前にTeju ColeとMin Jin Leeを読んでいて、やがて英語文学を代表する作家になるに違いないこのふたりの作家が、ふたりとも、英語で書いているが母語は英語でないことに気が付いて、文学にも新しい時代が到来していることを思った。
小説という文学上の形式がそれぞれの国の国語の勃興期に発展を遂げて、なんだか夢中になって「自分達の言語」で、カンナをかけ、トンカチをふるって、建築ブームのようにして広まったことはよく知られている。
フランス語でもドイツ語でも、小説が発達したのは国権主義国家や国民意識、「われわれドイツ人」タイプの意識の昂揚が小説という文学形式を聳え立たせたのだということができそうです。
日本もことに自然主義文学においておなじことが言えそうな気がする。
ネット上で、日本語をやりとりしていると、
「わたしは日本人だが、あなたが日本人の通弊として指摘する思考癖をもっていない。ひとくくりにしないでくれ」
という人が、よく現れる。
日本語人の一般性を抽出して民族的な傾向について考えようとすることを「自分がひとくくりにされた」と感じるのは単なる幼児性にしか過ぎないが、それはここでは、めんどくさいので言わないでおく。
日本語人は、以前に述べたtu quoqueが大好きであるというような論理の癖とは別に、異なる側面から眺めると、そう言っている本人が気が付いていないだけで、日本語では、「われわれ日本人」意識が、どんどん薄くなっているのかもしれない。
薄くなっている、というよりも、未だに戦前の日本帝国からアイデンティティを引き継ごうとする無意味で、いかにも「反省なんてしねーよ」な強引な試みに激しく反発する世界の実相を見て、日本人であることに誇りがもてなくなっているようにみえる。
「日本が国際社会で疎外されるのは、なぜだろう?」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2018/06/23/japan2050/
戦前の大日本帝国が犯した戦争犯罪について、他人事のように気楽に批判してみせるいっぽうで、国のアイデンティティは戦前の日本を引き継いでいるのでは、理屈があわないが、気分を想像すると、
銀行強盗に入って一網打尽につかまった強盗団のなかで、「おれは銀行に強盗に行ったわけじゃない。ただ通りの反対側のクルマのなかに座って見張りをやっていただけだ」と嘯く人のようなものだなのだろう。
棒杭に縛り付けられた中国人を銃剣で突き刺して殺害するのは、日本陸軍の歩兵のあいだでは、各部隊で年柄年中おこなわれる「訓練」にしかすぎなかった。
ごく稀に、生きた中国人を刺突して殺害することがどうしても出来なくて、「自分には出来ません!」と述べる兵士は半殺しにされるまで殴られ蹴られたが、そういう兵士の証言をみると、逆に、中国戦線に参加した兵士はほとんどが、この訓練に参加していたことが判ります。
戦後、お互いをかばうために口を拭って「あれは戦争という狂気が生んだ一場の悪夢だった」と忘れてしまえたのは、一にも二にも、「命令だったから仕方がなかった」
「皆が、やったんだよ。良いや悪いじゃなかった」
という強い気持ちがあったからで、そういう元兵士の機微は、例えば原一男監督が撮った極めて攻撃的な糾弾病者奥崎謙三が、いまは平和に生活している元兵士たちを苛烈に追究することによって、上官による兵士の部下殺害命令や友軍兵や敵兵を問わず人肉食が蔓延していた事実をあかるみにさらしていくドキュメンタリ、「ゆきゆきて、神軍」にうまく描かれている。
