球でいえば、やっと全国大会初出場のレベルです。甲子園では、毎回出場してベスト8、ベスト4へ進むくらいの常勝チームにならなければ、名門校と呼んでもらえません。