俺の遺言を聴いてほしい

これは俺の遺言だ。

noteの全てが悪いわけではないが、悪質な情報商材には気をつけよう


先日、とあるアカウントが炎上して垢消しに追い込まれてしまっていた。

その方は女性の写真をネットで拾い、目の部分にモザイクをかけ、


「この生意気な港区女子に中出ししてやりました」

とか、

「今日は人妻とデート。これからラブホです」

みたいなツイートを連発し、チンコの乾く暇のないようなアカウントの様相を見せていた。


無論、そのツイートは虚構である。

「cheesuimaru」とツイッター検索すると、拾い画についてパステルしこめさんの厳しい追求が出てくる。


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(パステルさんにはヒデヨシアカウントはブロックされてしまっているので、フォロワー0のリアルアカウントにて検索)



このように拾い画で「セックスに全く困らなくなった元非モテ男」を演出しながら、その間に


「モテない男が確実にセックスフレンドを作る裏技6選」


のような1,500円のnoteの宣伝を行っていた。

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1,500円は村上春樹の小説1冊分、文庫版のkindleだったら3冊買えるほどの価格である。


こういう情報商材がバカスカ売れるのが今の「ツイッター × note」の現状である。


なぜnoteはこんなに売れるのか?

「noteが売れるのはそれだけの価値があるから」

という意見を聞いたことがあるし、商品の価値は消費者が判断するものなので、外部から

「お前のnoteデベソ〜」

みたいに批判するのは意味がない。


noteで人生が変わったのであれば、いくら金を出しても問題ないとは思う。


ただnoteはざっと以下のような性質があって、本屋に並べる書籍に比べてものすごく「売り手に優しい」システムになっている。

  • 立ち読みができないため事前に中身を吟味できない
  • レビューシステムがないため他人の評価が見えづらい
  • 実質、著者からファンへの直販で、競争がない
  • 袋とじ効果で中身が気になって買ってしまう
  • 煽りやポジティブな評価が流れてくると、買わないと損する気分になってしまう
  • 限定と言われると、後悔したくないから買ってしまう


