あのズッコケ三人組シリーズが2015年に刊行された「熟年ズッコケ三人組」をもって、完全完結となった。そろって50歳を迎えたハチベエら3人が解決すべき課題は、地方都市、突然の災害、親の介護などなど現代社会を色濃く反映したものに移り変わってきた。もはや同作はファンタジーではない。
大仕事を終えたばかりの作者・那須正幹先生に、前回に引き続きインタビュー。作家としてデビューしたきっかけや、児童書史上最大のヒット作品に影響を与えたその生い立ち、そしてズッコケ読者世代が生きる現代社会の課題などについて聞いた。
30歳までに本が出なかったら諦めようかと
大ヒットシリーズを抱える児童書作家として知られているが、那須先生の作家デビューは意外と遅く、30歳を過ぎてからだった。大学卒業後、20代の頃は東京で自動車のセールスマンとして働いていた。
その後、地元・広島に戻り、実家の書道教室を手伝う日々。このままじゃないけないとぼんやり考えていたときに、たまたま実姉が携わっていた同人誌に誘われた。これが思わぬ転機になったという。
「それまで僕は児童文学っていう言葉すら知らないくらい。子供時代に本を読んだことがないから、童話というものもせいぜいアンデルセンとかイソップくらいしか知らなかった。でも書いてみると、別に大人向けの作品と何も変わらないことがわかった」
「30歳までに本が出なかったら、才能がなかったと思って諦めよう」。そう決意して執筆に取り組んだところ、ちょうど30歳の時に『首なし地ぞうの宝』が学研児童文学賞を受賞し、デビューすることとなる。そこから4年後にズッコケ三人組の元になる連載が始まった。
ズッコケ三人組シリーズの原点となった『ずっこけ三銃士』
「当時は児童文学花盛りの時代と言われていたね。東京の作家だけじゃ足りなくなって、出版社は地方の新人発掘に熱を入れてる頃だった。だから僕は持ち込み原稿っていうのをしたことがないんですよ。最初から全部が依頼原稿。当時は出版社も景気が良かったんだろうね。編集者が広島まで訪ねてきて、書いてくれないか?って」
「成功の秘訣? ……僕は理系なんです」
自動車のセールスマンから書道の教室の先生に。特に文学に親しんできたわけではないのに、いったいどうして。成功の秘訣は何だったのだろう。
「そんなの知らない(笑) 僕はときどき色紙に『嘘つきは作家の始まり』って書くんだけど。嘘をつくのは上手かった。子供時代から大人を騙すのはまことしやかに上手かった」
「あと僕は理系なんですよ」と那須先生は続ける。「いわゆる文学畑出身の人とはちょっとものの考え方、見方が違う」という。「そのへんが子どもに合ってるんじゃないかな。子どもって実は情緒で本を読まないんですよ。意外と知的な楽しさを求めている」。
ちなみに那須先生は島根大学で森林昆虫学を専攻。心理描写よりも、調査をもとにした具体的な描写に力を入れて子どもの心をつかんでいった。
「最初から狙ってやっていたというより、僕がそういう性質なんだよね。『これを調べると面白いだろう』ってアンテナにピッとくる。たぶん理系だからだろうな。最近はネットを使っていろいろ調べたりもするけど、だいたいあれは嘘が多いから。ウィキペディアとかね、ズッコケの項目もとんでもないことが書いてあったよ(笑)」
ちなみにズッコケに関する誤った記述はファンクラブの会長にすべて修正してもらったそうだ。
落語や講談がズッコケ三人組に与えた影響
那須先生は子どもの頃、本をほとんど読まなかったかわりに、ラジオや映画に夢中になっていたそうだ。
「ラジオはずっと聞いてたね。わりと病身で、よく学校を休んでたから。朝の『名演奏家の時間』っていうクラシックの番組があって、それで当時クラシックの曲を聞いた。ただ、本は読まなかった。いまみたいにたくさん本がなかったし、小学校の時は世界名作選とか偉人伝みたいなのばっかりで、あまり面白いと思わなかったよ。それから映画館は小学校に入る前から姉にくっついてよく通っていたね」
「だから物語は嫌いじゃなかったんだろうな」と那須先生。落語や講談にも熱中した。「僕の書く話には落語のユーモアが混じってるかもしれない。ちょっと難しい表現が出たときは講談の影響かもしれないね」。
ズッコケ三人組の貴重な生原稿も見せてもらった。
そう言われると、ズッコケシリーズすべての作品に共通するのが、三人組の最初の登場シーンだと気づく。まさに落語や講談のような独特のリズム感と語り口で、ハチベエ、モーちゃん、ハカセが順番に紹介されていくのが印象的だった。
