ストリップ劇場が日本から次々と姿を消した「語られざる事情」

あるベテランストリッパーの回想
八木澤 高明

花電車

はじめに話を聞いていた踊り子に、再びかつてストリップ劇場で行われていたことを尋ねた。

「本番まな板ショー以外にも、何か変わったショーはあったんですか?」

「ステージで踊り子とポニーがセックスをする獣姦ショーというのがあったわね。ポニーをステージの裏に待機させていて、出番になったらポニーは出て行くんだけど、自分の出番の前に楽屋裏に行くと、ポニーが何とも切ない顔をしているのよ。『お前も大変だね』なんて、声を掛けたら、『フンッ』と鼻息を返されたことがあったわね。ポニーとセックスする踊り子さんは、ポニーさんと呼ばれていたのよ」

本番まな板ショーに獣姦ショーと、今の時代からは想像もつかないことがおこなわれていたのだ。

 

私がストリップの取材を初めたのは2007年頃のことで、彼女たちが語ってくれたそれらのショーについては、話では聞いていたがこの目で見たことはない。そうしたショーは徹底的な取り締まりによって、ストリップ劇場では演じられなくなっていた。

戦後の焼け野原で産声をあげたストリップは、女の裸体を晒し、性を見せる場所であったはずだが、昭和五十年代に入って、性そのものを売る場所となっていき、多くの客が詰めかけた。

ところが風営法の改正などにより、本番まな板ショーなどが消えていくと、集客の柱を失い、衰退の道を辿ることになった。私が取材で足を踏み入れた時には、ストリップ業界は斜陽産業という有り様であった。

ストリップ業界の夕暮れ時に出会ったのが、今回私が『ストリップの帝王』という評伝にまとめた瀧口義弘であった。瀧口は元銀行マンという異色の経歴であったが、姉が日本を代表するストリッパーであったことから、ストリップと関わることになる。

ストリップ華やかなりし頃には、月収が一億八千万円もあった人物で、当然ながら、現在のストリップ業界の様子からは伺い知れない業界話が続く。彼自身も全国指名手配を振り切るなど、破天荒極まりない人物であった。

そんな瀧口の他に、もうひとり印象深い人物がいる。女性器から火を吹く芸を披露しているファイヤーヨーコである。

ヨーコが披露する花電車とは、女性器を使って芸をすることである。

装飾された路面電車は花電車と呼ばれ、客を乗せなかった。花電車の呼称は、芸を行った芸者は性器を使うものの男を乗せないことから、そう呼ばれるようになった。

戦前に中国などから大阪の飛田遊郭に伝わり、芸妓たちが女性器を使って書道をしたり、吹き矢を飛ばしたりしたことが、日本における花電車の事始めである。飛田遊郭から東京にも伝わり、当時一大色街であった玉ノ井などでも盛んに演じられたと言う。その後、売春防止法が昭和三十四年に施行されると、職を失った芸妓たちはストリップ劇場に流れて芸をした。それが、今日まで続く花電車のざっとした流れだ。

ヨーコは女性器から火を吹く以外にも、スプーン曲げや鉛筆折り、吹き矢を飛ばしての風船割り、ラッパ音楽を奏でるなど、いくつもの芸を持っている。