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ロスト=ストーリーは斯く綴れり 作者:馬面

ウェンブリー編

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第1章:大学の魔術士(6)

 料理店【ボン・キュ・ボン】の2階、最奥の一室。

 1人の病人が唸り声を上げていた。

「うぅ……殺せ……殺せー」

「ダメですよー。死んだら私実刑になっちゃうじゃないですかー」

「はいはい、お姉ちゃん邪魔」

 必死に生きる希望を説いている加害者を、クレールと呼ばれた女性が押しのける。

 その手には、粉末状の物と、水入りのコップの乗ったトレイが持たれていた。

「はい、お薬。それ飲んで寝てれば命に別状はないと思う」

「ど、どうも……で、あんたはどちら様?」

「この家の者よ」

「妹のクレールですー」

 余り似ていないが、似ていない姉妹など珍しくもない。

 クレールの顔を暫時眺めたアウロスは、余計な事は言わず、薬に手を伸ばした。

「ま、引越し初日に当たったのは、ある意味幸運かもね。ショックの度合いが違ってくるから」

「どういう意味だ……?」

「ウチのお姉ちゃん、料理人としては超一流の腕を持ってるの」

 アウロスの怪訝な視線を制するように、クレールは続ける。

「でも、何故か3分の1の確率でとんでもない味になってしまうのよね」

「どういう腕だ……」

「自分でも理由がわからないんです。材料も味付けも全く同じなのに、どうしてそうなってしまうのか」

 ピッツ嬢は落ち込んでいるようだったが、体型の所為か、声のトーンも顔もイマイチそう見えない。

「……よくわからないが、今後ここでの食事は遠慮させて貰う。日常の3分の1を死に直面させる気はない」

「それが妥当ね。で、紹介が遅れたけど、ここが貴方の部屋。大事に使ってね」

「ここが……」

 薬の効果もあり、ある程度苦痛が緩和されたアウロスは、首をもたげて部屋を見渡した。

 1階同様、衛生面では何の不備もない。

 男1人が寝泊りするには十分の広さもあり、ランプや時計、ベッドと言う生活必需品も揃っている。

「ま、嫌って言われても同じ構造の部屋しかないけどね」

「問題ない。ここで世話になる」

 アウロスの言葉に、クレールは初めて笑顔を覗かせた。

 知的な雰囲気を携えているが、笑う顔はどこか子供っぽい。

「そ。こっちとしても家賃をちゃんと納めてくれれば問題はないから、自由に使って」

「料理店としては機能してないもんねー」

「お姉ちゃんが言うな」

 白い目で睨まれたピッツ嬢は『てへっ』と舌を出したが、可愛くはない。

「それじゃ、私はもう自室に戻るから。万が一病状が急変したら……施療院にでも駆け込んでね」

 恐怖の一言を残して、クレールは出て行った。

「俺はもう大丈夫だから、あんたも自分の時間に戻っていいよ」

「そうですかー? それじゃお休みなさーい」

 言うが早いか、何の葛藤もなくピッツ嬢はドアを閉じた。

(体型と性格は比例するのだろうか……)

