私たちの父や母たちは、沖縄戦で戦火に巻き込まれ、
その後の米軍統治によって家や田畑を基地にされるなど、
艱難辛苦をなめてきました。
復帰後は、その父や母たちが本土に追いつけ追い越せと頑張ったおかげで、
いまの私たちの生活があるのです。
五次にわたる振興計画は経済成長をもたらし、
沖縄は日本経済の重要な一翼を担うまでになりました。
成長率や出生率は高く、アジアの窓口として潜在力は無限です。
しかしながら、困難な課題が残されたままです。
一人あたりの県民所得や若者の正規雇用率、子どもの貧困率。
いずれをとっても沖縄は全国最低です。
この改善には、ひとりひとりに細やかな支援を行い、
沖縄全体の底上げを図っていかなければなりません。
翁長県政の四年間を振り返ると、
過重な基地負担を全国に知らしめたことは大きな功績でした。
その一方で、国との関係などにおいて争いが絶えなかったことも
事実ではないでしょうか。
これは、沖縄の県民性からすれば、望むものではないはずです。
本来の沖縄らしい「和」を取り戻さなくてはなりません。
対立から対話へ、
未来志向で暮らしを豊かにしていきましょう。