およそ古来、敵を倒すには、敵を分断し、バラバラにして各個撃破するというのは世界の歴史の常套手段です。
そして同じ民族であっても、そうした工作によって国が分裂してしまうことはあり得るのだということは、日本人も肝に命じるべきことですし、学校の世界史などでしっかりと教えるべきことです。
分断されると国力は弱まります。
紀元前721年には、北のイスラエル王国がアッシリアに滅ぼされ、紀元前612年には、南のユダ王国も新バビロニアに滅ぼされてしまうのです。
そしてイスラエルの民衆(ユダヤ人たち)は、自分たちの国家を失ってしまい、流浪の民となるのです。
みなさんは、ユダヤ人というと、どのような人々を想像するでしょうか。
長いあごひげを生やした白人種の男性などの顔立ちをイメージするのではないでしょうか。
けれども古代イスラエル王国の頃のユダヤ人は、東洋系の民族であったと言われています。
それが国を失い、2千年の流浪の後、ようやく世界中に散ったユダヤの民衆が集まって国を築いてみたら、肌の色も髪の色も長さも、みんな違っていた。
イスラエルの小学校に行くと、白人から黄色や黒の有色人種まで、実にさまざまな人達がいます。
そしてその肌の色や髪の色の違うすべての人達が、2千年前には、同じ肌、同じ髪の色を持った人たちだったのです。
イスラエルの人たちは、ですから2千年前に自分たちが国を失ったときのことを知っています。
国を失ったとき、彼らは親兄弟や友人を殺され、生き残った者も、先祖を祀る墓地も私有財産も、家族までも奪われて奴隷として売られました。
昔あった満洲国もなくなりました。
満州国の通貨であった紙幣は、ただの紙屑となり、シベリアに抑留された兵隊さんたちは、そのもとは紙幣だった紙を、紙が支給されないのでトイレットペーパー代わり使ったという逸話があります。
いま何十億円という資産があったとしても、その土地も財産も、実は日本という国があってのものです。
国がなくなったら、預金はパア、お札は紙切れになるのです。
イスラエルの民衆も、ですから、ただ滅ぼされたわけではありません。
民族の国家を取り戻したい。
紀元前143年には、大規模な独立運動を行いました。
それはただの運動といった生易しいものではなくて、戦争です。
これを「マカバイ戦争」でといいます。
この戦争に勝利したユダヤ人たちは、イスラエル国を建国しようとするのですが、内紛につけこまれて、政治的にローマ帝国の属州にされてしまいます。
これを不服としたユダヤ人が再度立ち上がったのが、100年後の西暦66年で、これが「第一次ユダヤ戦争」です。
彼らはなんとか独立を勝ち取ります。
しかしこれを不快に思ったローマ帝国は、軍を派遣して、西暦70年に首都エルサレムを陥落させます。
このとき、最後まで抵抗したのが、エルアザル・ベン・ヤイル率いるユダヤ人の男女967人です。
彼らは「マサダ砦」に立てこもり、最後まで抵抗しました。
その「マサダ砦」を、ローマは1万5千の大軍で包囲しました。
マサダ砦の967人は、勇敢に戦い、なんと3年近くもこの砦を守り通すのですが、衆寡敵せず、西暦73年に砦は落とされます。
砦の陥落直前、砦の人たちは、投降してローマの奴隷となるよりは死をと、2人の女性と5人の子供を残して、全員で集団自決しました。
自決に際して、エルアザル・ベン・ヤイルが述べた言葉が、ヨセフスの『ユダヤ戦記』に残されています。
「高邁なる友よ。
我々はずっと以前から、
人類の唯一なる真にして
義である主なる神以外には、
ローマ人であれ何人であれ、
奴隷にならないと決意してきた。
その決意を実行に移して
眞なるものとすべき時が、
いま、到来した。
我々が自由な状態で
勇敢に死ねることは、
神が我々に与えたもうた
恵であると私は思わずにいれない。
我々はまだ、
最愛なる同志とともに
栄光(はえ)ある死を
選ぶことができる。
我々の妻たちが辱めを受ける前に、
子供たちが奴隷を経験する前に、
死なせてあげようではないか。
自由を保持して行こうではないか。
糧食のほかは何も残さずにおこう。
何故なら我々が死んだときの証として、
我々が制圧されたのは
必需品が不足していたからではなく、
最初からの決意に従って
我々が奴隷よりも死を選んだことを
示してくれるだろうから。」
男たちは自らの手で最愛の者達(妻と子)を殺しました。
そして男たちの中から籤(くじ)で十人を選び、残りの者達は首を差し出しました。
ともに三年間、苦しい中を戦い続けた同士でした。
けれど選ばれた十人は、恐れることなく使命を果たしたそうです。
そしてその10人だけが残ったとき、再び籤で一人を選び、殺されていきました。
最後に残った一人は宮殿に火を付け、自らの剣を体に刺し貫いきました。
マサダ砦は、この戦いのあと、ローマ軍によって徹底して破壊されました。
この破壊は徹底していて、ただ建物を壊したり火を付けたりというだけのものではなくて、周辺の土地の木々が全て伐採されました。
人によっては、そもそもローマがイスラエルの土地を欲したのは、もともとそこが緑豊かな樹々の茂る豊かな森であったからだといいます。
だからそこに住んでいる人たちを殺し、国を陥落させたのです。