 本来なら、今後の事について山のように考えるべき事項があった筈の夜は――――そんなどうでも良い思案に終始した。



 そして、その翌日。

 研究員の面々に挨拶と自己紹介をするよう言われたアウロスは、職場となるミスト研究室に足を運んでいた。

「……マジか」

 そこには――――

「あれ? あなたは確か昨日……」

 自爆少年と。

「……」

 魔女と。

「ま、私は知ってたけど」

 殺人シェフの妹がいた。

「ここにいる3人と、昨日私を呼びに来たレヴィ=エンロールの4名。以上が私の研究室の主なスタッフだ。そこに今日から君が加わる。さ、自己紹介して」

「…………今日から、この研究室の一員となります、アウロス=エルガーデンと申す者です。どうぞよしなに」

 頭痛の止まない脳を右手で刺激しつつ、そう告げる。

 そこに向けられるのは、好奇と無関心と猜疑の入り混じった三者三様の眼差し。

「それじゃ君達も。リジル君からね」

「はい」

 リジル君こと自爆少年は胸に手を当て、妙に誇らしげに胸を張った。

「リジル=クレストロイです。18歳です。今年助手の資格を取ったので、これが官職です。わからない事は僕にどんどん聞いてください」

「それじゃリジル君には教育係をやって貰うか。次は……クレール君」

 その名前に聞き覚えのあるアウロスは、同じ屋根の下に住む事になったその女性に視線を送った。

 やはり姉とは似ておらず、こちらは目が大きく、口元も引き締まっている。

 基本的に魔術士は髪を伸ばす傾向にあり、彼女もその例に漏れず長髪なのだが、後ろの方で結っているので、正確な長さは伺い知れない。

「クレール=レドワンスよ。官職は助手。ま、よろしくね」

 最低限の情報のみをサラっと言うだけの自己紹介だった。

「それじゃ最後は……」

「ルイン」

 魔女のようなその女性は、最低限の情報すら口にせず、そっぽを向いた。

「彼女は君と同じ特別研究員だ。同じ境遇同士、仲良くすると良い」

 ミストが苦笑しつつ補足する。

 しかし昨日のやり取りもあり、2人の間には剣呑とした空気が漂っていた。

「……? まあ自己紹介はこれくらいにしておこう。それじゃ君達は仕事を始めてくれ」

 その指示と同時に、スタッフの面々はそれぞれ自分の机に戻った。

「さて、君は私の部屋でお話だ。来なさい」

 研究室を出て直ぐ、向かいの扉がミスト助教授の部屋となっている。

 移動時間、実に5秒。

「……ははは。それはまた随分と愉快な話だな」

 そこで昨日の一部始終を話したアウロスを待っていたのは、上司の心ない笑い声だった。

「何かの陰謀としか思えないんですが」

「良いじゃないか。魔術士は最前線に立たないから生命の危機とは無縁だ――――などと非難する連中に聞かせてやりたい話だ」

「勘弁してください。で、昨日の続きですが」

「ああ。どこまで話したか……そうだ、私が20代の内に教授になるという所だったな」

「……」

 アウロスは一瞬目を見開き、その後俯いて、縦皺の刻まれた眉間を親指で揉んだ。

「昨日と寸分違わぬその反応で確信出来たが……君は私が20代だと言う事に疑いを抱いているようだな」

「え……?」

 初対面時から今に至るまでに作り上げていた『ミスト』と言う人物像の年齢の欄に記された数字とは余りにかけ離れている驚愕の自己申告に対し、アウロスは言葉を失った。

「耳を穿らなくても、君の聴力は至って正常だ」

「……あり得ません。20代? そんな馬鹿な」

 首を左右に振って否定する。

「……確かに。確かに私は昔から『貫禄のある面構えだ』『渋みのある声だ』『実に大人びた雰囲気だ』などと遠回しの表現で実年齢より老けている事を指摘されては来た。しかし、だ。そこまで露骨に言って来た者は初めてだな」