ウォール街の結局は富者の都合によって罰せられなかった金融犯罪のドキュメンタリはたくさんあるが、そのうちのひとつに、下っ端の行員として高給を稼いでいた韓国系人が、自らガイドとなって観光客に、ウォール街の犯罪について解説するツアーを企画して生業にしている様子をドキュメンタリに仕立てたものがある。
ウォール街が、いかに一丸となって、一個の低所得層からカネを巻きあげる巨大な機械となって、アメリカ社会を疲弊させて、健全な社会を破壊に導いたかよく判るように描かれていたが、その最後に、ドキュメンタリ制作者が、その韓国系人に
「では、あなた自身は、自分の責任についてどう考えているのか?」と質問するところがある。
その直後に起きたことは、なんでもかんでも韓国と日本をいっしょくたにして、「兄弟国」と考える乱暴な考えを習慣にしていた人間(←わしのことね)にとっては、おおげさにいえば、衝撃で、この韓国系人は、それまでの快活な様子と打って変わって、うなだれて、黙りこくって、その沈黙のあと、大粒の涙が頬を伝う。
なんと言ったか精確に憶えていないが、「もちろん、わたしにも責任がある」という意味のことを述べる。
このドキュメンタリを観たのは、ウォール街で働いて、うまく立ち回って稼いだとかで、わし友メグどんの適切な表現によれば「不動産バブルでもうかった自慢話を嬉々として話す不動産屋とおなじ」だと述べていたが、日本語ツイッタの世界ではたいへん人気がある日本人の女の人に自慢の仕方がいかにも道徳ゼロで目に余るのでツイッタで「犯罪のお先棒を担いで儲かったことを自慢するのは見苦しい」と述べたら、えらい悪態のつかれようで、あとは日本人の十八番「おまえはニセガイジンだろう」から始まる定番セットをずらずらと並べられて、このひとは4万人だかなんだかのフォロワーがいる人で、他の人たちも加わって、おーすげーな、お里まるだしの下品攻撃で、
眺めていて、外国に何十年住んでも日本語で思考して暮らしている限り、日本式思考からは逃れられないのだなあ、と考えさせられた直ぐ後のことだったので、
韓国人の強烈な倫理意識を観て、びっくりしてしまった。
うーむ、と考えて、そのあと立て続けに韓国のテレビドラマや映画を大量に観たが、光州事件を題材にしたA Taxi Driverや韓国大統領のノ・ムヒョンの弁護士時代を描いたThe Attorneyを初めとして、最近のテレビドラマシリーズ「ストレンジャー」に至るまで、これでもかこれでもかというくらい社会倫理と個人の葛藤やintegrityを保とうと苦闘する人間たちの物語で、韓国語がよく分からないので英語字幕をずっと見つめて観なければならず、クビが痛くなってたいへんで、もっか韓国語理解能力を改善すべくベンキョーちゅうだが、その過程でも、どうやら韓国人と日本人のあいだにはおおきな乗り越えられないほどの壁があって、
その実質は「倫理感」であるらしいと判ってきた。
もうちょっとベンキョーしないと判らないが、それは実はわしにとっては困ったことなので、韓国語と日本語のような兄弟言語で片方は倫理バカみたいなところがあって、片方は倫理ゼロの国民性では、言語と思考の深いつながりを述べてきた自分にとってはなはだしく都合が悪い。
閑話休題
最も有名な例では「ミハウ・カレツキの悲劇」がある。
誰でも知っているはずの話で、いまさらブログなんかで説明するのは気が引けるが、もしかしたら知らない人もいるかもしれないので、詳細は自分で調べてもらうことにして、おおまかな話を書いておきます。
ミハウ・カレツキはポーランドの経済学者で、統計や数学モデルを使ったマクロ経済学の創始者です。
え?えええ?