「あれは笹沢左保の木枯し紋次郎を真似したの。木枯し紋次郎は『紋次郎は〜』って登場の仕方はしない。最初は『汚いかっぱを着た旅烏の男がなんとか〜』って、町を俯瞰したシーンからまず始まって、その町を歩いてる男の後ろ姿を描く。映画の手法と一緒だね。ロングから入って、だんだん寄っていく。あのやり方、みんな知ってるだろうけど、ハチベエも必ずそうやって登場させた。毎回のお約束だよね。あれで3人を読者に印象づけた。キャラ立ちさせる方法としてね」
「那須さん、いまは3人組なんていませんよ」
そんなズッコケ三人組とともに年を重ねてきた読者も、上の世代はハチベエらと同じく熟年を迎えつつある。30代〜40代の中年と呼ばれる層も多い。実際、物語の中よりもハードな世の中を生きている。那須先生はいまの社会をどのように見ているのだろうか。
シリーズ完結作となる「熟年ズッコケ三人組」は、あのハチベエら主人公が50代に突入した
那須:どんどん悪い方向にばっかりいってるんじゃないかな。僕らは子どもの頃に、『今日より明日は必ず良くなる』っていうのを単純に信じられた時代だったよね。あれはやっぱり良かった。
昔だって不良とか、グレて暴力団に入ったりする人もいたけど、みんな更生したというか、ある時に立ち直れる。それは時代のおかげだったんじゃないかな。
――物語のような牧歌的な時代ではなくなった。
那須:いまは一旦、道を踏み外してしまうと抜けられない怖さがある。なんでもそうだけどね、覚せい剤にしても。世の中全体が本当に格差というか、貧富の差がすごくある。
僕らの頃は押しなべて貧しかったから、誰も貧しいということで引け目を感じることが一切なかったね。原爆で両親がいない子どもなんていっぱいいたけど、別にそれでどうのこうのっていうこともなかった。そういう意味では本当にみんな、いわゆる社会の中での立ち位置がどんなに違っても、それに子ども同士が巻き込まれることはなかった。
僕も小学校の6年生の時にいじめにあったりしたけど、やっぱりあの当時は「やめろや」って言う奴がいたよね。子ども同士の中でも「やめたほうがいい」って言う子が。そういう意味では自分たちの中でちゃんと規制があったし、大人が出てくる前に子どもだけで解決できていた。喧嘩してもね。
僕の子どもたちを見ていても、やたら周りを気にしている。ズッコケ三人組を連載していた初期は、「僕のクラスにハチベエとそっくりなのがいます」とか、「僕達もお化け屋敷を探検しました」みたいな手紙がきて、要するに、ズッコケの世界と現実世界がそれほど離れていなかった。
――読者の感想も変化している。
那須:それが90年代くらいから、「僕らのできないことを3人組がやってくれるから楽しい」って言うんだよね。やっぱり子どもを取り巻く環境から、自由闊達な部分が失われてきてしまった。ある意味ではズッコケワールドは“ファンタジー”になってしまったわけで。最近はやっぱり「あんな友達関係が羨ましい」とか、そういう手紙が多いんだよね。
いま、子どもたちは友達関係や人間関係で本当に疲れてる。好きなことを言い合って、喧嘩してもすぐにまた仲直りできる人間関係がない。一旦崩れたらそれきりというかね。
あるとき現場の小学校の先生からこんなことを言われた。「那須さん、いまは3人組なんていませんよ。2人ですよ」「もう幼稚園から親友を作るんですよ」。
――「三人組」が成立する時代ではなくなったと。
那須:僕らの頃は群れで遊んでたけど、いまは幼稚園の時から親友関係を作って、それを崩さないようにしてるみたい。
いじめがあまりにも深刻化して、「他人を思いやる気持ちを持ちなさい」なんて言うけど、そんなに人のことを思いやれるのはある程度大人になってからだと思うよ。児童書でも「他人の肉体的なことでからかったりしたらいけない」って言われたりした。でも昔から人のあだ名なんていうのはだいたいねぇ(笑)
そういう意味で、ハチベエとかハカセとかモーちゃんっていう存在は、いまはもういないよね。子どもを取り巻く環境はおかしいし、もちろん大人も。まあ、そういうことも含めてやめどきだなと。
ーーそれにしてもシリーズ終了は寂しいです。「高齢者ズッコケ三人組」なんていう可能性はないのでしょうか?
那須:「50歳なんて、まだまだ迷ったり、無茶したりもできる年だけどね。でもその先、運転免許の更新で高齢者講習を受けるとか、病院通いを始めたとか…。作者の体験を踏まえてリアルなのが書けるけど、そんなの読みたくないでしょ(笑)」