「ミスト助教授。人間は自分を偽り誤魔化す生物です。しかしそれを甘受し続ける人間は、例外なく堕ちて行きます」

「……私は詐称などしていない」

 ミストは勤めて冷静に、しかし表情から笑みを消して、そう告げた。

「そうですか。それは良かった。他人に嘘を吐くのは大いに結構ですが、詐称は身を滅ぼしますから」

「それは実体験によるものかね?」

 反撃――――しかし、アウロスの顔色は変わらない。

「いえ……知り合いにいつまでも30と言う数字にしがみ付く、うだつの上がらない男がいたってだけです」

「……」

 ミストには、更に反撃できるカードがある。

 しかし、それをここで用いる事はせず、小さく息を落とすに留まった。

「さて。言葉遊びはこれくらいにして、本題に入るとしよう」

 決して本意の流れではなかったにも拘らず、ミストは愉快そうに表情を緩める。

 それは、年長者の余裕を示すには十分だが、上司の威厳は保たれない。

 この瞬間をもって、ミストとアウロスの距離感はほぼ決定した。

「先刻言った通り、当面の私の目的は、20代の内に教授になる事だ。先月29度目の誕生日を迎えたばかりでね。余り時間はない」

「1年ですか。その為に必要な布石は?」

「ほぼ打ち終えている。後は決め手となる実績を作る事、そして教授の席が空く事。それが条件だ」

 通常、魔術学院の官位にはピラミッド型の定員制が敷かれていて、学科毎の教授の数は決められている。

 その定数を満たしている状態だと、例え優秀な人材であっても、教授になる事はできない。

 その場合、教員公募を行っている他の大学への編入という形を取る事が多いが、そうやって外から入って来た人間に対する扱いは、余りよろしくない。

 上を目指す人間にとっては諸刃の剣と言える。

「そんな都合よく行きますか?」

「行かないだろうね。前衛術科に退官予定の教授はいない。ま、僥倖を祈るさ」

 神頼みと言う割に、ミストの目の中には確信めいた光の筋が宿っていた。

「そう言う訳で、君には決め手を担って貰おうと考えている」

「まさか、1年以内に論文を完成させろと……?」

「ははは。それは不可能だろう。それくらいは理解しているつもりだよ」

 アウロスの論文は、規定の路線と言うものが存在しない全く新しい試みであるが故に、『いつ完成する』と言う目処はないに等しい。

 それでも『1年では理論を固める事すら難しい』くらいの事は、誰の目にも明らかだった。

「1年で君にして貰いたいのは、理論の構築だ。誰が見ても穴のない、一点の隙もない理論でルーリングの高速化を表現してくれ。実験やデータ整理などは最小限で構わん」

 しかし、ミストは敢えてそれを要求した。

 アウロスの顔に動揺は――――ない。

「わかりました。ミスト助教授の抱えてる研究の手伝いは?」

「結構。私の論文チームは十分足りているし、雑用の手伝いを申し入れてくれる学生も山のようにいる。こう見えても結構人徳があってね」

 肩を竦めておどけるミストだったが、実際人手に困る事は殆どない。

 それはつまり、教員としての人気、引いては質の高さを物語っていた。

「そうですか。それなら大分楽ですね」

「そうでもないさ。1年でその理論を完全に固めるのは決して容易じゃない。ま、お手並み拝見と言った所だな」

 アウロスは余裕の表情を演出する為に、瞑目して頷いて見せた。

「ふむ。さて、次は……今後のスケジュールやこの大学について、幾つか述べよう」

 魔術国家と言う看板を背負うデ・ラ・ペーニャだが、魔術が通常の教育課程に組み込まれている事はない。

 あくまで専門学の中の一分野として形成されている。

 それは、魔術を編綴する為には特殊な才能が必要だからだ。

 魔術には、人間が生まれながらに体内に宿している潜在的エネルギーの一種である【魔力】が必要で、その量及び性質には、それぞれ個人差があるので、才能の関与する部分が多大にある。

 それ故に、魔力量の少ない者に対する差別や苛虐などの醜行が散見されたりする、と言った問題もあったりする。

 そう言う訳で、魔術の教育形態は敷居が高く、修道院で算術や読み書きと言った基本教育を一通り受けた人間が、専門の学院に入学して魔術学を勉強し、魔術士の資格を得ると言う流れが一般的だ。

「その前に君に一つ質問しよう。現在における大学の役目は何だと思う?」

 通常、大学は教会が運営する高等教育機関とされている。

 その中でも魔術学を専門とする大学は法学、医学と言った他の専門分野以上に教会の影響力が強く、介入も過剰に行われている。 

「教会の権力を満たす事です」

 そう言った背景を踏まえ、アウロスは淀みなく言い放った。

「その通りだ。魔術士は騎士に屈し、大学は教会に屈している。我々の立場は決して裕福ではない」

 教会が運営していると言えば聞こえは良いが、実際には支配と言う言葉の方が適当と言える。

 人材を囲い込む為の檻であり、権力を発揮する為の下僕。それが大学の置かれている立ち位置だ。

「現在はその現状を憂い、魔術系大学の教会からの脱退、独立を目指すという動きが多方面に見られる」

「実現すれば、大学の権威の飛躍と同時に内乱勃発の火種になりますね」

「そうだ。教会の独裁政権状態よりは権力を分散させる方が、魔術学会にとっては有益だろう。しかしリスクも大きい」

「中々難しい問題ですね」

 アウロスは他人事のように呟き、机の上に置かれている書類を手に取った。

「いずれにせよ、自己の見解が反映される位置にまで行かなければ唯の井戸端会議でしかないのだがな……で、それがスケジュール表だ。学生ではないのだから、遅刻や無断欠勤は論外だが、残業は一向に構わんぞ」

 聞こえないフリをしながら、アウロスはスケジュールを確認した。

「君が以前いた大学と差異はないだろう。詳細については、その都度教育係のリジル君にでも聞くと良い」

 そう言い終わると同時にミストは立ち上がり、外出の準備を始めた。

「今日はこれから市民公開講座が予定されている。君も来なさい」

「手伝いですか?」

「顔見せだ。学長をはじめ、我が大学の教授が何人も集まるからな。わざわざ部屋を尋ねる手間が省けるだろう?」

 上司の合理的な命令に対し、アウロスは微笑しながら頷いた。



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