ガメ、冗談きついよ。
マクロ経済学の創始者がケインズ、ジョン・メイナード・ケインズに決まってんじゃん、まあーたテキトーこいちゃって、というはてなおじさんが現れそうだが、
「これ、ケインズのパクリなんじゃねーの?」と言いたくなるカレツキの経済の諸問題への統合的な新アプローチのアイデアが述べられている
Próba teorii koniunktury (‘An Attempt at the Theory of the Business Cycle’)
をカレツキが公刊したのはケインズが
The General Theory of Employment, Interest and Money
を出版する3年前で、未来に書かれる本をパクるのは、いくら天才が多いポーランド人でも難しそうなので、ケインズのアイデアはカレツキが先に着想していたことになる。
ケインズが下品なひとびとから「パクったんじゃないの?」と言われないですんだのは、ケインズにとっては幸運なことに、なにしろ語学がダメな人だったので、経済学に通暁したポーランド系の愛人がいたのならともかく、ケインズにはカレツキが書いた本を読むことはできなかった。
そう。このミハウ・カレツキという気の毒な経済学者は世紀の大発見と呼んでもよい経済学の論文をポーランド語で書いたのでした。
ポーランド語で書くと読むのはだいたいにおいてポーランド人だけで、そのポーランド人は経済学頭が権威主義的で遅れているので、うけないどころか、全然、誰も読んでない、ということに気付いてカレツキは、今度は外国語で書いてみることを決意する。
今度はフランス語で書きます。
でも、まあ、予想通りというか、「数学は純粋でないと、やだ」のフランス人にはマクロ経済などは腐れ数学みたいなものなので、やっぱり誰も興味をもたない。
そうこうするうちに、ケインズが英語で書いた本は名声を博して、男爵位をもらい、イングランド銀行の理事をつとめたりして、あんまり経済学と関係がないが、ケインズは学者の傍ら投資家でもあって、こっちでも冗談みたいに儲かって、幸福な一生を終える。
もうひとつ、こっちもチョー有名な例だが、20歳をすぎるまでロシア語、ポーランド語、フランス語しか話さなかったジョゼフ・コンラッドが作家として有名な存在になるのは、なんと、おとなになってから学習した英語で書いた
Heart Of Darknessでした。
コンラッドは、知られているとおりの、ロシア・東欧語文脈を背後に隠した英語の名文家だが、実は理解できる数カ国語のなかで最も不得意なのは英語だった。
それでも英語で書くしかないと決めたのは19世紀末〜20世紀初頭の当時ですらすでに、少なくとも文学世界では英語のひとり勝ち状態だったからで、実際、30年後に起きる「ミハウ・カレツキの悲劇」をおもえば、正しい判断であり、正しい言語の選択であったとおもいます。
日本文学がアジアのなかで突出して読まれているのは、太平洋戦争の影響がおおきいのは、たいていの人間が知っている。
アメリカ軍が急造した日本語情報士官の大群が戦争後、翻訳者や紹介者となって大量に日本文学を英語に翻訳したからで、例えばドナルド・キーンは、そのひとりです。
実際、日本語が読めない英語人の日本作家への評価を聞いていると、おおく翻訳者の英語の質への評価で、ペダンティックすぎてなんだか読むのに骨が折れる吉田健一が英語で書いた本などに較べると、素直なよい英語で、それがラフカディオ・ハーン以来の日本の、幽玄で謎めいた、エキゾティックなイメージとも重なって、日本文学は例えばベトナム文学やベンガル文学などと較べて、ずいぶん得をしてきた。
村上春樹などは、この機序をよく理解していて、一歩進んで翻訳作業に自分も積極的に関わることによって英語版の小説の質を保っている。
最近、というよりも、ここ数年のすぐれた英語作家を見ていると、さらに一歩すすんで、コンラッドの孫世代というのがいいのか、一群の素晴らしい英語文章を書くEFL(English as a Foreign Language)作家たちがあらわれて、英語を母語とする作家たちを圧倒する勢いをみせている。
おもしろいのは、Min Jin Leeにしても、巧みな英語表現の裏側には、母語が隠れていることで、細部への目の行き方や、相手と自分の存在の関わりをみる視線に
韓国語が生きていて、朝鮮語を使うひとびとの細やかな感情や、やさしさ、悲哀の気持が、まるで息づかいのように文と文のあいだに広がっている。
彼ら外国語としての英語で書いている作家たちは、母語の影を英語のうえに落とすことによって英語母語人よりも、すぐれた英語を書いている。
いま、ざっと見ただけで50人はくだらない中国語母語の作家たちがいて、インドにいたっては、数えるという行為そのものが無意味に感じられる。
日本語に興味をもって、ここまできたわしとしては、日本語が肝腎かなめの自分たちの言語においても、考えの奇妙なくらいの偏狭さを発揮して、言語的な自殺の道を選んでしまっていることを、とてもとても残念だと思っています。