このシステムが悪というわけではない。

善良なクリエイターにとっては中間流通業者に搾取されることもないし、

ファンと直接交流できるし、

情報も適宜アップデートすることもできるため、非常に使い勝手の良いシステムと言えるだろう。


一方で、noteには悪意ある情報商材業者を排除しにくいマイナス面もある。


本屋に置いてある本であれば、中身がないものは事前に立ち読みして購入を見送ることができるし、

アマゾンなりブログなりのレビューを探して購入するか判断することができるが、

noteは事前に中の情報を見極めることが難しいため、買った人の出たとこ勝負になってしまうからだ。


noteのノウハウは個人に帰属しており、良くも悪くも競争がない。

なので、「この本に比べてタメになった」みたいな比較が行われない。

そのため適正価格がわかりづらく、評価の基準が曖昧になってしまうのである。

情報系のnoteには良い面もある

noteは悪意を排除しづらいシステムであるとは思うが、悪い面ばかりではない。

誠意を持って「誰かに良い情報を届けたい」というクリエイターにとっては素晴らしいシステムだし、

適当に本屋で買った本よりも著者との距離感が近く感じるため、自分の行動につなげやすい。


noteはウェブで読むという性質上、じっくり何度も読み返す文章には不向きである。

ネットの文章が誤解されやすい理由と、イメージコントロールの大切さについて


買ったことによってモチベーションが上がり、行動を促すようなnoteは「良いnote」と言えるのではないだろうか。


また、著者が読者の意見を聞いて、Q&Aで情報を都度アップデートしていくnoteも良いnoteだと僕は思う。

書籍だと一度作ったらアップデートは難しく、質問を受けて追記などはできない。

noteだと著者と読者が双方向につながって、適宜情報を更新して読者の満足度を上げることができる。

こういうウェブならではの性質を有効活用しているnoteも一緒くたにして批判してはいけない。



僕自身も強い口調で悪質なnoteを批判してしまい、

noteに勇気づけられた方や、本気でnote作りに取り組んでいる人に不快な思いをさせてしまったことは反省しなければいけない。


僕が情報商材屋になるなら


さて、上げて落として忙しい記事で申し訳ない。

今度は悪意ある情報商材屋についての話である。


おそらく今、ツイッターで恋愛系のアカウントや、仮想通貨系のアカウント、

ブロガー系のアカウントを持っている人、それらをウォッチしている人の9割は、


「こうやったら俺も稼げるだろうな〜」


という道筋は見えているだろう。

みんなきっと、同じこと考えてると思う。


まずツイッターアカウント作って、

その次にやるのは権威付け。


恋愛系だったら「たくさんセックスできている風に見せる」

仮想通貨だったら「儲かってるように見せる」

ブロガーだったら「PVすごい人に見せる」


次にやるのは集客。

狙ったアカウントをファボッたり、フォロワー買ったりしてすごそうに見せる。

恋愛系だったら金融日記に読者投稿してもいい。

ツイッターには「界隈」というものがあるから、その界隈の中に入って、ポジションを確立していくのがいい。


ツイッターでフォロワーを増やす9つの方法


そこで一定のポジションを確保したら、次はnoteの販売。

煽ったタイトルにして、「こんな僕でも社長になれた(家入一真 著)」みたいなノリで、

  • ダメだった自分が変われた
  • 簡単に成功できる方法がある
  • 楽してうまくいく秘密の方法


みたいなnoteを出す。

できれば限定販売で、近日中に値上げしますって言いながら。


......みんな、こうやってやれば儲かるって気付いてるんよ。

だってこれ、インターネットが登場した頃からずっと見てきたやり方じゃん。


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きっと今、こういうやり方でnoteを書けば儲かる。

それでもやらないのは、良心からか、信念からか、あるいは叩かれるのが怖いからか。


色んな理由で自分にブレーキを掛けて、ズルくて楽なやり方は取らないようにしてる。


多くの人は良心を持って、noteを書くときはなるべく誠実に、読者の期待に頑張って応えようとしてる。



でもね、情報商材屋はその良心の壁を軽々と乗り越えてくるんよ。

だって儲かるんだもん。


情報商材が全部悪いとは言わん。

でもね、やっぱりネットで拾った画像で嘘ついて、

なんとかモテたくて、すがるような思いで情報を探してる人に高いnoteを売りつけるのは品があるとは言えないよ......。



売り手が有利なシステムだからこそ、読者に対して誠意を持って接していくべきだと僕は思う。

情報商材の人もそうあってほしいと思う。

そして、悪質な情報商材屋を見つけたときは、みんなで思い切って石を投げよう。

こんな僕でも社長になれた

こんな僕でも社長になれた


情報商材屋は教祖を目指す

情報商材の販売者が最後に行き着くところは宗教である。

昔からずっと同じ。

最後は必ず宗教に行き着いて、周りの批判には耳をふさげ、となる。


「周りの人は何もわかってない。

私はあなたを見捨てない。

私についてくれば成功できる」


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「信じる」という行為はものすごい力になる。

「宗教っぽさ」を持って批判することはできない。

僕たちだって、受験で本気で悩んでいたときは、予備校講師の


「絶対大丈夫。君は受かる」


という言葉を信じることで救われてきたはずだ。

就活に悩んでいたとき、カリスマ就活生だった先輩の言葉を信じて立ち直ることができたはずだ。


信仰心は力なのである。


問題なのは、信仰心を悪用して金に変える輩が現れたときだ。


信じる心につけ込まれると、僕たちは簡単にお金を払ってしまう。

だから、発信者に良心があるかをちゃんと見極めないといけない。

「あ、この人、搾り取ろうとしてるな」

と思ったら、すぐに身を引くべきだし、


「この人、楽して儲けようとし始めたな」


と判断したら、お金を出すのをやめてもいいのだ。


悪い情報商材屋からは距離を置こう。