なぜならその時代の資源エネルギーは、木を燃やして得る火力だったからです。
いま、マサダに行くと、辺り一帯、見渡す限りの岩山です。
草木一本ありません。
しかし、草木一本もないようなところにある砦では、補給を受けることができない967人もの男女が3年間も生き残ることはできないのです。
なぜなら人は、水と食べ物がなければ死んでしまうからです。
つまり2千年前のマサダは、水が湧き、肥沃な土があり、砦内で畑を営むことができたはずなのです。
そうでなければ3年間もそこにこもって戦うことはできない。
そして水が湧くためには、周囲に土と森が必要なのです。
マサダが陥(お)ちた後、あるいはすでに包囲戦をしているときから、ローマは木を次々と伐り倒し、緑を奪っていきました。
すると砦には水が出なくなり、肥沃な土は雨が降る度に流れ出してしまい、あとに残るのは、岩山だけになります。
そしていま、マサダは砦の中も外も、ゴツゴツした岩だけが露出する荒れ地になっています。
マサダの戦いの60年後の西暦132年、ユダヤ人バル・コクバが、ローマに対してふたたび独立戦争を挑みました。
これが「第二次ユダヤ戦争」です。
バル・コクバは、一時イスラエルを奪還するのですが、翌135年にはローマ帝国に滅ぼされています。
こうしてイスラエルの民は、各地に離散し、現代イスラエル国が誕生するまで長い離散生活をすることになりました。
上に「2千年の流浪」と書きましたが、ユダヤ人たちが経験した離散生活者のことを、
「ディアスポラ(διασπορά、英:Diaspora, diaspora)」
といいます。
ディアスポラというのは、は、植物の種などの「撒き散らされたもの」という意味のギリシャ語に由来する言葉です。
ユダヤ人が経験した「2千年の流浪=ディアスポラ」は、「難民(refugee)とは異なります。
難民は、元の居住地に帰還する可能性を含んでいるのに対し、ディアスポラには帰還する先がないからです。
ディアスポラは、最近では混乱によって国外に亡命したツチ族ルワンダ人や、ソマリアを逃れたソマリ人集団などについても用いられることがありますが、いまだに日本語の邦訳語がありません。
日本語に言葉がないということは、これまで日本人は幸運なことにもディアスポラを経験することがなかったということです。
これは、私達が祖先に感謝すべきことです。
イスラエルの民は、第二次ユダヤ戦争のあと、約二千年にわたって、そのディアスポラとなり、ローマは、イスラエルの抵抗を防ぐために、徹底してイスラエルを破壊しつくしましたから、マサダ砦のあった場所すらもわからなくなってしまいました。
つまりマサダは、ディアスポラとなったユダヤの人々の神話となったのです。
西洋における神話という言葉は、根拠のない作り話という意味があります。
つまりマサダは、ただの神話であり、おとぎばなしでしかないとされてきたのです。
ところが1838年に、ドイツ人研究者によってマサダ砦の跡地が発見されます。
そして伝説とされてきた古代の戦いが、現実に起きた出来事であったことが立証されます。
マサダの山頂の発掘から、この籤で選ばれた十人が、それぞれ自らの名を署名した陶片が見つかったのです。
そしてイスラエルは、昭和23(1948)年に、ふたたび独立を果たすのです。
いま、世界の最先端の軍事技術のほとんどは、イスラエル生まれです。
またイスラエルは、国土の緑化のために、岩山となった土地に長いホースを伸ばしてコンピューター管理で放水を行い、土地に緑を取り戻そうとしています。
そして瓦礫の山しかなかったイスラエルは、いまや農業生産物の輸出国です。
さらにイスラエルの人々は、国民の誰もがよろこびと楽しさを感じることができるようにと、非常に真面目な暮らしをしています。
さらにイスラエルは、国際的にみても、たいへんに豊かな国です。
そして強力なイスラエル軍は、国民に明確な安全を与え、完全管理された自国産の新鮮な野菜や果物は、防腐剤や病気などの心配のない、安心な作物として、人々の食生活に寄与しています。
日本はどうなのでしょうか。
日本は、いつまで、祖先が大切にしてきた国土を、ただ消費するだけの状態を続けるのでしょうか。
その気になればできる。
やればできるのだ、ということを、実証している国が、現代世界にちゃんとあるのですが・・・。
お読みいただき、ありがとうございました。

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ただし、今回のお話について。日本の国土を守る意識を問うという意図はわかるのですが、歴史的事実について、同意出来ないところがあります。
現在イスラエルの主流となっている白人系ユダヤ人は、カザフスタン辺りにあった非ユダヤ人のバザール王国がユダヤ教に改宗したことに始まります。
彼らは血統的には古代ユダヤ人とはなんのつながりもありません。(ヘブライの館というHPにそのあたりの経緯はくわしく載っています。
現在のイスラエルの問題はその白人系ユダヤ人が、本来のユダヤ人であるアラブ系ユダヤ人を二級市民扱いにしていることだと思います。